第2話 亜麻色の髪の乙女
春風そよぐ四月、白富東高校の入学式は行われた。
「以上、新入生代表、佐藤桜」
外面のいいツインズの片割れが、壇上で新入生代表の挨拶を終える。おそらく桜の方が選ばれたのは成績ではなく、名前の五十音順のはずだ。
入学式を終えた武史は、振り分けられたクラスに向かう。やはり中学時代からの顔見知りは少ない。
「なあ、代表の子可愛くなかった?」
「けっこういいよな。どこのガッコだろ」
そんな台詞が周囲でされていたりもしているが、あの双子は確かに外見はいい。
いや、外見に限らず、長所は多い。しかし普通の男では、あれは扱えないだろう。
中学時代のように、変な事件がこちらにも波及してこないことを祈るばかりである。
――あの二人は大概のことは自分で解決出来るのだが、とばっちりがこちらに回ってくるのだ。
あれを受け止められるような人間は、実の兄である直史ぐらいだと、去年までは思っていたのだが……。
一応は兄妹なので、同じクラスに振り分けられることもなかった。あとリストで見た限り、知っている人間は――。
「うっす、偶然だよね」
ぽん、と気軽に武史の頭を叩いてきたのは、見知った少女であった。
「オカリナか」
「オカリナだよん」
それは中学時代、女子バスケ部のキャプテンであった駒岡里奈、通称オカリナであった。
2クラスしかなかった中学校だったが、彼女とは偶然にも一緒のクラスになったことはない。ただ男女の違いはあるが、同じバスケ部のキャプテンとして、もちろんかなりの交流はある。
「いや、中学では一回も同じクラスになったことないのに、今度は前後の席って不思議だね」
確かに2クラスしかなかった中学で一度も同じクラスにならなかったのに、8クラスある高校で同じとは、妙な偶然もあったものである。
人懐っこい笑顔の彼女は、まあ可愛い部類に入る顔立ちの、スポーツ系ショートカット少女だ。
しかし、男からはモテなかった。170cmの身長と、その運動能力の高さゆえ、女子にばかりモテていたのだ。ほとんどの男は彼女に、男として負けていた。
「またバスケ部員同士、よろしく」
「あ~、うん」
武史の言葉に歯切れの悪さを感じたオカリナは、ぐいと顔を寄せてくる。
男女関係ないこの距離感の近さが、下級生女子に圧倒的な人気を獲得した理由であった。
「何? まさか野球やるわけ?」
当然ながらオカリナは、武史の事情についてある程度知っている。
「考え中」
「でもあんた、中学ではバスケしかやってなかったでしょ? 野球部だって応援に行ってなかったし」
「いや、一年の時は休みの日、応援行ってたよ」
この場合の応援とは、普通の応援のことではない。
人数が足りない部への部員レンタルなのである。
「あ、一年の時はレギュラーじゃなかったから?」
「そそ。兄貴も困ってたし……まあ、野球はバスケよりもずっと、チームスポーツだったしな」
実際にチームスポーツかどうかはともかく、武史にとってはバスケの方が、自分の実力を発揮できていたと思う。
単純に言って野球は九分の一であり、バスケは五分の一であった。
「まあ、あんた司令塔でキャプテンでポイントゲッターだったもんね。ディフェンスまで含めて、一人で三人分ぐらいやってたかな?」
「よく見ててくれたな」
「女バスではあんたのファン多かったからね。あたしほどじゃないけど」
「さよか」
中学時代の武史は、本人の意思とは関係なくワンマンであった。
武史を抑えられたらまず勝てないし、武史で抑えられないと、それもまた勝てない。
だがある程度優れたメンバーがいれば、負担が激減するのも間違いないのだ。
「南中の沼田とかがさ、白富東で一緒にやろうとか言ってくれたんだよな」
それは中学時代、武史のチームと激戦を繰り広げていた、ライバルチームのキャプテンの名前である。
一人は推薦で高校を選べたほどの長身センターで、他の四人も関東大会まで進んだことのあるメンバーだった。
あれだけの仲間がいれば、バスケットボールは中学校時代に経験したものとは、また違ったものになるはずである。
「は? 沼田? あいつら私立行ったんじゃないの?」
「え?」
「ほら、今年あんたのお兄さんの活躍で、倍率が高くなったからさ」
「なん……だと……」
どうやら武史は裏切られたようである。
バスケに対する情熱が一気に冷め、かと言って野球を選択するでもなく。
もやもやした気持ちのまま、入学初日のホームルームが終わろうとしている。
「それと最後に、部活動について。本来はオリエンテーションの後に所属する部を決めるわけだが、野球部は今日から練習に参加出来る。まあうちは運動部も兼部可能だから、考えてる者は今日から見学に行ってもいいそうだ」
なんだか現実の方が、武史を野球に誘っているようにも思える。
迷いが晴れることもなく、武史は立ち上がった。
「あれ、どうするの? やっぱ野球行くの?」
オカリナが並んでくるが、正直武史の心は定まらない。
だが、運命は向こうからやってくる。というか引きずり込む。
「タケいたー!」
「連行ー!」
教室から飛び出したツインズが、武史の両手を極めてくる。
「いっ! いてー! 行くから離せ!」
「うわ、ツインズ……」
中学時代の悪夢を思い出したのか、オカリナがさささーと逃げていく。
それを薄情とは武史には言えない。少しでもこの二人の恐ろしさを聞いたなら、それが話半分でも避けていくのは当然だ。彼女は被害者ではなかったが、あの凄惨な現場を見ていた。
それなりに可愛い少女に両脇を掴まれて廊下を進む。
傍から見たらうらやましくも見えなくはないのだろうが、実質は連行される宇宙人のような気分の武史であった。
少し学校の敷地から離れてはいるが、野球部には専用のグランドがある。
そこに至る道のりで多少は予想していた武史であるが、グランドの周りには100人以上はいるのではないかという見物人がいた。
野球部のOBや、去年の夏辺りから増えた野球好きたちだ。ギャルもいればおっさんもいて、年齢層は幅広い。
こいつらは平日なのに何をやっているのか。まあ、どこかの学校の偵察のような人もいるが。
実際にグランドの中に入っているのは、30人ちょっとか。女生徒もいて、マネージャー志望も多いらしい。
その中に一人、異質な少女がいた。
男子生徒はユニフォームや、体操着、あるいはジャージなどに着替えた者が大半で、マネージャー志望らしき女生徒も、それに倣った服装だ。ギャルまでいるが、それでもTPOは弁えている服装だ。
そんな中に、一人。
制服のまま、人の気配に乏しい、長身の少女。
「やばいのがいる……」
「ほんとだ……」
武史の感じてた異質感を、双子もまた感じていた。
いや、この二人が感じるという時点で、それは危険と認識した方がいい。危険性の方向はともかくとして。
この二人は、奇跡の双子なのだから。
白富東の生徒は割りと制服を改造している者も多いのだが、彼女はそのままの丈の野暮ったいスカートを履いていた。
オカリナと同じぐらいの長身で、体格はやや骨ばっていて、運動とはあまり縁のなさそうな、モデルのような体型だ。
顔立ちは、うっすらとそばかすがあり、整っているが人形的で、全く化粧っ気がない。
髪は亜麻色というのだろうか、ウェーブがかかっていてまとめられていない。
メガネをかけているが深い紅色の縁で、オシャレなのか奇抜なのかの判別がつきにくい。
身だしなみをあまり気にしない、それなのになぜか絵になる芸術家、といった風情だった。
双子がそういった感覚を覚える人間は、さほど多くない。
少なくとも同じ中学には、彼女たちが興味を持つほどの価値がある人間はいなかった。
それが、地元をほんの少し離れればこうやって出会うのだから、世界は驚愕に満ちている。
制服の人間は彼女を除くと、佐藤一族の三人だけである。
正直場違い感があるのだが、また違った意味で目立つ少年も一人いた。
ほぼ180cmの武史よりも長身で、練習用ユニフォームに着替えてはいるものの、髪を茶色く染めてオールバックにした男子生徒だ。
ガムをくちゃくちゃと噛んでいるところは、なにか問題を起こしそうではある。
ただ肉体の潜在能力は高そうだと、武史の直感は言っている。
「誰もまだ来ていないんだから、ちょっと遊ぼうよ」
「いいね、ボールも転がってたし」
フェアグランドの中に、制服のままのツインズは飛び出していく、
「ちょ、ま」
止めようとしたが止められるはずもなく、キャッチボールを始めた。
桜が右手で投げた球を、椿が左手で捕る。そして右手で投げ返す。
それを桜は右手で捕り、左手・・で投げ返す。
椿が右手・・で捕り、左手に持ち替えて投げ返す。
(やっちまってる……)
顔を覆う武史だが、まだその不思議な光景は可愛いものだった。
「硬球重いね~」
「でもいい感じかも」
双子は徐々に距離を空けていき、そしてボールの勢いも自然と強くなる。
何球目だろうか、桜の方が沈み込むアンダースローから、かなりのスピードの球を投げた。
硬い硬球を、椿が腕全体で勢いを弱めて受け止める。
「ちょ、ちょっとさ」
そんな二人を止めようとするのは、ギャルっぽいなと武史が思っていた子であった。
「まだ先輩も来てないし、入部もしていない人が、備品を扱うのはよくないと思うよ。それに硬球は危ないよ」
外見に似合わずと言ってはなんだが、すごくまともな子である。
ツインズはにっこりと笑い、鏡合わせのように見つめあった。
「入部はする気ないけど~」
「たぶん関係はするから~」
この双子はけっこう無意識に、他人を傷つけてしまうことがある。
だからせめて、その境界を知る武史が、ギャル子さんを守るために踏み出そうとしたのだが――。
そっと近付いた少女が、椿の手の中の球に手を伸ばした。
あの、一人浮いていた少女だ。
双子は割りと平均的な身長なので、彼女の方が頭半分ほど高い。
伸ばされた指先で、そっと球を掴む。
両手の指先で支えられたボールは、何かの芸術作品の象徴にも見えた。
「貴方は、この子達のどちらかの、彼氏?」
そう問われた武史は、少し呆然とした。
声が綺麗だ。
ゆったりとしていて頭の中に染み込んでくる、不思議な声をしている。
それで、なぜ直感的に双子が警戒したのかも分かった。
いるのだ。こういう人間が。
双子のように、何かしらの奇跡を贈られた存在が。
彼女の場合はこの声なのだろう。
「いや、そいつら俺の妹なんだ」
とりあえず絶対に彼氏などと間違われてはいけない。
ツインズとの距離は事実に基づいて、正確に説明しないといけない。
「妹?」
長身の少女は武史と二人を見比べる。
「三つ子?」
「いや、俺が四月生まれで、そいつらが三月生まれなんだ」
この事実は、あまり人には知られたくない部分がある。だが同じ中学の者もいるし、いつかは知られることである。
兄の直史の年齢まで含めると、つまりそういうことだ。両親は頑張りすぎた。
まあ、両親の仲がいいのは、いいことではあるのだ。今でもまあ、悪くはない。ただからかいの種にはなるし、その結果がどうなったかは思い出したくない。
「へえ」
返ってきた反応は、ごく普通のものだった。特に感情の色がない。
「ご両親は今も、仲がいいの?」
「……悪くはないかな」
そこで彼女は、ふうっ、と息を吐くようにかすかに笑った。
「いいわね」
そして武史にボールを渡す。
「私は、伊藤伊里矢(イトウイリヤ)」
ふむ、と武史は頷く。名乗られたからには名乗り返さないといけないだろう。
「俺は佐藤武史」
人間には、良きにしろ悪しきにしろ、運命の出会いというものがある。
これもまたその一つだったのだろうと、後から思い返すのだ。
たとえ出会わなかった方が良かったと、後から思ってしまっても。
双子が珍しい感情を乗せた視線で武史を見ていたが、彼はそれに気付かなかった。
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