特別書き下ろし短編! 『東京ハードボイルド暗黒グルメリポート』

CASE-01 死神の仕事前の立ち食いそば

 死者であろうと、腹は減る。

「幽界現象」の発生から十年――地上を生ける屍が闊歩するようになっても、食事の大切さは変わることがない。動くためには、食べねばならない。生きるとは食べることなのだ。その一点においては生者も亡者も平等であり、今日も今日とて東凶屠のあちこちで誰もが食事を摂っている。

 我々テレビ東凶はそこに目を付け、当番組を企画した。

 ――このイカれた街でも、ひときわヤバい住民たち。

 彼らは何を食べ、何を思い、どのように生きているのであろうか。

 私は単身カメラを持ち、たった一人で死者の街の更にディープな世界に踏み込んだ。この番組は、東凶を生きる者たちに最も身近な、「食べる」ことにフォーカスを当てたドキュメンタリーである。



【CASE-01 死神の仕事前の立ち食いそば】


「あぁ? なんで知らねー奴に飯食うとこ見せてやんなきゃならねぇんだよ」

 東凶には「死神」と呼ばれる男がいる。

 彼には異名が数多く存在する。「賞金十億円」「最悪の救世主」「地獄の子守り番長」「世界一タチの悪い白髪」「座頭市とターミネーターを足して割らねぇ奴」――数々の燦々たる(散々な)呼び名は、そのどこまでが真実かもわからない。

 長らく存在自体が眉唾物とされてきたが、以前の、幽体麻薬『A’s』を巡る騒動においてついに人々の前に現れて大立ち回りを演じた男である。 あの日彼が具体的に何をしたのかは謎に包まれているものの、何か相当ヤバいことを成し遂げたであろうことは人々の間でまことしやかに囁かれている。

 正義のためかはたまたカネか、不良亡者を狩り尽くすその理由は一切不明。全身が謎と危険のマリアージュ――言うなれば、歩く都市伝説だ。

 そんな死神は、意外なほどに年若い青年だった。

 私はあらゆる伝手を駆使し、今まさに「取り立て」に向かうところだという彼との接触に成功した。番組の趣旨を伝え、「食事するところを撮るだけだから」と頭を下げても、彼の態度はかたくなだった。

「遊びでやってんじゃねぇんだよ。テレビ屋なんざ邪魔だ帰れ帰れ」

 そこをなんとか。平身低頭にお願いすると、彼は心底嫌そうな顔をしながら、いくつか条件を付けた。

「……飯食ってるとこだけだぞ。仕事にはついて来させねぇし質問にも答えねぇ」

 願ったり、である。押せば意外と折れてくれる相手だというのは僥倖だった。カタギの亡者には手を出さないという噂は本当だったようだ。あるいは私が、彼とそう(外見上の)年齢が変わらない女性だからという理由もあったかもしれない。案外ちょろい。

「……マスターに焼きそば作ってもらおうと思ってたけど、あそこは駄目だな。じゃあどうすっか……」

 死神はぶつくさ言いながらハンドルを操作する。車窓から見える夜の街並みでは、ビカビカのネオンライトがヤケクソじみて光っており、そうかと思えばつい最近起こった事件のせいでボロボロに廃墟化したままのところも垣間見える。上を見れば無数の人魂が群れとなって夜空を泳ぎ、幼いころ――生きていたころ――に呼んだ「スイミー」を思い出させた。

 霊破十二年、東凶、なか。彼はここで何を食べ、何を「狩る」のか――

 

「……ここでいいか」

 そう言って彼が車を停めたのは、臓野駅にほど近くのコインパーキングだった。駅の北口ロータリー付近にある、黄色いひさしが目印の立ち食いそば屋。席数わずか七つのカウンターの右端に陣取り、慣れた様子で注文を投げる。

 アジ天そば大盛り、追加でわかめのトッピング。

 これがどうやら、仕事前の死神のディナーのようだ。

 熱々のそばが、二分と待たずにどんと置かれる。つゆが黒い、昔ながらの東凶風のそば。死神は卓上のおろししょうがをたっぷり乗せて、衣につゆの染みたアジ天をざふりと齧る。

 ――おいしいですか?

「あ? まあな」

 ――どうして、このような仕事を?

「おい、答えねぇって言ったよな」

 ――そこをなんとか。お金なら払いますから。

「……あのなぁ。ギャラ出しゃなんでも許されるとか思ってねぇか? 飯撮るだけで終わらせるっつったろ。だいたいカタギに小遣いせびったなんて知られたら、閻……上司にどやされちまうよ」

 ――なぜ「死神」と呼ばれているのですか?

「人の話聞けよ!?」

 ――まあまあ、そこをなんとか。

 死神は麺をたぐり、ほは、と湯気交じりのため息をついて、カウンター向こうの亡者に声をかけた。

「おばちゃん、こいつにも一杯」

 ――え?

「横にくっついといて何も食わねぇのは迷惑だろ。席七つしかねぇんだぞここ」

 確かにそうかもしれない。死神はまたひとつ付け加え、

「言っとくが奢らねぇぞ」

 私が頼んだのは、並盛りコロッケそば。追加トッピングに生卵だった。

 そばにコロッケを乗せる、というなんともジャンクな組み合わせが、この雑多な街では妙にしっくりくる。つゆをひと啜りすれば、醤油の味の奥に確かな出汁の風味が感じられ、ムチムチした太い麺は噛み応えがあって実に美味だ。どうやら三種の太さの麺を入れ、食感に変化をもたらしているようだった。

 いつの間にか背後には順番待ちの客が列をなしていた。彼らは思い思いの服装に身を包み、これから仕事に行くという者、食事を済ませて家に帰るという者、あるいは飲みの〆にそばを一杯たぐろうかという者など様々だった。ここは商店街と飲み屋街がほど近く、夜を歩く亡者にとって今が花盛りの時だ。ちょうど背後を、東凶ちゅうおうせんつうきんかいそくうめきが通り過ぎてゆく。

「いいか。この街はクソだ」

 香り高い湯気を前にして、死神はぽつりと呟く。

「クソ溜めだからゴミも多い。ゴミが多けりゃ掃除が要る。誰かがゴミ拾いをやんなきゃならなくて、その『誰か』ってのがオレだ」

 ――それは、人に命じられて行っていることですか?

「たりめーだ。でなきゃ誰がこんなことするかよ」

 ――あなたは本当の「死神」なのですか?

「馬鹿、んなわけあるか。誰かが勝手につけたあだ名だ。死神なんてのは――」冷たい水を一杯含み、「――まあ、いなくはねぇが、オレじゃねぇ」

 ――???

「こっちの話だ」

 ――しかし、危険な仕事でしょう。やめたいと思ったことは?

「……お前さっきからなぁ」

 ――コロッケを半分あげます。

「んなもんで買収されるか! ……まあ、くれるっつーんなら貰うけどよ」

 ――あげたので話してください。ギブアンドテイクです。

「こ、こいつ……」

 押せば意外とチョロいのは証明済みだ。死神はやりにくそうに頭を掻き、

「……お前、家族はいるか?」

 ――います。死んでますけど。

「一緒か?」

 ――はあ、一応。亡者として普通に暮らしてますよ。

「そうか。まあ、そんなに悪くはねぇな。一緒にいられるんなら、最悪の三歩手前くらいだ」

 ――あなたの家族はいないのですか?

「外にいる。運が良かったんだ。そいつの為に、こんなとこは一日でも早く出てかなきゃならねぇ。きっちり掃除を済ませて、借りたもん全部返した後でな」

 ――借りたもの、ですか。

「そうさ。返済と後始末がオレの仕事だ。他のことなんざ知るか」

 いつしか器が空いていた。順番待ちの客から「早く代われよ」オーラがびしばしと来て、死神は何も言わず店員のおばちゃんに二人分の代金を払い、さっさとカウンターを離れた。

 ――あの、払いますけど。

「いいから消えろ。取材は終わりだ」

 死神は振り返らない。残されたのはハンディカメラを持った私一人だった。

 色んな意味で個性豊かな屍が闊歩する街では、「半分白髪の眼帯男」は実際そんなに目立たない。そば屋のカウンターは早々に埋まっていた。死神とテレ凶のディレクター、二人の運命が束の間交差する場所が、かつおだしの香り漂うあの席だった。今はもう無い。すべては夜の日常に流れていく。

「おい」

 少し離れた場所で振り返り、死神は思い出したように私に言う、

「家族、大事にし」


 どがぁぁぁぁぁぁぁぁああああんっ!!!!


 いきなり大型車が突っ込んできて、私は呆然と立ち尽くす。

 高収入バイトのCMソングを高らかに歌い上げるアドトラックは、死神の立っていた地点にフルスピードで突入、電柱を砕き通行人を巻き込んで駅の改札口に激突して止まった。

「死ィねや死神ィィィイイイイイ!!」

 荷台から飛び出してくるのは、銃器で武装した亡者ども。最初から彼が狙いだったのだ。CMソングはまだ続く。騒然とする駅前ロータリーに響き渡る歌と怒声と悲鳴。死神の姿はそこにはもう無く、

 空。

「うるせぇしもう死んでるしテメーが死ねや!!」

 いつの間にか空高く跳躍していた死神が、赤と白のふたつの月を背負う。丸腰に見えたがそうではなく、右腕から鋭利な刃物が飛び出すのが見えた。彼はずっと武装していたのだ。

 広場はいきおい戦場の様相を呈する。多勢に無勢を引っくり返し、死神はまさにその異名さながらの圧倒的な戦闘力で亡者どもに死を振り撒く。腕が飛ぶ足が飛ぶ首が飛ぶ、私はたまらず物陰に逃げて、ここであえなく撮影は中断となる。

 渦中で踊る男には、ついさっきまでそばを啜っていた時のような奇妙な穏やかさは無い。食事が彼の日常ならば、戦いすらも日常の一部なのだろう。

 私には真似のできない話である。


(つづく)

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