第6章 死神くらい殺してみろ_その5
〇
「どういうことだ!?
「おそらく、境界が緩んだままなんだ」
十年前の惨劇の当事者である二人は、これが予兆であることに気付いている。
だがハイドは倒した。裂け目が開かれることはもう無い……が。
思い至り、ミソギは頭を抱える。
「ああクソ、さっきのアレでぽんぽん飛びすぎたからか!? あれが悪いのか!?」
「可能性はある。この
互いの
満月が大きく脈打ち、ついにその輪郭を崩して。
「冥界の門が、開く……!!」
赤い月が、水風船のように、割れた。
瞬間、天蓋の「穴」から赤い滝が落ちる。
十年前と同じだ。血と油と火、
触れれば即死。逃げ場所は無い。間に合わない──!
「ふぅっ…………!!」
縦ではなく、横へ。翼はたちまち変形して、幾重にも層を作り、四人どころか
「
どどどっ────!!
白い翼に、赤いドロドロが食い止められる。だがそれは蛇口全開の水を洗面器で受け止めるようなものだ。いずれ
「バカ、何してんだ!? お前から先に死んじまうぞ!」
「だ、……だい、じょうぶ、だから」
無数の命を秘めた天使の翼は、ドロドロに触れても平気なのか。だとしても、中心に立つのは
「……っ!」
不意に
「あぅ、っぐぅう!」
「
「大丈夫だから!!」
「みんな……あたしの
老せさらばえた死人の手が、翼に深く深く食い込む。金の光が徐々に薄れ、炎に塗り潰されていく。フィリスは何もできず、せめて
「──射出プラットフォームは、まだ軌道上にある」
覚悟を秘め、アッシュが静かに告げた。
彼の首には、薄汚れてなお輝く金色の翼がある。
最終救済兵装『
赤い月は天体ではなく、幽離都市の天蓋にのみ現れる一種の怪現象だ。衛星軌道から放たれる質量爆撃なら、あるいはあれを上から一直線に撃ち抜き、ドロドロを焼き尽くせるかもしれない。幽界現象を、止められるかもしれない。
だがそれは、この場の全員を犠牲とした最終手段だ。
「可能性はゼロじゃない。……
「アッシュ、そんな……!」
「慌てるなよ、フィリス。最終結論じゃない。──ミソギ、もう一回だけ聞くぞ」
アッシュの視線が、死神に注がれる。
「代案はあるか?」
ミソギは数秒、目を閉じた。考えて考えて、考えて考えて考えて──短く濃い数秒の思索の果て、開いた目には、炎が宿る。
「…………あるに決まってんだろ」
「聞こうか」
「オレの
ミソギは
簡潔な説明を聞き、アッシュは皮肉気に
「……最後の最後まで、
「乗りかかった船だ。こうなりゃとことんまで付き合ってもらうぜ……!」
アッシュは
真上には翼の屋根。
「今から、『
耐える
「
そのままなら──の話だ。この作戦には「その先」がある。
プランはシンプル、チャンスは一度、いつものように命懸け。修羅場などもう幾つも通過している。その都度、いちいち助かることなど考えてもいなかった。
だがアナテマの
「……ここまでやって死ぬのも
フィリスは
「だいじょうぶ……お願い」
「やってください、アッシュ!」
上等だ。アッシュは真上を
「最終救済兵装コントロールシステムにアクセス──コード、
信号は天に届き、月と死の滝を挟んで、アッシュと衛星を一直線に
「──アクセス。『
天が流星を放つ。
低軌道上より秒速約三六〇〇メートルで襲来する
ミソギは既に空中にあった。
飛び込む/転送/転送/転送──裂け目から裂け目を上へ上へと飛び渡り、空へ。
急激にスイッチする景色。繰り返す転送で、ミソギは滝の中腹あたりに飛び出した。
月と地上を一直線に
冗談じゃねぇ──ミソギは他の誰でもない、己の右手で刀を握る。この世には神も仏もいない。あるのは地獄と仕事、ついでに借金。全部自分だ。自分の手で
「これで最後だ
空中で身を
「────
それはただの斬撃ではない。刃を起点に生み出す境界の裂け目そのものであり、ひとたび開けば強度もサイズも無関係に分割してのける次元切断の絶技。
大河が分断される。ねばついた
来る。
風を
大気圏を撃ち貫いてなお軌道を変えず、表面を赤熱化させたまま
ずご、と
直下、二本の脚で地を踏みしめ、アッシュは
「……天に、
「地獄に、祈れッ!!」

ミソギの叫びに応じ、閉じていた巨大な瞳が開くように、裂け目が、開いた。
その幅、実に数百メートル。ミソギの気迫がそのまま威力になったかのように、斬撃は空間を駆け抜け、空中に巨大なクレヴァスを開いてのける。
アッシュが「落とし」、ミソギが「開く」。それが最後の賭けだった。
狙いはドンピシャだった。大河をぶち抜く巨大な
どくん、と
頭から奈落へ落ちていく感覚。予感していたことではあった。今開いた巨大な裂け目は、ミソギ自身の限界をも超えたものだ。
(ああクソ、やっぱ逃げらんねぇか──)
崩壊する
『俺の合図で、
──あぁ?
頭の中から声がした。こちとら疲れているのに、どういうつもりか問答無用だった。
そいつは見る間に形を取り戻し、最後に残った魂の力を振り絞るように、あの見覚えのあるしゃれこうべを形作る。続いて現れた右手には、ぶっとい鉄の枝が握られていた。
「ぶべッ!?」
いきなり、馬鹿力で殴り飛ばされた。
思いがけぬ角度から
今だ、と声がした。誰の声かその時やっとわかった。
「ハイド! あんた……ッ!!」
『お前の手では落ちん』
旋転する視界の向こう、閉じゆく裂け目の中に、燃える二つの
『俺は、俺にしか従わない────』
────
〇
赤い満月は、変わらず天蓋にある。
さっきまでとの違いは、今やすっかり元の形に戻っていることだ。中心を衛星兵器にぶち抜かれておきながら、「私は天体でござい」と言わんばかりに幻の像を浮かべている。
やがていい気なもので、何事もなかったかのようにゆっくり西に傾き始めた。
戦いから六六六秒、七、八──。時は進み、夜明けに近付いていた。
ボロボロの四人が、横並びに荒野を行く。
車が無いので普通に歩きである。こうなるとしんどい。互いの無事を喜び合うのもほどほどに、帰るまでが
「これって作戦完了なんでしょうか」
「どうだろうな。間違っても当初の命令通りではなかったけれど」
「あ、オレの査定どうなってんだろ……後で聞いてみるか」
「この後どうしましょう?」
「とりあえず飯。あと寝る。もうやだわ疲れたわオレは」
「総隊長殿への言い訳を考えておかないとな」
「ねぇ」
と、
三人が振り向くと、彼女はその場に足を止めて、光る翼をぱたぱた動かしていた。
「あたし、返さなきゃ。これまでたくさん吸っちゃったから」
彼女が吸い取った数え切れないほどの魂は、今なお小さな翼に秘められている。
それを、みんな返そうというのだ。
とはいえ──ミソギとアッシュは目を見合わせた。何をすればいいかさっぱりだ。まさか一人一人の体をかき集めるわけでもなし。この男二人は
すんなり受け入れたのはフィリスだけだった。彼女は
「……方法は、わかるのね?」
「うん。だから、ちょっとだけ手伝ってほしい」
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