第6章 死神くらい殺してみろ_その4
砲声、
ミソギは、空間に無数の亀裂を見ていた。
完全に開いた
亀裂が開く。目の前にいたハイドが消え、真上から殺気。
「っとぉ!!」
背後。弾き合う。本能的に危機を感じ、反対方向に全力疾走。走り抜ける軌跡を追うようにそれぞれ別の裂け目から
ミソギが飛び込む/過ぎ去る赤い地獄の光景/現世、刃の森、剣葉の間合いの外へ。
「ッ、ふぅ……!」
呼吸を整え、構え直す。
転送の制御には、並々ならぬ集中力と精神力を要した。とりもなおさず、
リミッターを外してからずっと、天地が逆さまになる感覚がある。頭から深い深い穴の底に落ちていくような。同時に震えるような
「遅い」
目の前に、ハイドがいた。
ぼさぼさするな。猛烈な欲求を理性で捻じ伏せるも、相手の方が一手早い。電光石火の斬撃が肩口を
「その
生じた隙を
直前、
ダルクの機関砲弾が森林を突き破り、ミソギとハイドの間の地面を
耳にくっつけた小型インカムから、
『ペースが落ちているよ。怖いなら手でも
「はっ、抜かせよ……!」
もたつくなど、らしくない。アッシュの援護が正気を取り戻させた。再度、極限まで集中。
地を陥没させ、ミソギは踏み込む。救済兵装の雷鳴は絶えることがない。
もはや二人が戦っているのは、「目の前にいる男」ではなかった。
敵は視界をよぎる影と、森の暗夜を切り裂く亀裂、そこから現れる刃の形をした死だ。小手先のフェイントなど意味も持たない。過程を吹き飛ばした
「ここだ……ッ!」
全身の血を振り絞り、ミソギは、
超高密度の激戦の中、この軌道なら、この刹那なら、振り抜ける──開ける。
大太刀『
赤く
万の刃に対する、ただ
斬り/───
───/開く!!
斬撃軌道の形に、次元が裂けた。
瞬間、裂け目から切り付けるような熱波が噴出した。
熱は大気に触れると同時に炎となり、眼前の森林を丸ごと
焦熱地獄の炎の海、その最深部を現世に
次元を斬り、空間に新たな裂け目を作る。それこそが、復元した
逃げる暇も与えない、前方を
「──シィッ!」
上。
ミソギは避けたつもりだが、一瞬遅かった。額から顎の左側にかけてばっくり裂かれ、視界の左側が赤い闇に閉ざされてしまう。
「くっ……!」
飛び
立ち上がり、顔を上げたハイドを見て、ミソギは絶句した。
男には顔が無い。あるのは白と、闇を
それは
「どうした。
マスクが割れ、ありのままに響く声は、
「……まさか。寒そうで大変だなって思っただけさ」
「そうだな。ここは、寒すぎる。火が必要だ。この世を包み込む、あたたかな
それでも、生きている。
鬼畜外道に
お互いそうだろう。だからこそ止まれないのだろう、魂の燃えるままに。
「世界をもう一度、正しく、殺す。──そこをどけ」
「どかしてみろよ。世界だなんだと言う前に、
仮面より無機質な白骨が、一瞬、凶暴に笑ったように見えた。
赤い満月が、中天でどろりと溶け始める。もはや月としての形を失い、それはこの世に不可逆の変化をもたらす「次の段階」へと進んでいた。
翼は成長を続ける。この時点で、戦いは三〇〇秒を過ぎていた。
ダルクが生み出す
がちんっ。
ついに弾が尽きた。銀の砲弾でぎっしりだった
だが、それで良かった。
ターゲットスコープの向こう、見晴らしはかなり良くなっている。削られた森はモーセに割られた海を思わせ、そうして作った「道」の向こうに、アッシュは巨大な羽を見る。
「開けた……! 急げ!」
叫びを、ミソギが聞き届ける。
目指すは、翼の根源。今も浮かび、呼吸をし続ける
ミソギが、裂け目に飛び込んだ。/消える/転送/距離を稼ぎ、走る。
ミソギだけなら、無理だ。問題は無い。
「出番だぜッ──」
ハイドを弾き、再び──斬り/開く。
断裂。開いた切れ間は人ひとり分。
「──飛べ、フィリス!!」
そこから、フィリスが現れた。
ハイドを引き受け、
ちなみに──
自分やモノならともかく、無事にフィリスを転送できるかはぶっちゃけかなり不安なミソギだった。下手をしたらどことも知れぬ地獄の底へ
そこで、サポートをする相手がいた。
彼女は現世のいざこざには基本口を出さない。だが
その女はフィリスにオフィスを通過させ、書類仕事をしながら、こう言った。
──うちの部下を頼むぞ、西欧の神の遣いよ。
「
座標は完璧。道は通じた。
翼を広げる少女は、その巨大さに反して哀れなほど
そんなわけはない。
フィリスは正面に周り、
「
いきなりの大声に、
吸気が止まる。きょとんとしている。
「…………フィリス?」
「ええ、そうよ、私! フィリスよ!」
「ミソギも、アッシュも、死んじゃった。……フィリスも、死んじゃったの?」
「ううん、生きてる、ちゃんと生きてるわ! みんな大丈夫だから……!」
「でも、みんな死んじゃったって」
言って、
呼応するように、満月が輪郭を崩した。
「みんな。おとうさんも、おかあさんも。ともだちも……みんないなくなって。だから、呼んであげなきゃって。そうしたらみんな、一緒になれる、から……」
見開かれたままこぼれる
自分にはその重みの万分の一も実感できないだろう。けれど、確かなことは一つある。
「
その時、細く鋭い刃の
フィリスの背中を、斜めに切り裂いた。
「フィリス!!」
叫ぶミソギ。間近で見た
散った鮮血が頬に付着する。すぐに
「フィリス! フィリス、やだ、やだよっ、もう死んじゃ、あたしっ……!」
「大丈夫」
けれど、フィリスは笑う。自らの血で
「なんてことない。このくらい、みんなと比べたら、大したことないわよ」
「でも、でも──」
「大丈夫。死なない。絶対に、死なないから」
小さく柔らかい顔に手を添えたまま、フィリスは己の体温を
「だから、戻ってきて。これ以上、友達に、命を奪って欲しくないよ……!」
──友達。
天使の能力は「呼吸」にある。吸気にて命を吸収するその息は、吐くと転じて生命の
ハイドがそれを許さなかった。フィリスを照準し、次の
「これ以上の
無論、ミソギも読んでいる。
直剣で斬撃を弾き、残った刃で一斉に反撃するハイド。斬り/飛び/弾く。
「これが、正しい道だ。俺の、邪魔を、するな……!」
「知らねえなあ! そういうこた勝ってから言いやがれッ!!」
「……そうさせてもらう!」
次の一手、正面。誤魔化し無し、全霊を込めた、天をも両断するような下からの斬り上げ。
──ぎィンッ!!
十字にかち合う刃の向こう、燃え
斬り結んだ直剣に、葉が、花が、枝が、残る
「
地面を突き破り、芽が吹くように。氷の大地を根が貫くように。下から上へと伸びあがる刃の木が、圧倒的な力をもって
まるで魂の熱量がそのまま噴出したようだ。受け切れなかった。
時を切り刻んだ極限の戦いに、ぽっかり生まれた巨大な一秒。
もう永遠にハイドには追いつけない。刀は手を離れた。今から何をしようにも、その隙に相手は百もの致命打を与えてくるだろう。火の色の裂け目が見える。現れた無尽の刃に己の終わりを見て、ミソギはしかし、
刃の打ち合う、甲高い音を聞いた。
自分は何もしていない。転がって膝立ちになり、続いて聞き覚えのある声を聞く。
「ミソギ!!」
うるせえな、だから死神って呼ぶなって……いや、ん?
ハイドと斬り結び、彼を食い止めている。ミソギの手から離れた
好きにやれ。僕もそうする──そう言っていたくせに。不意に小さな影が差し、ミソギは半ば無意識に手を伸ばした。使えと言わんばかりに放り投げられたそれはずっしりと重く、けれど意外と、手に
その時、死者は生者の救い、生者は死者の魔具を構える。
「地獄に祈れ、ハイド……!」
第Ⅲ種救済兵装、
火の
「
最後に、ハイドの声が聞こえた気がした。
しかし次の瞬間には、彼の炎はその一片までも
そして、静寂が戻った。
脱力したミソギの手を、誰かがぐいっと引く。見ると同じく血だらけのアッシュが、表情だけはいつものすまし顔でこちらを見ている。そしてミソギが握りっぱなしだったデリンガーをもぎ取り、代わりに
「拾っておいてやったよ。これで貸し借りは無しだ」
「……おう、サンキュな」
──勝った。
そうだ、
「みそぎ!」
「おぶぅ!」
見るまでもなかった。いきなり横から小さいのが飛び込んできてミソギは大きくよろける。
「生きてる!」
「生きてるっつの。いや死んでるけど。お前こそ……」
「これ、大丈夫なのか? 気分はどんな感じだ?」
「ん……」
少し遅れてフィリスが合流した。服はボロボロだが傷一つなく、健在そのものだ。アッシュは表情ひとつ変えず、
「『とり』は……どうなったの?」
誤魔化すつもりは無い。答えなくてはならないことだ。
「倒したよ。……オレが地獄に送った」
「……そっか」
「おう」
「とりは、言ってたよ。みんな平等になる。みんなと会えるようになるって」
「……そうだな」
「けど、そうはならなかったんだよね」
「ああ、ならねぇ。この世はこれ以上混ざったりしねえ」
「うん。……」
言って、また少し黙り、
「これでよかったんだと思う」
つぶやきは独白のようだった。ここに至るまでのあの男の軌跡を他の三人は知らない。ただその凶行の断片を知るのみで、
唯一、十年を共に過ごした少女とて、その心の内をどれほど知っていたか。
「……だけど、」
地面が揺れた。
全員たたらを踏む。上空から生ぬるい風が吹いて地表を
「なんだ……!?」
「
構えなおすミソギ。まだ敵がいるのか。体は動くか、
最初に気付いたのは、銃を保持したアッシュだ。
「…………上だ」
見上げてミソギは凍り付く。十年前からずっと、脳裏に焼き付いた赤。
血の満月が、まだ溶け続けている。
ハイドとの戦いが始まって、この時点で、ちょうど六〇〇秒だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます