第6章 死神くらい殺してみろ_その3


    〇


 ちりと霊気が辺り一帯に垂れこめ、しん宿じゆくの荒野をほのじろく曇らせる。

 天をく翼を中心に、魂の渦が生まれていた。

 この世が最も冥界に近付く夜、血の満月がより赤黒く脈打って見えた。あちら側も近付いてきている──逆巻く風にあおられて、ハイドはくちばしのマスクに手をかける。

 不意に、風の音が変わった。

 ハイドはマスクから手を離す。何か小さなものが風を切る音。飛行機よりは小さい。空の彼方かなたから飛来する黒いものは、音が聞こえた頃には既にかなり接近していた。

「『けつほうじん』」

 抜き、放つ。

 とこの剣葉が散り散りに飛ぶ。標的を定めるなり一群のすいせいとなり、突撃してくるものを超音速で迎撃に向かった。空の一点で小さなけんせんがいくつも生まれ、一瞬遅れて、爆発。ハイドはそれが何だったのかなど気にもめず、葉を呼び戻し──

 空中にボッ、ボッと断続的に咲く、鮮烈なさくれつ音に気付く。

 向かってくる。形は人、曲芸のように回転しながら、確実にこちらを照準している。

「──ハイドォッ!!」

 れつぱくの気合と共に、「死神」が突撃を仕掛けた。

 ハイドは直剣の柄を巧みに操り、誘導ミサイルのような跳び蹴りを受け流す。激しい火花が散り、そいつは半回転して着地、地を踏みしめてハイドと相対した。

「ぺっ、ぺっ。クソが。飛行機ってのは落ちるモンなのか?」

「……来たか」

 そぎじゆうぞうは口に入った砂を吐き出し、はがねの四肢で構えを取った。

 すぐさま剣葉が主のもとに戻り、月明かりを跳ね返しながらゆらゆらと回遊する。

「一つ聞いておきたい。もうじやのお前が、俺の邪魔をするのはだ?」

「仕事なんでな。……こっちも一つだけ確認したいことがある」

 実のところ、ずっと頭の隅に引っかかっていた。

 でんどうでのハイドは、くくりに直剣を突き刺す寸前に異様なことを言った。世界をぶち壊そうというやつの発想ではないと、はたから聞いて気になっていたのだ。

「『世界を救う』ってのは、ありゃどういう意味だ?」

 幽界現象が、世界を救うものであってたまるかとミソギは心から思う。結果がこの荒野ではないか。こんなただれた大地にもかつては街があり、人がいた。二人は今、そうした平穏が一夜の内に崩れ去った骸の上に立っている。

 問いを受け、ハイドは短く答えた。

「すべてを、平等にすることだ」

「なに……?」

「十年前の幽界化は、不完全だった。ちゆうはんなままに終わった」

 ハイドは直剣を真横に伸ばした。この世に引かれた「こちら」と「あちら」の境界を、己が剣一本で切り分けるように。

「一度境界が破綻したからこそ、人間はより強固な境界を敷いた。生者と死者を『違うもの』とし、二つを決定的に分断した。もうじやを閉じ込め、滅ぼし、世界のこれ以上の変容を恐れ、徹底的に否定した」

 声には静かな熱があった。氷のようだった声に、確かに芯が通って聞こえた。たとえさつりくに駆り立てる火種だったとしても。

「『全員生きる』ことと『全員死ぬ』ことに、本質的な差は無い。悲劇とは、がただ一つでも存在するからこそ発生する」

 悲劇といえば、この世の状況が悲劇そのものだ。

 この十年、世界中を渡り歩き、ハイドはそれを見続けてきたのだろう。地獄に落ちたで。

 今更異を唱えるつもりは無い。共感もしない。ああ、だからこそ、この男は止まらないのだと確信を深めるだけだ。ミソギがなんとしてでも生き返ると決めたように、ハイドもなんとしてでも世界のを決意した。

「そうかい。全然わかんねぇってことがよーくわかったぜ……!」

 えんこう、変異・抜刀。もうじや刀で月光を跳ね返し、巨大な翼を見上げる。

 くくりはそこで、天使の呼吸を繰り返している。約束を果たさなければならない。

 ハイドが、マスクの奥に光を生み出し、

「俺は、正しい。──止めてみろ」

 両眼を開く。

 刹那、ミソギを包囲する形で「裂け目」が生まれた。

 前後左右上下からノータイムで刃が生まれ、開花した剣が三六〇度から標的の解体にかかる。

 一瞬ひやくせんの斬撃は、しかし、誰の血も吸わなかった。

 ミソギは、こつぜんと空中にあった。

 既にもうじや刀を振りかぶり──けんこんいつてき、敵の脳天に斬りかかる。

 紫電がひらめく。もうじや刀の縦一文字は、外れた。予想通りだ。これしきは避けると思っていた。

 ハイドは数メートル後方に立っていた。こちらも退いた様子はない。間の工程を一切省略した動きはお互い瞬間移動のごとく、ハイドのそばには彼が裂け目が残っている。

「へっ……。初めてが、案外うまくいくモンだな」

 むしり取った眼帯がひらひらと落ち、赤い砂に埋もれる。

 二人、火の色をした地獄の目が、距離を隔ててかち合った。

 どちらもじようがんの応用である。で開いた裂け目に入り、また別の裂け目から飛び出す、疑似的な瞬間移動。ハイドの神出鬼没さの秘密は、ここにあったのだ。

 その性質上ほんの一瞬地獄を経由する必要があるが、じようがんの力をもってすれば、飛び出る座標は自在に選ぶことができる。転送は自分だけでなく、己の体の一部、たとえば装備などにも応用可能で──

 右腕と同化したもうじや刀が、「ばちんっ」と外れて露出する。

 半ばから折れているため本来より短い、こしらえのない刃。そのなかごを直接握り締め、ミソギは、みぎの力を完全に開放した。

「『じようがん』、開門……! くらく、祈り、かつえ──解放ひらけ!!」

 視界の右半分が、真紅に染まる。

 リミッターを外したじようがんにより、次元を超えた転送が自在となった時、刀は折れた先の刃とつながる。刀身に沿うように裂け目が開き、赤熱化する刃は本来の姿を取り戻した。

 真の姿は、一振りの大太刀だった。

 総長四尺五寸、刀身三尺三寸あまり。刀身のき表にははしと「はちまんだいさつ」の文字、裏にはけんぼんの紋様が刻まれている。その、銘は。

黄泉よみ返れ、『ほたるまる』。でかい獲物だ、全開でやるぞ!」

 がんの炎は激しく渦巻き、その密度を極限まで上げ、かくかくと光る炎の真球を形作る。応じて右側の白い髪が浮き上がり、けるように熱い血と炎とぎようこうの色に染まる。

 対するハイドは冷静沈着。逆手に持ち直した直剣を真下に向け、生まれた裂け目に突き込んで、彼が持ちうるすべての「刃」を解放する。

けつほうじん、全門ゆうぞう────『てつげんとう』」

 荒野に、鉄色の「森」が生まれた。

 十や二十ではない。百でも千でも足りやしない。すべて鋭く研ぎ澄まされた刃の木が、黒々と生い茂る花と葉を伴い、次元の裂け目から次々と次々と絶え間なく生え出て二人を月明かりも届かぬ森に閉ざす。

 まるでくくりへ通ずる道を閉ざすようだ。ハイドのずっと背後、中空に浮かぶくくりがもう見えない。

「こいつが全力か……!」

 ようやく見えた全貌に、いっそ痛快な気分で吐き捨てる。けつほうじんの正体は、鉄と刃でできた地獄の樹木。生きてうごめき主に従うだ。手に持つ直剣はほんの端末。ハイドはじようがんで、地獄の一部を丸々現世に引っ張り出しているのだ。

 えんが知れば何と言うか。いや、知ったからこその五十億か。伐採のがある。

「二人。六六六秒」

 ハイドのカウントが始まる。人数は先刻ご承知か。ミソギは耳につけたインカムに叫んだ。

「行くぞアッシュ! 手数は任せた!!」


 アッシュの降下地点はおおむね予定通りだった。空飛ぶレイスが撃墜される直前、ご親切に積んであったパラシュートを使い、荒野の一点に着地する。今立っているのは、墓標のように突き出た高台。形からして崩壊したビルの一部だろう。

 こちらからはくくりの翼が見える。彼女のもとへ到達するには、荒野に突如生まれた「刃の森」を乗り越えなければいけないようだ。

「……信じているとは言わないよ。好きにやれ。僕もそうする」

 首輪で応答し、通信を切った。あとは、互いのやるべきことを成すのみだ。

 大地は荒れ果て、空には白いもやと真紅の月。悪夢めいた光景に、いつかの故郷を思い出す。

 任務は変わらず、過去は拭いがたく胸に残る。その上でなお、アッシュは自分自身の気持ちで、くくりと話をしてみたいと思い始めている。あの能天気が何を言うのか。少なくとも、自らの耳で確かめるまでは、彼女をどこにも行かせるつもりはない。

 だからこそ。

「攻撃目標、もうじやハイドの危険度を更新。最大脅威『せき』に認定!」

 待っていたというように、血の満月を機影が横切った。高速で空域に突入したアナテマのステルス輸送機はカーゴベイのハッチを開き、空中からコンテナを投下。取り付けられた衝撃緩和用の逆噴射ロケットを噴き、一瞬の滞空の後、コンテナがばらけて中身が落ちる。

 十字架の形をした、見上げるほど巨大な塩の塊だった。

 座標ぴったりだ。どごんっ! とアッシュの目前に塩が落下。見る見るうちに崩れ去り、風に吹かれて散っていった。

 中から現れるのは、銀に光る兵器。アッシュの、アナテマの、もうひとつの切り札である。

「第Ⅰ種対せき用重救済兵装『てんダルク』封印解除──」

 全長六メートル四〇センチ、本体重量二八〇キロ。大型油圧式モーターにつながる砲身は全部で六本。装弾数実に一三〇〇発強のそれは、銃器の極北、大型ガトリング砲だ。

 ずらりと並ぶ巨大なかんおけ状のパーツはすべて弾倉。独自の改造を施し、パワーアシストアームとターゲットスコープまで備えた、まさに砲台。死者に手向ける救済のシステム。

 決意と共に祈りをささげ、そのトリガーを、

「──この世ならぬせきの暴威に、そうらいの答えを……!」

 引く。


 弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾ダダダダダダダダダダダダダダ!!!!


 らいていばんきんと呼ぶに相応ふさわしい。

 狙うは刃の森。大型機関砲用の聖別された三〇ミリ口径純銀弾が、生い茂る無尽の刃に真っ向切ってらい付いた。ベルト給弾機構が馬鹿げた速さで次弾を注ぎ、回転する六つの砲身すべてに刻まれた聖なるとう文が無慈悲な雷撃に祝福を与える。

「毎分三九〇〇発の機関砲弾の嵐。斬れるものなら、斬ってみろ……!」

 パワーアシストをもってしても殺しきれぬ反動。足場が揺れ、古びた鉄筋コンクリートの表面がひびれる。だがトリガーは決して離さない。葉の一枚、枝の一本でも多く、狙って撃って弾いて削り砕いて潰してちりと帰せ。

 うんと見まがうほど大量の剣葉が舞い散り、砲弾を受け流し、花や枝で弾いて斬り払う。

 ターゲットスコープの向こう。銃火が、火花が、けんせんが満開の桜のごとく咲き誇り、月をも隠すまばゆさで荒野を照らした。

 森そのものが、燃え立つようにうごめいている。

 木々の切れ間にまばゆい光。信じがたい速度で動く影。ひときわ鋭いけんせんがちらつくのを、アッシュは確かに認識している。

 ただなかで馬鹿が踊るのを感じる。信じがたいほどごうりの馬鹿だ。あまりに多くがうしなわれたこの時代で、やつだけは自分の手のものを何一つ落とさないつもりでいる。

 ──自分で決めたことを、やり通すだと?

 雨の中の言葉を思い出す。いつか姉の言った言葉と、それが重なった。

 ──妙なやつだよ、姉さん。非合理的だ。けど──

「!」

 アッシュの周辺に、光る裂け目が生まれる。ハイドの生んだものだった。

 中から剣葉が飛び出した。とつにトリガーから手を離し跳び退く。転げながらロガトカを構え、襲い掛かる枝葉を次々に迎撃。こちらも鋭い斬撃を受け、血が噴き出る。こんなものは数のうちにも入らない。

 襲撃をやりすごし、アッシュはすぐさま銃座に戻った。ハイド本体にはミソギが当たる。あの目を持つ男と真っ向切ってやり合えるのは、同じ目を持つ自分だけだと、やつは言った。ハイドはオレが全力で押さえ付ける。だから、「切り札」まで持たせろ──と。

「いいさ。どこまで馬鹿を通せるか、見せてみろ、死神……!」

 ──けど、久しぶりに、悪い気分じゃないんだ。


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