第6章 死神くらい殺してみろ_その2


    〇


 あかねいろが西の果てに溶け、深い藍が天蓋を染める。風の温度と匂いが変わる。夜が来た。

 くん、とくくりが鼻を動かした。

「…………みんな?」

「時間だ。始めるぞ」

「でも、みんなが。あたし、このにおい、知ってるような──」

 ハイドはふところから、人知れず回収していた二つの布を取り出した。赤黒い何かに染まった、それは服の切れ端だ。くくりは反射的に匂いを嗅いで青ざめる。

 乾いてなお色濃い、ミソギとアッシュの血の臭いだった。

「あ──あ、あっ、あぁ……っ」

「心を落ち着けろ。お前になら、全員をことできる」

 血がスイッチとなって、くくりの中にすべての黒い記憶が戻ってくる。燃える炎、赤い月、死んでしまったみんな、生き残った自分、死の香り、命の匂い──恐怖するくくりの?に触れ、ハイドは最後の一押しをする。

「家族に会いたいか?」

「かぞ、く? ──おとうさん? おかあさん……?」

「お前ならば可能だ。望み通り、幽明の区別なく、ことができる」

 みんな会う、みんな助ける。その意味をくくりは正反対の意味で取る。

 そうか、この体で、できることをすれば、と。


「ご無沙汰ですだコラァッ!!」

 叫び、ミソギがラウンジのドアを蹴り開けた。続いてフィリス、ぶちを拘束するアッシュと続く。皮肉にもぶちの方が人質になったわけだ。しかし──

「……っておい、なんだこりゃ……!?」

 広々としたラウンジには、奇妙な石像ばかりが並んでいた。

 あたかもの糸に群がるもうじやのような輪を作っているが、すがるべき輪の中心は人ひとり分のスペース以外には何もない。吹き込んだ風で均衡が崩れ、ドアに近い石像から、さらさらと崩れ去っていく。

「……魂を失ったもうじやか」

 アッシュもミソギも、そうなったもうじやを何度も見た。これはAsエース中毒者の成れの果てだ。

 ぶちがいきなりたいしようした。

「いやしませんよ、もう! とっくに出発済みでさぁ!」

 冷たい風が吹く。見ると東側の大窓が開き、ドアからの空気の流れがそちらに通じている。

「まあこっちも最悪の事態を想定しちゃいたんですよ。なんせおたくらはあたしの予想を裏切りまくってきましたからね。だから、万が一ここに踏み込まれるかもと思って、ハイドと天使だけ先に行かせといたんですわ」

 会議室でのフィリスの言動がブラフなら、ぶちの反応もまたすべてブラフ。このことは階下の部下にさえ知らされていない。予定を急がせ、ハイドとくくりだけが護衛もなく「真の目的地」に向かうというのは、ハイドの判断でもあった。

「ほうら、月が昇ってきた。特等席だ。どうです、変わる浮世をさかなに一杯やりませんか?」

 今頃どこにいるのか。高層ビルの立ち並ぶとうきようでは月と近い場所など腐るほどある。

 アッシュはぶちの頭に銃口を押し付けたまま、冷静に目だけでミソギを見る。

やつはどこに行った? とうきように詳しい君ならわかるだろう」

「ちょっと待ってろ。今、考えてる──」

 遠くを見渡そうにもビル群が邪魔をする。そこでミソギは割れた窓から身を乗り出した。はるか四〇階あまり下ではすいたちがわちゃわちゃしており、騒ぎがここにまで届いてくる。

 あれではない。別の人の流れを探す。

 ホテル前の大騒ぎは意にも介さず、ただただ歩き続ける夢遊病者の群れ。

 ──まるで何かを目指すように歩いていた──

 病院で聞いた博士の話を思い出す。なら、あれは何を目指しているのだろう。フィリスの通信越しに聞いたぶちの話を思い出す。夢遊病者たちは、誰もが同じ方向を目指しているように見える。──それがくくりだとしたら。

 彼らが歩く向きを確かめ、とうきようの地理と照らし合わせて、ひらめく。

 十年前、ミソギはたまたまそこにいた。今や大部分が更地と化し、普段は誰もが恐れて近付きもしない、もうじやにとってまわしき因縁の場所。

「……しん宿じゆくだ。間違いねぇ、二人はあそこにいる!」

 とうきよう幽界の爆心地となったしん宿じゆくは、最も冥界に近く、最も濃く赤い月を拝める場所だ。


    〇


 何千何万もの夢遊病者が一点を目指す。れきを越え、しかばねを越え、脇目も振らず。

 彼らが目指すしん宿じゆくの巨大ターミナルは今や跡形もない。崩壊したはいきよの残骸があちこちのぞくのみで、端から端まで赤くくすぶり、ほのかな熱気を立ち上らせるすりばち状の荒野だった。

 地獄の大地だ。幽界化の爆心地は、その環境自体が冥界に限りなく近い。

 ──すぅぅうううぅぅぅうううぅうぅうううっ──

 そんな中、悲鳴のように細く息を吸い続ける、くくり

 翼は成長していく。高く高く伸び、その翼端で中天を突こうかというほどに。

 血の満月が意思を持つように応じた。この世のものならぬ満月は天体の常識をも無視し、普通は考えられないペースで上昇を続け、不気味なほど速く天蓋の頂点を目指す。

 その赤が、ただれた傷口のようになまめかしくぬらめいた。

 とうきようの誰もが一時手を止め、月を見ていた。


 どがんっ! とホテルにまた新たな壁を開け、レイスが夜気を切り裂いた。

「どけどけもうじやどもォ! ちんたらしてっといちまうぞッ!!」

 もういている。立ちはだかる邪魔者を天高く吹っ飛ばし、ミソギはアクセルべた踏みのまま幹線道路へ。大通りはもうじやあふれていた。助手席のアッシュがロガトカを持ち上げる。

「数が多すぎるな。撃ち抜きながら進めばましか……」

 脇道を探す時間も惜しい。しゆんじゆんしたところ、ミソギのスマホにいきなり着信が入った。

『困っているようだなミソギ!』

「博士? あんたほとぼりが冷めるまでどっか隠れてろっつったろ」

『まあそう言うな。実はその車には発信機が仕込んであり、私の端末にリアルタイムで位置を伝えるようにしてあるのだ。多数のもうじやに立ち往生しているのだろう?』

 人の車に何してくれてんだと思ったが言わない。助言があるならわらでもつかみたい。

『安心したまえ、レイス飛行モードを使えばよい!』

「ああ、そうだな。地上からじゃ間に合わ」

 そこまで言ってミソギは「ん?」となった。

「…………飛ぶのコレ?」

『なんのために私が手を加えたと思っている。ばっちり改造済みであるぞ』

「人の車に何してくれてんだてめーッ!!」

『いいから聞きたまえ! 運転席のサンバイザーの裏に大きな赤いボタンがある!』

 本当にあった。なんてこった。

『操作は簡単だ。思いっきりアクセルレバーを踏み、最高速に達した瞬間にそれを押せ! すると貴君の黒い亡霊レイスは翼を得て、大いなる空へと飛び立つだろう! 古来より人類が夢見た空へのしようだ!! わーははははは! わは』

 切った。

 相談するまでもない。たいのマッドサイエンティストの科学力は、腹立たしいが本物だ。

 ギアをバックに入れ、助走距離をたっぷり取る。シートベルトを締め直す。目指す方角を確かめて、ミソギはハンドルを、アッシュは助手席のアシストグリップを握る。

「──つかまってろよォッ!!」

 蹴り潰すように、アクセルレバーを踏みしめる。

 急激なG。スピードメーターがものの数秒で一〇〇を超過。ネオンが光のラインとなり、もうじやの壁が豪速で迫る。最高速──!

 スイッチオンと同時に、車体が変形した。

 左右にウイングを展開。ジェットエンジンの爆発的噴射。加速する翼が風をつかみ、浮かぶと同時に車輪を格納、ついに全体がアスファルトに別れを告げた。

「うおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

「機内上映は『アルマゲドン』がいいな」

 はるか地上を見下ろし、ごうおんをも置き去りにして、レイスは一直線に最後の地へ。


 ちなみにぶちは、ホテルの柱にぐるぐる巻きだった。

 孤立無援である。ホテル内の部下は、去っていった二人に「ついで」でぶちのめされて見事全滅。外は外でさっきからてんやわんやだ。

 外の大騒ぎを聞きながら、そばではフィリスがお茶を飲んでいた。

「余裕しゃくしゃくですなぁ。もう勝ったつもりですかい?」

「まさか。まだまだこれからです」

 ここから先は彼女の側かぶちの側、どちらが勝つかのぎわだ。その点においてぶちはまったく心配していなかった。ハイドが負けるはずはないのだ。

「お嬢さん。あたしにはね、夢があるんですわ」

 暇に飽かして落とした言葉を、フィリスは黙って受け止める。

「商いを。もっともっと商いを。金金、どんどん金を金を、ってね。地獄の沙汰も金次第だ。命に価値が無くなったこの世じゃ額面だけが真実でさ。そいつが膨らんでいくのを見るのがあたしは心から楽しい。そいつを極めて、果てを見たいと思ってるんです」

「……あなたの野望を否定はしません。今となっては、それも人間の在り方だと思います」

「そりゃどうも。んなら、どうして邪魔を? なんぞ夢でもおありなんで?」

「大きな夢はありません。私は、今日や明日を必死に生きるだけです」

 空になったカップを置き、フィリスは落ち着き払った様子で答える。

「だから、その生き方ひとつひとつに恥じない自分でありたいと思っています」

 ぶちが大笑いした。ぐるぐる巻きの自分よりも面白いものがあると言いたげだった。彼からすればそんな一文にもならない自己満足は片腹痛いの一語に尽きる。

「にしちゃあ怠けていらっしゃる。本番はこれからなんじゃありませんかい? 男二人に鉄火場に行かせて、こんなとこで茶ァ飲んでる自分は恥ずかしくないんで?」

 まさか──フィリスは小さく首を振った。

 もう、覚悟は決まっている。

「次の出番を待ってるんですよ」

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