第4章 ろくばんめのつばさ_その2


    〇


 赤、十日夜月。

 骨の満月をドン底とするとうきようの街は、赤が満ちるごとににぎわいを増していく。空に穿うがたれた傷口を徐々に開き、流れ出る血を浴びて活力を得ているかのようだった。

 航空障害灯が明滅する高層ビルの屋上で、ハイドは赤い月光を浴びていた。

 すぐ向かいのビルの中腹からは、濃い黒煙がもうもうと立ち込めている。今しがた潰してきたヤードセール加入組織「マーター美術商会」のオフィスだ。生き残りは誰もいない。

『どうもお疲れでござんした。ここんところの粛清はかなりいい見せしめになりましたよ』

 電話口のぶちに、ハイドは何も言わない。予定通りこの夜までに終わった。不穏分子は今せんめつしたところで全部だ。ハイドはさしたる感慨も見せず、続く報告を聞く。

『あ~……それから例の娘の居場所、八方手を尽くしてるんですがどーにも手がかりが……。やつこさんら、よっぽど巧妙な隠れ家を持ってるらしい』

「頃合いだ。俺が見る」

『はいな? なんです見るって、見てどうにかなるもんじゃ……』

 そのままの意味だった。眼下には醜悪な街が広がっている。押し付けがましい照明。ぎらぎら輝くネオン。思いつく限りの汚い色をぶちまけた光がぼんやりと浮き上がって見えた。

 電話を切り、ハイドは自らのさいおうにあるものを

 世界に、ひびが入った。

 正確には、元あった「世界のひび」が、ハイドの視界にすべて現れた。

 それは街中に存在する亀裂だ。モノではなく、空間に直接刻まれており、小さいものは指先程度、大きいものになればそこらのビルにも匹敵する長さを持つ。街にいる者たちは誰も気付かない。だが気付いていないだけで、このとうきようには数えきれないほどの亀裂が存在する。

 そして、すべてが火の色の光をたたえ、この世の外へとつながっている。

 ハイドはある一点に注目した。この高さからでも見えるほど大きく、数多あまたの亀裂が寄り集まって、まるで柱のように見える地点──現世と位相が大きくずれた、あの世に近い場所。

「……そこか」

 つぶやいて、「」を閉じる。


    〇


 ──『とり』は、たまに、どこかへ行くことがあったよ。

 あたしはいつも置いてかれた。どこに行ってたかはおしえてくれない。あたしは、ついて行って、たまに待されて、それのくりかえし。いろんなところに行ったよ。ちょっとはなれることがあっても、さいごにはぜったいに帰ってきた。

 ごはんもくれた。おまえはなにも気にしないで、ついてこいって……。それから……、


「……注射をした?」

「うん。たまに。痛くなかった」

 それも麻薬の類だろうか。くくりの腕には、しかしどこにも注射痕らしきものは無く、生まれたてみたいにつるつるだった。

「そいつを打たれて何かおかしなことはあったか? 苦しかったりとかは?」

「ううん、ぜんぜん。──『とり』は、えいようだ、って言ってた」

 傷どころかあざひとつ無い腕をさすりながら、くくりは自分の記憶を探り探り語る。

 くくりの記憶はゆっくりだが徐々に戻り、時折夢を見るように脈絡のないワードが飛び出る以外は、かなりはっきりと会話が成立した。

 そうした単語も調査の指針になるかと、一応メモしてはいる──「振り子」「大きな鳥」「燃える」「箱」「わたあめ」「ガラス」「ふうせん」「手、指、指」「火の玉」「四角い」「霧」「幸せな空気」「大きな箱」「おとうさん」「おかあさん」「木」「花」──

「一連の単語に、共通点はいだせませんね……」

 リストを眺めてフィリスがつぶやく。ハイドが定期的にくくりに何か投薬をしていたとして、それがAsエースにどうつながるのかはわからなかった。ただくくりの態度を見るに、彼女に対して悪意があったような感じはしない。

 どこかへ行っていたというのは、アナテマが追っていたような殺しや何らかの「仕事」へ出ていたのだろう。ハイドはくくりを保護するかたわら、世界中を転々としていたのだ。

とうきように来る時はどうだった? やつはお前に何か言ってたか?」

「──これが、さいごだ、って」

 少し頭を悩ませ、くくりはほんの半月ほど前の記憶を引っ張り出す。そのころ彼女はAsエースの中毒状態で、ただでさえ曖昧な意識だったようだが、かけられた言葉はかろうじて覚えていた。

「かならず、迎えにくる……って……」

 確信を持った宣言だ。ハイドはやはり、くくりと一時離れることも織り込み済みのようだ。

 おずおずとこちらを見上げるくくりは、不安そうだった。

「ねえ、みそぎ。『とり』は……わるい人なの?」

 当然、犯罪者だ。幽体麻薬をばらき、世界中でさつりくを続ける超危険人物。どんな理由があろうともまさか善人であるはずはないが、しかしくくりを前にして「ハイドは悪いやつだから倒さなくてはならない」と断言するのは、ミソギにはためらわれた。

「……そいつを決めんのはオレじゃねえ」

 だから、こう答える。

「ただ、ひとつ言えることはある。お前のことは守る。たとえやつにどんな目的があろうと、もしお前に何かひどいことが起こりそうなら、それは絶対にオレが止める。約束だ」

 くくりは大きな目でミソギを見返して、ふにゃっと笑った。

「みそぎは、やっぱりいいにおいがするね」

 匂いうんぬんはわからないが、死人を捕まえてそれもなかなかいい趣味をしている。そういえば彼女からすればハイドはどんな匂いなんだろうと思って、

 屋上からの銃声を聞いた。

「奥にいろ! マスター、ウェイトレスさん、こいつらを頼む!」

 呼びかけを受けた二人が即応し、くくりとフィリスをバックヤードに誘導した。奥には非常時用の小さな地下シェルターがある。ミソギは椅子を蹴倒す勢いで駆け出し、四人とは反対に三段飛ばしで階段を上がった。

「──どうした!? 今のは何だ!?」

 鉄のドアを蹴り開けた途端、目がくらんだ。

 まぶしい。まるで真夏の晴天のようだが、今は夜のはずだ。苦労して目を開けがくぜんとする。

 空が、左右に大きく裂けていた。

 強烈な炎の光がそこから漏れ出て、でんどうの屋上だけをまばゆく照らしている。突如空間に現れた亀裂の奥から声がする。聞き覚えのある声。うずくものがあってミソギは眼帯越しにみぎを押さえた。自分が開いた覚えは、まったく無いのに。

「姉──ど──今すぐ──離──」

 アッシュの叫びは断片的にしか聞こえなかった。撃ち尽くしたデリンガーを再装?し、彼は再び亀裂をにらんで、その奥から今まさに飛び出ようとしているものを見る。

 直後、巨大な鉄塊がでんどうに突き刺さった。

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