第4章 ろくばんめのつばさ_その3

 あさくさの商店街は騒然となっていた。

 でんどうとその周辺のビルをぶっ潰したのは、一見して奇妙なオブジェに見えた。

 幅おおよそ三〇メートル、表面に何かの文字が記されており、あちこち崩れて骨組みだけになりながら今なお燃えている。それは、大型旅客機の主翼の片割れだ。

 わずかに遅れて、はいきよに白い影が降り立つ。ハイドは主翼のかたわらに立ち、くちばしのマスクをゆっくり左右に動かして、独りごちた。

「二人、か」

 突然、れきの一部が吹き飛んだ。

 ハイドは長身をかしがせる。後ろに下がったくちばしの先端を「ぢりッ」と銃弾がかすめた。そこらじゅうが赤く燃える中で、救済兵装のあおい銃火はとてもよく映える。

 その隙をミソギが狙った。別角度から飛び出し、よこつらに手加減一切無しの拳をぶち込む。

 鉄色の拳に触れ、ハイドは吹き飛んだ。宙できりもみ回転し、ロングコートの裾をはためかせて何事もなかったかのように着地。今のは当たったのではない、自ら飛ぶことで衝撃を殺したのだ。羽毛でもぶん殴ったみたいに、手応えはまるでない。

 くちばしのマスクが、ゆっくり顔を上げる。

 最初の挨拶は終わった。ミソギとアッシュは、既に戦闘態勢にあった。

 ミソギが片手に握るスマホからは、マスター含む四人が無事だと伝える声。シェルターへの退避が間に合ったのだろう。二人も、かろうじて巻き込まれずに済んだが、店は全壊だ。

「てめぇがハイドか。ずいぶんとご挨拶じゃねぇか、なぁ……!」

「……もうじやめ。姉さんが火傷やけどでもしたらどうするつもりだ」

 ぴりぴりした闘気を受け、ハイドは自然体。れきの山のただなかに立ち、二人を順番に指差す。

 一瞬の思索の後、「残り時間」を割り出した。

「──三〇〇秒」

めてんじゃねぇぞッ!!」

 変異・抜刀。ミソギが一瞬で距離を詰め、もうじや刀で斬りかかる。

 がぎんッ! ──硬い手応え。斬撃は、ハイドが持つ直剣にはばまれていた。いつ抜いたのかもわからない。コマ送りのように、一瞬で手の内にあった。

 弾き合う。ミソギは着地の反動で更に踏み込もうとする。アッシュが照準を定める。

 対するハイドは直剣を構え、その名を告げた。

「『けつほうじん』」

 突如、彼を中心としてせん状の破壊が起こった。

 熱気が吹き散らされる。旋風を受けた残骸が吹き飛び、たちまちボロくずとなる。

 のだ。細切れになるまで、一瞬で。

 風には破壊力があった。吹き荒れる中に無数の光を含んでいた。それぞれが切れ味を持ち、触れたそばから標的を斬り刻む、数え切れぬ刃の群体。それはハイドの意のままに荒れ狂い、軌道上のすべてをミキサーにかけながら牙をく。

「……! 変異・遮断!!」

 ミソギは両手のえんこうを変異、前方一八〇度を半球状に覆う大盾を形成した。途端に無数の衝撃と耳を弄する金属音が襲い掛かり、あまりの圧力に数メートル押し飛ばされる。盾の表面に突き刺さったものは、小さなナイフのように思えたが、違った。

 風に小さくそよぎ、一つ一つが表面に葉脈を持っていた。

 鋭利な刃を持つ、鋼鉄の「葉」だ。対して、えんこうを前にハイドがつぶやく。

「その腕──冥界の金属か。持っていたのか」

 刃の葉が盾から抜け、そうかと思えば陣形を変えた。

 ハイドに操られるままり集まって、ドリルのようなえんすい状へ。

 高速回転。ガリガリ音を立てて盾が掘削される。ミソギはたまらず脚部を変形させ、後ろへ逆噴射。なおも襲いかかる刃の群れを斬り払うも、体勢を崩されたため隙が生まれてしまう。

 アッシュが、横合いから銃を連射した。

 ハイドは顔も向けずそちらに対応する。彼の周囲を回遊していた鉄の葉が防壁となり、銃撃を受けてこつじんに粉砕された。だが使い手は無傷。再び直剣を振るった時、また新たな葉が空中に生まれる。ミソギはその隙に間合いを外した。

「ち……!」

「くっそ、なんなんだあの野郎は!」

 それぞれ別の物陰に身を隠す。ハイドは一歩も動いていない。冷静になれ、冷静になれ──自らに言い聞かせるミソギ。燃える拠点が怒りを駆り立て、抑えるだけでも精一杯だ。

がわくくりを呼び戻しに来た」

 れきの中心に一人立ち、ハイドは悠然と告げた。隠れながらミソギが叫び返す。

「あぁ!? そのためだけにそんなもんぶち込みやがったのか!? だいたい、一体どういうカラクリを使いやがった!?」

「見て、開いた。それだけだ。必要な工程だ」

 そうだろう──と、ハイドは突如まったく違う方に声をかける。ミソギとアッシュが隠れている場所のちょうど中間、元の間取りでいうなら、バックヤードへの扉があった方だ。

 くくりが、出てきている。

 バックヤードの更に奥、地下シェルターへ続く辺りは、まだギリギリ残っていた。出来損ないのジオラマみたいに壁だけ残ったその穴から、くくりぼうぜんと歩み出て、大きな両目いっぱいにでんどうの惨状を映していた。

「危ない、くくりさん! すぐ戻って──きゃっ!?」

 奥からフィリスたちが呼び戻そうとするのを、ハイドが阻止した。軽い動作で必要最低限の葉を操作し、崩したれきで壁の穴を塞ぐ。

「姉さん!!」

 とつに飛び出たアッシュをハイドは見逃さなかった。右腕だけ動かし、応じて刃の風が大蛇のようにのたくった。アッシュはデリンガーの銃身で急所を守り、受けきれずに吹き飛ばされる。高い防刃性を持つ神父服カソツクが切り裂かれ、細かな血が飛び散って炎に焼かれる。

「六〇秒」

 ハイドは戦うかたわら、カウントを途絶えさせることはなかった。

「迎えに来た。行くぞ」

「……においが、あって」

「どんな匂いだ?」

なつかしい……怖い、焦げたみたいな、においが……だから、あたし……」

「そうだ。覚えていたな。──を探し当てて、引っ張り出すのに少し時間がかかった」

 言って、ハイドは地面に突き刺さった主翼を示す。

 焼け焦げ、びついてなお、そこに記された数字はかろうじて判別できる。元々その翼を持っていた飛行機の、機体記号だ。

「あ、」

 記号をたりにして、くくりは打ちのめされたような顔をした。

 はっきりと覚えていたわけではないだろう。だが、その消えかけた数字とアルファベットの並びが、崩れ燃える翼の形が、くくりを認識させた。記憶の奥底、無意識のおりに沈んでいた光景が浮上する──十年前のこと。

がわくくり。お前は十年前、この旅客機に乗っていた」

「あ、あ、あぁっ、あ」

「着陸しようとしたまさにその時、赤い月が現れ、お前はそれを窓から見ていた」

「うわぁぁあうぅうう!!」

 絶叫し、くくりはその場にまりみたいに丸まってしまう。小さな体がガタガタ震える。単に忘れていただけではない、おそらくは無意識に封じ込めていた数多あまたの恐ろしい記憶が、彼女を体の内側からい破らんとしていた。

「おと、──おとうさん、おかあさん、うそ、いやだ、みんな、みんな──」

「思い出せ。物事には正しい順序がある」

 そこまで言ってハイドは口をつぐむ。

 くくりの前にミソギが立ちはだかる。炎に照らされたひだりに、ぐつぐつと激怒をたぎらせて。

「……ガキをこんなにおびえさせて、なぁにが『正しい順序』だこの野郎……!」

「どけ。そいつが必要だ」

 その場にのように突っ立っておきながら、ハイドの三六〇度全方位には一部の隙も無い。鉄の葉は今なお数え切れぬほどの群れとなって彼の周囲を回遊している。

「だいいち、こいつに何をさせるつもりだ? Asエースとこいつに何の関係がある!?」

Asエースはただの手段だ。そいつは増幅器であり、重要な鍵だ」

「はぁ……!?」

 夜になれば月が昇る。ハイドの口調は、そうした自明のことを説明するかのようだった。


「俺たちは、幽界現象をもう一度起こしにここに来た」


 ────なに?

 こいつは今、何と言ったんだ?

 何か考えるよりも先に、十年前の記憶が生々しくよみがえった。あの月のように赤くべったりとした恐怖が足元をからめ捕り、動きを止めたミソギに、ハイドが直剣を突き付ける。

「対象の脅威度認定を更新」

 その時、氷のように冷たい宣告ががった。

 瞬間、どかん! と何かが飛び上がる。れきに埋まっていたけんろうなアタッシュケースが回転しながら宙を舞う。起き上がるアッシュの首輪が、その電子ロックシステムとリンクした。

「第Ⅱ種対上級もうじや用救済兵装『きようてんロガトカ』の解禁を要請──」

 受理。ロック解除。

 ケースの留め金が自動的にはじけ、アッシュは中から飛び出した銃をキャッチする。

 銃身は銀色、隅から隅まで刻まれるはもうじや救うころす祈りの文句。直径18.4ミリの銀球を詰め込んだ12ゲージ弾を用いる、フルストックのポンプアクション・ショットガンだ。

「──狂いもだえる魂に、そうの手向けを!!」

 散弾ばがん散弾ばがん散弾ばがん

 増幅された銃撃の威力には目を見張るものがあった。燃えるはいきよをなお明るく照らすせんこうのもと、着弾点にあおい爆発を起こして人の頭ほどの穴を穿うがつ。

 ポンプを引くと空き缶ほどもあるショットシェルが飛び出し、地面に跳ねた。並のもうじやなら今の連射で十回ほろぼして釣りが来る。

 だが、当のハイドはもう、いない。

 風の動きで察する。黒煙が渦を巻き、その流れを追って見上げれば、空中に白い影。

 真上から葉が降り注いだ。アッシュは横に跳んで回避、一回転してお返しにぶっ放す。撃ち上がる散弾は花火のように拡散し、点ではない面の弾幕として標的にらい付く。ハイドは浮き上がる葉を足場として、ジグザグの空中歩行でそれを難なく回避した。

 応じて、また刃の葉が撃ち下ろされる、アッシュは硬質な雨の下を全速で走り抜ける。崩落した鉄筋を盾にリロード。ハイドは音もなく着地し、悠然とカウントを刻み続ける。

「一五〇秒。──アナテマの手の者か。なつかしいな」

「黙れ。お前のやることは、絶対的に、正しくなどない」

「確かもうじや殺しを正義とする機関だったか。お前はそれが、本当に正しいと思うのか?」

「黙れと言ったぞ!」

 散弾がハイドを狙い、二者の間に存在するれきがことごとく消し飛ぶ。

 すべての救いは、正しさのもとに断行されるべきものである。引き金を引く指は正義に担保され、あまねく世にはびこる不正をただすてつついとして機能する。

 アッシュはそう信じている。首元のペンダントが揺れる。

「……幽界現象を、また起こすだと……」

 ミソギは立ち尽くしていた。その背に、小さな手が触れた。

「み、みそぎ……あたし、あたし……」

 振り向けば、くくりおびえていた。これまでののんな彼女からは想像もできない。ミソギは、そうした表情を知っている。震え、叫び、逃げ惑う無数の人々。十年前の惨劇を。

 だから彼女に向き合い、目線の高さを合わせて、震える手を強くつかんだ。

「──大丈夫だ」

「……ほんとう?」

「ああ。言ったろ? お前にひどいことが起こりそうなら、オレが止めるって」

 ハイドが何を考えていようと関係ない。こっちにはこっちのやるべきことがあるのだ。

 十年前に再びこの地を踏んだ時から、ずっと変わらないだろう。

「安心しろ。オレはな、お前みたいなやつを守るために地獄から戻ったんだ……!」

 そのために、何がなんでも、あいつを刈る。

 戦意の爆発と共に、踏み込んだ。

 くくりの前からミソギが消え、遅れて吹く風が彼女の前髪を上げた。

 はいきよを散弾が削り砕く中、その合間を突き抜け、ミソギはハイドを間合いに収めた。

「──おぉらァッ!」

 変異・抜刀。えわたる氷の刃が横一文字に滑り、標的の首を狙う。

 衝撃、金属音、ハイドの直剣が斬撃をはばむ。

 ミソギは構わず猛攻を仕掛けた。ハイドは剣葉を華麗に舞わせ、繰り出される高速の斬撃を受け流す。アッシュはその隙に身を隠し、ロガトカとデリンガー両方に次弾を装填した。

 刀光、風切り、せんに散る熱。ハイドは至近距離からミソギを見つめ、ぽそりと、

「お前はもうじやだ。幽界を拒否する理由があるのか?」

「黙って刈られろ、カカシ野郎ッ!!」

 ハイドが直剣を振り上げた。もうじや刀がはじかれ、飛びすさったミソギは空中のものに気付く。いつの間にか無数の刃がミソギを包囲し、刃先をすべてこちらに向けていた。

 雲のように浮遊していたものが、主の操作で一気に渦を絞る。焦点はミソギ一人。

えんこう! 変異・かいてんッ!!」

 身を沈めて逆立ち。全速で体をひねり、片腕を軸としてのように旋転。

 黒い斬撃を、円状にいつせんした。

 両脚が、黒く大きな鎌に変異していた。鎌は迫る剣葉をまとめて斬り払い、回転力をそのままにハイドを狙う。ハイドは残った剣葉を操り、二連の鎌と真っ向から斬り結んだ。火花、破片、打ち合うはがねの音色、振動と風圧が熱気を圧し、二人の間で燃える火が吹き散らされる。

 ──いける。崩せる!

 ミソギは左手で飛び上がり、もうじや刀を縦一文字。かち合う剣と剣の向こう、くちばしのマスクにはどこまでも感情が無い。すかしやがって。ミソギの中で燃える激情が背を押し、一瞬たりとも緩めることなく、攻めて攻めまくる。

 アッシュは物陰から銃を突き出しながら舌打ちをした。ミソギのしやとも言える攻め手のせいで攻防が激しく推移し、ターゲットを狙うことが難しい。

「どけ、死神! そいつを狙えないだろう!」

「黙ってろ! こいつはオレがる!!」

 横からアッシュが散弾をぶち込む。ミソギはそれすらも気にしない。危ういところで弾丸が服をかすめ、ハイドはミソギを盾のようにして立ち回り、自在の剣葉で銃撃をはじばす。

 ばちん、がぎん! ──甲高い金属音と共に、空中に火花が咲き続けた。そのただなかを突き抜け、ミソギのスピードは徐々に上がり続けた。太刀筋、反射、体さばき──十年の技術に研ぎ澄まされた戦闘勘を上乗せし、敵を絶殺の間合いに捉えて離さない。迫る剣葉と切り結び、散り咲く火花の中を突き進んで、まっすぐ己の敵だけを見る。

 実際、その動きは鬼神さながらだった。ハイドへの怒りが燃料となって、闘志と集中力を極限以上にまで引き上げていた。今のミソギを前にして十秒以上生存できる者はとうきように二人といるまい。ただ前へ、前へ、獲物の首を狙い、それ以外のすべてを意識の外に置くさまは、ただ一人で荒野を行く死神そのものと言えた。

 一秒を幾つも切り刻んだ死線の果てに、ミソギは相手の隙を見た。

 ──捕まえた……!!

「地獄に、祈りやがれッ!!」

 もうじや刀、いつせん

 銀の刀光が半月状に振り抜かれ、刃の軌道は、確かにハイドの首を捉えていた。

 マスクをかぶった生首が真上にね飛び、主の足元に落ちた。意外なほどに軽い音がした。ハイドの首から下は微動だにせず、朽ちた古木のようにその場に立ち尽くしている。

 会心の笑みが漏れる。どうもうに歯をして、ミソギは右の眼帯を取る。

じようがん! 封印────」

 魂が、出てこない。

 もうじや刀の一太刀は明らかに致命傷だった。どんな相手も、この刀で首を落とされて無事だったやつはいない。だが勢いよく飛び出すはずの灰色の炎が、いつまでっても現れない。

 最初に気付いたのはアッシュだった。

「馬鹿、気付かないのか!? !」

 ──!?

「ここまで、二〇〇秒」

 足元から、声がした。

 ハイドの首がこちらを見上げている。くちばしが伸びたマスクの生首は、黒くらんじゆくした異様な果実のように見えた。そのゴーグルの、黒くスモークされて見えない奥の闇で何かが光る。

「なるほどな。──少し、詰めるぞ」

 がくぜんとする二人の前で、ハイドは「開いた」。

 最初は横一文字だったのが、月が満ちるように広がり、真紅の光輪となって二人を

 背筋を逃れがたいおぞが走る。ミソギは思う、まさか、こいつ──

 ──!?

 絶対的な危険は、闘志よりも冷たく全身を冷やす。とつ退こうとして、

 既に囲まれていた。

 いつの間にか二人の全身をよじれたいびつな鉄が囲い、三六〇度すべての逃げ場を完全に潰していた。それは鈍く輝き、一本一本に鋭い刃を持ち、しかし確かに植物の脈を感じさせる──枝であり、つたであり、根だった。

 そして「花」が咲いた。花弁は刃、花糸は針、く香りは血と臓物のそれ。

 引き裂く。花が葉が、枝が、つたが、根が、生きてうごめく巨大な「剣」が、二人の全身を斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬り刻んだ。

 赤い噴水が散る。えんこうがバラバラになる。

「──こふ」

 アッシュも似たようなものだった。形のいい唇が、ぬらつく熱い鮮血に染まる。防刃防弾加工が施された神父服カソツクは用をなさず、刃はすべて、骨身とぞうにまで届いていた。

 二人、同時に倒れる。ぴくりとも動かない。

収束おさめろ、『じようがん』」

 ハイドが告げる名を、ミソギは薄れゆく意識の中で聞いた。

 鉄の枝がしゅるしゅると戻り、空間の切れ目の奥へ引っ込んで消えた。散る花弁の一枚までもが消えてなくなり、あとに残ったのは、無数の刃が走り抜けた破壊の跡のみ。彼がこれまでに残してきた痕跡と同じものだった。

 声が出ない。ハイドはいつの間にかくくりの前に立っていた。一歩も足を進めた気配は無かったのに、落とした首まで胴に戻り、こつぜんとそこにある。くくりはへたり込み、身動きも取れない。

「……『とり』──なん、で」

「震えるな。お前は、何も考える必要は無い」

 直剣を逆手に持ち直す。刃が無い直剣が変形し、つぼみが開くように切っ先を放射状に広げた。

「い、嫌! いやだっ! みそぎ! みそぎぃっ!!」

「恐れる必要は無い。いずれ、すべてが同じになる──」

 ハイドは直剣を振りかぶる。狙いはくくりの心臓。

「──そうやって、世界は救われる」

 突き刺す。

 くくりの全身が、電流を受けたようにけいれんした。

 ミソギは必死にもがくが、血の海が波打つばかりで何もできない。意識が遠く、遠くなる。

 かすむ視界で、くくりが何を受けているのかを見た。炎。灰色にゆらめく、もうじやの魂の火だ。ハイドが狩り、直剣に封じていたものを、すべてくくりの中に流し込んでいるのだ。

 その結果、何が起こるのか。

「……くくり。このままではまた『死』が起こるぞ。お前の、父と母のように」

 淡々と、時間をカウントしながら、ハイド。指が倒れ伏すミソギとアッシュを順番に指差す。

「お前は、近しいものの死に、何を望む?」

 くくりけいれんが、唐突に止まった。ぽかんと開いた口から、声と共に、風が生まれた。


「──────!!!」


 突如として、竜巻が起こった。

 竜巻には色があった。それ自体が光り、炎をかき消し、一帯をもうとしている。

 光の色は、金の混ざった鮮やかな白。──Asエースの色だと、頭の隅で思った。

 豪風の中で、くくりの叫び声が聞こえている。泣いているのか。悲しいのか、恐ろしいのか。

 悔しかった。守るなんて言っておいてこのザマか。無様に負けて、それで終わりか。

 意識が途絶える限界まで歯を食いしばる。風の中に、くくりとハイドの姿を探す。まだ終わりじゃない。まだ終わるわけにはいかない、まだ、まだ、まだ──

 頬に何かが触れた。やわらかく、あたたかいものだった。まるで陽だまりのような。

 何かは、消え入りそうな声で、こう言ったような気がした。


 みそぎ。

 ごめんね。


 風が、んだ。

 炎が消えた暗い夜のはいきよにあって、ミソギは自らに起こった異常に気付く。

 傷が、ひとつ残らず消えている。

 意識は鮮明だ。今わの際の夢や幻覚ではない。まるで何も起こらなかったかのようだが、砕かれて戻らないえんこうが、ハイドの攻撃が現実だったことを伝えている。

 転がったまま必死に視線を巡らせ、ミソギははいきよの中にくくりを見つけた。

 どうもくした。

 気を失った彼女の背中から、一対の翼が伸びている。

 鳥のそれとも、虫のものともつかない異様な形だった。翼は白く淡い光を放ち、まだわずかに柔らかな風をまとっていた。あの光る風は、くくりの翼が起こしていたのか。

 くくりかたわらに立つハイドは、最初からわかっていたことのようにミソギを見返す。

「お前たちは保険だったが、理想通りに機能してくれたな。無事、最後の一押しになれた」

「て、めぇ……そいつに、何をしやがった……!?」

「お前には理解できん。そもそもこいつは、人でももうじやでもない」

 くくりは、彼の腕の中で静かな呼吸を繰り返している。閉じた目の端からは一筋の涙。

「『天使』……幽界現象を境に生まれた、新しい生き物だ」

 ──天使。

 我が身を救った現象は、この十年間で出会ったどんなもうじやにも、ましてや人間にも起こせるはずのないものだ。くくりは「それ以外」の存在だとでもいうのか。

「ふざけんな……! 天使だかなんだか知らねぇが、くくりに何をさせる気だ!」

 叫びはすれども、動けない。えんこうの義肢は全体の九〇パーセント以上を失い、まったく機能しない。対するハイドの三〇〇秒に至るまでのカウントは、寸分も狂わず続いている。

 鉄の葉が一枚、二枚と、今のミソギを切り刻むに十分なだけ現れた。

 予定ぴったりの時間だった。

「『血の満月』にわかる。だがお前たちは、先にもう休め」

 直剣が振るわれ──

 同時に、はいきよの壁がぶち抜かれた。

 ほんのわずか焼け残ったでんどうの、バックヤード側の壁だ。もうどこにシェルターの入り口があるかすらわからないありさまだが、構造的にはバックヤードを抜けた先に車庫がある。

 障害物を無理やり蹴散らし、飛び出してきたのは、ミソギのレイスだった。

「ミソギ様!!」

 マスターの声。彼がレイスを運転しているのだ。

 ハイドが大きく飛びすさり、レイスを避ける。ほこりすすまみれの車体が急ブレーキをかけ、ミソギとハイドを隔てるように停車した。

「遅くなって申し訳ございません。これを掘り出すのに苦労しておりました……!」

「あ、アッシュ様は、無事です!」

 横合いからもう一つの声。見ればウェイトレスが倒れたアッシュをかついで来ている。彼は気を失っているが、ミソギと同じく今や傷一つ無かった。

「早く乗りなさいっ!」

 助手席からフィリスが手を伸ばし、すっかり軽くなったミソギを無理やり引っ張り上げる。後部座席にアッシュを押し込み、マスターはフィリスに運転席を譲った。

「エンジンはかかっております。フィリス様、後を頼みますぞ」

「はい……えっ!? ま、マスターさんは!?」

「わたくしどもは、お客様に対応せねばなりませんから」

 一瞬、フィリスは痛みに耐えるような顔をした。ウェイトレスもマスターは乗ろうともしなかった。ドアが閉められ、フィリスは振り切るように首を大きく振り、ハンドルを握った。

 たまったものじゃないのはミソギだ。助手席で暴れる。

「馬鹿、何してんだ! 降ろせ! まだ終わってねえぞ!!」

「今戦ったら、今度こそ誰も助かりませんよ!!」

 一発で黙らせられた。怒鳴り声よりもむしろ、ミソギはその横顔に言葉を飲み込んだ。

 頬をすすに汚し、めた唇から血を流して、フィリスは前しか見ていない。

 アクセルペダルが踏み抜かれる。加減も何もない踏み方が暴力的な急加速を生み、全身に強いGがかかる。急発車するレイスは進路上のガラクタを吹き飛ばし、炎に照らされた路上にドリフトして、あちこちぶつけながら走り去っていく。

 血の満月。

 骨の満月の真逆、赤い月が丸々と肥える夜の名だ。

 ハイドに告げられたその「期日」を思いながら、ミソギは限界を迎え、気を失った。


 ハイドは動じなかった。速さ、角度、距離、問題ない。射程内だ。

 だが、向けた直剣の先に、ぼろぼろのウェイトレスとマスターが立ちはだかった。

「あ、あ、あの方たちを殺すのでしたら、まず、わ、私を倒しなさい……!!」

 ぶるぶる震えているのに、退く気配はじんも無かった。手に持つのはそれぞれ、古びたさすまたこんぼう。もともとの獄卒の仕事道具だが、この十年間触りすらしなかったものだ。

 カウントが進む。

 きっかり一秒を思考に使い、ハイドはいともあっさりと剣を降ろした。

 二人はぼうぜんとしていたが、これは本人にとって珍しくもなんともない判断だった。

 彼は戦う前に、相手の人数と強さに応じた秒数を決める。定めた時間内に定めた標的を設定し、万事その通りになるように仕留める。例外は無し。時間より早くても遅くても、決めた標的より多くても少なくてもいけない。

 すなわち、その範囲外にある者は、何人たりとも

 それこそが、ハイドという男の抜き差しならない規定だった。

 武器をしまい、己の時間を初めて意図的に停止させる──二九九秒。

「……やはり、不確定要素か」

 それだけつぶやき、最強のもうじやきびすかえす。

 標的を失い、カウントを止めた以上、ここはもう何かをするような場ではない。ハイドは本心からそう思っていた。意識を失ったくくりを抱え、また一瞬、目を開いた。

 空間に亀裂が生まれる。

 二人をみ、亀裂が閉じれば、あとにはもう何も残らない。

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