第4章 ろくばんめのつばさ_その3
幅おおよそ三〇メートル、表面に何かの文字が記されており、あちこち崩れて骨組みだけになりながら今なお燃えている。それは、大型旅客機の主翼の片割れだ。
わずかに遅れて、
「二人、か」
突然、
ハイドは長身を
その隙をミソギが狙った。別角度から飛び出し、
鉄色の拳に触れ、ハイドは吹き飛んだ。宙できりもみ回転し、ロングコートの裾をはためかせて何事もなかったかのように着地。今のは当たったのではない、自ら飛ぶことで衝撃を殺したのだ。羽毛でもぶん殴ったみたいに、手応えはまるでない。
最初の挨拶は終わった。ミソギとアッシュは、既に戦闘態勢にあった。
ミソギが片手に握るスマホからは、マスター含む四人が無事だと伝える声。シェルターへの退避が間に合ったのだろう。二人も、
「てめぇがハイドか。ずいぶんとご挨拶じゃねぇか、なぁ……!」
「……
ぴりぴりした闘気を受け、ハイドは自然体。
一瞬の思索の後、「残り時間」を割り出した。
「──三〇〇秒」
「
変異・抜刀。ミソギが一瞬で距離を詰め、
がぎんッ! ──硬い手応え。斬撃は、ハイドが持つ直剣に
弾き合う。ミソギは着地の反動で更に踏み込もうとする。アッシュが照準を定める。
対するハイドは直剣を構え、その名を告げた。
「『
突如、彼を中心として
熱気が吹き散らされる。旋風を受けた残骸が吹き飛び、たちまちボロ
斬られているのだ。細切れになるまで、一瞬で。
風には破壊力があった。吹き荒れる中に無数の光を含んでいた。それぞれが切れ味を持ち、触れたそばから標的を斬り刻む、数え切れぬ刃の群体。それはハイドの意のままに荒れ狂い、軌道上のすべてをミキサーにかけながら牙を
「……! 変異・遮断!!」
ミソギは両手の
風に小さくそよぎ、一つ一つが表面に葉脈を持っていた。
鋭利な刃を持つ、鋼鉄の「葉」だ。対して、
「その腕──冥界の金属か。お前も持っていたのか」
刃の葉が盾から抜け、そうかと思えば陣形を変えた。
ハイドに操られるまま
高速回転。ガリガリ音を立てて盾が掘削される。ミソギはたまらず脚部を変形させ、後ろへ逆噴射。なおも襲いかかる刃の群れを斬り払うも、体勢を崩されたため隙が生まれてしまう。
アッシュが、横合いから銃を連射した。
ハイドは顔も向けずそちらに対応する。彼の周囲を回遊していた鉄の葉が防壁となり、銃撃を受けて
「ち……!」
「くっそ、なんなんだあの野郎は!」
それぞれ別の物陰に身を隠す。ハイドは一歩も動いていない。冷静になれ、冷静になれ──自らに言い聞かせるミソギ。燃える拠点が怒りを駆り立て、抑えるだけでも精一杯だ。
「
「あぁ!? そのためだけにそんなもんぶち込みやがったのか!? だいたい、一体どういうカラクリを使いやがった!?」
「見て、開いた。それだけだ。必要な工程だ」
そうだろう──と、ハイドは突如まったく違う方に声をかける。ミソギとアッシュが隠れている場所のちょうど中間、元の間取りでいうなら、バックヤードへの扉があった方だ。
バックヤードの更に奥、地下シェルターへ続く辺りは、まだギリギリ残っていた。出来損ないのジオラマみたいに壁だけ残ったその穴から、
「危ない、
奥からフィリスたちが呼び戻そうとするのを、ハイドが阻止した。軽い動作で必要最低限の葉を操作し、崩した
「姉さん!!」
「六〇秒」
ハイドは戦う
「迎えに来た。行くぞ」
「……においが、あって」
「どんな匂いだ?」
「
「そうだ。覚えていたな。──これを探し当てて、引っ張り出すのに少し時間がかかった」
言って、ハイドは地面に突き刺さった主翼を示す。
焼け焦げ、
「あ、」
記号を
はっきりと覚えていたわけではないだろう。だが、その消えかけた数字とアルファベットの並びが、崩れ燃える翼の形が、
「
「あ、あ、あぁっ、あ」
「着陸しようとしたまさにその時、赤い月が現れ、お前はそれを窓から見ていた」
「うわぁぁあうぅうう!!」
絶叫し、
「おと、──おとうさん、おかあさん、うそ、いやだ、みんな、みんな──」
「思い出せ。物事には正しい順序がある」
そこまで言ってハイドは口を
「……ガキをこんなに
「どけ。そいつが必要だ」
その場に
「だいいち、こいつに何をさせるつもりだ?
「
「はぁ……!?」
夜になれば月が昇る。ハイドの口調は、そうした自明のことを説明するかのようだった。
「俺たちは、幽界現象をもう一度起こしにここに来た」
────なに?
こいつは今、何と言ったんだ?
何か考えるよりも先に、十年前の記憶が生々しく
「対象の脅威度認定を更新」
その時、氷のように冷たい宣告が
瞬間、どかん! と何かが飛び上がる。
「第Ⅱ種対上級
受理。ロック解除。
ケースの留め金が自動的に
銃身は銀色、隅から隅まで刻まれるは
「──狂い
増幅された銃撃の威力には目を見張るものがあった。燃える
ポンプを引くと空き缶ほどもあるショットシェルが飛び出し、地面に跳ねた。並の
だが、当のハイドはもう、いない。
風の動きで察する。黒煙が渦を巻き、その流れを追って見上げれば、空中に白い影。
真上から葉が降り注いだ。アッシュは横に跳んで回避、一回転してお返しにぶっ放す。撃ち上がる散弾は花火のように拡散し、点ではない面の弾幕として標的に
応じて、また刃の葉が撃ち下ろされる、アッシュは硬質な雨の下を全速で走り抜ける。崩落した鉄筋を盾にリロード。ハイドは音もなく着地し、悠然とカウントを刻み続ける。
「一五〇秒。──アナテマの手の者か。
「黙れ。お前のやることは、絶対的に、正しくなどない」
「確か
「黙れと言ったぞ!」
散弾がハイドを狙い、二者の間に存在する
すべての救いは、正しさのもとに断行されるべきものである。引き金を引く指は正義に担保され、あまねく世にはびこる不正をただす
アッシュはそう信じている。首元のペンダントが揺れる。
「……幽界現象を、また起こすだと……」
ミソギは立ち尽くしていた。その背に、小さな手が触れた。
「み、みそぎ……あたし、あたし……」
振り向けば、
だから彼女に向き合い、目線の高さを合わせて、震える手を強く
「──大丈夫だ」
「……ほんとう?」
「ああ。言ったろ? お前に
ハイドが何を考えていようと関係ない。こっちにはこっちのやるべきことがあるのだ。
十年前に再びこの地を踏んだ時から、ずっと変わらないだろう。
「安心しろ。オレはな、お前みたいな
その
戦意の爆発と共に、踏み込んだ。
「──おぉらァッ!」
変異・抜刀。
衝撃、金属音、ハイドの直剣が斬撃を
ミソギは構わず猛攻を仕掛けた。ハイドは剣葉を華麗に舞わせ、繰り出される高速の斬撃を受け流す。アッシュはその隙に身を隠し、ロガトカとデリンガー両方に次弾を装填した。
刀光、風切り、
「お前は
「黙って刈られろ、カカシ野郎ッ!!」
ハイドが直剣を振り上げた。
雲のように浮遊していたものが、主の操作で一気に渦を絞る。焦点はミソギ一人。
「
身を沈めて逆立ち。全速で体を
黒い斬撃を、円状に
両脚が、黒く大きな鎌に変異していた。鎌は迫る剣葉をまとめて斬り払い、回転力をそのままにハイドを狙う。ハイドは残った剣葉を操り、二連の鎌と真っ向から斬り結んだ。火花、破片、打ち合う
──いける。崩せる!
ミソギは左手で飛び上がり、
アッシュは物陰から銃を突き出しながら舌打ちをした。ミソギの
「どけ、死神! そいつを狙えないだろう!」
「黙ってろ! こいつはオレが
横からアッシュが散弾をぶち込む。ミソギはそれすらも気にしない。危ういところで弾丸が服を
ばちん、がぎん! ──甲高い金属音と共に、空中に火花が咲き続けた。その
実際、その動きは鬼神さながらだった。ハイドへの怒りが燃料となって、闘志と集中力を極限以上にまで引き上げていた。今のミソギを前にして十秒以上生存できる者は
一秒を幾つも切り刻んだ死線の果てに、ミソギは相手の隙を見た。
──捕まえた……!!
「地獄に、祈りやがれッ!!」
銀の刀光が半月状に振り抜かれ、刃の軌道は、確かにハイドの首を捉えていた。
マスクを
会心の笑みが漏れる。
「
魂が、出てこない。
最初に気付いたのはアッシュだった。
「馬鹿、気付かないのか!? そいつはまだ生きているぞ!」
──!?
「ここまで、二〇〇秒」
足元から、声がした。
ハイドの首がこちらを見上げている。
「なるほどな。──少し、詰めるぞ」
最初は横一文字だったのが、月が満ちるように広がり、真紅の光輪となって二人を見る。
背筋を逃れがたい
──今の今まで、目を閉じてやがったのか!?
絶対的な危険は、闘志よりも冷たく全身を冷やす。
既に囲まれていた。
いつの間にか二人の全身をよじれた
そして「花」が咲いた。花弁は刃、花糸は針、
引き裂く。花が葉が、枝が、
赤い噴水が散る。
「──こふ」
アッシュも似たようなものだった。形のいい唇が、ぬらつく熱い鮮血に染まる。防刃防弾加工が施された
二人、同時に倒れる。ぴくりとも動かない。
「
ハイドが告げる名を、ミソギは薄れゆく意識の中で聞いた。
鉄の枝がしゅるしゅると戻り、空間の切れ目の奥へ引っ込んで消えた。散る花弁の一枚までもが消えてなくなり、あとに残ったのは、無数の刃が走り抜けた破壊の跡のみ。彼がこれまでに残してきた痕跡と同じものだった。
声が出ない。ハイドはいつの間にか
「……『とり』──なん、で」
「震えるな。お前は、何も考える必要は無い」
直剣を逆手に持ち直す。刃が無い直剣が変形し、
「い、嫌! いやだっ! みそぎ! みそぎぃっ!!」
「恐れる必要は無い。いずれ、すべてが同じになる──」
ハイドは直剣を振りかぶる。狙いは
「──そうやって、世界は救われる」
突き刺す。
ミソギは必死にもがくが、血の海が波打つばかりで何もできない。意識が遠く、遠くなる。
その結果、何が起こるのか。
「……
淡々と、時間をカウントしながら、ハイド。指が倒れ伏すミソギとアッシュを順番に指差す。
「お前は、近しいものの死に、何を望む?」
「──────!!!」
突如として、竜巻が起こった。
竜巻には色があった。それ自体が光り、炎をかき消し、一帯を
光の色は、金の混ざった鮮やかな白。──
豪風の中で、
悔しかった。守るなんて言っておいてこのザマか。無様に負けて、それで終わりか。
意識が途絶える限界まで歯を食いしばる。風の中に、
頬に何かが触れた。やわらかく、あたたかいものだった。まるで陽だまりのような。
何かは、消え入りそうな声で、こう言ったような気がした。
みそぎ。
ごめんね。
風が、
炎が消えた暗い夜の
傷が、ひとつ残らず消えている。
意識は鮮明だ。今わの際の夢や幻覚ではない。まるで何も起こらなかったかのようだが、砕かれて戻らない
転がったまま必死に視線を巡らせ、ミソギは
気を失った彼女の背中から、一対の翼が伸びている。
鳥のそれとも、虫のものともつかない異様な形だった。翼は白く淡い光を放ち、まだわずかに柔らかな風を
「お前たちは保険だったが、理想通りに機能してくれたな。無事、最後の一押しになれた」
「て、めぇ……そいつに、何をしやがった……!?」
「お前には理解できん。そもそもこいつは、人でも
「『天使』……幽界現象を境に生まれた、新しい生き物だ」
──天使。
我が身を救った現象は、この十年間で出会ったどんな
「ふざけんな……! 天使だかなんだか知らねぇが、
叫びはすれども、動けない。
鉄の葉が一枚、二枚と、今のミソギを切り刻むに十分なだけ現れた。
予定ぴったりの時間だった。
「『血の満月』にわかる。だがお前たちは、先にもう休め」
直剣が振るわれ──
同時に、
ほんのわずか焼け残った
障害物を無理やり蹴散らし、飛び出してきたのは、ミソギのレイスだった。
「ミソギ様!!」
マスターの声。彼がレイスを運転しているのだ。
ハイドが大きく飛びすさり、レイスを避ける。
「遅くなって申し訳ございません。これを掘り出すのに苦労しておりました……!」
「あ、アッシュ様は、無事です!」
横合いからもう一つの声。見ればウェイトレスが倒れたアッシュを
「早く乗りなさいっ!」
助手席からフィリスが手を伸ばし、すっかり軽くなったミソギを無理やり引っ張り上げる。後部座席にアッシュを押し込み、マスターはフィリスに運転席を譲った。
「エンジンはかかっております。フィリス様、後を頼みますぞ」
「はい……えっ!? ま、マスターさんは!?」
「わたくしどもは、お客様に対応せねばなりませんから」
一瞬、フィリスは痛みに耐えるような顔をした。ウェイトレスもマスターは乗ろうともしなかった。ドアが閉められ、フィリスは振り切るように首を大きく振り、ハンドルを握った。
たまったものじゃないのはミソギだ。助手席で暴れる。
「馬鹿、何してんだ! 降ろせ! まだ終わってねえぞ!!」
「今戦ったら、今度こそ誰も助かりませんよ!!」
一発で黙らせられた。怒鳴り声よりもむしろ、ミソギはその横顔に言葉を飲み込んだ。
頬を
アクセルペダルが踏み抜かれる。加減も何もない踏み方が暴力的な急加速を生み、全身に強いGがかかる。急発車するレイスは進路上のガラクタを吹き飛ばし、炎に照らされた路上にドリフトして、あちこちぶつけながら走り去っていく。
血の満月。
骨の満月の真逆、赤い月が丸々と肥える夜の名だ。
ハイドに告げられたその「期日」を思いながら、ミソギは限界を迎え、気を失った。
ハイドは動じなかった。速さ、角度、距離、問題ない。射程内だ。
だが、向けた直剣の先に、ぼろぼろのウェイトレスとマスターが立ちはだかった。
「あ、あ、あの方たちを殺すのでしたら、まず、わ、私を倒しなさい……!!」
ぶるぶる震えているのに、退く気配は
カウントが進む。
きっかり一秒を思考に使い、ハイドはいともあっさりと剣を降ろした。
二人は
彼は戦う前に、相手の人数と強さに応じた秒数を決める。定めた時間内に定めた標的を設定し、万事その通りになるように仕留める。例外は無し。時間より早くても遅くても、決めた標的より多くても少なくてもいけない。
すなわち、その範囲外にある者は、何人たりとも死んではならない。
それこそが、ハイドという男の抜き差しならない規定だった。
武器をしまい、己の時間を初めて意図的に停止させる──二九九秒。
「……やはり、不確定要素か」
それだけ
標的を失い、カウントを止めた以上、ここはもう何かをするような場ではない。ハイドは本心からそう思っていた。意識を失った
空間に亀裂が生まれる。
二人を
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