第4章 ろくばんめのつばさ_その1

 骨の満月から、一週間ほどが経過した。

 ミソギはちゆうおうのレストランにいる。──レストラン場所、の方が正しいが。

「ひっでぇなこりゃ」

 ここは「れいげんはんてん」。表向き金持ちご用達の超高級中華レストランにも当然裏はあり、真の顔は大陸系のもうじやを多数擁するチャイニーズマフィアのそうくつだった。ヤードセールにも加入しており、連合内での存在感はかなり大きかった。

 過去形だ。今や店内は台風に見舞われたように荒れ、生きたもうじやは一人もいない。

 このところとうきようの犯罪組織が何者かに襲撃され、壊滅のに遭うという事件が連続している。ホテル・ブギーとを皮切りに「こうがんせいやく」「ホロウ・アーマメント」「レイザー重工業」「デュエルモータース」「そう精肉店」──どれもヤードセールのさんだ。

 下手人はおそらく「ハイド」だろうというのがミソギ側の見解だった。

 あてもなくホール内を歩き回り、ミソギはふと窓枠にこびりついたものを見つける。胸騒ぎがしてそこらの破れたテーブルクロスで拭い、まじまじと検分した。

「──こいつは……」

 ミソギが別のところを見ている最中、アッシュは破壊の跡そのものに注目した。

 弾痕はどうでもいい。気になるものは、壁や天井、倒れたテーブル、ホールの角、ぶち抜かれた壁の向こうのちゆうぼう──そこらじゅうにあった。

 切り傷だ。

 無数のナイフで手当たり次第に斬りつけたような跡。十人や二十人にできる仕事では到底ない。あるいは獣の爪でえぐったような、長くよじれた亀裂。巨大な蛇か何かがのたくったとしか思えない、変則的で乱暴な引きずり跡──

「死神、写真を撮れ。僕が言う場所を全部だ」

「あぁ? てめこの何指図してんだコラ」

「いいから早くしろ。こういう戦い方に、僕は見覚えがある」

 ミソギからすれば、まったく見当もつかない傷の付き方だ。冗談や皮肉を言っているようには見えない。ミソギは渋々スマホを取り出し、それから、と汚れたテーブルクロスを示した。

 灰だった。ただの灰ではない。ミソギ自身、何度も見てきたしろものだから。

「オレもわかったことがある。……ハイドってのは、もうじやの魂を抜く手段を持ってるらしい」


    〇


 でんどうに帰るなり、アッシュはフィリスに「専用回線」を開くよう要求した。

「総隊長に、ですか?」

「うん。この時間なら真夜中よりクリアな通信ができると思う。つないでくれるかな」

 フィリスは情報担当補佐官に支給される特殊仕様のラップトップPCを開き、すぐに通信を試みた。とうきようのような場所でも問題なく報告できるように、彼らの通信設備は強力だ。

 秘匿回線と暗号化データを幾重にもませ、ロンドン塔アナテマ本部とつなぐ。アッシュはすかさずオペレーターにコードネームと現行任務を告げ、総隊長の呼び出しを要求した。

 いくらもしないうちに画面が切り替わり、四十半ばほどの銀髪の壮年男性の顔が映る。

 こいつが上司か──とミソギはひそかに感心する。引き締まった顔と、鋭い眼光。くぐってきた修羅場が十や二十ではきかない歴戦の気配を感じさせる。

『異常事態か? 手短に報告しろ』

「ターゲットBについての情報をつかんだ。この画像を見て欲しい」

 言って、ミソギに撮らせた戦場の写真を見せる。総隊長はまじまじと画像を見つめ、いまいましいものを見たというように表情をゆがめる。

『……どこで起こった戦いだ?』

とうきようのレストラン。できたてほやほやさ。と同じか確認させてほしい」

 すかさずPCがデータを受け取る。中身は同じく画像で、イギリスのどこかの街、はいきよのビルの中、教会や荒れ果てた市場──みな何らかの戦跡だ。

 すべてに、れいげんはんてんのような痕跡がある。

「どうやら、間違いないみたいだね」

『ああ。斬り裂き魔リツパーだ』

 アナテマは「その男」をそう呼んでいる。

 この十年、彼は世界中を転々としていた。アナテマの活動圏であるヨーロッパの各都市にも出没し、多くの爪痕を残した。人間・もうじや問わぬ多数の殺人、某国要人の殺害、世界的文化遺産の破壊、もうじや化した麻薬カルテルの壊滅等々、で。

 彼を一言で表すならば、「神出鬼没」。アナテマの組織力をもってしてその姿を捉えることすらかなわず、ただかれた死と破壊の痕跡を辿たどるのみ。物理的・時間的に明らかに無理のある移動を何度も繰り返し、個人ではなく組織説まで唱えられている。

『最悪の犯罪もうじやだ。……本当にやつだとしたら、絶対に看過できん。必ず仕留めろ』

「わかってる。念のためそっちにある斬り裂き魔リツパーの記録を全部こっちによこしてくれ。わかる範囲でいいから、やつの足跡をつかんでおきたい」

 またPCがデータを受け取る。それから細かい報告を幾つか行い、通信が終わる。

 彼の目的を推測することは難しい。ただとにかく、行く先々で誰かを殺さずにはおかないようだった。PCを閉じたフィリスが、宙にぽつりと独り言を浮かばせた。

「ハイドは、何が目的なのでしょうか……」

「さあな。とにかく今はやつの行動を追うしかねえ」

 と、ちゆうぼうから甘い匂いが漂ってくる。

 何か焼いていたらしい。マスターを見ると、彼は小さくウインクして奥を指し示した。

「できたっ」

 エプロン姿のくくりが、ウェイトレスに連れられて意気揚々と出てきた。その皿に乗っかっているものに、ミソギは思わず目をぱちくりさせる。

「……それ、ケーキか? 作ったのか?」

「うん。教えてもらった!」

 ウェイトレスは一仕事終えたというように額の汗をぬぐっている。彼女の指導のたまものか、完成品のケーキは普通に美味そうに見えた。

「ほ~、お前がねぇ。ちょっと一口食わせてみてくれよ」

 最初からそのつもりだったようで、くくりはうやうやしく皿を置く。表面がキツネ色のベイクドチーズケーキは、少し焼きすぎな感じはするものの期待ができる仕上がりだった。

 一口含むと、タレの味がした。

「…………ウナギ入ってね?」

「好きってきいたから」

「だからってケーキに突っ込むなよ! 味が衝突事故起こしてんじゃねーか!」

 ふむふむなるほど。くくりは熱心にメモを取った。前向きなアドバイスとして受け取っている。

 ウェイトレスがくれた水で一息つき、チーズケーキの断面にぶつ切りのニホンウナギという世にも珍妙な光景に改めてヒエッとなった。チョコとかクリームじゃなくてまだしも良かったと思おう、せめて。

「……そういやろくも菓子作ってたな。なつかしいっつーかなんつーか……」

「ろくろって、みそぎの妹?」

「ああ。ガキの頃は得体の知れねえ創作クッキーを延々わされたもんだ」

 そういえばくくりは一度ろくと話しているんだったか。電話が来た時、最初に出たのは彼女だと言っていた。一体どういう会話をしたのだろう。

「むむむ」

「って、なんだよ、変な顔しやがって……」

「ろくろは、あたしより上手だったの?」

 妙に突っ込んで聞いてくる。ミソギは若干のけぞりながら、

「……いや、ぶっちゃけあんま大差ねえぞ。今は知らんけど」

「わかった。あたし、がんばる」

 言うが早いか、ちゆうぼうに引っ込んでまた何かまわし始めた。なんだあいつ。

くくり様、妹様のことを意識してるんだと思います。対抗意識っていうんでしょうか」

 ウェイトレスにそう耳打ちされる。フィリスは生あたたかい目でこちらを見るばかりで、アッシュに至っては一切構わず銃の分解整備などしている。カウンターでやるな。

「ミソギ様はなんだかんだ好かれやすい方ですから。大変ですね、『お兄ちゃん』♪」

 くすくす笑うウェイトレス。ろく以外に兄と呼ばれる気は無いが、向こうでわちゃわちゃしているくくりの小さな背中を見ていると、連日の鉄火場ですさんだ心がいくらか和む。

(……ま、ほっとけねぇわな)

 なんだかんだで、もう半月近く一緒にいる。くくりは彼女なりに何か手伝えることはないか、ミソギたちの役に立てることはないかと奮闘していた。匂いがどうこうはわからないが、いいやつだと素直に思う。差し当たり、今はウナギチーズケーキをどうやっつけるべきかだが。

 熱いコーヒーを人数分置き、マスターが微笑する。

「にぎやかになりましたなぁ」

「なんだよマスター、ご機嫌だな」

「そうでしょうとも。ミソギ様のことも、わたくし案じておりましたので。せんえつながら少々安心いたしました」

「オレのことが?」

「はい。わたくしどもはこうして銃後で活動をお支えする一方、現場では常にミソギ様一人。一時的とはいえ、お仲間とご一緒なことがわたくしはとてもうれしいのですよ」

 すかさずアッシュが口を挟む。

「僕は仲間じゃない」

「たりめーだこんな殺人神父と組んでてうれしいわけあるか」

 苦笑するマスター。今も聖職者への畏れはふつしよくしきれていないようだが、彼なりにアッシュの腕前には信を置いている。たとえ利害の一致程度の関係だとしても、鉄火場にミソギ一人ではないことがマスターにはうれしいようだった。

 と、スマホが鳴った。「ケーキは後で食う」と言い訳して、ミソギは屋上へ出た。ちょうど外の空気も吸いたかったところだ。

『調子はどうじゃミソギ。何かわかったか?』

「どうもこうも面倒続きだよ」

 ミソギは、ハイドについて現状で知る限りの情報をすべて伝えた。えんならもしかすればそういうもうじやについて何か知っているのではないかと期待してのことだ。

 えんは話を最後まで聞き、「しばし待て」と言い含めてPCを操作しだした。マウスをクリックする音が断続的に響く。もうじやのリストを閲覧しているのだろう、しばらくして、

『──あった。甲の四十四番。空白、とある』

「空白ぅ?」

『何も書かれておらんのだ。じゃが顔と名前の無い男となると、こやつしかおらぬ。わしは便宜的に「名無しの四十四番」と呼んでおったがの』

 あとはなんじゃったかな、とつぶやいてえんが受話器をテーブルに置く。あの左右の馬鹿でかい本棚の前をぱたぱた走り回る音が聞こえてくる。資料をかき集めているのだろうか。しばしの間を置いて、重い文献の束を置く「どんっ」という音。

『もう一つ気になることがある。そやつ、もうじやを灰にできると言うたな?』

「ああ。ありゃ、オレが魂を抜いた時に起こるのと同じだ」

『実は、死者の数とこっちに来た魂の勘定が合わんことが何度かあってな。おぬしが抜いた魂は地獄に送られてくるが、そうではない、行方不明の魂があるようなのじゃ』

「なんだって? じゃあどこに送ってるってんだよ」

『わからん。じゃが……ハイドは、自らが抜き取った魂にをしているのかもしれん。それが何かわからんのが問題じゃ』

「どっちにせよ絶対ろくなことじゃねえなそれ。……ああそうだ、もう一つ意見が聞きてぇ」

『なんじゃ』

「ハイドのやつは、どうして仲間割れをしてると思う?」

 ふうむ、とうなえん。襲撃された勢力はヤードセールのさんに入ってはいるものの、どれも独自の手勢やパイプを持つ一大勢力だ。

「先に俺の推測を言っとくと、粛清だと思う。あいつらは一枚岩じゃねぇ。でかい組織には自分が頭になってやろうって連中もいるもんだから、そいつらを潰してるのかもなってさ」

『じゃがそれでは組織の全体規模が縮小しすぎてしまう。滅ぼされた組織はどこもかなりの規模なのじゃろう? だいいち時間もかかるし、どうもさかしい行いとは思えぬな』

 一理も二理もある。ヤードセールとは絶妙な利害関係のバランスのもとに成立する強大なシンジケートだ。以前すいが言ったように上層部に何らかのあつれきがあったとしても、こんな時にい合いを始めるほど向こう見ずな連中ではないはずだ。

 だとすれば粛清を選んだ合理的理由がある、と考えるのが自然だ。

「他を切り捨ててでも、ヤードセールがデカくなるアテがこの先にある……とかか」

『それがAsエースの流通じゃ、と?』

「ありえるけど、そんだけのために他を捨てるのも思い切りすぎだな。もっと先に何かあるはずだ。少なくとも、当のハイドが皆殺しにしてんだから、間違いなく主導はやつだ」

『ふむ。引き換えにするだけの得が見込めるわけか。悪巧みだけは立派な連中よな』

「まったくだ……あ、そうだ」

 大事なことを聞くのを忘れていた。

「ハイドの賞金額は幾らになる?」

『む、やはり聞くか。相変わらず細かい男よ』

「大事な話だろ。で? いくらになるんだ?」

『まだわからん』

 ずっこけるところだった。

「おいおい頼むぜ! そこ大事だろ!?」

『ええい慌てるでない。これまでの所業と目的の全容がつかめておらん以上、計上のしようがないんじゃ。もう少し情報が集まれば改めて通達するゆえ大人しく待て!』

 狙っていた「大物」は間違いなくハイドだ。そいつを倒せば見合った賞金額が支払われるに違いない。くれぐれも頼むと言い含めた上で通話を切り、ミソギは屋上の扉を振り返る。

 アッシュがいた。

「……あんだよ、いつからいやがった」

「『どうもこうも面倒続きだよ』」

 ほぼ最初からである。どうしてわざわざ待ってるんだこいつは。げんなりするミソギを完全スルーして、アッシュは屋上の端に立った。手には双眼鏡。ここから偵察をするのが、手持無沙汰な時の彼の日課となっているようだ。

「見張り塔も様になってきたじゃねぇか。なんだかんだうちの生活がお気に召したか?」

「必要だからそうしているだけだ。がわくくりは僕が思っていた以上に重要な存在らしいし、姉さんだっている。仕事が終わればこんなところ一秒もいたくない」

 あくまでもその姿勢は崩さないらしい。それならそれで結構なことだが、今後仕事をする上でひとつ確認しておくべきことがある。

「それとな、ハイドの魂はオレがもらう。あいつの報酬はかなりでかいはずだからな」

「そんなのんなことを言っていられればいいけれどね」

「こちとら死活問題なんだよ。借金返して、こんなとこさっさとおさらばしてやる」

「外の妹と会うために?」

 言葉に詰まる。憎まれ口のひとつでもたたければよかったが、見事に図星だからたちが悪い。

 返せるのは、悪あがきめいた強がりだけだった。

「けっ……笑いたきゃ笑えよ」

「笑わない」

 意外なことに、即答だった。

「家族を大事に思うのは、当然のことだ」

 つぶやくようなアッシュの返事は、すぐに飼育小屋のニワトリの声に上書きされた。

 毒気を抜かれたのはこっちだ。お、おう──とはんな返事が精一杯で、アッシュはとっくにこちらに興味を失い、夜の街に潜む脅威を虫一匹見逃さない集中力で見張っている。その大人びているのだか幼いのだかわからない台詞せりふに、衝動的に言葉が出かけた。

 ──お前の「姉さん」は、本当はどんな人なんだ?

 言わなかった。アッシュがミソギを笑わなかったように。

 結局、何も言わず屋内に戻る。今夜はちょうど半月だった。白と赤のれいに対照的な半円が距離を保って浮かび、しかし合わさることは決してない。

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