第3章 俺は俺にしか従わない_その5


    〇


 同じ頃、でんどうでは、くくりがひたすら難しい顔をしている。

「これ…………」

 見ているのは、すいから受け取った画像データだ。くくりは目を皿のようにしていたが、やがて頭を押さえ、ぐったりとフィリスにもたれた。

「……頭、いたい……」

くくりさん!」

「おい、あんま無理すんな。キツけりゃ休んでろ!」

 ハイドと呼ばれる男がAsエース流通の首謀者であるなら、積み荷であるところのくくりとは何か関係があるはずだ。そう判断して画像を見せたが、負担になるならやめておくべきだ。ミソギは止めようとしたが、

「────『とり』」

 写真を指差し、くくりつぶやく。

「……そのひと知ってる。鳥って、よんでた。あたしをまもってくれた」

 同じようなことをくくりは病院でも言った。「大きな鳥」「燃えている」「みんな消えた」──今よりひどい中毒状態だったためすべてに意味があるかは微妙だが、そんな状態でも口に出たということはやはり強く印象に残っていたのだろう。確かにくちばしのマスクは大きな鳥を思わせる。

 気になるのは、守ってくれた、というところだった。

 ミソギは清潔なおしぼりでくくりの汗を拭ってやりながら、確認を取る。

「じゃあ、今までそいつがお前を保護してたのか? ずっと?」

「うん……いっしょだった。色んなところにいったよ」

 何の後ろ盾も持たない幽界孤児が、この十年どうやって生き延びたのかやっとわかった。

 けれど、思い出せるのはそこまでのようだ。ただでさえ記憶が曖昧な上に、十年前となるとまだ幼児だ。すぐ思い出せというのも酷な話だろう。くくりは小さく首を振る。

「ごめんね、みそぎ」

「いや、気にすんな。それがわかっただけでもめっけもんだ、ありがとな」

 頭をでてやると、くくりは目を丸くした。

 あ、と思った。妹を相手にする時の癖だ。一言びて止めようとしたところ、なんとくくりは逆にミソギの手をホールドして離させまいとした。

「……このままでいい」

「お、おう。……どんな具合だ?」

「かたい」

 そりゃそうだろう。昔みたいに気楽に人をでるとはいかない。しかしくくりは満足げだった。

 くくりのことはソファで休ませ、ミソギはフィリスと軽く議論を交わす。内容はくくりとハイドの関係についてと、くくりとうきように来た方法とその理由について。

「──ハイドにとってくくりさんは、十年かけて守るほどの存在だったと考えられます。それなのにコンテナに詰め込んで一人だけ先にとうきように送るのは、ちょっと変です」

 それに関しては無理な話でもない。物資密輸に関して組織の根回しは済んでいるだろうし、防衛戦力も過剰なくらいだった。ミソギとアッシュがイレギュラーなのであって、わざわざ狙おうとする馬鹿は普通いない。とはいえ、自分の名前すら秘匿するほど周到なやつが「万が一を想定していませんでした」というのは確かに妙ではある。

 ミソギは椅子の上であぐらをかき、しばし考え込む。

「お前らはどうやってここまで来た?」

「え、私たちですか? アナテマの小型ステルス機に乗ってですけど……」

「うわなんだそれ。ずいぶん金持ってんだなアナテマってのは」

「……まあ、多分。それが何か?」

「このご時世、とうきようの出入りは難しくてな。馬鹿正直に行けば間違いなく止められるし、最悪銃弾が飛ぶ。そこんとこの事情をむと三つのルートに限られるんだ。つまり──」

 海、空、地下。

 ステルス機なんてものを用意できるようなやつは空を使う。一方、半ばはいきよ化した膨大な地下トンネルを抜けるには、達人レベルの探索力と土地勘と十分な装備が無ければ実質不可能。

 必然、大半は海路を選ぶ。海の見張りは陸よりは甘い。そのうえで他の密入国者と分けるなら、厳重にこんぽうした「荷物」扱いが逆に最も安全で確実となるわけだ。

「……なるほど。慎重になるからこそ、ああいう手段を取ったと……」

「多分だけどな」

 と、ソファに横たわっていたくくりがぱちくり目を開く。何か嗅ぎ取ったらしい。

「おいしそうなにおいがする」

 くくりが言って数秒後、二人にも届いた。マスターが作ってくれている夕食の香りだ。

 頃合いだろう。今日は食事を済ませて休もう。

 メニューはマスターの手料理である。ハムとピーマンとタマネギという王道の具に、半熟とろとろの目玉焼きまで乗ったナポリタンと、家庭菜園で育てた自家製野菜に手作りシーザードレッシングをかけたサラダ。修羅場が続く生活で、食事は毎日の楽しみだった。

「ん、さすが。相変わらずうめぇよマスター」

「本当……。私、ナポリタンって初めてだけど、こんなにおいしかったんですね」

「おかわり!」

「ははは。そんなに上等なものでもございませんよ。この十年で仕込んだ余技ですので」

「おかわり!」

「えぇ、喜んで。ご満足いただけたなら幸いです」

「……いつもすまねぇな。仕事の手伝いだけじゃなく、飯の世話までさせちまって」

「なんの。ミソギ様をお助けすることこそ、えん様よりたまわりし我々の使命ですから」

「おかわり!」

「いやめちゃくちゃ食うなお前! どこにそんな入るんだよ!?」

 結局更に二杯もおかわりして、くくりはようやく満足した。

 食後のコーヒーを飲みながら、フィリスはふとここにいない男の話題を出した。

「……アッシュ、いませんね。晩ご飯食べないんでしょうか」

「さあなぁ。またどっかで見回り中なんじゃねえの」

「そうなんでしょうか。……私、なんだか避けられてるような……」

 言われてみればそんな気もする。アッシュはフィリスに積極的に近付こうとせず、しかし常に目の届く範囲にはいて、それでもフィリスから話しかけようとすればかすみのようにいなくなってしまう。姉さん姉さん言っていたくせに、どういう心境の変化だろうか。

すいさんと話をした時からです。もしかしたら何か、彼を傷付けてしまったのかも……」

「なに言ってんだ、アレがそんなヤワなタマかよ」

 とはいうものの、フィリスはかなり気にしている。くくりもそんなフィリスのしょぼついた様子が気になるのか、フォークをくわえたままそわそわしている。

 別にアッシュはどうでもいいが、そういう空気は、なんか苦手だった。

 気づかわしげなマスターの視線に肩をすくめ、ミソギは何も言わずに席を立った。


 屋上。室外機と家庭菜園とニワトリ小屋の並ぶこの場所にアッシュはいた。

 双眼鏡を持ち、屋上の角から周囲を見張っているらしい。ニワトリがコケコケ鳴く土臭い屋上に美形神父はいっそ笑えるほどミスマッチだった。

 靴底が屋上の床を踏んだ途端、アッシュは電撃的に反応した。双眼鏡から目を離さずに右手だけ素早く動かし、ふところから抜いた自動拳銃でぴたりとこちらの額をマークする。

「……お前、誰かが後ろにいたら問答無用で銃向けんのか? ゴルゴか?」

もうじやの腐臭を嗅ぎ取っただけだよ。それ以上そこに立ち続けるなら撃つ」

 ミソギは両手を挙げ、立ち止まる。こちらはこちらでいつでもえんこうを変異させられるようにしてある。一発二発なら防げるはずだが、接近できるかどうかは賭けだ。──が、まあ、戦意は無い。今のところは。

「姉ちゃんがお前のこと気にしてたぞ。避けられてんじゃねぇかって」

 アッシュの肩が小さく跳ねる。

「……君に関係があるのか?」

「ねえよ。ねえけどまあ、放っておくのもな」

「例の自分ルールか。年下の女の子は放っておかない、人間は殺さない……お次は? 寝る前には必ずホットミルクを一杯飲むとか?」

「うるせえな! とにかく伝えたからな、あとは当人同士でやってろ」

「待て」

 とっとと退散しようとしたところ、意外なことに呼び止められた。もちろん銃は向けたままだ。さっきはこれ以上いれば撃つと言われたが、この場合どういう判定になるのか。

「……姉さんは、他になんて?」

 アッシュの表情はうかがい知れない。こちらを振り向こうともしない。はぁ? といぶかるミソギだったが、なんとなく相手の心情を察して悪魔のように笑う。

「……はっは~ん? 表向き素っ気なくしてても、内心気になってしょうがねぇと。なんだオイ意外とかわいいとこあんじゃねぇかよ、弟クンよ──」

 ぶっ放された銃弾が右耳をかすめた。これ以上からかってもろくなことにならなそうだ。ミソギは肩をすくめ、話してやることにする。とはいっても後はくくりやハイドに関する議論くらいなので、内容的にはその報告といった形になるのだが。

 報告を最後まで聞き、アッシュはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「君は馬鹿か?」

「あぁ? なんだとこのやろ」

「──がわくくりとうきように送る方法として『荷物』にするのは確実としても、比較的そうだというだけに過ぎない。僕なら始まりから終わりまで自分の目で見守る。丸投げは不自然だ」

 一瞬考え込む。言い方はともかく一理はある。話を聞くにハイドは相当に用心深い性格のようだから、肝心の運搬に立ち会わないのはいかにもおかしい。

 考えられる理由としては、

「……ちょうどその時、他にやることがあった……とかか」

「おそらく相手は、物事に徹底して優先順位を決めるタイプだ。今の状況も想定内かもしれない。ブギーマンの襲撃以来、動きにあせりが感じられない。……姉さんは仕方ないにしても、君がそこに思い至らないのは問題じゃないのか、死神様?」

 こいついちいち一言多いな。死神って呼ぶなと何度も言っているのに。

 ──だが。仮にハイドが、アッシュの言う通りの男だとしたら。

 くくりをここに送ること、自分がとうきように来ること、それらに必要な「何か」──すべてを大局的に見て、緊密な優先順位のもとに自らの行動を規定しているとしたら。

 ぞっとしない想像だった。そんなの、相手に何もかも把握されている気がする。

 アッシュが肩越しに振り返る。あおが、月光を照り返して氷のように冷たい。

「僕は姉さんを守り、任務を遂行する。ここにいるのは利害の一致だ。馬鹿をさらすのは勝手だけど、足を引っ張るようなら君からとすぞ」

「けっ、こっちの台詞せりふだ。あんまり行儀が悪ぃとたたすぞ、居候いそうろうのくせに」

 どかどか音を立て、ミソギが中に戻っていった。アッシュは視線を双眼鏡に戻し、わいざつな夜の街を飽かず偵察する。


「──あ、危なかった……」

 ミソギが階段を下りていく音を、フィリスはどぎまぎしながら聞いている。

 実は近くに隠れていた。

 気になって様子を見に来たのだが、今まさに二人が話しているのを見て反射的にそうしてしまった。会話は断片的にしか聞き取れなかったし、隠れてどうするかも考えていなかった。

「そこにいるんだろ、姉さん」

「ほぁい!!?」

 しかも完全にバレていた。フィリスは観念して、おずおずニワトリ小屋の陰から出る。

「あ……あの。盗み聞きとかするつもりじゃ……」

「いいよ、気にしてない」

 そんなことを言われても気にする。会話の内容そのものより、アッシュの態度について。

 フィリスはこの時、アナテマから伝えられた模範的「姉」としての態度を忘れていた。個人として、何かぎわがあったら謝らねばと思った。

「アッシュ……。私に何か、気に入らないところがありましたか?」

「姉さんに? まさか。姉さんはいつも正しいじゃないか」

 また「正しい」だ。そう言いながら、しかしアッシュはこちらを見ようともしない。

「……そうですか?」

「そうとも」

 本当はここまで踏み込む必要は無い。「こちらが正しいと認識させる」という要件を満たしている限り、任務に支障はないだろう。けれど、それで良しとするのがためらわれた。

 フィリスはアッシュの隣に座り込む。彼の体が少しこわる。さして高くもない屋上から見下ろす商店街は騒がしく、毎夜祭りでもしているようだった。

「それじゃあ、お邪魔じゃなければ、少し雑談をしませんか」

「邪魔だなんて。けど、こんなところにいたら風邪を引くよ」

「大丈夫です。なんでも、思いついたことがあれば言ってください。一人でそうしているよりは退屈しないと思いますから」

 アッシュはしばらく黙っていた。やがて双眼鏡から目を外し、フィリスを盗み見る。

「……怒ってないの?」

「へっ?」

「姉さん、僕のことを怒ってると思って」

「! い、いえそんな、怒ってなんか! むしろ私の方こそ、謝らなきゃって……!」

 わたわたするフィリスに、アッシュは心底安心したように破顔した。

「──なぁんだ」

 彼の中にあった小さなわだかまりが、たちどころに晴れていく。

 フィリスは安心した。そんなことだったんだ、とも思った。

 一方で、心の奥底にまだ氷塊しない疑問があることも自覚した。

 自分がこの任務に選ばれたのは、人喰い鴉レイヴンを制御するため。経験や能力を考慮すれば彼女に求められているのはもはやその役回りだけだ。アッシュは確かにすごうでのエージェントで、元大量殺人鬼の囚人で、使さえ誤らなければ戦力として最高かもしれない。

 けれど今目の前で笑う年上の弟は、「姉」に嫌われることを恐れ、誤解が解けてあんするだけの感情が確かにある。彼の本当の心理も知らず、それを利用してしまっている。

 与えられた役割に徹せないのは、自分が未熟者だからだろうか。

 笑うアッシュの首元で、銀のペンダントが小さく揺れた。

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