第3章 俺は俺にしか従わない_その3
〇
さて当の女子高生はといえば、罰当たりなことに土台に腰掛け、スマホをいじっていた。
「おい」
と声をかけると、彼女は餌を見つけた猫のように顔を上げた。
「あ!! みーっそぎーんっ!」
「おわぶ!?」
いきなり飛びつかれた。
勢いのまま「どしーんっ!」と後ろにぶっ倒れて、満月をバックに輝く満面の笑みを見た。
「やほやほ、おひさー! 元気してた? アタシに会えなくて寂しくなかった? あっ、てかみそぎん顔色めっちゃ悪いじゃーん! って元からか! ウケる!」
いやみそぎんって誰だよと言う間も無い。相手は確かにドローン女子高生だった。押しのける体力も出せず、フィリスが慌てて止めるまでしばらくもみくちゃにされるミソギだった。
アッシュは完全スルーして、さっさとベンチに座っていた。
「えっマジ? フィリスちゃんアタシとタメ? うっそチョー偶然じゃーん! ねぇねぇライン交換しよーよ! めっちゃキレーな金髪だけど地毛? それどこの服? カラオケ好き?」
「い、いえあの、私は……というかお話があると聞いてきたのですが……」
「あ、そーだったそうだった。あのねぇ──」
人間、十七歳。あちこちの
「趣味だぁ?」
「そそ。
「お、お前なぁ、そんなくだらねー理由でこのクソ
「だから、あんとき助けてくれたんでしょ?」
その通りではある。
「あれねぇ、アタシすっごい感謝してるわけ。マジマジ。ひょっとしてそろそろ死ぬかな~的なこと思ってたから、ああいうのってカンドーじゃん? だからお礼したいじゃん?」
つまり──と指を立て、
「まずさ。アタシを雇ったのがどこかってのは知ってる?」
「ヤードセールだ。ブギーマンが出張ったってことは、そうなんだろ?」
ミソギは病院での一件から確信している。だが、それで一歩前進とはならない。ヤードセールは全体規模が大きすぎるため、「どこの」「どの組織が」主導しているのかまでわからない以上は手の出しようがなかった。もう一つ何か無いと、核に至るには遠い。
「あったりー。そこの偉いヒトが最近
「……
アッシュが反応した。この麻薬をどこの誰がどうやって作ったのかは長年の謎であり、事件を追跡する上で重要な要素だったのだが、今まで手がかりも
「ハイドって知ってる?」
一瞬、ミソギとアッシュが目を見合わせた。「ハイド」。畑は違えどいずれも対
「……一人なのか? チームとかじゃなくて?」
「うん、アタシが見た感じ一人だったよー。なんかすっごいクールだった。たぶん男だと思うんだけど、背が高くて、クチバシみたいな……あーやっぱ見た方が早いねこれ」
もぞもぞとスクールバッグを
確かに、男に見えた。
だが他はさっぱりだ。遠くからの撮影を引き延ばしたものか画質が悪く、細かいところが判別できない。それでも、奇妙な
「ドローン飛ばして
ミソギとアッシュは画像を凝視し、白く浮き上がる男の姿を目に焼き付けた。この男が
「そんじゃ
「それはわかんない。てかアタシもあんなちっちゃな子って知らなかったし。ただ、今のヤードセールはこのハイドちゃんを中心に動いてて、たぶんまたククリちゃんを狙ってくるんだろうなーって思うよ。はい、お礼にあげられる情報ここまでっ」
ベンチの上で足を組み、アッシュは
「……
「アタシはどっちの味方でもないよー。だから、そっちも敵でもないの」
「馬鹿野郎、それが危ねぇって言ってんだ。お前がどう思おうが、勝手されて黙ってる
「ね、
いきなりの問いに
「誰って……そりゃ、持ち主のもんじゃねえのか」
「ぶっぶー。違うんだなぁ。あのね、
社会における
「アタシの趣味は、そういう人たちのお金を集めること。ちゃんと使えば一生遊んで暮らせるくらい
「……知らねーよ。家を買うってわけでもねぇんだろ?」
「んひひ……あのね、リサイクル。絶対誰にも見つからないような場所に隠してんの。そんでアタシが死んだら街のクローズドネットに情報が流れるようにしてる。徳川埋蔵金よりリアルなお宝があることと、場所のヒントをね。アタシが用意した秘密の遺産を巡って、みんながどかーん! ってバクハツしちゃうわけだ」
冗談そのものみたいな野望を、どうやら
「それって楽しいっしょ? 楽しいことやめちゃったら、死んだも同然じゃん」
いつか死ぬことまで見越して、少女は満面の笑みを見せる。この上なく生き生きした表情だった。ミソギにとっての借金返済、アッシュにとっての姉への忠誠がそうであるように、彼女にとっては「楽しさ」こそ血と硝煙の街を生きるモチベーションなのだ。
「
「あっはは、変な顔しないでよふぃーちゃん。アタシ今めっちゃ充実してるよ?」
アッシュは徹頭徹尾、感情を見せない冷たい表情。吐き捨てるように、
「……そう。よくわかったよ、十分だ」
言うなり、右手に光る鋭いものを握り締めた。
暗器。ベルトのバックルに巧妙に仕込まれた、小型のプッシュナイフだ。
「おい、てめぇ……!?」
素直に銃を置いてきたのにはやはり裏があった。アッシュは最初から情報さえ聞き出せれば
「ぐえっ!? やっぱり武器隠してやがったな!? くっそ足どけろコラ!」
「平和にただお話をするわけがないだろう。犬みたいにそこに
ベンチに座ったままの
「ありゃ。結局こーなっちゃう感じ?」
「情報提供どうも。君のくれたネタは、今後の活動に有効活用させてもらうよ」
あららー、と笑う
「まっ、待ちなさい、アッシュ!」
横から飛び込んだフィリスに、ぴたりと刃先を止めた。
「何してるんだい、姉さん。危ないよ?」
「
ナイフは下げられない。ミソギはまったく動けない。フィリスの後ろの
静かな、しかし奥底の
「正しいことを行う。──不正と不浄を戒め、常に良き子である」
「え?」
「あなたが言いつけたことだ。彼女は愉快犯で、また障害になる可能性はゼロじゃないし、何よりその生き方は正しくない。僕はあなたの教えを守っているだけさ」
その姉さんは、フィリスではない。アッシュと接する時の注意事項──常にこちらが正しいと思わせること。今この時、何が正しい行為なのか。フィリスは短い時間で思案する。
後顧の憂いを断つという意味では、不確定要素の排除は合理的な判断だ。だが少なくとも
アッシュは、そこに立っているのだろうか。
「さあ、どいて姉さん。障害を排除するのが、僕の──」
「それは、正しさではありません!」
────??
アッシュが固まった。「知らない星の言語を聞いた」という顔だった。フィリスとしても、ほとんど感情で言ったようなものだが、曲げるつもりはなかった。アッシュは首を
「………………ほんとに?」
「……私は、そう考えてます。だからどうか──」
「そう。うん。姉さんが、正しくないって言うなら、それが、きっと正しい。そうだよね?」
「姉さんは正しい。姉さんは正しい。姉さんが正しい。姉さんが正しい。姉さんが正しい」
「アッシュ? 大丈夫ですか……?」
「わかった」
彼の中で何かが切り替わった。いともあっさり
結局
「おー。なになに、あっくんどうしちゃったの?」
「……見当もつかねぇ」
どうしてしまったのか聞きたいのはこっちだ。姉の言うことを聞くにしても今のは少し様子がおかしい。やはり不安定な
「ふーむ。そっかぁ、でもアタシ二度も命拾いしちゃったっぽいね」
「今日はありがとね。楽しかったぜー☆」
こいつも相当な
最後に──
ヤードセールの「上」は今、きな臭い状況にある。
二人の介入は彼らに予想以上のダメージを与えた。ハイドがどうだかは知らないが、組織の偉い連中は──特に駒をごっそり減らされたホテル・ブギーなどは──相当にイラついているらしい。このまま待つと面白いことが起こるかも。
──と付け加え、
夜は、明けるまでずっと静かなままだった。
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