第3章 俺は俺にしか従わない_その2


    〇


「……どうして寝込んでるんですか?」

「…………うっせ。体質だから仕方ねーだろが」

 もうずっとベッドから出ていない。

 コンディションは最悪に近い。風邪に寝不足に二日酔いをカクテルしたようなダルさに浸されて身動きも取れない上、絶えず続く頭痛のせいで眠りに逃げることすらできない。

 でんどうの二階は居住スペースとなっており、窓からあさくさの街並みが見通せる。時刻は午後八時。商店街は静まり返り、どの店もシャッターを下ろしていた。

「月のせいだ」

 と、ぐったりしながらミソギ。フィリスからすれば、晴れていていい夜としか思えないが。

 窓の外には満月。白々とえる真円は、今は宙にひとつだけだった。

「ああいうのを『骨の満月』って言うんだ。白い方が出て、赤い方は隠れちまってるだろ」

 フィリスは、そういえば、という顔。言われるまで気付きもしなかった。

「赤い月は普通のとは月齢が正反対なのさ。だからそっちは新月で、今夜は白だけになる。外の、空と同じってことだ」

「それであなたの体調が崩れるのですか? 月と何か関係が?」

「オレだけじゃねえよ。……赤い月が見えねえと、もうじやってのは調子が出なくなるんだ」

 死を失った街が、一夜限り取り戻す死のような静寂。骨の満月とはそういう時であり、もうじやの居場所は赤い月の下にしか無い。

「みそぎー」

 と、扉からくくりが顔を出した。苦労して上体を起こしたミソギは、その格好にぎょっとした。

「なんてもん着てんだ。またウェイトレスさんか?」

「うん。どうだ」

 どうもこうもサイズが合っていない。今着ている制服は、ウェイトレスには小さく、けれどくくりには大きいようで、まるでラッピングに失敗した人形のぜいだ。

 薬抜きの進んだ彼女は、最初会った時よりずいぶん意識がはっきりしている。本人の性格は好奇心旺盛でごくひとなつっこく、獄卒が経営する喫茶店の仕事を喜んで手伝っていた。これにはウェイトレスが浮かれまくり、このように自分では着られないフリフリをあれこれ着せては撮影しているありさまだ。

 ただ、彼女の記憶はまだ不明瞭だった。Asエースの夢遊状態を経て、どこから幻覚でどこから現実か、何を覚えて何を忘れたのかすら曖昧な状態にあるのだ。

 というのはともかくとして、くくりが下階からの伝言を口にする。

「でんわきてるよ」

 どがらがしゃん!!

「きゃあびっくりした!? な、なんですか!?」

 くくりが言うなりミソギはベッドから転げ落ちた。それをずっと待っていたのだ。しんどい体にむちって階段を降り、カウンター裏で待っていたマスターから受話器を受け取る。

『もしもし? お兄ちゃん?』

 なつかしい声がして、ミソギの顔が一気に和らぐ。

「ああ、ろく。兄ちゃんだぞ」

 骨の満月にも、たった一ついいことがある。

 一夜だけ、電波がクリアになるのだ。

 空が外の環境と同じになり、とうきようの閉鎖的な電磁場はつか、晴れる。時間にして月が沈み始めるまでの約六時間、こうして通常の電話回線でも外界と通話することができるのだ。

 が、携帯では電波が混線するため、個人間だとこうして有線電話の方がよかったりする。

『──それで、大丈夫なの? ちゃんと食べてる? お仕事が忙しいのはわかるけど、お兄ちゃんいつも無茶ばっかりするから……』

「あーわかってるわかってる、適当にやってるよ。そっちこそどうなんだ? 親父おやじとお袋は元気か? 物騒なこと起こってたりしてねえだろうな?」

 ミソギの声色は普段よりずっと柔らかい。隣で食器を磨くマスターも、フロアの掃き掃除をするウェイトレスもそのさま微笑ほほえましげに見守っていた。そういえば、と妹が切り出し、

『さっきマスターさんの代わりに女の子が出たよ。なんか、ぽやぽやした子だった。あの子って誰? 一緒に住んでるの? ひょっとして彼女──』

「なわけあるかっ! 仕事で保護してんだ!」

 なあんだ、と残念そうな妹。かなり心外だった。それじゃまるでロリコンだ。

『オレはロリコンじゃないって思ってるでしょ』

 バレバレだった。

『いいじゃない別に、若いんだから。気持ちばっかりけたってろくなことないんだからね、日々に潤いだよお兄ちゃん。わかってる?』

 何かにつけ「恋人はできたか」「誰か支えてくれる人はいるのか」と聞かれるのにはへきえきとするが、これも妹なりに兄を心配してのことなのかもしれない。たった一人、肉親をとうきように残して外で暮らすということには、やはり思うところもあるだろう。

 しかし、ミソギとしては十分だった。たまにこうして声を聞けるだけで、まともなところはまともで、だからこそ自分がここで命を懸けるに足る理由となる。それから他愛もない雑談や近況報告を交わし、ミソギは終わり際に「ああ、そうだ」と付け加える。

「誕生日おめでとう。先週だったよな。ちゃんと祝えなくてごめんな」

『もう。あんまりうれしいとしじゃないよ、私もう二十四なんだよ?』

「そう言うなよ。お前がまともに年取ってくの、オレはうれしいんだぜ」

 電話を切る頃には、気だるさはさっきよりもだいぶマシになっていた。天井を仰ぎ、ミソギは残る借金を指折り数える。自分から選んだことだが、ついこぼしてしまう──

「──まだ遠いなぁ」

「隙だらけだね、死神」

 椅子から転げ落ちそうになった。ギリギリで踏みとどまって振り向くと、壁に背を預けて立つ神父服カソツクの男。床から生えたような唐突さでも、嫌味なほどに絵画的だった。

「…………いつから聞いてやがった」

「『ああ、ろく。兄ちゃんだぞ』」

 今すぐ口を封じてやろうか。というか電話が終わるまでわざわざ待っていたのか。

 ブギーマンとの戦いから既に数日、アッシュは大人しくでんどうに居座っている。

 姉さんが心配だからね──と彼は言う。どうもフィリスは放っておくと危険に見舞われがちだと学習し、基本は姉から離れないよう方針を変えたらしい。見ればマスターとウェイトレスはすっかり隠れてしまっている。教えてくれてもいいのに。

 体が元気なら鼻っ柱に一発たたむところだがそうもいかない。恨めしげな視線を軽くいなし、アッシュはふところから一枚の紙を取り出した。

「……何だそりゃ?」

「見覚えのある悪趣味なドローンが載せていたものだ」

 アッシュは不意に姿を消すことがある。どうやら独自に街中を調べ回っているようで、大抵はフィリスのためすぐに戻ってくる。彼が持ってきたのは手紙だった。何枚もコピーされたうちの一枚のようで、崩しが激しい丸文字でこうある。

【今夜九時、しぶの元ハチ公前。この間の『お返し』があります?】

 あの変な女だ。店の場所がバレたわけではないようだった。おそらく例のドローンを飛ばしまくって、引っかかるのを待っていたのだろう。おそらくお返しとは、ミソギが彼女を助けた件について。そんなりちな相手とは思えなかったが、これが本当なら、彼女だけが敵側で接触できる唯一の相手だ。今は少しでも情報が欲しい。

 とまで考えたところで、ミソギは先にくぎを刺しておいた。

「オレが行く。お前は来んな」

「おやおや。誰が手紙を持ってきたと思う? 頭の腐れたもうじやは恩も知らないのか?」

「絶対あいつのこと殺そうとするだろが。話なら一人で聞いてくっからお前はそこで」

 言い切る前に、視界が大きく傾いた。

 座っている椅子を蹴飛ばされたのだと気付く。反応が遅れて受け身も取れず、顔から床に落ちそうになったところを首根っこを?つかんで引き留められた。

「抵抗してみろ」

 まるでできない。ミソギをげたまま、アッシュは鼻を鳴らした。

「そんなざまで『話なら聞いてくる』? わなだったら黙ってやられると言っているようなものだよ。死神が聞いてあきれる」

「てめッこの、離しやがれ! つーかその呼び方やめろっつってんだろ!」

「──アッシュ!? 何をしているのですか!」

 上から降りてきたフィリスとくくりのおかげでようやく解放される。

 肩で息をしながら事の次第を説明すると、フィリスは難しい顔をした。

「また戦闘になる可能性は、ゼロではないと思います。ですがこの段階で彼女がどう動くかは確かに気になる……」

「だから僕が同行するんだよ。必要な備えさ。こっちのポンコツは使い物にならないけど、いなければいないで相手が警戒して出てこないだろうからね」

「誰がポンコツだこのサイコ野郎!」

 ああだこうだと言い合う三人をよそに、くくりが手紙をいじっている。字を読むでもなく逆さまにしたり裏返したり、そうかと思えば匂いを嗅ぎ始めて、いきなりこう言った。

「だいじょぶだと思う」

「あん? 何が?」

「においが、やわらかいから。チカチカしない。ともだちになりたいんじゃないかな」

 かなりふわっとしているが、確信のある物言いには妙な説得力があった。

 顔を見合わせる。どちらにしても行かないという選択肢は無い。協議の──というよりフィリスの判断の結果、用心のためアッシュも同行する、ただし武器は置いていく、万が一のためくくりは残すという方向で話がまとまった。

 アッシュはあっさり銃をアタッシュケースにしまった。妙に素直なふるまいだが、彼もここで情報が得られないとどうにも動けないことを承知しているのかもしれない。

 指定の時間は近い。ウェイトレス姿のくくりに見送られ、ミソギはレイスを走らせる。

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