第3章 俺は俺にしか従わない_その2
〇
「……どうして寝込んでるんですか?」
「…………うっせ。体質だから仕方ねーだろが」
もうずっとベッドから出ていない。
コンディションは最悪に近い。風邪に寝不足に二日酔いをカクテルしたようなダルさに浸されて身動きも取れない上、絶えず続く頭痛のせいで眠りに逃げることすらできない。
「月のせいだ」
と、ぐったりしながらミソギ。フィリスからすれば、晴れていていい夜としか思えないが。
窓の外には満月。白々と
「ああいうのを『骨の満月』って言うんだ。白い方が出て、赤い方は隠れちまってるだろ」
フィリスは、そういえば、という顔。言われるまで気付きもしなかった。
「赤い月は普通のとは月齢が正反対なのさ。だからそっちは新月で、今夜は白だけになる。外の、まともな空と同じってことだ」
「それであなたの体調が崩れるのですか? 月と何か関係が?」
「オレだけじゃねえよ。……赤い月が見えねえと、
死を失った街が、一夜限り取り戻す死のような静寂。骨の満月とはそういう時であり、
「みそぎー」
と、扉から
「なんてもん着てんだ。またウェイトレスさんか?」
「うん。どうだ」
どうもこうもサイズが合っていない。今着ている制服は、ウェイトレスには小さく、けれど
薬抜きの進んだ彼女は、最初会った時よりずいぶん意識がはっきりしている。本人の性格は好奇心旺盛でごく
ただ、彼女の記憶はまだ不明瞭だった。
というのはともかくとして、
「でんわきてるよ」
どがらがしゃん!!
「きゃあびっくりした!? な、なんですか!?」
『もしもし? お兄ちゃん?』
「ああ、
骨の満月にも、たった一ついいことがある。
一夜だけ、電波がクリアになるのだ。
空が外の環境と同じになり、
が、携帯では電波が混線するため、個人間だとこうして有線電話の方がよかったりする。
『──それで、大丈夫なの? ちゃんと食べてる? お仕事が忙しいのはわかるけど、お兄ちゃんいつも無茶ばっかりするから……』
「あーわかってるわかってる、適当にやってるよ。そっちこそどうなんだ?
ミソギの声色は普段よりずっと柔らかい。隣で食器を磨くマスターも、フロアの掃き掃除をするウェイトレスもその
『さっきマスターさんの代わりに女の子が出たよ。なんか、ぽやぽやした子だった。あの子って誰? 一緒に住んでるの? ひょっとして彼女──』
「なわけあるかっ! 仕事で保護してんだ!」
なあんだ、と残念そうな妹。かなり心外だった。それじゃまるでロリコンだ。
『オレはロリコンじゃないって思ってるでしょ』
バレバレだった。
『いいじゃない別に、若いんだから。気持ちばっかり
何かにつけ「恋人はできたか」「誰か支えてくれる人はいるのか」と聞かれるのには
しかし、ミソギとしては十分だった。たまにこうして声を聞けるだけで、まともなところはまともで、だからこそ自分がここで命を懸けるに足る理由となる。それから他愛もない雑談や近況報告を交わし、ミソギは終わり際に「ああ、そうだ」と付け加える。
「誕生日おめでとう。先週だったよな。ちゃんと祝えなくてごめんな」
『もう。あんまり
「そう言うなよ。お前がまともに年取ってくの、オレは
電話を切る頃には、気だるさはさっきよりもだいぶマシになっていた。天井を仰ぎ、ミソギは残る借金を指折り数える。自分から選んだことだが、つい
「──まだ遠いなぁ」
「隙だらけだね、死神」
椅子から転げ落ちそうになった。ギリギリで踏みとどまって振り向くと、壁に背を預けて立つ
「…………いつから聞いてやがった」
「『ああ、
今すぐ口を封じてやろうか。というか電話が終わるまでわざわざ待っていたのか。
ブギーマンとの戦いから既に数日、アッシュは大人しく
姉さんが心配だからね──と彼は言う。どうもフィリスは放っておくと危険に見舞われがちだと学習し、基本は姉から離れないよう方針を変えたらしい。見ればマスターとウェイトレスはすっかり隠れてしまっている。教えてくれてもいいのに。
体が元気なら鼻っ柱に一発
「……何だそりゃ?」
「見覚えのある悪趣味なドローンが載せていたものだ」
アッシュは不意に姿を消すことがある。どうやら独自に街中を調べ回っているようで、大抵はフィリスのためすぐに戻ってくる。彼が持ってきたのは手紙だった。何枚もコピーされたうちの一枚のようで、崩しが激しい丸文字でこうある。
【今夜九時、
あの変な女だ。店の場所がバレたわけではないようだった。おそらく例のドローンを飛ばしまくって、引っかかるのを待っていたのだろう。おそらくお返しとは、ミソギが彼女を助けた件について。そんな
とまで考えたところで、ミソギは先に
「オレが行く。お前は来んな」
「おやおや。誰が手紙を持ってきたと思う? 頭の腐れた
「絶対あいつのこと殺そうとするだろが。話なら一人で聞いてくっからお前はそこで」
言い切る前に、視界が大きく傾いた。
座っている椅子を蹴飛ばされたのだと気付く。反応が遅れて受け身も取れず、顔から床に落ちそうになったところを首根っこを
「抵抗してみろ」
まるでできない。ミソギを
「そんなざまで『話なら聞いてくる』?
「てめッこの、離しやがれ! つーかその呼び方やめろっつってんだろ!」
「──アッシュ!? 何をしているのですか!」
上から降りてきたフィリスと
肩で息をしながら事の次第を説明すると、フィリスは難しい顔をした。
「また戦闘になる可能性は、ゼロではないと思います。ですがこの段階で彼女がどう動くかは確かに気になる……」
「だから僕が同行するんだよ。必要な備えさ。こっちのポンコツは使い物にならないけど、いなければいないで相手が警戒して出てこないだろうからね」
「誰がポンコツだこのサイコ野郎!」
ああだこうだと言い合う三人をよそに、
「だいじょぶだと思う」
「あん? 何が?」
「においが、やわらかいから。チカチカしない。ともだちになりたいんじゃないかな」
かなりふわっとしているが、確信のある物言いには妙な説得力があった。
顔を見合わせる。どちらにしても行かないという選択肢は無い。協議の──というよりフィリスの判断の結果、用心のためアッシュも同行する、ただし武器は置いていく、万が一のため
アッシュはあっさり銃をアタッシュケースにしまった。妙に素直なふるまいだが、彼もここで情報が得られないとどうにも動けないことを承知しているのかもしれない。
指定の時間は近い。ウェイトレス姿の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます