第3章 俺は俺にしか従わない_その1
十年前の夜は、昨日のことのように覚えている。
赤く
すぐ後ろで妹が泣いていた。その手を決して放すまいと誓った。
どこへ逃げればいいのかすらわからず、ただもう地の果てから果てへ続くような断末魔に追い立てられて走り続けた。飛行機が落ち、そこらじゅうが燃え、悲鳴と
最後の記憶は裂ける地面。亀裂は深く、
「
急に名前を呼ばれてハッとする。気が付けば、広いオフィス然とした場所に立っている。
左右の壁には巨大な書棚、奥の
デスクには女がいた。赤いセルフレームの眼鏡を上げ、火と同じ色の目でこちらを見る。
「右目をどうした。どこかに落としてきたか?」
言われて初めて、ミソギは視界の狭さを自覚した。女がPCで何かを操作したかと思えば、すぐ目の前に
右目が無くなっていた。
ぽっかり開いた
「何が……」
「いやな、たまにおるのよ、送られる際に体の一部を落としてしまう
「じゃなくて、──オレに、何が起こって」
女が何気なく後ろを指差す。そちらを見て、ぞっとした。
背後、大開きになった両扉の向こうは長い長い廊下で、果ても見えない
「ここは地獄じゃ。おぬしらは、死んでここまで送られてきた」
言葉も無い。
「……にしても今日は多すぎるが、上で何があった? 核戦争でもおっぱじまったか?」
知るわけがない。だが「死」という言葉が生々しく
破綻する街。血と炎と満月の赤。その鮮烈な色が、全身に現実感を取り戻させる。
「ま──待てよ、は!? 今なんて言った!? 死んだ!? オレが!?」
「じゃからそう言うとろうが」
「
「何度も言わすな。
夢とは思えないほどにすべてがクリアで、「
だとしたら。
「妹がいたんだ!」考える前に叫んでいた。「名前は
「ほう」自称
ミソギにはまだ妹の手の感触が残っている。あまりにも唐突だったから死んだ実感さえ湧いていないのかもしれないが、覚えている以上、死んで死に切れるものではない。いいから早く教えろと
「──『
全身から力が抜けた。妹は助かった。少なくとも、そう信じたい。信じるしかない。
だけど、自分はもう死んでいる。
放心状態で立ち尽くすミソギに、
「まあ、そう気落ちするな。真面目に勤め上げれば地獄も案外悪うはないぞ。見たところおぬしは大して悪さもしておらん、相応に取り計らってやるゆえ──」
いきなり、大きな縦揺れが起こった。
「うむ、わしじゃ。今のは何事か?
受話器越しに部下の獄卒がなにやら
「──なんじゃとォ!?」
音を立て立ち上がり、
赤い空の頂点に、巨大な穴があった。
地獄の
「ちぃっ──
「動ける獄卒を今すぐ回せ!
わかることは、ただ一つ。あの穴から戻れるということ。
「オレが行く」
考える前に、断言していた。
「……なんじゃと?」
ミソギは足を大きく踏み出し、大きなデスクを挟んで彼女に詰め寄った。
「聞こえなかったのか? そいつらを連れ戻してやるから、今すぐオレをあっちに戻し」
「馬鹿者がっ!!」
信じられないほど強烈な一喝を
「死者は戻らぬ! これは絶対の真理じゃ! 言うに事欠いて貴様、冥界の王にその法を曲げよと申すか!?」
「今さらそんなもん通るか! 上見てみろ、みんな戻ってんだろうが!!」
「じゃからなんとかすると言うておるのじゃ!! 余計な気を回さんで貴様は貴様の死をまっとうすればよい! それが人の務めというものぞ!!」
「知るかぁっ!!」
両手でデスクをぶっ
「地獄が何だ!!
絶叫が響き、戸外の廊下の果てまでこだましていく。並び立つ順番待ちは無言。彼らもまた上の騒ぎで死んだのだろうか。気の毒に思うが、今ここで列に加わるわけには、いかない。
残響が消えるころ、
「……保障は?」
「保障?」
「仮におぬしを回収役に任命したとして、真面目に職務を遂行する保障じゃ。口ではなんとでも言えよう。妹を救うもよかろうが、その後も変わらず使命を果たすと約束できるか?」
上等だ。身を乗り出し、ミソギは断言した。
「あんたに、オレが持つ全部を
ほう──と
「こいつは借金みてえなもんだ。そのカタに持っていけるもんなら全部くれてやる! たとえ首だけになろうが、命さえある限り、あんたに懸ける!!」
一瞬、
「く……くふはっ。ふははははははははははっ!!」
首を
地の底から響くような笑い声だった。全身をびりびり震わす音圧に、ミソギは今更になって目の前の女が正真正銘、冥界の王であることを実感した。
爆笑することしばし、
「よかろう。ならば、
──ばづんっ!!
「!?」
強烈な断絶感。ほとんど同時に重なって、四つ。
両手両足が根本から切断され、
少しも痛くなかった。断面が焼けたように
「これが担保じゃ。借金とは言い得て妙よな。おぬしが職務を完遂せしあかつきには、これらをすべて返却し、特例として人に戻してやろう」
言いながら
「──遂げてみよ、
ああ、と返そうとしたが、
「ひゃくお……一〇〇億ゥ!? どっから出てきたその数字!?」
「よく言うじゃろう、地獄の沙汰も金次第と。あれも一面では真実なのじゃな」
続いて画面を切り替える。モニターには死者のリストと、それぞれの罪の多寡に合わせた金額が設定されていた。安ければ数十万、高額のものは億にものぼる。
「こっちも仕事でやっておるのじゃ。獄卒には給金が要るし、
彼女の視線はこちらから
「どうする。やるか? 進むは地獄、留まるも地獄ぞ」
笑わせる。その地獄が
にやりと
気が付けば、夜。冷たく鋭い地上の風。
地上は燃える血の海に沈み、陸地はごくわずか。その陸でも血に渇いた
そいつらを、ものの一発で蹴散らした。
「──お、お兄ちゃん?」
へたり込んだ
燃える
「悪ぃな、
最終的に、生き残りの人々は船による脱出に成功した。「赤い月」は
船には
遠ざかる船に背を向けて、独り死の街へと戻っていく。
最初の一年はほぼ地面が恋人。次の二年も
火花散らす悪夢の夜が、
そして十年が過ぎ、「死神」は今──
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