第2章 オレを死神と呼ぶな_その2


    〇


 でんどうのボックス席に、死神と客人が二人、座っている。

 ミソギは、左手をキリキリ鳴らしながら神父をにらんでいる。港としゆこうでの戦いから一夜明けて、ようやく撃たれた部分が直った。普通ならすぐさま再生するはずのえんこうがだ。

 どうもこいつの銃は特別製らしい。警戒しなくてはならない。

 対する神父は平気な顔で、ぬるくなったコーヒーに角砂糖を四つも入れていた。

 長い五分が過ぎた。二人の間では、姉の方がかちこちに縮こまっていた。

 カウンターにはマスターが、観葉植物の裏にはウェイトレスが身を隠し、固唾をんで事態を見守っている。武装した聖職者という珍客に二人ともビビり上がっていた。

「姉さんの水が無くなってるけど」

「はぁいっ!! たたた、ただいまぁ!!」

 一声かかるや、ウェイトレスがばびゅんと飛んできてお冷のお代わりを二秒で注いだ。りちに礼を言い、何杯目かの水をぐっと飲み干して姉は気合を入れ直した。

「──こほん。昨夜、あなたの上司から連絡がありました」

「上司? ……って、えん様か?」

「ええ。おかげでなんとか、二人の衝突を止められました。まずは、我が方のエージェントの非礼をおびします──そぎじゆうぞう

 既に名乗りは終えている。フィリス・カタリナ・フォークスと、アシュトン・グレゴリー・デリック──姉弟らしいのにファミリーネームが違うことは引っかかるが、それ以上に気になったのは彼らが所属する組織の名前だった。

 英国特務機関「アナテマ」。知っている名だ。

「お前らんとこは聞いたことがある。イギリスかどっかでもうじやをブッ殺しまくってるやべー組織だろ? なんだっけ、破門者か? ご大層なこったな」

 彼らは、自らを「破門者」と名乗るという。

 もうじやや怪異から善良なる人々を守り、神に代わりしき者たちへのてつついを下す特務機関。必要とあらばいかなる危険地帯にも突入し、教義に従い人を守るのと引き換えに、己の手を血に染めることをいとわぬ少数精鋭──だとか。

「よく言う。もうじや狩りはそっちも同じだろう」

「はぁあ? ざっけんな、お前んとこみてぇな殺し屋集団と一緒にすんじゃねぇよ」

「どう違うんだい? 『死神』とやらを名乗るくせに手ぬるいことを言うじゃないか」

「死っ……やめろその呼び方! そんなもんただのあだ名だ!」

 こうした仕事を十年やっていると、海外の似たような連中の話は嫌でも耳に入る。

 しかし似ているのはぱっと見だけで、行動の本質はまったく違うと言っていい。片や犯罪者の魂を回収し、地獄に「取り立て屋」。片やもうじやと見るや問答無用で狩り尽くし、「掃除屋」だ。

 また、イギリスにはその「お国柄」を示すものとして、もうひとつ有名な話がある。

「……で、観光に来たのはとうきようが珍しいからか? そっちにゃ幽離都市はねえらしいからな」

「当たり前だ。道を外れたもうじやどもに居場所があるとでも?」

 ミソギは「けっ!」と舌打ちした。イギリスではもうじやは完全なモンスター扱いで、こいつらみたいな存在が見つけ次第抹殺しまくっているそうだ。善人も悪人も、一切の区別なく。

 一方、とうきようは世界的にも珍しい街だ。これほど大規模かつ(一応は)成立している都市は他に類を見ず、居場所を求めたもうじやの密入国者が引きも切らない。

 そんな街が、相手はどうにも気に入らないらしい。結構なことだ。こっちも聖職者なんぞに気に入られたくてここで仕事しているわけじゃない。お互い不干渉ならいいものを。

「……姉さんに止められていなければ、動く屍リヴイングデツドなんて目につく端から狩り尽くすところだ。僕を前にして頭に穴が開いてないことに感謝しな」

「おーおーえるじゃねぇか犬っころが。なんなら昨日のケリをここで付けるか?」

「そう思うなら今すぐ来ればいい。猿の求愛でもあるまいし、宣言しないと戦えないのか?」

 二人の間の空気がひび割れ、静電気めいた敵意がみなぎるが、

「あ、アッシュ! 姉さんは怒りますよっ!」

 フィリスの制止を受け、アッシュはいともあっさり矛を収めた。殺気が一瞬で消える。テレビのチャンネルを切り替えるような落差だった。

「ごめんよ、姉さん」

 フィリスはまだしも歩み寄るつもりがあるようだった。アッシュをなだめすかし、真面目一辺倒の顔でこちらに向き直る彼女が、次になんと言うかミソギには予想がついている。

「──失礼。とにかくです。私たちは幽体麻薬Asエースと、それに関わるもうじやたちの調査のためにこのとうきようへ来ました。えん氏と接触したところ、我々とあなたは目的が同じなんだとか。当機関の総隊長との協議の結果……」

 ほら来た。先を言わせる気など無かった。

「帰れ」

「なっ。で、ですから双方、協力し合って……!」

「か・え・れ。国に戻ってうなぎゼリーでも食ってろ」

 あまりにすげない態度に、フィリスの顔が紅潮する。勢い込んで立ち上がり、その音に観葉植物の裏のウェイトレスがひっくり返りそうになった。

「話を最後まで聞きなさいっ! これは両方の上層部による正式な決定なんですよ!?」

「絶~~~ッッ対やだね! 聖職者となんざ組めるか!!」

 もうじやと聖職者は、基本的に死ぬほど相性が悪い。

 もうじやに対する彼らの態度は主に「無視」か「積極的排除」。いわば異教徒はたまた悪鬼あくりよう、とにかくそんな人間社会のお邪魔虫こそもうじやであり、神仏の名において消毒しなければ自分たちの教義にもとるというわけだ。かくいうミソギも昔、過激派を名乗る物騒な武装仏僧集団に全殺しにされかけたことがある。

「──ふぅん。そこだけは意見が合ったみたいだ」

 アッシュはもう立ち上がっていた。右手には大きな合金製のアタッシュケース。甘ったるいコーヒーはいつの間にか空になっている。

「あ……アッシュ? どこに行くんですか?」

「どこって任務さ。まだ調査は山ほどある。もちろん僕についてきてくれるんだよね?」

「そんな、あなたまで……! 待ちなさい、せめて話を──」

もうじやとは組まない」

 きっぱり言ってのけ、アッシュは襟元をはだけた。例の金の首輪が光る。小さいながらも高性能の電子機器を搭載したそれはフィリスが持つ端末とリンクし、生体情報と位置、通信機能が二十四時間つながっている。

「僕の居場所はわかるだろ? 遊びが済んだら、すぐに連絡してね」

「アッシュ!!」

 追おうとしたフィリスの前で、無慈悲にドアが閉まる。

 ウェイトレスとマスターが恐る恐る顔を出す。ドアベルがむなしく揺れている。フィリスは足に根が生えたように、ぼうぜんとその場に立ち尽くしていた。

「そういうこった、ほら行け行け。また弟くんとはぐれちまうぞ」

「……う。……ぅ、う~……」

 しっしっと手を払うミソギだったが、そこで異変に気付いた。フィリスがその場で小刻みに震え出した。うつむき、両手を固く握りしめ、金髪の間からのぞく耳がみるみる赤くなる。

「……どうした? お前、ひょっとして泣──」

「泣いてませんっ!!」

 フィリスは修道服の裾で目元を乱暴に拭い、出ていくどころかずかずか席まで戻った。

「ウェイトレスさん! お水をもう一杯ください!!」

「は、はいただいまぁっ!」

 ミソギは勢いに半ば圧倒されていた。とりあえず確認だけしておく。

「……えーと、大丈夫っすか?」

「問題ありません。私は任務を遂行するのみです。まずはあなたが保護した女の子! 彼女から話を聞くべきと提案します! それが、今できる最も正しい行いのはずですから!」

「なあ、オレが言うのもなんだけどよ、あんまあせんのもどうかと思うぞ。ここは一回飯でも食ってゆっくり寝てだな」

「何か文句ありますか!?」

「はい無いっす」

 ダメだ、意固地になっている。しかし昨夜拾ったあの少女と接触するのは判断として間違っておらず、ミソギもまずそうするつもりだった。フィリスはついてくる気満々だ。

「……ミソギ様。これはもう、こちらが折れた方がよいのではないですかなぁ」

 カウンターからマスターが声をかけてくる。フィリスはでも動かない覚悟だ。アッシュを見返してやるつもりなのだろうが、この上で無理やり蹴り出してもろくなことになるまい。

 というか、泣かれるとどうにも弱い。結局、ミソギが折れざるをえなかった。


    〇


「──いや、ありゃねえよえん様。なんであんな話つけやがった!?」

 レイスの車内で、ミソギはスマホの向こうの相手に食って掛かる。

『なんでもなにもあるか、合理的判断じゃろうが。あやつは腕が立つ。無用な対立を避け、味方に引き入れるべきじゃ。それとも昨夜のようにまた敵に回したいのか?』

「う……」

『割り切れ。仕事が最優先じゃろう。わしと交わした契約、忘れたわけでもあるまい』

「……あと幾らだったっけ?」

『五十四億二千万とんで八十九円。もう一声でかい稼ぎが欲しいところじゃな』

 ミソギは、えんに借金をしている。

 総額実に一〇〇億。思い出すだけで気の遠くなる大金だが、だから仕方ない。

 大きな影響力を持つもうじやの首なら、報酬が億を超えることもある。これまでもそうしたやつらを狩ってきた。虎穴に入らずんば返済はならず、手段を選ぶ暇は本来、ない。

 この借金さえ完済できれば──

 電話を切ってぐったりしていると、フィリスが後部座席に入ってきた。ともあれ、出発だ。


 時刻は真昼。夜に比べてもうじやは少なく、フィリスは窓の外の荒れた街並みを眺めている。

「……この街は、ずっとこんな調子なのですか?」

 別世界にでも放り込まれたような顔だ。それだけでミソギは、彼女が幽界を経験していないことがわかった。幽界現象は世界中の大都市で起こったが、難を逃れた街々も当然ある。

「まあな。なんだお前、こういうとこ来るの初めてか」

「ええ。犯罪もうじやの鎮圧に加わることはありましたが、幽離都市に潜入するのは……」

「オレが言うのもなんだが新人突っ込む場所じゃねえだろ。研修のつもりかよ?」

「違います。私個人が、というより……アッシュを制御するためだと思います」

 バックミラーに映る顔が憂いを帯びた。気になると言えば、そこも気になる。

「そういやお前らみようが違うよな、そんなに似てもいねえし。複雑な家庭環境なのか?」

「……私と彼に血縁関係はありません」

「は?」

「それに私の方が年下ですし、この任務で初めて会いました」

 と言われた瞬間のミソギの心情を、一言で述べるとこうなる。

(…………か、関わりたくねぇ~~~~っ!)

 腕の立つプッツン野郎なんて世界一めんどくさいしろものと一緒にいたいわけがない。できることならフィリスも放り出してしまいたかったが、そうもいかない。

「私が同行しているのは、に合致したからです。十七から十九歳、長い金髪、緑色の瞳。彼はそうした女性にのみ心を開きます」

「なんだそりゃ、ロボットじゃねぇんだから……」

「ええ、ロボットではありません。とにかくそういう条件で動くエージェントとのことです。今回は……その……別行動を取られてしまっていますが」

 あのアッシュという男は「『姉』に従う」「だがもうじやは認めない」という二つの大きなスタンスで活動しているようだった。逆に言えば、その二つ以外は一切読めない男だ。

「上から何か聞かされてたりは?」

「精神面にむらはありますが、作戦遂行能力は文句なしに最高……と。アナテマのエージェントは、能力さえ優れていれば出自は問われません」

「どんな出自でも? おいおい、まさか元大量殺人鬼ですってか?」

 冗談のつもりだった。が、フィリスは見事に言葉に詰まってしまう。

「…………おい、そのまさかですとか言うなよ」

「そのまさか、です」

 うわぁとうめいた。フィリスはノートPCを開き、何らかのデータを参照する。

「かつてスコットランドの首都に『スカイ』と名乗る武装勢力がありました。独特の信仰を掲げ、反対勢力を次々粛清していた武闘派です。彼はそこで活動していたとか……」

「筋金入りかよ……。そんなやつと会話してよく無事だったなオレ……」

「ですが」フィリスはためらいがちに、「彼は結果としてアナテマに力を貸してくれています。経緯はどうあれ、情報担当補佐官として、私は彼を信用するべきだと思います」

 バックミラー越しに見える彼女の表情は、あくまで真面目だった。そんなことを言って、手綱すら握れていないだろうに──と水を差すのはやめておいた。なんとなくペーペーだった頃の自分を思い出した。

「お前もたいがいおひとしみてえだな」

「あなたこそ、人のこと言えないでしょうに」

「うるせえな。今ここで降ろしてやってもいいんだぞ」

 と言いこそすれ、ミソギは実行しない。フィリスもなんとなくそれを察しているようで、以前車に乗せられた時の会話を思い出してか、切り出した。

「……あなた、妹がいると言っていましたが」

「お、聞くか? 四つ下でな、ガキの頃はそりゃもうお兄ちゃんお兄ちゃんってくっついてきたもんだが思春期に入ると気難しくなっちまってそこがまた」

「そこまで詳しくは聞いてません! ただ少し、気になって──」

 そこから先を言ったものかどうか、フィリスは迷っているようだった。バックミラー越しにミソギの額の辺りを見つめて、ついに意を決する。

「──今、妹さんはどちらに?」

「生きてるよ。生きて外にいる。オレはこんなだから会いに行けねぇが」

 その言葉に、フィリスは本心からあんしたようだった。ほっ──と一息つき、安心ついでにもう一つ気になることを口に出す。

「……もしかして、その妹さんと私は、似ていたんですか? だから……」

「いや全然。妹の方が超かわいい」

「なっ!」

 即答すると、フィリスはそっぽを向いた。どんな答えを期待していたのやら。フォローしようとしたが、特に何も思いつかなかったので、そのまま車を進める。

 会話が途切れ、幾つかの信号を経由したところで、気を取り直してフィリスが口を開く。

「……みとがわ、くくりさん、でしたよね。この先の病院に?」

「ああ。さっき目ぇ覚ましたって電話があった」

 片腕でハンドルを切り、ミソギはみの医者と、預けた少女の顔を思い出している。

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