第2章 オレを死神と呼ぶな_その1

 とうきようの流通経路は毛細血管のごとく細分化されており、末端から物品の出どころを追跡するのは難しい。個人商人から中小規模の商店、組織の売人など数え上げればキリがなく、複雑怪奇な勢力図から誰がどこの流れをむか把握するのは容易ではない。

 それでも、ある程度太い「流れ」がある。海路や空路の物資搬入から始まり、品物の大部分を扱うおおだなもまた存在し、とうきようの犯罪組織はそれを中心として連合を組んでいた。

 とうきよう最大の連合会は、皮肉を込めて『庭先商売ヤードセール』と呼ばれている。


 ホテル・ブギーはヤードセールようたしの高級ホテルである。

 地獄の街で、天国のようにラグジュアリーなひとときを──というキャッチコピーだが、そんな街に堂々と根を張っている時点でまともな連中ではないのだ。事実このホテルは裏であらゆる悪徳ビジネスにんでおり、殺しに密売に同類への隠れ家提供など何でもありのスタイルで勢力を拡大させ、今や連合の中でも上から数える組織力を蓄えた。

 ぶちるいは、そんなホテルの最上階ラウンジで報告書を読んでいる。

 爆炎と飛沫しぶきがセットな屋外とはまるで別世界の空間だった。イタリアから取り寄せた高級ソファに身を埋め、ぶちは港の一件を総ざらいして「死神ねぇ」とつぶやく。

「死神? どんなヒトなん?」

「なんのつもりか知らんが、もうじや狩りなんてやってるほうでさぁ」

 テーブルを隔てた向かいには、ラウンジのシックなイメージに似合わない派手めなファッションの少女がいる。食べているのは幽体離脱ピザの臨死体験激辛マックス、Mサイズ2800円。浮遊霊が配達する道路状況関係ナシの最速配達がウリだ。

もうじや狩り!? なにそれ楽しそ! ねーねーその死神ちゃんってどこいんのかなぁアタシ会えそう? インスタとかやって辛ッ! このピザ辛いし! 後からクるやつだし!」

 お世辞にも行儀がいいとは言えないが、ぶちとがめようともしなかった。彼女も大事な仕事仲間だ。ともあれ問題はここから先だとして、ぶちはタブレットを置き頭を悩ませる。

「……はぁ~。さぁ~~て。どう言い訳したもんですかいねぇ」

「ねーねー」

「あー、先方が着くのは確か明日だから、それまでにはどうにかこうにか……」

「ねーってばねーぶちさーん」

 なんでございましょ、と顔を上げると、女子高生のまとう空気が一変していた。

 口元についたチーズの欠片かけらめ取り、ラウンジのドアを注視している。さっきまで辛いの辛くないのでじたばたしていたのがうそのようだ。

 このホテルは高いだけあって上から下まで高度な防備が施されており、扉や窓はそこらの携行火器ではびくともしないようになっている。特にこのラウンジのドアは金庫扉にも匹敵する耐爆仕様で、ちょっとやそっとのダメージなどものともしない。

「誰か来てるんですケド」

「……はい?」

 ぢかッ──と、ドアの輪郭を謎の火花が辿たどった。

 あっと言う間もなく、斬首された人間のようにドアが倒れる。

 外れた枠を踏み越え、異様な風貌の男が入ってきた。ぶちぼうぜんとするばかりで「誰だ」と言い切ることもできない。男は首から上をぴくりとも動かさず、まず少女に一言、

「三秒待つ。それを捨てろ」

「あ、バレちってた。やる~☆」

 ぶちの知らぬところでは終わっていたらしい。いつの間にかポケットに手を突っ込んでいた少女と、いつの間にかそれを見抜いていた男。少女は軽い調子で、ポケットから派手にデコられたスマホを放った。既に何かのアプリを起動するところだった。

「お前がヤードセールの長だな」

 男に声をかけられ、ぶちはむしろあんした。急な来訪だが、情報にある通りの姿だ。

「いかにも。あたしはぶちってモンです。かくいうあんたは……」

 分厚い白のロングコートと、ぶかかぶったつばびろの帽子。手足の先に至るまで徹底的に素肌を隠したよそおい。極めつけは、鳥のくちばしにも似た異様な防護マスクだった。

 この男に名前は無い。あったとしても誰も知らない。

 素性、経歴、その他一切が不明。幽界化後から活動を始めたことから人間ではなさそうだが、仲間を持たず己の実力だけで裏社会に名をせたその男の正体を知る者はいない。

 自ら名乗らないだけに、他人が勝手に付けた異名は数多い──マスク男、天才、顔無し、灰の亡霊、掃除屋スイーパー冥府の氷コキユートス、はたまた疫神ペイルライダー。中でもポピュラーなものは確か──

影に潜む者ハイド。……とうきよう入りは明日と聞いてましたけども、お早いお着きで」

 彼こそ本件の最重要人物。幽体麻薬、Asエースの開発者である。

「積み荷が奪われたそうだな。誰の仕業だ?」

 語るとなれば一切の前置きを排除するタイプらしい。ぶちの差し向いに座り、ハイドはマスクのくちばしをこちらに向けた。

「あー……『死神』って野郎です。それと、素性がわからん外人。戦争狂のごんどうまで片付けられちまった。不死身の攻撃ヘリを正面からたたき潰すなんざ信じられますかい?」

「お前たちの損害に興味は無い。聞きたいのは、どう決着を付けるかだ」

 待ってました。ぶちは極上の商材を売り込む口調で、後ろの少女を指し示す。

「もちろん考えてございますよ。こちらの御仁はまくらもりすい。あたしらの協力者です。ご覧の通りれんな娘さんですが腕は確かでしてね、報酬分の働きは十分に行います」

「やっほーよろしくねハイドちゃーん。アタシのことはスイでいーよ~! ほらほらハイタッチしよーぜハイタッチ!」

 いきなり地雷原でタップダンスが始まった。れしくハイドの肩をばしばしたたすいぶちが瞬時に十通りの謝罪を考えたところで、ハイドが身を引き、すいのおでこを押し返す。



「手駒はこいつだけか」

「はうあ。なんだよもー。もうちょっとデレてもいいじゃんかさー」

 意外と穏便な返しにほっと一息ついた。ぶちはタブレットを操作し、次なる手駒のデータを呼び出して見せた。

「『ブギーマン』。このホテルが誇るれの暗殺集団です。彼らは改造もうじやでして、脳にチップを埋め込んでるんですな。このすいさんに指揮をお任せし、抜群のコンビネーションで積み荷を奪還、ついでに死神どもを丁重におもてなしする……と、こういうわけですわ」

 ハイドの様子からはどんな感情もうかがい知れなかった。液晶画面も見ているのかいないのか。数秒の間を置いて小さく鼻を鳴らし、きびすかえすハイドを、ぶちは慌てて呼び止めた。

「あ~お待ちをお待ちを! よければしばらくこのホテルを使ってくださいな。最上階のロイヤル・スイートをご用意してございます。ああもちろん宿賃はいりませんのでご心配なく」

「監視のつもりか?」

「監……いやぁそんな大それたこと、冗談きついんですから、ははは……」

 完全に図星だった。ハイドはさしたる反応も見せず、えて監視を拒否する素振りすら出さない。ぶちの思惑など、頭の後ろを飛ぶ羽虫程度にも思っていないようだ。

「──俺は先にこの街を歩き回る。調べておくこともある」

 途端に好奇心が湧いた。すいの踏み込みに押されたか、伝説の男と会話が成立して勢いを得たか、今のうちに腹の内を探れという渡世人の勘が鎌首をもたげる。

「そいつはAsエースの製造に関することですかい?」

「だったらどうする?」

「夢のある話ですなぁ。あれほどのクスリを作った天才のやることだ、こちとら気になって仕方ありませんや。ねぇ、実際ありゃどうやって作ってるんですかい?」

「いずれわかる。……それと、虫は好かん」

 ぶち壊したドアの向こうに消える直前、ハイドは己の左肩に手をやった。

 ぴん、と米粒大の機械が指ではじかれ、床に転がる。超小型の発信装置だった。

「んひひ……そっちもバレちってたか~」

 楽しそうにつぶやすい。肩をたたいた時にどさくさ紛れで付けていたものだ。ちこちこビーコンを発する装置から視線を上げると、ハイドはもうどこにもいなかった。

 ぶちはぐったりソファに身を預ける。緊張が後からどっと押し寄せてきた。

「……あ~~~~死ぬかと思った。あのオーラは人間にゃキツいっすわ……」

 ぶちるいは、とうきようの住民にしては珍しく、純粋な生きた人間だ。

 元は古くから続く貿易商の三男坊。幽界化のゴタゴタで一族郎党地獄に落ちて、生き残りの三男はとうきように極上のうまいだした。変質した街には変質した需要と供給が生まれ、モノとカネに新たな流れが生ずる。そこに目を付け、死してなお商魂たくましいもうじやと生きながら渡りをつけ、己の才覚でヤードセールを築き上げた。

 とはいえそもそも根が小心なのであって、得が無ければ恐ろしいもうじやにはできれば関わりたくないのも本音だった。そのあたりの臆病さも、こうした街では大いに役立つ。

「あっはは、ぶっちーウケる! めっちゃ頑張ってたじゃ~ん☆」

「そらどーも……そちらさんも、よろしいですね? やっこさんら一筋縄じゃいきませんぜ」

「おちんぎん次第かにゃ~。ところでさぁ」

 と、すいはドアが消えた通路の向こうを指差す。

「あのヒトどうやってここ来たんだろうね。見張りとか、ホテルの人とかいたっしょ? うちらに何の連絡も無いのっておかしくない?」

 言われてようやく、ことに気付いた。

 ホテル内はどこだろうと従業員の油断ないが光っている。死と無法の街のど真ん中にあるのだから、彼らは当然みな武装しているし、荒事に慣れ切ったれだ。見知らぬ誰かが入って見過ごすはずはなく、特にぶちへの客人なら必ず案内してくるよう言いつけてある。

 あの男は一体、どうやって一人で最上階まで来たのだろう。

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