第1章 次は君を喰らう_その1

 純喫茶「でんどう」は、たいとうあさくさの商店街にある。

 一見普通のレトロな喫茶店だが、店員はマスターとウェイトレスの二人しかおらず、しかも両方とも鬼。ミソギのサポートとして、地獄から派遣された獄卒なのである。

 この喫茶店こそ、死神の活動拠点だった。

「ウェイトレスさん、頼んでたもん用意してくれたか?」

「は、はい、ちゃんとご用意してございますが……」

「ありがとう。悪ぃけど、席一つ借りるな」

 でんどうのウェイトレスが、小さな買い物袋をミソギに渡してきた。カウンターのマスターに目配せすると、「ほどほどになさってくださいね」という意味のジェスチャーを返した。

「あ、あのぅミソギ様……ほ、ほんとにやるんですかぁ……」

「仕事だからな。──じゃ、ちょっと開くぜ」

 右手を前に突き出す。はがね色の肌に赤い光がちらつき、ミソギが念じると、てのひらから灰色の火の玉がひとつ「ぼわんっ!」と飛び出した。

『──ぶはぁっ! な、なんだ!? 何が起こったんだ!?』

「よう、かじかざわ。気分はどうだ?」

 解放されたかじかざわがゆらめく。何をされたのかわかっていない彼に軽く説明をしてやる。

 今のかじかざわは魂だけを抜き取られた状態にあり、肉体は既にちりとなっていること。

 ここはミソギの拠点だということ。出してやったのにはもちろん、意味があること。

「面談の時間だ。幽体麻薬、エンジェルサイトの出所を教えろ」

 Angelエンジエル Sightサイト──頭文字を取って「Asエース」。

 かじかざわら売人が取り扱う新種の麻薬のことを、そう呼ぶ。

 その最大の特徴は「もうじや覿てきめんに効く」というもの。発祥は不明だがとにかくこれが受けに受けた。吸引するとたちまち「天国にいるみたいに」気持ちよくなるというのが由来だ。

 もっとも、この時代でも「天国」の所在は確認できていない。天国から帰ってきたというもうじやなど見たこともないし、もしかしたら居心地が良すぎて誰も現世に戻りたがらないのかもしれない。いずれにせよ、Asエースの効果はあくまで天国にいる快感というだけに過ぎない。

『は……知らないねぇ』

「すっとぼけてんじゃねぇぞ。てめぇで扱う商品を知らねぇなんてことがあるかよ」

『そう言われてもこっちは末端だし。言われるままに売人やってるだけなのよ、実際』

「ほー……弱ったなぁ。マジで何も知らねぇの?」

『それはもうなーんにも。残念だったなぁ。ところで体ってホントに消えちゃったの? いやそうなっても死なねぇのはわかってんだけどさ、どうしてくれるわけ?』

「ああ、悪い悪い。もうちょい付き合ってくれ」

 ミソギは、ウェイトレスから受け取った買い物袋をあさる。

 取り出したものを見て、かじかざわは何か本能的な恐怖感から声を上ずらせた。

『は? ……な、何それ?』

「ファ●リーズ。伝統的なスタイルだと塩と清酒だって話だが、そういう聖職者ようたしの道具なんざ使いたくもねぇからな」

 実はこれでもかなり効く。こっちも最初から素直に吐くとは思っていないのだ。ひとだま、特に不浄な連中と腰を据えて「お話」するには、結局こういう道具が一番効くわけでる。

 飛んで逃げようとするかじかざわをムンズと?つかみ、ミソギは爽やかな笑みを見せた。

 拷問が始まる。

『あっちょっ、なんでこんな消臭剤が!? ぎゃああ熱い熱い熱い焼ける!! 浄化ッ浄化されちまううう!! はぁ、はぁ、ふざけんなよてめぇ、こんなことで俺様のぐああああああ! わかったわかりました吐きます! 吐きまアバッブ!! 緑茶成分んんんんんん!!』

「ひぇぇぇぇぇぇ……」

 三十分シュッシュした。搾るだけ搾り尽くせたと思う。筆記担当のウェイトレスは拷問の壮絶さに震え、記述書は後で清書が必要なくらいにはヨレヨレだった。

『はぁ……はぁ……お前は鬼だ……血も涙もねぇ獄卒だ……!』

「バーカ、本職はもっとえげつねぇに決まってんだろ」

 言いつつスマホを取り出し、「上司」に電話をかける。

「──あーもしもしえん様?」

『まだかミソギ? わしはもう待ちくたびれたぞ』

 応答するのは、口調に反して若い女の声。彼女との直通回線を持つスマホはミソギ専用の仕事道具で、指示や業務連絡は常に電話かSNSで行われる。

 彼女は、地獄のえんである。

 当年とって二〇三歳、実父より職務を受け継いだゆいしよ正しき冥界の王とのこと。ぶっちゃけ今でも少し「ほんとかよ」と思っている。

「わかってますよ、今から送りますって。査定の方しっかり頼んますよ」

『あ、あのぅ、それ何の話……?』

 恐る恐る、かじかざわ。ミソギはひとだまに向き直り、みぎの眼帯を取る。

「お前の帰る場所は、こっちってことだ」

 そのがんの奥に、眼球は存在しない。

 あるのは球状に燃える、熱の無い炎だけだった。



 その炎が「ぽっ」と激しさを増し、みるみるうちにがんから飛び出して渦を巻き始めた。

 火の渦の中心は、深い深い闇のふちへとつながっている。さいおうから声がする。うめき、悲鳴、えんかつぼう──何千何万と重なる「呼び声」の大合唱。

 一度死んだ者なら、それが何なのか語るまでもなく知っていた。

『待っ──待て、うそだろ!? あそこはもう嫌だ!! せっかくこの世に戻れたのに──』

「──封印とじろ、『じようがん』!!」

 炎がひときわ激しく輝き、かじかざわは「すぽんっ」と渦に吸われてあつなく消えた。

『あー来た来た落ちてきた。よしよしOKじゃ。ポイントを付けてしんぜよう』

 電話越しにえんが確認を取り、ミソギはリストからかじかざわきようすけの名が消えるのを眺めた。

 送った魂の危険度に応じたポイントが加算される──オマケの黒服も含めて、八十二。

「八十二万……ん~~~、まあこんなモンかぁ……」

 一ポイント一万のレートで報奨金が支払われる仕組みだ。かじかざわとその手下ならこの程度か。

『さて、これからが本番じゃ。引き続き務めにまいしんするがよい』

「本当にいるんですかね大物なんて。今んとこ雑魚ざこしか捕まってねぇけど」

『間違いなかろう。おぬしの台所事情にも直結しておるゆえ、くれぐれも頼むぞ』

 炎が消え、かじかざわは跡形も残らない。あるべきものをあるべき場所へ。ゴミの分別と同じだ。

 今夜、重大な積み荷が港に運び込まれる──かじかざわはそう吐いた。

 末端らしく中身までは知らされていなかったようだが、場所と時刻はつかんだ。本当に重要な品物だとすれば、Asエースの製造・流通に関わる「大物」につながるかもしれない。

「ひとっ走り行ってくるわ。ウェイトレスさん、マスターと留守頼むな」

 ミソギは裏の車庫へと急いだ。次の仕事が近い。


 もうじやとは読んで字のごとく、死してなお現世を彷徨さまよう「生ける死者」のことを指す。

 そういうやつがこのご時世、腐るほどいる。本当に腐っていたりもする。目の死んでるゾンビがそれでも元気に往来をうろついて、首無し人間がバイクを転がしていたり、肉体そのものが無ければ幽霊として飛び回るやつもいる。

 地獄の定員割れかハルマゲドンの前兆か、そもそも無意味な自然現象か。学者や宗教家やオカルティストが後年どう激論を戦わせようが、とにかく事実として、幽界現象は起こった。

 夜空にぽっかり生まれたもう一つの月から、大量の「死」が流れ落ちたのだ。

 それは血と油と火、にくでいの入り混じったドロドロの液体だった。死のばくは触れた端から生き物の命を奪い、流れ落ちた死者を現世に運ぶ。一夜のうちに都市ひとつを埋め尽くす赤黒い沼の中、ろうにやくなんによに鳥獣虫魚問わずみな死んで、死んで、死んで、死んでなお死者のままに地上を歩き回った。

 世界的大混乱ののちに死が収まり、赤い月が夜空に居座る頃、何もかも変わり果てていた。

 それから十年もち、意外と人類は滅びていない。

 人々は崩壊の起点となったエリアを都市区画ごと閉鎖した。とうきようもその一つで、首都機能はとっくに移され、人の立ち入りは禁止されている。コーヒーに溶かしたミルクが戻らないように、幽離都市では現世と幽世が今なお不可分だった。赤と白の月光の下で死者が夜な夜な泣いたり笑ったり、飽きもせず殺したり殺されたりを繰り返している。

 確かなのは、死人だろうが悪人は悪人ということ。バカもクズも死んでも治らない。

 ミソギの仕事は、悪人の魂を地獄へ送り返すことだ。死神などと大仰なあだ名が一人歩きしているが、とどのつまりは、やつらのツケを回収する取り立て屋でしかない。

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