プロローグB 人食い鴉
ロンドン塔には化け物が現れるという。
半分合っているし、半分間違っている。
まず
成り立ちは十一世紀末にまで
よって
だが、「化け物」は確かにいるのだ。
その由来は、フィリス・カタリナ・フォークスが歩くロンドン塔の暗部にこそある。
塔内の一般立ち入り禁止区画には、各「禁域」へ至る最新式のリニアエレベーターが通っている。緊急時避難シェルター、貴重な祭具や文化財の保管室、武器庫、作戦司令部──そして地下深くのとある施設。
『彼』と
恐れてはいけない。敵意を抱いてはいけない。彼の話に耳を傾けてもいけない。支配下に置くなどという考えはもってのほかで、お互いの関係性に細心の注意を払わなくてはならず、その上で隙を見せてはいけない。
そして、常にこちらが正しいということを示さなければならない。
化け物は、厚さ20センチもある強化アクリルガラスの向こうにいた。
生活の気配をまるで感じさせない小さな部屋。椅子一つ卓一つがぽつんと並び、部屋の隅には本が山積みにされてある。部屋の主はベッドに座っており、フィリスに微笑を浮かべた。
「やあ、姉さん。今日も
春に吹く風のような声が、スピーカー越しにフィリスの耳を
恐ろしいほどの美男だった。金糸の髪と、きらめく
「
「つれないなぁ。アッシュって呼んでくれないのかい?」
じゃれるような笑みには邪気の一かけらも無い。会話の口火を切って初めて、フィリスは自分が震えていることに気付いた。そもそも男とは初対面である。後ろには武装した刑務官が三人控えているが、彼の視界には最初からフィリス以外入っていないだろう。
「出房許可が下りました。すぐに移動します、用意を」
「また、正しい行いが必要なんだね?」
拘束衣を着せ、車輪付きのケージに移されても、囚人はフィリス以外に興味を示さない。
指令室の卓には三人の審問官が並び、彼に関する無数の書類を広げて目を光らせている。
「任務の説明を行う」
ターゲットと作戦の概要を聞くともなしに聞いていた囚人は、ある単語に反応した。
「トウキョウ?」
「そう。幽界現象の爆心地の一つであり、今や世界有数の危険地帯だ」
「今度は日本か。──装備は?」
「隊の保有する個人火器を適宜支給する。後ほど武器庫へ案内しよう」
「救済兵装の使用は?」
「第Ⅲ種まで許可。以降は作戦の状況に応じて判断する」
「メンバーは?」
「いつも通り、君一人だ。情報担当補佐官として──君の『姉』を付き添わせる」
指一本動かせぬまでに拘束されたまま、彼はこの場で誰よりも気負いのない笑みを見せた。
「それは心強いや。うん、了解。それじゃ行かせてくれるかな」
全てのブリーフィングを終え、若き囚人は大手を振ってロンドン塔地下刑務所を後にした。
身に
「ほら、姉さんも早く来てみなよ。カラスがたくさん飛んでるんだ」
曇天に飛ぶワタリガラスを追うように、囚人は一歩踏み出して笑った。その朗らかな表情を見て、誰が彼の正体に気付けるだろう。
アシュトン・グレゴリー・デリック、二〇歳。作戦時コードネームは
常にたった一人であらゆる任務を成功させ、どのような地獄からも生きて帰ってきた。いわば切り札であり、個人の作戦遂行能力は隊内でも最高と
だが、ほかならぬ本人の経歴が、彼の立場を極めて複雑なものとしていた。
彼は人もそれ以外も問わず、たった五年で一〇〇人余りを手にかけた元大量殺人鬼だ。
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