第十話「桜の見える喫茶店」
四月。約束の日。
白いVネックのTシャツに黒シャツ、ジーンズという
時刻は十二時四十分。客の出入りはないが、取手にopenと下がっているから
喫茶店は白線の無い坂に接していた。道路の反対には簡素な
不意に勢いのある風が木々に触れ、桜は少し散った。数枚の花びらが風の吹くままにあてのない旅へと出かける。先程から、
特にすることもないので「
しかし
とにかく、待つというのは嫌なものである。大体、時間の流れが異様に遅い。登校日の朝の二十分など気付けば過ぎているのに、待ち時間の場合そうは行かない。まだ五分か、まだ十分かと毎分心で言っている。これは相対論を用いて計算せねばならないほどの時空の
そんな
目的地へ到着した伏見は息と焦げ茶の髪を整えながら「
「俺がちょっと早く来てしまっただけだ。伏見が謝ることじゃない」
待つことは嫌いだが、完全に俺のミスだ。そんなことで伏見に当たるほど俺も子供じゃない。
「桜、
伏見が桜並木に
「そうだな」
喫茶店の中は、夕暮れのような緩やかな音楽とコーヒーの香りが
店の中央には
俺達は入口に近い窓際の席に腰を下ろしている。ワイシャツに
俺達はそれぞれ飲み物を注文して、予定通り宿題に取りかかった。二年生の最後が数Ⅲの大詰めだったこともあり、伏見の対戦相手の数Ⅱ数Bの問題が
それに、伏見に教えていて少し疑問に思うことがある。それは本人が分からないと言う割に飲み込みが早いということだ。学年末試験も好調だったようだし、休みの課題ぐらいで
何はともあれ、元々大した量じゃない課題は開始から二時間で段々と終わりが近づいてきた。そうこうしている
伏見はティーカップを手に窓の外を
「俺もだ。
俺も桜を
「この
伏見は窓に顔を寄せて、
「花、好きなんだな」
花というか、植物全般かも知れないが。
伏見は初め口ごもり「え、いや……うん、まあ好き、かな。お花見したかったんだけど、家がそんな雰囲気じゃなくて」と
「兄弟が受験生とかか?」
伏見はこちらに向き直って「野田君、受験生は
「確かにそうだな」
天然でボケてしまった。受験生の自覚がなさ過ぎだな、俺は。決まりが悪くてコーヒーを飲むと、顔が余計に熱くなった。
「いや、何て言うか、俺の高校受験の時に姉ちゃんが家の雰囲気がピリピリしてるって言ってたんだよ、それで思い出して」
クリームの載ったシフォンケーキに手をつけようとしていた伏見が止まる。
「……野田君には、お姉さんが
そう確認して伏見はケーキを切り分け一口
「そう言えば伏見に兄弟はいるのか?
伏見はケーキを飲み込んだ後、左手で
「
伏見という反証が存在する時点で、この説は必ずしも正しいとは言えないことになる。まあ、俺にしてはあまりにもステレオタイプな発想だったかも知れない。もっと論理的に、かつ
「
「いや、伏見がわがままなら俺が出会ってきた人類
謙虚なのは伏見らしいのだが、俺は伏見以上にお
「そう言えば、野田君はどこを受験するか決まってるの?」
ここで、伏見が受験生らしい話題に変えた。
「志望校か? そうだな、
「
伏見はにこやかである。
「いや、受験するだけなら
落第だって普通に起こり
「伏見はどこを目指すんだ?」
伏見はいつもの
伏見の進路に俺が口出しできることもないので、俺はコーヒーを静かに
「元々ね、少し遠いけど、関西の方にしようかなって思ってたの。そうぼんやり思ってたんだけど、
「そうか、じゃあお互い
「ふふふ、きっとだよ」
俺達は
俺達も三年生になる。受験生になる。きっとしんどいこともあるだろうが、その先には必ず素敵なことが待っているのだと、保証も根拠もなく、ただ
そして、この一日で分かったことがある。これまで議論が楽しいのだと思っていたが、それは違った。伏見とならどんな会話でも楽しいのである。その
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