第九話「春」

 朝型か夜型かと問われれば、俺は恐らく夜型の人間だ。ただし夜が得意というよりも、朝がひどく苦手と言った方が正確だと思われる。

 生まれてこの方、定時に起床できた試しがない。中学を卒業するまではずっと家族に起こしてもらっていた。目覚ましが鳴っていようが構わず夢の中にいるものだから、アラームがやかましいと姉に叩き起される朝を数えきれないほど迎えた。いくらうるさかろうが俺の耳には届いてないのだから、いきなりなぐられたも同然である。実際あの目覚ましは、俺にだけ聞こえない特別な周波数でわめいているかも知れない。

 高校に受かって一人暮らしを決めた時も、そのことで親から随分ずいぶん心配された。正直俺も朝起きられるのか不安だったが、この二年間での寝坊記録は軽いものも含めて五回程度である。学業に支障をきたすほどの事ではないし、案外どうにかなるものだ。

 とは言え二度寝はいまだにはんで、それを見越して何重にもかけられたアラームが俺を覚醒かくせいさせようとやっになる。普段はいずれかのアラームで目を覚ますわけだが、本日目覚めた時、辺りは無音であった。フラフラしながら枕元の携帯で時刻を確認する。十一時三十六分である。かといってあせることはない。なぜなら二年生が終了式と共に終わり、春休みに入ったからだ。

 高校生活最後の春休みは例によって二週間弱という中途半端な長さで、もう少し長ければ実家に帰ることも視野に入れたのだが、どうも面倒になり帰省しないことに決めてしまった。俺が帰ると母の張り切りで夕飯がごうになるから戻ってこいと姉に命じられていたが、そんなのは俺の知ったことではない。

 さて、腹が減るまでベッドに転がって携帯をいじった後は、朝食と昼食をねたトーストをほうり、特に急ぐこともなく課題を始める。高校によって異なるのかも知れないが、俺の学校には春休みにも宿題が出る。長期きゅうに比べるとさいな量で、春休み六日目にしてその大半を終えてしまった。明日あすじゅうには全てやり切れそうな勢いだ。

 それにしても家での作業は何故なぜこうも集中できるのだろうか。駅ビル内のコーヒーチェーン店にノートパソコンを持参し仕事をする人を見かけたことがあるが、俺には到底真似まねできそうにない行為だ。他人に囲まれている時の作業ほど集中できないものもないように感じる。特に自習やテストで、生徒間をうように歩きながら監督する教師に手元を見られていると、必ず解答の手が止まって頭の中がふんきゅうしてしまう。具体的に言えば、暗算ができなくなったり、英単語のつづりが思い出せなくなったりする。そしてその人がどこかへ行くまで不快が続いて次に進めず、俺は早く去れと切に願うのだ。ただ、大人数が見ていると手が震えて黒板に文字が書けないなんてことはないので社会不安障害の書痙しょけいとはまた異なるのだが、なにかのちょうこうなのかも知れない。人は本質的にみな障害者だと俺は考えるため、俺にどんな障害があろうと不満はない。それより、生活に支障がなければ障害だとは一般に認められず、何の配慮もされない社会の方が問題である。現在の教育システムでは個々に細かく配慮することが非常に難しいというのは承知しているが、多少難があろうと我慢できるやつは我慢しろと言われているように感じられてならない。

 俺は他人に興味を示さず、人からどう思われようが気に留めない一方で、物理的な視線に苦痛を感じる人間だった。信用できない他人はいつ攻撃してくるか分からないから、護身として相手の情報収集に全ての処理能力を使い果たしてしまう。深層心理を探れば、そんな俺の人間不信から起こる症状なのかも知れない。人間不信という響きはおお袈裟げさだが、気の置ける者がそばにいるとそれだけで疲れてしまうのは事実である。近くにいても平気なのは家族と芝原しばはらふしぐらいなものだった。

 課題や脳内討論会、本を片手にお茶きゅうけい、そんな静かで長閑のどかな昼下がりに、軽快な音色で携帯が鳴いた。どうせじょうぜつ暇人ひまじんな姉に違いない。アプリを起動して見てみると、発言者は意外にも伏見であった。先週までの俺達は約束もなしに顔を合わせていたため、伏見からの連絡はしばらく振りである。

『突然連絡してめんなさい。相談したいことがあるんだけど、少し時間もらってもいかな?』

 気になっている人からの相談。俺は少しばかり緊張しながら「問題ないぞ、どうかしたか?」と返信した。

有難ありがとう』

『数学で分からないところがあって教えてもらいたいんだけど、家だとなんだか集中できなくて』

 それならとりあえず、くだんの問題の写真でも送ってもらおう。そして俺が解き方を伝えればそれで良いだろう。そう文字を打とうとした矢先、伏見から次のような文言もんごんが飛んできた。

『直接会ってお話もしたいなって思ったんだけど』

り駄目かな?』

 俺は伏見の言葉を理解するのに三度もこの文を読んでしまった。表面上は勉強会の提案に聞こえるが、これはもしやうわさに聞く「遊びのお誘い」というやつなのではないのか? 今の今まで俺には全く縁のないものだと決めつけていた。加えてそれが異性の友人から来たこともあいまって、非常に貴重な体験をしているように思える。

「いや、別に構わないぞ」

めんね。ままを聞いてくれて有難ありがとう』

「しかし、どこに集まるんだ? 図書室は閉まってるだろうし」

『それは決めてあるの。ちょっと待ってね』

 今日きょうの伏見は一味ひとあじ違う。用意しゅうとうで、おんの中にも行動力がある。俺は伏見の画面を開いたまま飼い犬のように今か今かと待っていた。しかし何も起こらない。個人チャットは一向に更新される気配がなかった。

 そのまま待っていると、伏見から集合場所の所在地が地図アプリの形で送られてきた。俺達の高校からほど近い喫茶店のようだ。成程なるほど。これの共有に少し手こずっていたのか。しかし、これだけのことに十分弱もかかるとは、もしかすると伏見は機械操作があまり得意じゃないのかも知れない。らしいと言えばらしいが。

明後日あさってにここでどうかな?』

 俺の「了解した」という返答によって本日の相談は終了した。

 しかし、最後に友人と休みに遊んだのはいつのことだったか。小学生の時は同級生と遊んでいたことを確かに覚えている。中学校から勉強が忙しくなってきてその機会は随分ずいぶん減ってしまった。高校では伏見が最初の友人である。つまり四年近くはひさしいということになる訳だ。さらに、その相手が気になる人なのだからなおのこと感慨かんがい深い。このことを中学生の自分に伝えればさぞ驚くことだろう。それくらい俺の中学時代は色恋いろこい沙汰ざたとの無縁をきわめていた。

 はなやかさにける中学校生活を送ったがために、伏見に対する感情が恋なのかを研究するには小学生の恋と比べねばなるまい。

 その頃の恋心というのは、意中の子がふとした時に気がかりだったり、意味もなく一緒にいたいと願ったり、手をつなぎたいと思ったり、もし告白したら相手の反応はどんなだろうと妄想したりするというものだった気がする。結局、お付き合いも告白もしてない。幼かったこともあり、そもそも付き合った先に何があるのか、よく分かっていなかったのだ。

 今の感情にはその時ほどの激しさがない。順に比べてみよう。まず、伏見は気がかりどころか安心感を与えてくれる存在である。それは、似たこころざしをもった人がいるというあんだ。俺は伏見以上に丁寧で穏やかで深くものを考える人を知らない。論理に生きる立派な者の例に伏見をげられることが、い人になるために論理をあきらめなくても良いという根拠になっている。

 次に、時間の共有を望む理由ははっきりしている。それは面白いからだ。人と議論することの楽しさを教えてくれたのは伏見だった。目的があるとはいえ、一緒にいることを望むのは恋との類似点だと言えよう。

 続いて、伏見の肉体に触れたいと思ったことは一度もない。昔の自分も含めて世の人間は、恋愛対象に肉体的な欲求を持ちすぎているように感じる。外見さえ優れていれば良いと言う者もいる始末ではないか。俺はこれに反駁はんばくしたい。容姿は人間の本質ではない。人間の本質は精神だ。何を考え、何をするか、それがその人なのだ。美しい精神をもつ者が本当に美しい人間であり、さんされるべき人間なのだと俺は思う。

 最後に、告白は今のところ考えていない。そもそも何を打ち明けられるのだろうか。告白すべきかいなかの討論は、この感情の解釈に成功してからの話である。もし仮に告白するならば、青春の一ページとしての激白げきはくというより感情の分析結果の発表会のような形になるだろう。

 総合して判断するに、恋のようではあるのだが、これまでの恋とは似て異なるものとしか形容できない。まあ、結論が出るまでり返し思考するのも議論のだい醐味ごみである。

 脳内議論に没頭ぼっとうしていると、机にせておいた携帯がまた連絡を通知した。今度こそあの人である。

『もう絶対に許さない!』

『300kgえのカジキを釣り上げるまでアタシの前に現れないで!』

 俺との個人チャットスペースに、例のごとなぞれ流す姉は『ごめん、送り先間違えた』と続けた。

「誰に送るつもりだったんだ、それ。全く状況がつかめないんだが」

 ご存知の通り、姉はふざけていないと生命せいめいを維持できないたちで、俺が物心ついた時にはすで剽軽ひょうきん者として完成していたので、俺は流石さすがに慣れてしまっている。

今日きょうはー、あれから例の子とはどうなったのか聞きに来たヨ!』

 やはり覚えてやがらっしゃったか。

『内容次第で母さんに報告するヨ!』

 はなはだ恐ろしいことを言っている。

「変に喜びそうだから母さんにだけはめてくれないか」

『あー、確かに。赤飯とかきそう。アタシ赤飯嫌いだしやめとくか』

 じゃあ、赤飯きだったら進んで告げ口したのか、この人は。

『それはそうと、なんか進展ないの? バッチコイ恋愛相談!』

『お姉ちゃんがアドバイスしてしんぜよう』

 伏見の対極にいるのが姉である。だから姉の助言はてんで役立ちそうにないのだが、ここで誤魔化ごまかしてもどうせ執拗しつこく探ってくるだろう。俺は素直に「今度二人ふたりでお茶することになった」と伝えた。

『アタシも参加していい?』

い訳ないだろ。なんで姉が付きうんだよ」

『な〜んでダメなの? はぁ、弟が遠くに行っちゃうみたいで、お姉ちゃんホント悲しい(笑)』

 文章かられ出る外野を満喫している感じが少々腹立たしいので「あーあ、こんなふざけたやつに言わなきゃ良かった」と後悔を表明する。

『フハハハハ! 何を言っても後の祭りだぁ!』

神輿みこしをかつぐぜ! わっしょいわっしょい!』

 悔しいが笑ってしまった。まあ、姉のおもちゃになるのも、たまには悪くないか。

 とにかく今は、明後日あさってが楽しみだ。

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