第18話


 ―― それで、どうするの? このままじゃどんどん広まっていくわよ。

 従妹との会話の中での言葉がよみがえる。

 今度の王は女だということ。ベインズの後継たる嫡子が命を狙われたこと。

 人の口に戸は立てられない。周囲は何も言わないが、きっと誰もが少なからず考えたはずだ。異母弟の立場をうらやんだ兄が、今回の行為に及んだのだと。

 アーサーは深夜おもむろに寝床を抜け出した。部屋の前に控えていた衛士がついてこようとしたが、ことわった。廊下をしばらく歩いていると後ろから駆け足で近づく気配がした。足を止め振り返れば幼い頃から傍にいる男が「殿下」とどこか呆れたように、心配そうに自分を見ていた。

「こんな夜中に、どちらへ――」

「散歩だよ。ただの」

「お供いたします」

 アーサーが黙って歩き出すとハワードも数歩後ろを静かについてきた。深夜といえど、件の事件もあって夜番の衛士たちがいつも以上に目を光らせている。

「…… この前から、考えてることがある」

 廊下をしばらく歩いて、石造りの壁につくられた、ぽっかり空いた窓からその下にある中庭を見下ろした。ウィリアムが襲われた場所だ。位置的には多分、このあたりから。

「お前――」

 と、そのときアーサーの視界の端で何かが光った。衛士の鎧か剣か、それとも城に留まっている貴族の装飾品かなにかかと思って見ているとそれは目の前に迫り、自らの腕を掠めた。アーサーは光の方を見つめたまま咄嗟に後ずさる。立て続けにもう一本飛んできた矢は、後ずさったアーサーに手を伸ばすハワードの脇腹へ突き刺さった。

 頭がくらくらした。たったいま、自分の目の前で何がおこったのかまったくもって理解できなかった。

 ハワードが何か叫んだのかあるいは自分がそうしたのか、衛士が駆けつけてきた。




 城内がなにやら騒がしい。フレデリカは妙な予感に目を覚ました。デュマの別邸にいた頃はこんな夜がよくあった。

「……」

 以前から、考えていることがある。

 父は、少なくとも王と仲が良かった。ベインズや他の貴族とはそうではなかったかもしれない。デュマとベインズは王を輩出した人数がもっとも多い。と同時に、ベインズは幾度もデュマ王家を廃している。時にはその代の王を手にかけてまで。

 王になれ、とは言われた。だけれど、エリオットを押しのけろとは、ベインズを廃せよとは一度も言われたことがないのだ。

 気配をうかがうように慎重にそっと部屋のドアを開けた。普段なら部屋の扉の左右に待機している衛士はおらず、代わりに心配そうに廊下の先を見つめるローレンがいる。

「何かあったの?」

 ローレンは少し迷ったあと、実はと話し出した。それが間違いだった。案の定フレデリカはアーサーに会うと言い出した。

「だめです、だめですってば」

 話を聞くなりアーサーの部屋がある方へと進んでいこうとするフレデリカを、ローレンは必死に押さえる。

「次期国王が国民の安全を確認しに行くのはいけないこと?」

「それは……」

「いいこととは言い切れません」

 フレデリカの屁理屈に論破されかけるローレンの後ろから現れたイライザは、そう言い放った。

「王なら自ら確かめに行くのではなく、家臣の報告を待つべきです。さあ寝室へお戻りください」

「報告になんて誰も来ないじゃない。それじゃあ眠れない」

「ご心配なく。フレデリカ様がお気になさるような騒ぎではありませんでした」

「…… アーサー王子に何かあったんじゃないの」

「明朝、殿下や陛下から説明があるでしょう。私から申し上げることはありません」

「…… 行かせてくれないなら嫌いになる」

 すごい、フレデリカ様から屁理屈以外の言葉を引き出した。ローレンは思わず感心した。

 イライザはひとつ溜め息をつくとフレデリカが通れないよう塞いでいた体を横へずらした。

「そこまでおっしゃるのでしたら。ただ、この場合罰せられるのはフレデリカ様ではなく私とローレンなのだということもお忘れなく。最悪城を出ることになるやもしれませんが―― 七年間、お世話になりました」

 フレデリカが喉をぐっと詰まらせ、ローレンを見た。助けを求めるような視線に、ローレンは目を逸らして耐えることしかできない。

「やっぱりな、思った通りだ」

 立ち止まったまま二人の侍従を見つめるフレデリカの耳にひとつの声が届いた。

「少しはじっとしていられないのか、お前は」

 従者を従えたウィリアムが溜め息を吐きながら言った。

「来い。父上がお前を呼んでる」





 初めて見る自分以外の青に、フレデリカはしばらく立ち尽くしていた。入り口のところで立ったままでいる少女へ男が「此方へ」と口にして、ようやくフレデリカは寝台のそばの椅子に腰を下ろした。

 王ヘンリーは、静かに寝台へ体を横たえていた。以前会った時よりも小さく細く、なんだか頼りなげに見える。つやがなく、ところどころ白くなった黒髪の下に、自分と同じ青い瞳がある。アーサーに似ている、と思った。目蓋や目尻の感じがどことなく、王子のそれに似ているような気がする。

「私はもう、そろそろのようだ」

 ヘンリーの薄い唇から紡がれた言葉を、フレデリカはすぐには理解できずにしばらく虚空を見つめていた。血の気などほとんどない口元がかろうじて呼吸を繰り返していた。

「冠の――、継承は私に…… 代わってアーサーに……、―― 式の執り行いは…… あ――、新しい、公爵であるウィリアムに……」

 王の息はどんどんか細くなり、今に途絶えてしまいそうだった。

「待って、まだ、聞きたいことが――」

「あとは……」

 小さく唇が動いて、それから、ゆるりと目蓋が閉じた。そうしてそれきり、ヘンリーは目を開かなかった。

 目の前で起きていることに現実味をもてずにぼんやりと立ったままでいたウィリアムは、後ろで聞こえた物音に我に返った。振り返ると兄が部屋を出るところだった。ウィリアムは父の寝台の前で未だ茫然としているフレデリカを一瞬見たあと、急いでその後を追った。



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