第6話


「どうだ、治りそうか」

 執務机に置かれた小鳥を見ながら部屋の主であるアーサーが問えば、側付きのハワードは「おそらく数日も見れば」と答えた。

 ハワードが小鳥を手当てをする一部始終を熱心に見つめていたフレデリカは、ふと横のアーサーを見上げた。

「治るまで部屋に置いててもいい?」

「治るまでな」

 治ったら返してこいよ、と少女の頭を撫でる兄の姿に、ウィリアムは言いようのない焦燥を感じた。少し前まで、あの手は自分の物であったはずなのに。いったいいつの間に仲良くなったんだ。いくら継承者といえど王子に対して少し馴れ馴れしすぎやしないか。だいたい、アーサーもアーサーだ。あんなふうに軽々しく接するなんて。

 そもそも鳥を手当てするだけなら自分はいなくてもいいだろうに、コーデリアまで誘ってこの部屋に来たのはなぜなんだ。

 そのコーデリアも部屋の長椅子に我が物顔で腰掛けて分厚い事典のようなものを捲っている。ちらりと見えた本の題名に、ウィリアムは思わず眉根を寄せた。―― 毒草図鑑なんて何に使う気なんだ。

「お前も座れば」椅子を指し示していった兄に結構です、と素っ気なく断る。

「鳥には興味がないので」

「彼女にはあるだろ」

「ないですね」

 あくまで無関心な様子を見せればアーサーは今度はコーデリアに顔を向けた。彼女は従兄がなにか言うより先に肩をすくめてみせた。

「私、その気のない人にはつかないことにしてるの」

 知ってるでしょ、とコーデリアはウィリアム以上に素っ気なく言って本を閉じると立ち上がった。

「これ借りていくわ。―― もしやる気が出たら教えてくださいませね、フレデリクさま」

 完璧な笑顔と礼とともに退室していった音を聞きながら、ウィリアムは今ひとりの継承者の方を見た。エリオットとて覚悟こそしていてもそんなものがあったとは限らないのに。少なくとも、ウィリアムの知る彼はそうではなかった。

 無言で従妹を見送ったアーサーは「そうだ」とウィリアムを振り返った。

「お前のところのマリア、俺のところの新入りと交換な」

「え?」

「もう決まったから。陛下と公爵にも話を通してある」

 突然の話に困惑顔の弟をよそに、アーサーは今度は継承者の方へ顔を向ける。

「それで、マリアをフレデリカの部屋付きにする代わりに、ローレンを少しの間借りたいんだが」





 王子の問いかけに対して少し考えます、と答えて小鳥を抱え部屋に戻ったフレデリカを見送ったあと、ウィリアムはアーサーと並んで廊下を歩いた。少し会っていない間にすっかり大人になってしまった兄の隣を歩くのはまだ慣れない。

「不満そうだな、ウィル」

 廊下を行き交う侍従に愛想よく微笑みかけながら、アーサーは言った。まあ当然か、とウィリアムよりもほんの少しだけ広い歩幅で前を行く兄の背にウィリアムは投げかける。

「俺には『もう決まった』で、彼女には『よければ』なのはなぜですか」

 アーサーは一瞬驚いたように目を見張ったあと、少し笑った。

「なんだ、てっきりマリアの方を言ってくるかと思ったのに」

 雑談でもするような軽さについ眉間にしわを寄せると兄は再び視線を前に向け、お前も分かってると思うけど、と前置きした。

「ベインズ公爵がそろそろ言ってくると思ってな。叔父に侍従を取り上げられるよりは継承者の都合で入れ替えになる方がお前にとってもいいだろ。フレデリカにも慣れた同性の侍従がいた方がいいだろうし。でも、彼女自身が穏やかに過ごせないなら本末転倒だから、フレデリカがまだ無理っていうなら少し待つのもありかと思って。まあどっちみちマリアはお前から外すけど」

 だから、フレデリカには『よければ』。

 ゆっくり歩きながらアーサーは言い終えて、ウィリアムを振り返る。

「他に質問は?」

「…… ありません」

「不満そうだなぁ」

 さっきと同じ言葉を口にしてアーサーは笑ったあと短くため息のようなものを吐いた。

「まあ、嫌なら誰にも文句を言われないようになるんだな」

「それは俺に王配になれと仰っているんですか」

「…… 言わないよ、俺は」

「では公爵に?」

「いいや」

「では――」

「ならない」

 兄上が? と言いきる前にきっぱりと告げられる。

「次の王が即位する前に俺は城を出ていく。それまでになんとか環境を整えたい」

「…… 兄上」

「長くて彼女が成人するまでだからあと三年、いや二年と少し」

「兄上っ」

 何年かぶりに、ウィリアムはアーサーに触れた。後ろから掴んだ腕は、予想外にがっしりとして逞しく、まるで別人のように感じられた。

「…… どういうことですか」

 縋るように問われてアーサーは「そのままの意味だよ」とウィリアムとは反対に無表情で答えた。その冷淡さがなぜかひどくウィリアムを焦らせる。

「父上はっ、この国を―― 彼女を託すために貴方を呼んだんじゃ」

 口にした瞬間強い力で頬を掴まれ反動で頭が壁にぶつかる。薄暗い廊下で、日に照らされると銀色にも見えたアーサーの灰色の瞳が今は黒に近い色をしている。

「最初からここに俺の座る椅子なんてないんだよ、ウィリアム王子」

 こんな色だっただろうか。

 豹変した兄の態度に声を出せずにいると、ふっと体が離れていった。体ごと反対側を向かれてしまったせいで、アーサーがいま、どんな顔をしているかわからない。

 アーサーの視線の先には広い中庭がある。けれども、目の前には背の高い樹木が横並びに植わっていて、その広い世界をのぞむことはできない。

「うまくいかないな、お互い」

 次に聞こえたのはそんな言葉だった。そこに混じっていたのは、はっきりとした同情の色。

「……」

 ウィリアムはうつむき、目をつむった。見慣れぬ底のない暗闇を、脳裏にしっかりと焼き付けるように。

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