第4話
同じ頃、城下では二人の人物の捜索がなされていた。
「いた?」
「いないな」
茶髪の侍女と黒髪の侍女が顔を見合わせ、互いにかぶりを振った。
「イライザがぼさっとしてるから」
茶髪の方がぼやくと、黒髪のイライザと呼ばれた侍女はほう、といかにも不快そうに眉間にしわを寄せた。
「ならば、あの方の子ども騙しにほいほい引っかかって目を離したお前は少しも悪くないって言うんだな、ローレン」
「そうは言ってないだろ…… あーでもせめて服がめちゃくちゃ動きにくい服とかだったらなあ、ドレスとか」
「神の愛し子が女だなんて知れたら大ごとになるだろ」
イライザの言葉にローレンが「それだよ」と疑問を呈する。
「なんで王様が女だったらいけないわけ?」
「失礼」
後ろから声かけられ振り返る。二人の前には市井に紛れるには少し整いすぎた身なりの男が立っていた。どこかの名のある貴族に仕える侍従だろうか。
「私と同じくらいの背で黒髪の身なりの良い青年を見ませんでしたか」
いえ、とローレンが首を振ると男はそうですか、と踵を返し、また別の人間に同じことを尋ねながら遠ざかっていった。イライザは、小さくなっていく男の後ろ姿をじっと見つめていた。
「―― おっと」
半ばうわの空だったイライザの肩に誰かがぶつかるとともに、声が降ってきた。イライザが振り返り確認するより先にローレンがあっと声を上げかけるが、口元に人差し指を立てて止められる。
「かくれんぼの最中なんだ、黙っててくれる? ―― これで足りるかな」
青年が紙幣を渡してくる。
外套で姿を隠してはいるが、わずかに見える彼の表情と立ち姿が、彼が凡人でないことを証明していた。
外套からこぼれる艶やかな黒髪と、雨雲のような濃い灰色の瞳がどこか妖艶で、それでいて奇妙な清廉さがあった。すれ違えば誰もが振り返らざるを得ないような、人を惹きつけてやまない圧倒的な魅力。
「いただけません」
イライザは指先が震えそうになるのを必死にこらえ、紙幣を持つ青年の手を押し返した。
「お戻りになった方がよろしいかと」
行こう、とイライザはローレンに目配せし、青年を探していたらしき男とは反対方向に立ち去った。
青年は二人が見えなくなるまで物陰からじっと見届けて周囲の安全を確認すると後ろの路地を振り向いた。
「こんな感じでいかがかな、姫君」
「…… 分かりますか」
青年より頭一つ半ほど小さな人物は、青年と同じように外套で自身の姿を隠していた。まだ成人前なのか、かなり小さく、下から強引に覗き込みでもしない限り顔は見えない。
「可憐さがにじみ出てる。下手な男装じゃ隠し切れないくらいね」
「アーサー殿下はお上手ですね」
「どこかで会ったかな」
二人は言葉を交わしながら市が行われている通りから離れた路地に入った。アーサーが木箱の上に腰を下ろすと、少女もそれに倣った。
「陛下とは幾度か」
そっくりでいらっしゃるから、と話す少女を横目で見ながら、アーサーは思考を巡らせる。いかに名家の令嬢といえど、王と何度も会うのは難しい。
ささやかな木々のざわめくような声にいつかの記憶がよみがえった。豪奢なベッドに横たわる、青い瞳の老婦人。
「きみ…… いや」
貴女は、と言いかけた瞬間、突風が吹いた。
冷気が鋭く路地を駆け抜けて、二人の被っていた外套を攫った。
そこで初めて、アーサーは少女の顔を見た。
黄金の髪が父神アーロンの加護をうけまばゆく煌めいた。
その下にはやはり、歴代の国王と同じ、いやそれ以上の輝きがあった。
「―― クリスティアン」
神殿の壁画で何度もみた。
かつて天より降り立ち荒れた大陸に平和と色を取り戻した救世主。
神々しいまでの金髪と、アーロン神と同じ青の瞳でもって人々を魅了した神話の人物であり、この国を興した人物。
建国王クリスティアンその人に、少女は生き写しであった。
アーサーの背中がぞくぞくと震えた。
「…… 貴女は、いったい」
自分が知っている神の愛し子とは、父は無論、あの老婆でさえこんなふうではなかった。
これに比べれば、あんなのはまがい物だ。
王子の問いに少女は微笑を浮かべた。
「フレデリカ」
この輝きを前にしては、きっと誰もが膝をつかずにはいられない。
「フレデリカ・ミーア・デュマ。―― もっとも、王になる気も城に幽閉される気もありませんが」
建国王の血を継ぎ、神の寵愛をあふれんばかりに受けた真の王がここにいる。
それなのに。
「王になる気が、ない?」
「ええ」
アーサーの問いに寵愛者は外套を被り直しながら頷いた。
「殿下も王子であるならおわかりでしょう。意に添わない行為を望まれ進むことを求められながら、その実何ひとつ許されていないことの辛さを」
アーサーはふと、神殿学校に入れられる前に乳母から聞いた話を思い出した。なんでも生まれてすぐはアーサーは母親の出自を理由に王子として認められなかったらしい。城に入ったのは二歳のころで、王配がなかなか子を授からなかったためだ。アーサーが三歳になった年にようやく生まれた弟ウィリアムは病弱で成人すら難しいと言われたが、年が明ければもう十五になる。八歳になったウィリアムが健康に育ちはじめたのを受けて、神殿学校に入ることが決まったアーサーに乳母は可哀想に、と嘆いた。
わかるわけがない。
同じであるはずがない。
アーサーは外套からわずかにこぼれる金糸に手を伸ばしながら、なら、と低く呟いた。
「一緒に逃げるか? アーロンの加護も、ニケスの恩恵も届かぬ地まで」
「え――」
誰より神に愛されている彼女にそんなことができるはずもない。質の悪い冗談か、あるいは陰湿な嫌味か。少なくともそういう意図を持って神の愛し子を見れば、少女は思いもよらない表情でアーサーを見返していた。驚きと、同時に今にも泣きそうな、例えるなら迷子が母親を見つけた時のような。
「そんなこと、誰も言ってくれなかった」
気付けば腕の中に閉じ込めていた。
唐突に壊したいと思った。護りたいとも。強烈な嫉妬と同情が押し寄せてアーサーを鷲掴みにして離さなかった。細い肩に自らの指を喰い込ませると小さな悲鳴のような声とともに少女の指が縋りついてきて、瞬間思わずその身を離した。
これ以上は、望んではいけない。寵愛者の指が、ぎゅっと王子の服の裾をつかんだ。その目は、ずっと昔に熱を出して寝込んだ弟のそれに似ていた。
ゆっくりと唇をひらく少女の声を、逃げられない、と思いながら聞いた。
「あなたがいてくれるなら、王様になってもいい」
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