神の愛の在り処

水越ユタカ

第1話

 ―― 青色の瞳は神の寵愛の証である。それゆえに青色の瞳を持って生まれたものは王として民を導くべし。


 これは王室規定の初めに記されている文言である。

青の瞳はごく稀で、王の子ですら青い瞳の者が生まれた例は王国が築かれて以来たったの二度。加えて、女王が即位したことはただの一度もなかったため、国が男社会となるのは当然のことだった。


 王国歴幾数百年かたったあるとき、九十九代ヘンリー王の御世である。

 王には庶子である長男アーサー王子と、嫡子である次男ウィリアムとがいた。しかしいずれも青い瞳ではなく、代わりに王の兄であられるベインズ公爵の息子エリオットに継承の印は現れた。

 誰もがいましばらくベインズ家が国内での権力を独占すると思っていた。


 ここに記すは歴史に名を残すべき百代目国王の記録である。

 物語はこれよりはじまる。




 初代クリスティアン王の血筋、デュマ公爵家の統治する領地の隅、ちいさな湖のほとりにひっそりと佇む屋敷がある。

「フレデリカ様!」

 屋敷のそばに立つ樹に登る少女に向かって、護衛らしき青年が悲鳴を上げた。

「危ないですから降りてください!」

 少女は枝の先に手を伸ばし、子猫を胸に抱え込むとそこからひょいと飛び降りた。

「降りた」

「―― もう、木登りはやめてくださいって何度言ったら……!」

「ローレンこの子、怪我してる。手当てしてあげないと」

 少女の肩で切り揃えられた金髪が風で揺れた。女性にしては短すぎる髪に加えて少年のような服装であるのに、一目で少女と分かるような可憐さがあった。

「少しは女の子らしくなさってください」

「ローレンがドレスでも着たらね」

「私のは仕事です」

 二人が連れ立って屋敷に入ると、ローレンと似た装いの青年が出迎えた。

「執務室で旦那様がお待ちです」

「いつ来たの?」

「つい先ほどです」

 公爵である父が、この屋敷を訪れるのは月に一度あるかないかだ。ほんの昨年か一昨年までは三月から半年に一度とほとんど不定期に娘の様子を見に来ていたはずの父が、最近はやけに頻繁に訪れている。

「フレデリカ様」

 その理由を思い浮かべて苦い顔をした少女の名をイライザは窘めるように口にした。

「―― わかったよ。この子お願い。怪我してるの」

「かしこまりました。手当てしてお部屋に運んでおきます」

 微笑んで言うイライザに子猫を預けて、父の待つ執務室に足を向ける。

 ローレンが開けたドアを潜り抜け、執務室に足を踏み入れると、正面で父であるデュマ公爵が出迎えた。会釈してローレンがドアを閉め退室するやいなや、公爵は立ち上がって向かい合ったソファの片方に座った。

「座りなさい」

「いつものお話なら返事は同じです、父上」

 立ったままきっぱりと言い切ったフレデリカに公爵は、またお前は、とため息を吐く。

「とにかく座りなさい。ドーラが焼いたスコーンもある」

 侍従が焼いたスコーンが乗る皿を公爵が反対側へ押すと、フレデリカは頑なな態度をあっさりほどいて着席した。クリームをたっぷり乗せてスコーンをほおばる娘に再びため息をついて公爵は口を開いた。

「お前ももう十四だ。あと二つ年が明けたら成人なんだよ」

「まだ三年近くある」

「大人になる準備をしていたらすぐだよ。陛下もそう思ってお前を城に呼んでくださっているんだ」

「幽閉の間違いでしょ」

「お前次第だよ」

 公爵のつとめて穏やかに言う声にフレデリカは眉間にしわを寄せた。

「でも、イライザとローレンは連れていけないんでしょう」

「侍女としてならという話はしただろ。二人とも技量はある」

「二人にだってプライドがあります」

 父の落ち着いた口ぶりが余計にフレデリカを苛立たせているようだった。

「私にだって、の間違いじゃないか。あの二人はお前がひとこと来いと言えばどこまででもついていくさ」

 それに、と公爵は言葉を重ねた。

「城の衛士にしてやりたいならそうすればいい。どうしたらそうできるか、お前はとっくに知っているはずだよ」

 そこに先ほどまでの娘を諭すような穏やかさはなかった。少女の、夜明け前を思わせる青い瞳が、はっきりと戸惑いに揺れた。

「―― それは」

「十四年だ、フレデリカ。お前が生まれたときから私は確信していたからこそお前に叩き込んだ。この国の隠された歴史も、政治も、立ち居振る舞いも。私だけじゃない。この国の誰もがお前を待ちわびている。建国王クリスティアンの血を引いたフレデリク王の誕生を」

 デュマ家は建国王クリスティアンの弟が興したと言われている。

 クリスティアン・クリスト。その髪は太陽の光のような金色で、瞳は父神アーロンと揃いの青色。

 フレデリカの父も祖父も、そのまた祖父も、瞳の色はおろか、金髪ですらなかったという。血のつながりさえ疑いたくなるが、父の書斎に置かれた建国王の肖像画がそれを許してはくれない。

 クリスティアンに連なるは、甥アレクサンドロ、その子アーサー。デュマ家が王家として君臨したのはその三代だけだ。デュマ家に限らず、一つの家が五代と続いた試しがない。

 青い瞳の子どもは、定期的に貴族や領主の家から、ときおり気まぐれのように庶民からも生まれる。まるで神自身が選んででもいるかのように。選ばれたその子は、成人の歳である十六歳になると王として即位する。

 そして、その九十九人の王たちはみな男であったと言われている。

「フレデリク王…… ね」

 父の言葉を反芻して、フレデリカは大きくため息を吐いた。

「フレデリカのままではいけないと?」

「そう決まっているね」

「次の王に私でなくベインズの子息が指名されているのは私が女だからですか」

「どうかな」

 のんびりした声を取り戻した父に、フレデリカの苛立ちが募る。

「王子との縁談が持ち上がっているそうですね」

「おや、どこで聞いたのかな」

「父上、私が見るようにあえて手紙を執務室の机に置きっ放しにしたでしょう」

 わざとらしい。冷ややかに目をすがめて父を見れば、父は穏やかな笑みを浮かべたまま言った。

「ベインズは良い家だよ。財力がある。領地も広い」

「金があろうが土地が広かろうが、自ら道具に成り下がる気はありません」

 言い捨て、フレデリカは立ち上がると父の返事を待たず立ち去った。


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