61 孤児


 



 追いかけっこを始めて約十分。

 目の前をはしる少年は息を切らしながらチラチラとこちらを確認している。

 最初こそ距離をあけられたが今は一定の距離を意図的に保って追いかけており、私が彼を追い詰めにかかっている状態だ。


 六歳から十二歳まで毎日庭で畑仕事や力仕事をし、美味しくて健康的な食事をとっていた私と体力勝負をしようなんて甘い考えなのだよ。


「お願いだから待ってぇー!」


 大通りを走り抜ける最中私は大声で叫び、そしてニヤリと笑う。

 私たちなんぞ見向きもしない住人にとってはただの追いかけっこに見えるかもしれないが、財布を盗んだ当人からすれば笑いながら追いかけてくるなんて、恐ろしいだけだろうに。


 ニヤニヤと少しずつ距離を詰め、焦りを見せる少年の後をひたすら追う。

 こうも簡単に釣れてくれるなんて運が良かったと思いつつ裏路地へ続く角を曲がり、そして行き着いたのは一軒のボロ屋だった。


 こちらを一度見た少年は急いで扉をくぐり抜け、私も続いてその家の中へと入りこむ。

 ここが彼の家なのかと思ったのもつかの間、前には多数の人影が見えた。


 驚いたような顔をするもの、怒りに顔を歪めるもの、ニヤリと厭らしい笑顔を作るもの。様々な表情を浮かべた子らが見えたのとともに、ゴンっと鈍い音と痛みが頭に響いた。

 痛みで薄れゆく意識の中最後に見たものは汗だくになりながらも笑う少年で、追い込まれたのは私の方だったと倒れながら自分の愚かさを恥じたのである。



 私が次に瞳を開いたとき、後頭部の鈍い痛みと何処からか聞こえてくる怒声がやけに気にかかった。

 唸り声をあげながら頭を撫でれば、いつもはそこに無い膨らみと痛みが確かにある。

 悔しいことに私は追っていた少年からの打撃を食らったのだろう。たんこぶだけで済んだが、もう少し最悪の事態を考えておくべきだったと自分自身を責めるしかない。

 それによく見れば服装こそ乱れていないが、お菓子と小瓶が入った肩がけがなくなっている。

 殴打だけでなく持ち物を盗むなんて、さすがに温和で人格者な私でも怒る案件だ。


「あ、魚のおねぇちゃん起きたー! セシルにぃちゃーん!」


「あぅ、頭に響くから叫ばないでよ」


 苛々とした気持ちで下唇を噛んでいると近場にいた幼女がいきなり大声で誰かを呼んだ。ズキズキと響く頭を抱えながら目の前の幼女をじぃっと見ると何処か知っているような気もする。

 魚のおねぇちゃん、と言っていたし昨日出会った子だろうか? 残念ながら私は興味のない人の顔を記憶する事に欠ける人間だ、あったとしてもきちんと記憶してなどいない。


 私が頭を悩ましていると先ほどまで言い争っていた少年の一人が駆け足で私に側に近寄ってきた。

 もしや再度攻撃を掛けられるのではと心配して身構えるも、その少年は心配そうに眉を下げて大丈夫か、ごめんと何度も何度も頭を床に着くのではないかというほど下げたのである。


「ッチ、そこまでする事かよ」


「お前も謝れ!」


 遠巻きに見ていた少年の一人が悪態をつき、その言葉に食いかかるようにしてセシルと呼ばれた子はその子を思い切りぶん殴る。

 殴られた方の少年はバランスを崩しその場に尻餅をつくがギロリとセシルを睨み、そして私にもその鋭い視線を向けた。


「元はと言えばこいつが付いてくんのが悪りぃんだろ!」


「盗みしないって決めただろう!? お前が悪い!」


 私の存在など無視し言い争いを再開する彼らを呆然と眺め、私は取り敢えず本日の目的は達成されそうだと安堵の息を吐いた。

 ハラハラと二人を見つめる幼女を手招きし、お菓子あげるから肩がけを返してと交渉を持ちかけると、彼女は嬉しそうに笑い、どうぞと言いながらあっさりと私にかばんを返してくれた。


「んじゃ、これお礼ね」


 はい、と持参したお菓子(今日はドライフルーツのケーキである)を渡すとありがとうときちんとお礼を述べて彼女はそれにかぶりつき、美味しいとこれまた大声で叫んだ。

 その声に周りにいた子らはこちらに視線を向け、そして羨ましそうに彼女の手の中にあるお菓子をじぃっと見つめごくりと喉を鳴らす。

 そんな彼らにちょいちょいと手招きすると見知った子から私に近づき、そして両手を出した。


「一人一個ねぇ。他に欲しい人は?」


 要らないならやらん、とはっきり口に出してみると少年二人の喧嘩を見ていた子らも欲に負けたのか私に向かって両手を差し出し、私はその子ら一人一人にケーキを一切れずつ配っていく。

 もとより子供の買収用に持ってきたお菓子だ、私が食べたかったおやつでもないし食べられない事に未練などはない。

 多めに用意しといたとはいえ残ったのはほんの四切れだけで、あの二人にあげるとすると残りは二切れだ。

 余った分は喧嘩になるだろうから持ち帰るのが無難だろう。


 まだ喧嘩は終わらないのか呆れ顔で二人を見つめて欠伸をし、それから数分経ったところで私は痺れを切らせて口を開いた。


「取り敢えず財布の事と殴ったことは不問にしてあげてもいいからさ、君らの知り合いにお腹の痛い子いない? 紹介してくれたら誰にも今日のこと言わないからさ」


 教えてくれる?とにこやかに出来るだけ優しい笑顔で問いかければセシルは困ったような顔をし、もう一人の少年はペッと私にツバをかけた。


「誰がお前になんか言うかよ! それに誰かにチクっても怖くもなんともねぇっての!」


「あ、そう? これでも私、領主様と仲良しだよ? 君達の生活をより劣悪なものにも出来るけど、それの方がいいのか。成る程、じゃあしょうがない。私は帰るとしよう、人としての最後の日を楽しむといい」


 殴られた場所をわざとらしく撫でながらニッコリと笑いじゃあねと手を振ると、セシルは焦って私の手を掴みとる。

 その手を振り払うことはしなかったが、私は冷ややかな目で彼を見つめて言葉を続けた。


「ここにくるまでに随分と叫んだし、もし私に何かあったら”孤児を追いかけてた”って証言してくれる人もいるかもね。それにギルドの人にもスラムに行くかもっていってあるし。私に何かがあった時、困るのは君らだよ。だって君らの言葉を信じてくれる人なんていないでしょ?」


 きちんと私に手を出したら潰されるのはお前達だとストレートに脅迫もして、私は再度ニッコリと笑った。

 実際のところ私に彼らの生活を奪うことができる力はないが、脅しくらいいいだろう。

 非道な行いだとわかってはいるが私だって殴られたんだ、これだけいじめなかなゃ気が済まない。


 泣き出しそうになる子供達がいる中、セシルと少年は口をパクパクとさせて私を見つめ、私はそれに向けて笑い返してさらに言葉を続けた。


「まぁ、私もそこまで非道じゃないからね。君達の知り合いに腹痛持ちがいたら教えてくれれば今日のことは不問としよう。勿論その病人に極悪な行為をするわけではないよ? ただ試したいことがあって……」


「な、何を試すんだーー?」


「ん? これがちゃんと効くかどうかをね」


 肩がけから小瓶を取りだしセシルに渡し、気になるなら飲んでも構わないよも小瓶のコルクを開ける。

 そこから香るのはフルーツの甘い匂いで、反射的にセシルの喉はゴクリと音がなった。


「果物と薬草と蜂蜜しか入ってない野菜ジュースだ、健康な人間が飲んでも効果は現れない。だからお腹が痛い人を探してるんだ。治るかもしれないんだけど、私じゃ試せないからね。君にも悪い話じゃないと思うんだけどなぁ」


「ーーお金、取らないのか? 盗みの事も誰にも言わない?」


「おいっ! お前にそんな奴の事を信用するんな! そいつらは俺らを良いように使う気だ!」


「うっさいな、お前は黙っとけ。セシル、だっけ? お金はいらないし誰にも言わない。治ったかだけ教えてくれればいい。それに私は嘘はつかないよ!」


 騙しはするけど、主に自己中心的な理由で。


 セシルは小瓶をぎゅっと握りしめ、そして意を決したようにコクリと頷いた。

 それを非難する声を上がったが、セシルがデリアが元気になるかもしれないと叫ぶと批判の声はピタリと止まったのである。


「デリアが誰だか知らないけど、治ったら教えてよ。明後日の釣りの時にね!」


「ーーまた雇ってくれんのか? 財布盗んだし、殴ったのに」


「それはそれ、これはこれだよ! まぁ、痛かったからこれで痛みわけでっ!」


 セシルに向けていた視線をずらし、私は私を殴った少年を力一杯殴りつけた。

 不意打ち気味に殴ったからかその少年は勢いよく後ろに転がり、私はぺッと唾をはいて両手のひらをパンっと合わせて舌を出す。


「ごめーんね! でもこれで君とは何もなかった、そうしよう!」


 初めて人を殴って拳はズキズキと痛んだが、殴り返せて満足である。


 だが、いかせん今回のやり方は私に被害が甚大すぎる。

 今度からはもっと私に危険性のないやり方を模索した方が無難だろう。


 嗚呼、面倒臭い。



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