53 興味本意


 



 ティーカップの注がれたお茶は紅く、フルーツのような甘い香りが私を包み込む。一口それを含んでみれば、ほのかな苦味と酸味が絶妙に交わり、口いっぱいに爽やかな風味が広がった。

 私が美味しいと声で呟くとソーニャ・エリボリスは優しく笑い、お茶菓子を勧めてくる。それに応えるように笑みを浮かべるも、隣でそれを見ているニコラは不機嫌そうに舌を鳴らした。


「用が済んだならさっさと帰れ」


「あら、そんなこと仰らなくてもいいじゃないですか。リズエッタさんはあの家で一人で棲むのでしょう? 困った事があったらすぐに頼ってきなさいね?」


「はい、ありがとうございます!」


 チッと舌打ちをしたニコラはティーカップの中に入った紅茶を飲み干し、杖で身体を支えて立ち上がる。こちらを見る事なく私の持ってきた籠を手に取ると、一人で他の部屋へと消えていってしまった。


「ごめなさいね、あの人、気が難しくて……」


 オホホと笑うソーニャからお茶菓子を受け取り、首を横に振る。

 世の中には頑固なジジィはいるもので、それがニコラだったに過ぎない。普通の世間知らずの子供だったのなら傷つきもするだろうが、生憎私はあの程度の悪態で傷つく脆いハートの持ち主ではないのだ。

 日々スヴェンに馬鹿にされ、亜人からは敵意を向けられ、何処かの変態には強制的な好意を向けられた。そんな私からすればニコラの舌打ちなど可愛いものだ。


「お気になさらないでください。私としてはお二人と仲良くなれれば嬉しいですが、関係を無理強いするつもりはありません。それでもきちんと薬草は納品させていただきますよ!」


 とは言ってみたものの、本音を言えばニコラとは親密になりたいわけだが。なにせ私にポーションが作れるかどうだかかかっているわけで……。


 それをふまえて籠の中には依頼されていた薬草の他に紛れ込ませたものが二、三ある。

 早い段階でそれに気づいてニコラから声を掛けてくれるのを待ちたいものだが、上手くいくかはまだわからない。


 パキッとくわえたクッキーを頬張り紅茶を一口飲み、ふぅとため息をついた。

 ソーニャが私に話題を振りそれに答え、それを繰り返す事約十分。

 音を立てて勢いよく開かれた扉の向こうには、鬼のような形相をしたニコラが立っている。

 怒られることしたかなとソーニャと見つめ合い二人で首を傾げていると、ニコラはヅカヅカとこちらに近づきこれまた大きな音を立ててテーブルを叩いて、ティーカップからは紅茶が溢れた。


「小娘っ! お前これをどうやって手に入れた!?」


 目の前に差し出されたそれは私のよく知っている、乾燥した長寿草。


 釣れた。


 そう思ってほくそ笑み、私は計画を続行したのである。


「嗚呼、それですか? それは私と親しくしてくれている人がくれまして。でも私じゃポーションも何も作れないのでニコラさんに差し上げようと持ってきたんですよぉ」


 あくまで貰ったものと言う前提で。

 それを使いこなせないと言う前提で。


 ニッコリと笑いながら、でも、と言葉を続けた。


「私には手に余るものなので、次からは貰うのは遠慮するべきなのでしょうね。 貰っても使い方が分からなくては宝の持ち腐れですしーー」


 落胆したように深くため息をついて視線を下に向ける。

 安直にもう手に入らないよと言う意味あいももこめて。

 するとそれを見越したニコラは苦虫を噛み潰したような顔をしてぐぬぬと唸った。

 あと一押しあれば渋々ながら私には薬学を教えてくれるのではないかと考えたが、そのひと押しが難しい。私からあげますので薬学を教えてくれませんか、と言うのは簡単だ。だがそれだと私が下手に回り、対等な関係にはなりにくい。ないとは思うがそれ以上のものを量を要求される場合さえ出てくる。

 対してはニコラから教えてやるからくれ、と言う一言があれば使えないものをあげる代わりに教える、と言う簡単な対等条件でクリア出来るだろう。

 私が変に突っ込んでいかない限りは。


 私とニコラの間には暫しの沈黙が訪れ、その沈黙を打ち破ったのは私でもニコラでもなかった。


「ならうちの人に薬学をならえばいいわ! 弟子達もみんな独り立ちした事ですし、リズエッタちゃんに教える暇くらいあるでしょう? それにそうすればあなたも欲しがっていた長寿草も分けてもらえるじゃない!」


「いや、そう言うわけにはいかんだろ……」


「じゃあ長寿草を諦めるの?」


 ソーニャの言葉にニコラは言葉を詰まらせ、そしてちらりと私の方をみる。

 思わぬ伏兵がいたものだと感謝しつつもうんうんと首を縦に動かし、ソーニャの言葉に対しての同意を示す。するとニコラは一度舌打ちをした後、ゆっくりと椅子に腰かけた。


「ーー幾らか回してくれるんなら教えてやらんことはない。だが、だがな! 生半可な気持ちで言ってるならやめとけ、下積み時代は金にはならんぞ」


「あ、いや、別に薬師になりたいわけではないです。 ただポーションが作りたいと言う興味本意なので」


「ーーはぁ? 巫山戯てるのか!?」


 不機嫌そうに怒鳴り散らすニコラを笑って流し、私は興味のどこがいけないのかと、今度は真顔で答えた。


「何かを目指す人も、それにたどり着いた人も最初は興味から始まるものです。それなのに何故興味を否定するのです? ニコラさんは興味が無いことを続けるなんて出来るんですか? 出来ませんよね? だって無関心なものを延々と続けるなんて拷問ですもん。確かに私は興味本位で将来薬師になりたいなんて考えてないですが、もしかしたら性に合って薬師になるかもしれないじゃないですか。まだ若い私の芽を潰さないでくださいよ」


 言い切った後ブスッと頬を膨らませ子供らしく振舞ってみればニコラはバツが悪そうに顔を背け、それに対してソーニャは暖かな目で笑っていた。


「ーーねぇ、あなた。リズエッタちゃんの言うとおりよ。興味本位でも薬学を学びたいと思ってるなんて素敵じゃない」


 いいじゃないと再度確認を取るかのようにソーニャはニコラの肩に手をかけ、その手を振り払うようにニコラは椅子から立ち上がる。

 あまりにもふてぶてしい態度のニコラに若干腹は立つが、気の短いお爺さんにはよくあることだと思って我慢しておこう。


 にへらと笑い、生意気言って御免なさいと取り繕った謝罪を述べればニコラは又しても舌打ちをした。


「ーーーーしゃあねぇから教えてやる。だが長寿草は依頼とは別にもらうからな」


「ハイ! ありがとうございます」


 急いで椅子から立ち上がり深々とお礼をすると鼻で笑われ、薬草は随時持ってくるように言いつけられた。が、薬草はそれこそ腐る程採れるので何の問題もないだろう。


 和かに微笑む顔の裏側で流石長寿草だとほくそ笑み、そしてこのニコラ・エリボリスも領主も簡単に釣られるなと嘲笑った。


 上手いことポーションが大量生産できれば私の、私たち家族の年収は跳ね上がることだろう。

 そうすればもっとアルノーに良い教育を受けさせてあげられる、必要なものを買ってあげられる。平民だからと庶民だからと差別される事も少なくなるはずだ。

 祖父も狩りをしなくても生きていけるようになるし、スヴェンだって街に店を持つ事も可能になる。

 万々歳の幸せが待っているのだ!


「とりあえず明日から顔を出せ。簡単な薬の作り方を見せてやる」


「ーー分かりました! 明日も薬草は持ってきますね!」


 花の咲いたような笑顔を振りまき、当たり前のように薬草を持ってくる約束を取り付けた私だったが、普通の人間がポンポンと持ってこれる量でも、頻度でもなかったと、この時は知らなかったのである。


 そのせいでニコラに他の弟子たちの軽く十人分は便利使いされることになるのだが、それはまた別の話としておこう。


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