54 薬


 



 翌朝の早い時間、私は一人薬草図鑑を抱えながら庭にいた。

 それはもちろん今日の分の薬草をニコラに納めるためで、まだ名前と草の見た目が一致していない私にとってはまだまだ時間のかかる作業なのだ。けれども有難い事にこの庭では数種類ずつの薬草がまとまって生息しており、間違えることはまずないだろう。


 一定の量を採取した後、後ろで控えていたレドの肩車で庭の様子を一度見回る。

 害虫も害獣もいないこの場所では特に異変が起こることはないだろうが、人数が多い増えた分、何かしら問題が起こってもおかしくはない。例えばシャンタルが林檎を大量食いしてみたり、パメラが砂糖の実を丸齧りしてみたりと、行動を起こすものは起こすのだ。


「今のところ変わったところはないね。彼らの様子は?」


「先日の四人の怪我はだいぶ良くなっていやす。ただあの父親の警戒心は強く、あまり飯を食っていないようです」


 食わなきゃ治るものも治らないとため息をつくレドの頭をくしゃりと撫で、私は悪気もなく流し込めばいいと指示を出す。


「両手足でも縛って鼻つまんで、無理矢理でも口に流し込めばいいよ。そうすれば嫌でも飲み込むから」


 あまりにも非道な行為に見られてしまいそうだが、私が彼の我が儘に付き合う暇などないし、子供に父親がひ弱な姿を見せるわけには行かない。

 あの小さい子供らは遠目で見ただけでも愛らしく、出来ることなら膝の上に乗せて撫で回したいほどだ。 しかしそんなことをすればあの両親に私が敵意を向けられる事にもなる。

 ならあの子らが順調に育つには私よりも両親が必要で、尚且つ健康体でなければならないのだ。


 亜人が増えれば増える度、それぞれの苦労に悩まされそうだなと小さく唸れば、レドは頭を上にあげ不安そうに私を見ている。

 可愛い私のレドに心配なんてさせるわけにもいかず、私はニッコリと笑顔を作ったのであった。


「ーーしばらくの間は大変だと思うけど、よろしくね、レド」


「わかりやした。お嬢の為に、そして俺たちのために頑張りやす」


 すっと目を細めて笑うレドの頭をくしゃくしゃにし、私は庭の外、ハウシュタットの家へつながる扉を潜る。

 庭とは違う薬品の匂いに包まれたそこはまだまだ不慣れな場所で、生活に慣れるまで今しばらくかかりそうだ。

 けれどもそんな事など言っていられる訳もなく、私は薬草とお昼ご飯を持って我が師匠であるニコラ・エリボリスのもとへむかったのだ。


 もくもくと煙突は相変わらずに白い煙を出し、その煙からは葉っぱを煮詰めたよう薬のような、匂いがしていた。

 やはりここは薬師の家なのだなと再認識すると共に木製の扉をノックし、そしてソーニャに頭を下げて家へとお邪魔する。


「これ、今日の分の薬草です。ニコラさんはーー?」


「あっちにいるわ。お茶を渡すから持っていってもらってもいいかしら?」


 うふふと上品に笑うソーニャからお茶とお茶菓子の乗ったお盆を受け取り、私はそっと別室へと入る。そこにいるのは誰でもなくニコラなのだが、その眉間には深く皺が刻まれていた。


「ーーお師匠、お茶だそうです」


「誰かお師匠だ、この小娘め」


 一度は呼んでみたかった言葉でニコラを呼べば眉間の皺はさらに増え、そして舌打ちをしながら強引にお茶の入ったカップを奪い取る。

 こんな頑固爺さんとよく一緒に居られるものだとソーニャに対して敬意をいだくも、理解はなかなか出来そうにない。

 お盆を薬草で散らかったテーブルの上に置き、私もお茶を一口飲む。

 甘さがないこのお茶の美味い事美味い事。淹れ方からして私とは差があるに違いないと、深く息を吐いた。


「おい小娘、ちょっとこい」


「はいはーい」


「はいは一回でいい!」


 チッと舌打ちをするニコラに近寄ればそこには乾燥した薬草と、水と鍋。その他にもすり潰す用具であったり保存器具など様々な物が用意されていた。

 ほぉーと興味深そうに声を立てればニコラは良くみとけとだけ言い、丁寧に作業を始めていく。

 乾燥させた薬草とそのままの薬草の二つの種類を同じ要領で刻み煮て、そしてツンと鼻を衝く液体を加えてよく混ぜる。一度混ぜたものを今度は茶漉しのようなものでこし、それぞれ一つずつ瓶へと移し替え、ほらよと私に押し付けた。


「ーーこれはいったい?」


「サンゼキと言う薬草で作った胃腸薬だ。飲んでみろ」


「私、別にお腹痛くないですが?」


「いいから飲め」


 そら早く!

 と急かされ、渋々ながらそれ二つの匂いを嗅いでみた。

 一方は香りはうっすらと青臭さ香り、もう一方は濃い草の匂いと異様な匂いを放っている。口にするのもためらう匂いだからかそちらは最後に回し、匂いの少ないものをペロリと舐めてみればほんの少しの苦味を感じ、ツンと液体はアルコールだったようで舌先がピリリと熱くなった。

 次に異様な匂いを放つ方を嫌々ながらもペロリとひと舐めする。

 すると先ほどとは違いどろりという感覚と雑草を口に入れたような味と匂い、強い苦味を感じ、すぐさまお茶のカップを手にとり飲み干した。

 これの違いはなんだと目を見開いてニコラをみれば、嘲笑いながらフンっと鼻を鳴らしたのだ。


「一方はサンゼキを乾燥させたものを、もう一方はそのままのものを使用して作った。効果はどちらも同じくらいか、やや生のものの方が良いとされている。だが体験してわかったように両者の飲み口は異なり、圧倒的に乾燥させたものを使う方が飲みやすくなる。薬草をとってただ煮詰めただけじゃ使える薬は作れん。それぞれに合った調合を研究し、生み出すのが薬師の仕事でもある。分かったか」


「ーーそれならそれだけを言ってくれれば良いじゃないですか」


「生意気な小娘を躾けるためだ。それに体験した方がわかりやすいだろう」


 フフンと腰に手を当てて私を見下すニコラにほんの少しの敵意を抱くも私はそれをグッと堪え、そして貴重な体験をありがとうございますと深々と頭を下げる。

 悪意に敵意で返せば痛い目を見るのは分かっている。ならば穏便に、なるべく問題を起こさずにいるのが一番良いのだ。


 ニッコリと笑みを貼り付けてニコラをみればバツの悪そうな顔を浮かべてゴホンと咳払いをし、そしてお前は初めに薬草の扱いを覚えることから始めろと分厚い本を二冊手渡したのである。


「これは私が以前使っていたものだが、もう使わんから小娘にくれてやる。きっちり頭に入れておけ」


「ーーこれは、なんとまぁ!」


 ペラペラとその本をめくって内容に目を通してみれば、それは長年にかけて培われてきた知識の塊だった。

 そのぶ厚さ的に本だと勘違いしてしまったがいたる部分に訂正や検証が書き込まれており、本というよりはノートに近い。

 どの草をどのような処理で、手順で加工すれば一番効率が良いなどなど凄まじい情報量だ。


「これを頂いてもいいんですか!?」


 流石にこれは貴重なものでは無いのかと心配そうに尋ねてみれば、プイと横を向いていいのだとニコラは答えた。


「もう私は弟子はとらん。持っていても意味のないものだ、小煩い小娘にくれてやる。まぁ、タダで貰うのが忍びないならもうちょい使える薬草を持ってこい」


 それは善意というには含みの部分が多い言葉であったが、少なからずニコラは先日の私の言葉を理解してくれていたのだろう。

 興味本位でポーションを作りたいと言った私に知識をプレゼントしてくれるなんて、なかなか良い爺いなのかも知れない。


「ニコラお師匠! 私、薬草いっぱいとってきますね!」


 それこそ図鑑にのってた希少種だろうがなんだろうが。

 私は私に甘い人間には甘いのだ。

 だって人間だもの、良い関係を作っていきたいし楽していきたい。

 たとえニコラが私を薬草自動採取機としか思ってなかろうが、この知識分はきっちりと働いてやろうではないか。


「誰が師匠だ、小娘め。今日はもうさっさと帰って薬草でも集めてこんか!」


「イエス、ボス!」


 右掌をピンの伸ばして敬礼をし、そして私はウキウキとスキップをして自宅へと帰る。

 そしてその本を、私の見知らぬ世界の知識を眺めながらポーションに使う材料を望んだのだ。


 あくる日の朝にはそれが存在していることをただ願って。


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