34 ハウシュタット


 




 潮風は頬にあたり、何処と無く肌がベタつく気がする。



 家を出てから早二週間、ようやくハウシュタットの城門が見えてきた。

 ようやくここまで来たかという達成感と、この不清潔の状態から解放されるという安堵感。この旅で一番辛かったのは食ではなくお風呂に入れないことだった。

 まだ魔法の使えるアルノーとスヴェンがいたから定期的に水浴びはできたが毎日できる状況ではなく、汗のベタつく体のまま三日に一回の水浴びだったのだ。それでも満足と言えなかったのに護衛の三人からすれば一週間入らないことはざらで、こんなに私が水浴びにこだわる事がおかしいようだった。

 しかし考えてみてほしい、汗まみれのおっさん達がどんな異臭を放つかを。


 私は耐えられず、半ば無理矢理水浴びをさせたのである。




 さて、話を戻そう。

 私の目の前に存在するハウシュタットはグルムンドと違い領主が住む土地故に街全体が城壁に囲まれており、街に入るのには門番の審査を受けなければならない。それ程大きな街だと言える。

 祖父やスヴェンの話では海に接している土地の為海産物が山のようにあり、私が求めてやまない鰹節や煮干しに似たものがあるかもしれない。


 大きな門をくぐる為に私達は門番に認識票のタグを渡し、代わりに渡された書類に滞在日数や何故ハウシュタットに訪れたかを記入する。そして許可が出たところで街の内部に足を踏み入れたのである。


 活気溢れる街の中にはスヴェンのように荷馬車を引く者や大きな武器を担いだ冒険者と思われる者、街の住人だろう商人や子供が駆けずり回っている。

 何処からか笑い声が聞こえ珍しく私の食欲をそそるような香ばしい香りもし、それ程食べ物は悲惨でないのではと思えた。

 キョロキョロと辺りを見渡せば出店と思われるものもチラホラと発見でき、グルムンドよりも栄えているのは一目瞭然だ。


「んじゃ、最初にリッターオルデンの学舎に向かうか」


 その言葉に誰よりも過敏に反応したのはアルノーで、その両目は期待よりも不安に揺れている。私はアルノーの手を握り大丈夫だと、上手くいくと何度も呟き抱きしめた。


「なんでも全力でやりなさい。もし貴族だとか大商人の息子だとかが馬鹿にしてきても無視しなさい。相手はそれしか取り柄がないのだから。アルノーの方が凄いのはきっと生活してればみんな分かってくれる。不安がることは何もない。気の合う友達を見つけて仲良くすればいいよ。みんなと仲良くなれるなんて、そんな事できる人間はいないんだからね?」


「ーーわかってる。けど、一番不安なのはご飯が不味かったらどうしようって」


「……それはまあ、仕送りしようか」


 流石私の弟という訳か。

 まず始めの心配は人間関係ではなくご飯だったとは思いもしなかった。


 ガタゴトと揺れる荷台の中私は笑い、スヴェンやカール達三人は苦笑いをしている。アルノーからすればこれから様々な人達と生活していく事より、いかに美味しいご飯を食べられるかが重要なのだ。私からしてみてもその気持ちは痛いほどわかるし、他の四人にしてみてもそうなのだろう。


 取り敢えずと私がアルノーに渡したのは塩胡椒、砂糖などの調味料とセージやタイム、ローズマリーなどのハーブ各種。アルノーは私の手伝いを良くしてくれていたから使い方もわかっているだろう。


 その他にも用意したのは保存の利くジャーキーやドライフルーツと庭産の燻製ベーコンと魚。ドライフルーツを混ぜ込んだクッキーとヌガー。やはりと言うべきか庭産のものは普通に作っても傷むのが遅く長期にわたって保存が利き、アルノーに大量に持たせても大丈夫だろうと判断した。

 けれどもあまりに色が変わっていたり、カビが生えた場合は棄てるように言い聞かせてある。この世界の時代ではちょっと傷んだ程度(むしろ腐りかけ)でも食べてしまう事が大半らしいが、わざわざ弟にそんなものを食べさせる訳がない。

 領主に奴隷をもらう時か保存食を渡す時にアルノーに仕送りする事に決めているのだ。


「嗚呼あと、これはもしもの時用に」


「……いいの?」


「当たり前でしょ!」


 領主と取引の品になっている長寿草と癒し草と魔力草の三種類の入った袋をアルノーに差し出しにっこり笑う。それぞれよく乾燥させているし勿論庭産のもので、長持ちするだろう。騎士になると決めたのなら生傷は絶えない。そんなアルノーには必需品になるはずだ。

 本来ならば私がポーションを生産して渡せればいいのだが、残念なことに制作についての知識は全くなく素材があっても作れないでいる。このもどかしさを消すためにはわたしも近い将来家を出るのが正しい選択なのかもしれない。




 ありがとうというアルノーの頭を撫でくりまわし向かうのはリッターオルデン。

 騎士の街と言われるハウシュタットに存在する騎士養成所。

 家系に騎士を持つ貴族は勿論大商人の子供が多く在籍し、アルノーのような一般的な平民出のものは殆ど居ないという噂の場所だ。

 実力主義と謳ってはいるが結局入学するのにも多額の金がかかり、平民が騎士になるのは大体冒険者上がりであり、尚且つ優秀な冒険者であった者。


 アルノーの場合は私が貯めたお金と、父、ホルガーが騎士であり、騎士だったスヴェンの強い後ろ盾があったからだ。はっきり言えばお門違いと言われても、裏口入学と言われてもしょうがないともとれる。

 しかし入学して仕舞えばこっちのもんだ。

 アルノーは強い。贔屓目でみても魔法に関しては優秀な子だ。人付き合いはどうなるか分からないが此処まで来るに当たってカール達ともなるべく対等であろうとしているし、そんなに難しくはないだろう。

 問題があるとしたら相手がアルノーに対して蔑んだり貶したりする場合があるかもしれないということだ。


「アルノー、私も頑張るからね!」


 領主に媚びを売ることを。


 此処は領主が住む土地ハウシュタット。つまりは私の取り引き先。


 うまいこと媚を売ってアルノーの後ろ盾を作る事が私の任務である。




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