第一楽章(10)

「おい、ちょっと来てくれ。カールの調子が変なんだ」


「どうしたんだ?」


 夜の部を担当する解説者のひとりが、血相を変えて事務室にやってきた。カール、つまりプラネタリウムのトラブルと聞いて、その場に残っていたスタッフはあたふたと投影室へと向かった。


「いやぁね、解説中に急にシリウスが消えちまったんだよ」


「シリウスが消えただって?」


「そうなんだ。これじゃせっかくの冬の大三角形の話もできやしない」


「シリウスは冬のメインのひとつだもんなぁ」


「プロキオンとペテルギウスは無事なのか」


「ああ、そっちのほうは、今んとこ大丈夫だけど、二つだけじゃ冬の大一直線にしかならないし……」


「おーい、カール、機嫌を直してくれよ」


 大の大人が寄り集まって機械をなだめているのだから、端から見たら滑稽だろう。


「よりによって消えたのが天狼星だってのが、ちょっと縁起が悪い気がするな」と、午後の部を主に担当している初老の男がぼそりと言った。中国ではシリウスのことを天狼星と呼び、不吉な星として恐れている。

 このとき、徹の頭にふと弟、良次のことが思い浮かんだ。いわゆる虫の知らせというやつだ。


(もしかしたら、あいつに何かあったのかも……)


 徹はホールへ飛び出すと、隅にある公衆電話からすぐに連絡を入れた。まどろっこしい呼出音に苛立ちがつのる。ややあって受話器が取り上げられた。


「はい、和泉ですが……」


 答えたのは良次だった。


「もしもし、俺、徹だ……」


「なんだ、兄貴か? どうしたんだい?」


「良次、そっちは大丈夫か? みんな元気か?」良次の声を聞いて、ひとまずはほっと胸を撫で下ろした。


「大丈夫かって? どうしたんだよ。普段、まったく電話なんかよこさない兄貴が?」言うなり、良次が咳込むのが聞こえた。


「どうしたんだ?」


「なあに、軽い風邪だよ。2、3日もすればよくなるさ。それより兄貴の方こそ何かあったんじゃないのか? もしかして、結婚相手でも見つかったとか?」


 まったく人の気も知らないで、いい気なもんだ。


「とにかく、親父もお袋も元気だから安心してくれって」


「ああ、わかった。悪かったな」


 それから良次は「明日も朝が早いから」と言って一方的に電話を切った。

 受話器を置いて窓の外を見上げると、久しぶりに澄み切った都会の冬空には、シリウスが一際不気味な光を放っていた。

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