第16話 二人が『初めて』に挑む、その前に

 翌日、ついに二人が『初めて』に挑む日が訪れた。

 どちらも準備万端か。両者とも平然とした様子で家まで向かう電車の座席に腰を下ろし、千尋は毎度のように単語帳を、侑李は珍しくブックカバーのついた本を読んでいた。


 ちなみに今後の千尋との行き帰りは、くいな橋駅から烏丸御池までは隣に立つことにし、同じ学校の生徒が多く乗り降りする烏丸御池から学校の最寄りである松ヶ崎駅までは、ボディーガードのごとく遠くから友達と合流する千尋を見守ることにした。


「そういえば茨木いばらぎの家ってどんな所なんだ?」

「ウチはワンルームのマンションですが、何か?」

「小さっ!!」


 大学の学長の娘なのに? てか家族でその生活はやばくないか??

 その驚きが、大声のツッコミとして侑李の口から漏れた。

 そんな侑李の、千尋は相変わらず目線を単語帳に向けながら言う。


「あの……、勘違いしてるみたいなんで言いますが、私、一人暮らしですよ?」

「あっ、一人暮らし、ね。でも小さいのな」

「小さい小さいってうるさいです。喧嘩売ってるんですか?」

「いや、そうじゃないんだけどさ」


 なんというか……、と言いにくそうに侑李は続ける。


「茨木の両親って、結構儲けがいいと言うかさ。それだからもう少し、茨木に贅沢させてるのかな、なんて思って」

「……確かに、昔はそうでした」


 顔を俯かせて、どこか懐かしさと寂しさの混じった微笑みを見せた。


「パパもママも、昔は厳しかったんですけど、その分甘やかされることもあったんです」

「まぁ、親って子に厳しいだけじゃないからな」


 そりゃそうだよな、と侑李は言うが、対する千尋は顔を俯かせ──


「……でも、私がダメな子だからなんですかね。甘やかされることは徐々に減って、厳しくされてばかりだったんです」


(……なるほど、それで『自分にも厳しく』あり続けるわけか)


 親から厳しくされてばかりだった故に、千尋と同じく『自分に厳しい』性格になった侑李は、千尋の境遇に共感を覚えた。

 だが千尋の話を聞くにつれて、俯いた表情が曇っていく。


「でも。それでも私はダメなままで……。結局、先輩と同じ『マスターコース』には合格出来なくて、『インテグラルコース』に進学することになった私に、もう父が呆れちゃったみたいで……」

「そんな、呆れただなんて──」

「いいんです、これで。おかげで過度な期待から解放されて気持ちは楽ですし」

「……そっか」


 平気へっちゃら、と言いたいのだろう。

 けれど千尋の見せたにへら笑いは、どこか無理をして作っているように見えた。


 もしかしたら彼女が一人暮らしを選んだことにも理由があるのだろう。何故、高校から離れた所に住んでいるかは分からないが……。

 それでも侑李はこれ以上触れることなく、手に持っていた本に目線を戻すと、千尋はあっ、っと言って表情と共に話題を変えた。


「そういえば先輩、何読んでるんですか?」

「あぁ、これ?」


 そう言って侑李はブックカバーを外す。

 本のタイトルは『これが我が教育論』。本の帯には「教師になりたいなら、これを読め!」と力強く書かれていた。

 いわゆる哲学書バイブルともいえるその書物と侑李を見て、千尋はうげぇ、とやや引き気味な表情を見せる。


「……って先輩、教師ガチ勢ですか」

「なんだよ。教師ガチ勢って」

「いえ。まぁ、先輩らしいですね。そういう真面目すぎるところ」

「……別に。この本は教師になりたくて読んでるわけじゃない」


 パタンと本を閉じて、侑李は一番星を見つめるように顔を上げた。


「この本の著者、春咲桜華はるさきおうか先生は僕の憧れの存在なんだ」

「へぇー……」

「だからこの本は、春咲先生の作品だから読んでるだけ」

「どんな先生なんですか?」

「おっ、よくぞ聞いてくれたな」


 千尋が興味ありげに首を傾げると、侑李は好きな作品を語るオタクのように声を弾ませる。


「春咲先生はな、元々は小説家だったんだ。でも先生がある日書いてみた教育論の本が大ヒット! そこから何冊か教育論の本を出版して、教師や教師を志す若者の心を動かしたんだ!! まさに、教育界のジャンヌ・ダルク!!」

「ジャンヌ? ってことは女の先生なんですか?」

「そりゃあ、名前からして女の先生だろ。それにSNSに投稿されてる写真も……ほら、女子力の塊だろ?」

「……って、パンケーキとタピオカばっかりじゃないですか……」


 今どきJKらしい投稿が度を越していて……。現役JKの千尋は呆れた様子で侑李の画面に写る写真を眺めていた。


「いやいや、それだけじゃないぞ? 他にもラーメンの写真とか──」

「それもう炎上を恐れる飯テロ作家さんのSNSじゃないですか!!」


 もういいです、と千尋は一人の飯テロ作家語りを止めそうにないオタクから目を背けて立ち上がった。


「ほら、もう行きますよ?」


 そして電車は、くいな橋駅にたどり着いた。

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