第189話 出掛ける前のひと悶着
次の日。
「ごめんね~、サッちゃ~ん。一晩泊めてもらってぇ~」
正気の戻った鞠莉さんがお礼を言ってくる。
二日酔いの様子で、夏純ネェと一緒に頭を冷やしていた。
「いいえ、いつも俺の方が迷惑掛けていますし、これくらいお安い御用です」
「えへへへ、サッちゃん、やっぱ優しいね~。どうせならウチ、サッちゃんの部屋で泊まりたかったなぁ」
ストレートに恥ずかしい事を言ってくる。
俺は「ははは、またご冗談を」と愛想笑いで誤魔化した。
あっ、そうだいい機会だから聞いてみるか。
「――マリーさん、俺が初めて家にお邪魔した時以外で、どっかで俺と会ってません?」
「どういう意味?」
「いや一年前……もっと、それ以上の中学の頃とか」
「…………内緒」
「え?」
「内緒だよ。サッちゃんが年上のマブダチの姉でもいいって言ってくれたら教えてあげる」
鞠莉さんは悪戯っ子のように舌をべーっと出す。
それからすぐ自分の家へと歩いて帰った。
なんだったんだろう、今の……とても意味深な。
あの態度、俺が中学生以前で彼女と何があったってのか?
確かに、鞠莉さんは高校まで近所でも超有名なレディースだったからな。
家も近所だし存在は知っていたと思うけど……。
「サキくん」
廊下にて。
エプロン姿の愛紗が声を掛けてくる。
「どうしたの?」
「これから火野くんと二人で、風瀬くんのお見舞いに行くの?」
「ああ、もう少しで迎いに来てくれるからね、準備しなきゃ……それで?」
「昨日、黙って聞いている範囲だと、また危ない目に遭いそうだね……」
不安げな表情で、俺を見つめてくる。
「愛紗……」
「……でも、わたしは信じているから。サキくんは何も間違ったことしてないし、これからも胸を張っていいと思う」
「ありがとう……そう言ってくれると勇気が湧いてくるよ」
やばい……あまりにも健気な態度に、思わず抱きしめたくなる。
俺はぐっと堪え、愛紗の手を両手でそっと包み込む形で握りしめた。
「サキくん……」
「大丈夫さ。今の俺には頼もしい仲間も多いしね……それに万一は今度こそ警察に頼るようにするよ」
「うん……わかった。何かあったら連絡頂戴ね」
「わかったよ……あのね、愛紗」
「ん?」
大きな瞳を開き可愛らしく首を傾げる、愛紗。
一瞬ふと思った。
――今度は俺からチューしてもいいかなっと。
勿論、ほっぺとか額とか、そんな範囲であり……。
なんて言うか……そのぅ、クリスマス・イヴのお返し的なノリで。
俺はごくりと生唾を飲む。
握り締める手に力が入ってしまう。
そして愛紗との距離を縮め、さりげなく顔を近づようとする――
が、
「サキちゃん、帰りにシャンプー買ってきて~、って何してんのぉぉぉ!?」
夏純ネェがトイレから出てきた。
二日酔いで顔が青ざめており、どうやらずっと吐いていたようだ。
しかし、俺と愛紗の姿を見た瞬間、顔中を真っ赤にして絶叫する。
「か、夏純ネェ……いや、これは……」
「サキちゃん、その感じ……愛紗ちゃんからじゃなく、明らかに自分からだよね!?」
「違う! 俺はやましい思いで手を握ってたんじゃない! 感謝の意味を込めていただけだ!」
「今、顔も近づけてたわね! 一体何しようとしてたの!?」
クソッ! こいつ観察力あるわ!
流石、才女系ニート……いや、そこ褒めるところじゃない!
一方の愛紗は何も気づかず、不思議そうに「え? え?」っと、俺達のやり取りを見比べている。
「夏純さん、どうしたんですか、そんな大声を出して――あっ!?」
まずい! リビングから麗花まで出てきた!
俺は慌てて、愛紗から手を離し距離を置く。
「どったのみんな~? 何ぃ~、この修羅場状況ぅ? サキ~、また何かしたのぅ?」
詩音まで出てきたぞ。
しかも「また」って何よ?
「どうやらルール違反……じゃなさそうね。愛紗からじゃないようだもの。まさか、サキくん……もう、愛紗に?」
「違うって! 気持ちが高鳴って感謝していただけだよ! 別に変な意味はないんだ!」
――嘘である。
変な意味はあった……。
だって、愛紗のほっぺにチューしようとしていたから。
けど言えねーっ。
この場で暴露したら、もっと状況が悪化するに決まっている。
もう「知らぬ存ぜぬ」で押し通すしかない。
「あっ! もうじきリョウが迎えに来るから、俺、準備するわー!」
俺は誤魔化しながら、半ば強引にその場から逃走した。
自分の部屋に戻り、着替えながら考える。
ふと麗花の言葉が過った。
俺がもう愛紗に決めたような言い方をしたから――。
別に愛紗だったから、特別チューしようとしたわけじゃない。
彼女の純粋な想いに感銘し、気持ち的にそう過ったからであって……。
もし麗花や詩音が同じ状況や雰囲気だったら……。
きっと同じことを考えていたと思う。
つーか、元々クリスマス・イヴのお返し的なノリだったし。
三人同時にチューされているんだから、三人にお返しするのが筋だし。
ただ俺の身体はあくまで一つなだけで……。
やっぱり優柔不断な俺がいけないのだろうか?
最近じゃ、美架那さんのことも気になっているし……ってか、その彼女がバイトに出掛けていて助かった。
美架那さんにまで見られて軽蔑された日にゃ、もう立ち直れない。
ふと、昨日のシンから受けた相談を思い出す。
あいつは俺のことを『恋愛マスター』とか『異端の勇者』として、天宮さんと来栖さんとの付き合い方について悩んでいると話していた。
似たような状況とはいえ、俺なんかを参考にしちゃいけないと思う。
俺だって、躓いて悩んでいるわけだし……。
そう考えていると、ある人物の姿を思い浮かべる。
「……ここはやっぱり本物の恋愛マスターっぽい、堅勇さんに相談してみようかな?」
丁度、これから行く家だしな。
多少、的外れでも何か得る者があるかもしれない。
そして、リョウが迎えに来てくれた。
後ろに、シンと天馬先輩と勇魁さん……何故か黒原もいるぞ。
「あれ? 他の三人はまだ良しとして、どうして黒原までいるの?」
「……浅野くんと勇磨先輩に無理矢理誘われましてね。僕だって、わざわざ悪の巣窟みたいな所に行きたくないですよ」
悪の巣窟?
まぁ、確かに堅勇さんの祖父は元裏社会と繋がりがあるって話だけど……。
「噂だろ、そんなの。本人は自分にその力はないって言ってるぞ」
「いや神西、その噂は大体合っている。あいつがその気になって祖父の名を出せば、大抵の連中は協力的になるぜ」
「しかし堅勇は、その力を悪戯に使わない。闇雲にファミリーを怯えさせることと、自ら孤立することはわかっているからね。そこは『王田 勇星』とは違うよ。だから、僕達もあいつと付き合えていたんだ」
天馬先輩と勇魁さんがぶっちゃけてくる。
正直んな情報いらねーっ。
これから伺うっていうのに行きづらいだけじゃないか。
こうして男達だけで、堅勇さんの家へと向うことになった。
てっきり勇魁さん辺りが自家用車で用意しているかと思ったけど徒歩だった。
「僕も天馬を見習ってね。出来るだけ自分の力で頑張って行こうと思っているんだ」
爽やかな笑顔を見せながら言ってくる。
別に移動時くらい楽でいーじゃんと思ったが、その気になっている本人には言えないので仕方ない。
「それじゃ、勇魁。俺の『恋愛道の師匠』に弟子入りすることを勧めるぜ。今の俺がいるのも師匠の言葉が心に刺さったからなんだぜ」
エロゲーネタらしいですけどね、その心に刺さった言葉ってやつ。
「なるほど……確かに彼は時折、格言めいた深い事を言うね。黒原くんだっけ? 僕も『恋愛道』の弟子にしてくれないか?」
マジで、勇魁さん?
そいつの『恋愛道』、厨二病とエロゲーネタが中心ですよ。
「……お好きにどうぞ(下手に拒否したら、『勇者四天王』をネーミングした件がバレて、屋上から吊るされてしまうからね……)」
黒原があっさり引き受ける中で、何やら思惑を抱いていたことは誰にも気づかれていない。
にしても『勇者四天王』のうち、二人を弟子入りさせるなんて、なんやかんやで黒原は屈強の男達に好かれる傾向があるようだ。
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