第166話 人生のターニングポイント




 ヒュン、ヒュン、ヒュン――!



 目の前で、レイピアが無数に曲線の残光を描く。


 俺にはまるっきり剣筋が見えない。


 仮に超集中状態ゾーンに入っても完全に見切れるかどうか。


 不意に突っ込んだら、簡単に目とか急所を突かれてしまいそうだ。

 きっと天馬先輩と違い、俺には一切の容赦はないだろう。


 片手で顔面を覆いながら、打たれる覚悟で突進するか?


 どの道、勝負は一瞬で終わる。


 後は俺の決意次第……だけど。


 俺は迷いつつボクシングのフットワークを活かし、左右に揺さぶりをかける。



 対峙する堅勇先輩は「ほう……」と溜息を吐いた。


「いい足さばきだ。まるで勇魁を彷彿させる……だから真っ先に仕留めるべきと判断したんだ」


「……戦ったことあるんですか、勇魁さんと?」


「あるわけないだろ、あんな危険な奴……遠くで見た事がある程度さ。まぁ、もっと危険な奴は今も身近で息を潜めているがね」


「ん? 勇岬先輩のことですか?」


「そこまで言う義務はない――行くぞ!」


 堅勇先輩が踏み込み、俺を射程内へと入れる。


 こちらは足を使って動き回っても、簡単にリズムを見切られ、レイピアの切先が確実に俺を捉えていた。


 クソッ! このままじゃ、まともに突かれてしまう! もう形振り構わず突っ込むしかない!


 とにかく堅勇先輩を俺の射程距離に入れてやる!


 互いの攻撃が繰り出されるかと思った。



 刹那。



「――あれ、サキくん。こんな道端で何しているの?」


 後方から女性の声が聞こえた。


「ミカナ!?」


 叫んだのは、堅勇先輩だ。


 俺は振り向くと、バイト終わりの私服姿でリュックサックを背負った美架那さんが立っていた。


「ミカナさん……」


「そこの黒い格好の人、誰? 堅勇? ん、どうして天馬が倒れているの!? しかも傷だらけで血まで流れているじゃない!? 堅勇、あんたね! 天馬に何したの!? おまけにサキくんにまで……そんな剣なんて持って、あんた一体どういうつもりよ!」


 美架那さんに責め立てられ、堅勇先輩は半身構えアンガルドを解き退いていく。


「クッ……クソォォォッ!」


 堅勇先輩は逃げ出した。


 決して女子の前では攻撃しないことを信条にしている男。


 あの異常とも言えるフェミニストぶりに救われたようなものか……。


 また美架那さんが俺の家で寝泊まりしてくれているのもあるな。


 俺は左手のナックルダスターをポケットにしまった。

 ピンチを切り抜けられたことと、使わなくてよかったことに安堵する。


「堅勇……」


 彼の逃げて行く後ろ姿を美架那さんは寂しそうに見つめていた。


「ミカナさん……助かりました」


「サキくん……ううん、ごめんね。またキミに迷惑掛けてしまっているようで」


「いえ、あの鳥羽先輩の気性……遅かれ早かれ、俺とぶつかってましたよ。今まで、ミカナさんがストッパーになってくれたから鳴りを潜めていただけでしょ?」


「……そうかもしれない。でも堅勇って普段は変人だけど、気持ちはいい奴の筈なのよ」


 女子にとってはそう見えるかもな。

 けどそれ以外じゃ、友達にすら滅多打ちをする異常者だ。


 あっ、友達で思い出した。


「天馬先輩……」


 俺は、まだ倒れている先輩に近寄る。


「天馬、死んじゃった?」


「気を失っているだけですよ! もう勝手に殺さないでください!」


 相変わらず天馬先輩にはぞんざいな、美架那さん。


 つーか、天馬先輩って仲間内じゃそういうポジだったようだ。

 これまでも周囲からいいように利用されていたわけだし、実は三年生の中で一番の被害者じゃないのか、この先輩……。




 それから間もなく天馬先輩は意識を取り戻す。


 救急車を呼んで病院に行くことを促すも、本人は「大事にするなよ!」と激しく拒んできた。


 丁度、近所に住む親友のリョウがロードワークで通り掛かり事情を説明する。


「――案の定ってやつだな。ある意味じゃ神楽先輩が標的でなくて良かったかもな。勇磨先輩、とりあえず俺の家すぐそこですから、その傷を見ますか? 救急箱くらいあるっすよ」


 リョウの誘いに、天馬先輩は快諾する。

 家が格闘一家だから応急処置くらいならお手の物だ。


 俺と美架那先輩も心配なので、一緒にリョウの家に行くことにした。


 天馬先輩の傷は見た目ほどの外傷はなく、腫れも冷やすことで軽減する。


「額の傷も絆創膏程度で問題ないっすね。ただ打撲もあるし、頭部ですから心配なら明日にでも病院に行った方がいいっすよ」


「問題はねぇ、こう見ても打たれ強い方なんだ。それに家にバレると面倒くせぇ……この顔の傷じゃ家には帰れねーっ」


 言いながら、俺の方をチラ見する天馬先輩。

 なんか「泊めてくれ」と言いたそうだ。


 別に俺は構わないが、流石にもう定員オーバーなんですけど。


「サキん家はもう無理だろ? 勇磨先輩、俺ん家で良ければ一晩いいっすよ」


 リョウは気を利かせて提案してくれる。


「……そうか、火野すまない」


 天馬先輩は有難く受け入れるも、少し残念そうに見えた。


「サキは大丈夫か? 左頬の蚯蚓腫れ……」


「ああ、リョウ、俺は問題ない。冷やせば腫れは引くよ」


「フェンシングか……今まで防具を着た健全なスポーツって印象しかなかったからな……こうして二人のダメージを見ると想像以上にやばいな。おまけに武器も実戦用に改造されてんだろ?」


「弾力性のある鉄で高速に殴ったり突いてくるモノかな……おまけに正確に急所を狙ってくるんだ」


「う~ん。話を聞く限り、またサキに闇討ちを仕掛けかねない……なんらかの対応策を考えた方がいいな」


「ナックルダスターで威嚇したけど、鳥羽先輩はまるで動じなかった。俺の迷いを見透かされているようだった」


「それはしばらく常備していた方がいい。下手な武器より、それが一番サキにしっくりくると思うぜ。問題は使い方だ」


 使い方か……。


 直接、人には使いたくない。

 今もそう思えてしまう。


「サキくん、本当にごめんなさい……火野くんも巻き込んでしまって」


 美架那さんが申し訳なさそうに謝ってくる。


「いえ、しっかりと天馬先輩が守ってくれたおかげで、俺もこうして無事にいられましたから……それに、鳥羽先輩とはいずれ何らかの形でぶつかっていたかもしれません」


 特に愛紗達が絡みかな。

 フェミニストだが手癖も悪いと聞く。

 ただ美架那さんへの想いだけは本気だと理解した。


「俺も別に構わないっすよ。マブダチが『幸福な王子』だから、俺も心配でプロテスト来年まで見送ることにしたっすから」


 幸福な王子って……リョウの奴、詩音の受け売りで言ってやがるな。


 ん? プロテストを見送るだと?


「リョウ、お前今年はプロボクサーのテスト受けないのか!?」


「ああ、卒業する前に受けることにした。親父にも理解を得られている……一応、大学くらいは行きたいからな」


「……なんかごめん。すっかり気を遣わせてしまって」


「別に構わねーよ。お袋は俺が大学に行くことに賛成してくれてるし、千夏も喜んでくれてる」


「千夏さんも?」


「ああ、ここだけの話……それだけ高校にいる間、二人でいられる時間も増えるからな」


 なるほど、それが主な理由のようだ。

 最近、千夏さんとはますます上手くいっているからな。

 俺のことはついでってことなんだろう。


「ならいいや……どの道、リョウにはいつも感謝しかないけどな」


「構わねーって言ってんだろ。それに上手く行けば、サキと一緒にプロテスト受けれるかもしれねぇだろ? 親父からも口説いてくれって頼まれてんだ」


「え? 俺がプロボクサー?」


「まぁな。幸い俺とは明らかにウェイトが違うから戦うことねーし。別階級で一緒に頑張れればなって思ってよぉ」


 以前からリョウの親父さんに何度か誘われていたんだ。

 はっきり言って興味がなかったから断っていたけど。


 けど特に決まった目標もないし、リョウと一緒なら……。


 でも――


「……今は考える余裕ないかな。少なくとも、この件が落ち着くまで保留でいい?」


「勿論だ。答えなんて、そう急ぐことはねーよ。愛紗ちゃん達のことも含めてじっくり考えてくれ」


 また余計なプレッシャーを掛けてくる親友。


 色々課題が増えてきた。


 愛紗、麗花、詩音のこと……それに将来に向けて。

 俺にとって、これからが人生のターニングポイントなのかもしれない。



 しかし今はそれより、やるべきことがある。


 ――あの鳥羽 堅勇先輩をどうするかだ。






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