第6話


 青ざめながら、俺は階段を駆け上り、勢いよくドアを開けた。


「コラ!」


 カラスを威嚇しながら部屋の中に入ったが、予想に反して、部屋は静まりかえっていた。


 整然と整えられた部屋。乱れた箇所は見当たらない。窓を見るが、網戸になっているため、カラスは侵入できないだろう。


「なにがあった?」


 一見すると、何の違和感もない俺の部屋。だが、そこにはあるべき物が無かった。


 俺はベッドを見る。


「マジかよ……」


 タマゴが消えていた。


 タマゴを包むように丸められたバスタオルから、タマゴが忽然と姿を消していた。


 割れて中の生き物が出たのではない。


 タマゴ自体が消えていたのだ。


 ゴトンッ ゴトンッ ゴトンッ……


 何かが、階段を転がる音が聞こえた。


 ゾッとした俺は、すぐに廊下を見る。


 ゴトンッ ゴトンッ…… コロコロ……


 何かが階段を降りて、廊下を転がっている。


「嘘だろう……」


 全身が粟立っていた。


 俺は舌打ちをした。


 もう疑う余地はない。


 この物音の正体は、タマゴだ。


 信じられないが、信じるしかないだろう。


「タマゴが、動いてるのかよ」


 流石、神様のタマゴ。こちらの常識では考えられないことをする。


「もしかして、生まれるのか?」


 いったい、タマゴから何が生まれるというのだ。俺は好奇心半分、恐怖半分で階段を駆け下りた。


 逸る気持ちを抑え、耳を澄ませる。


 リビングから、笑い声が聞こえる。ワイドショーのコメンテーターが笑いを取ったのだろうか。


 テレビは消したはずだ。


 誰がテレビをつけたのだ?


 唾を飲み込む。


 いつの間にか、喉がカラカラに渇いていた。


 暑さは感じていないのに、全身から汗が噴き出している。温かい汗ではない、冷たい汗だ。


「…………」


 声を掛けるべきなのか、掛けない方が良いのか、俺は迷った。


 タマゴから生まれるのが、どんな『生き物』か想像がつかない。もし、本当にホラー映画のようにクリーチャーが誕生し、襲いかかってきたらどうしよう。


 生憎、俺は平凡だ。


 格闘技はもちろん、殴り合いの喧嘩だってしたことがない。


 拳の握り方だって、よく分からない。


 いざ、飛びかかられたら、俺は何も出来ずに殺されるかも知れない。いや、殺される。俺の戦闘力は0に等しい。


「玉依姫命、本当に、アイツが神様だって保証はないんだもんな」


 よくよく考えてみれば、全て玉依の言葉が正しいという前提だ。


 もし、玉依が神ではなく、悪魔だとしたら。


 全てが嘘で、悪魔のような子供が生まれてきたとしたら。


 俺はどうしたら良いのだろう。


「どうする?」


 俺は自分に質問した。当然、答えなど返ってこない。


 いや、違う。答えは分かっている。これは、俺が始めた事だ。どんな事であろうと、最後まで責任を持つべきだ。どんな結果になろうとも。


 ゆっくりと、呼吸を殺し、俺はリビングに近づく。


 リビングの扉が、わずかに開いている。


 テレビから流れる場違いな笑いが、隙間から漏れてくる。


「行くぞ……行くぞ……」


 怖い。


 お化け屋敷の比ではない恐怖だ。


 恐怖で足が竦み、動けなくなりそうだ。


 本当に怖いとき、人間って動けなくなるんだな。


 蛇に睨まれた蛙がそうであるように、生物は極限の恐怖を感じると、体を硬くして亀のように固まるしかないのかも知れない。


 手足の感覚がない。


 まるで、他人の足を操作するように、俺はリビングへ近づく。


 ゆっくりと、手を伸ばしてドアを押し開ける。

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