第5話



 翌朝、階下の物音で目が覚めた。


 穏やかな目覚めだった。


 カーテンを透過して差し込む日差しは強く、まだ朝だというのに外には夏の熱気が充満しつつあった。


 俺は時計を見てベッドから降りる。


 枕元にあるタマゴは、寝る前と何一つ変わらず安置されている。


「まあ、当然か」


 やはり、タマゴは明滅を繰り返している。俺はタマゴを手に取ると、耳に当てた。


 もしかすると、中から物音が聞こえるかも知れない。


「…………」


 何も聞こえない。しかし、手と頬に伝わってくるタマゴの温度は温かく、この子がしっかりと息づいている事を俺に知らせてくれた。


「もう少し、時間が掛かるか」


 鶏だって、孵化するのに二週間掛かるのだ。


 いかに神様といえど、まだ数日はかかるだろう。


 強引にタマゴを押しつけられてしまったが、こうして身近にいると親近感を覚える。


「結局、俺は流されっぱなしか」


 分かってはいたが、俺はお人好しと言うことだろう。


 誰かに頼まれると、どうしても嫌とは言えない。心の中では嫌だと思っているのだが、困っている相手のことを考えてしまうと、口から拒否の言葉を吐き出せない。


 幾度も俺は損な役回りをしてきたが、これが極めつけだろう。雑用を押しつけられた事はあっても、タマゴを押しつけられたことはなかった。


「ニーニ! 起きてよ! お弁当!」


 階下から、麒麟の声が聞こえてきた。


「ああ!」


 麒麟は朝練があるため、朝が早い。


 妹のお弁当を作ることから、俺の一日は始まる。


 昨晩の残ったカレーを朝食として食べ終えた麒麟は、歯を磨きながら髪を梳かしている。


 俺は目玉焼きとウインナーを同時にフライパンで焼きながら、キャベツをきざむ。


「バランスよくね!」


「分かってるよ」


 答えながら、手早くお弁当に詰めていく。


 動いても崩れないように、少しきつめに詰めるのがコツだ。


 可愛いバンダナにお弁当を包んだ俺は、鞄の横に置いた。


「じゃあ、行ってくるね!」


「ああ、行ってらっしゃい」


 麒麟は自転車に跨がると、結構なスピードで水田を通る道を走っていった。


「さて、俺も仕事に取りかかるか」


 麒麟を見送った俺は、本格的に暑くなる前に、掃除と洗濯を済ませる。


 それから、クーラーをつけて少し遅めの朝食を取る。


 日が高いうちに買い物などの用事を全て済ませ、三時頃から少しの午睡。


 麒麟が帰ってくる前に起きて、夕食の準備と風呂を落としておく。


 これが、一日のルーティーンだ。


 何一つ変わらない、記憶にすら残らない平凡な毎日。


 そんな、いつもの日常が一週間ほど続いたある日。


 掃除洗濯を済ませ、ワイドショーを見ながら朝食を食べていると、ゴトンッと、二階から物音が聞こえてきた。


 音の様子から想像するに、重い何かが床に落ちた音だ。花瓶や辞典、そういったものが絨毯の上に落ちた音に似ていた。


 テレビを消し、俺は耳を澄ませる。


 ゴンッ ゴンッ


 やはり、二階から音がする。


「俺の部屋か?」


 この上にあるのは自分の部屋だった。


 この音の発生源に心当たりはない。いや、ある。


 タマゴか?


 俺は急いで二階へ向かう。


 窓が開けっぱなしだったため、もしかするとカラスが部屋に入ってきて、タマゴを食べようとしているのかも知れない。


「ヤバイ」


 以前、玉依に殴られた頭が、ズキズキと痛み出した。


 もし、タマゴをカラスに盗まれたら、あの時の数倍の力で殴られるかも知れない。象やゴリラを一撃というのは大げさだとしても、人間一人を殺すくらい容易いだろう。

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