第3話

「ニーニ! ねえ? 寝てるの?」


 けたたましい足音と共に、麒麟の怒鳴り声が聞こえてくる。


「なんだ!?」


 俺は麒麟の声に負けじと、声を張り上げる。


「もう! 寝ていたでしょう? ニーニ、ご飯は?」


 部屋の中は暗かった。少し寝るつもりが、思いのほか長く寝てしまった。


「すぐに作るよ! カレーで良いだろう?」


「またカレー? うち、カレー率高くない?」


「仕方ないだろう!」


 薄闇の中、タマゴがボンヤリと光り輝いていた。


「ホント、何が生まれるんだか」


 まさか、エイリアンのような化け物が生まれることはないだろう。仮にも、母親は玉依だ。あの美しい女神から、醜悪な化け物が生まれるとは思えない。


 しかし、タマゴから普通の人間が生まれるはずもない。


 一体、ここから何が出てくるのだろうか。


 俺は改めてこのタマゴが恐ろしいと感じたが、それ以上に、今は麒麟の機嫌を取るのが優先される。


「ニーニ! 早く来てよ!」


「分かったよ!」


 怒鳴りながら、俺は部屋を出る。


 俺と麒麟の部屋は二階にあり、一階にはリビングとダイニング、別の部屋には祖父母が使っていた和室が二間ある。


 薄暗い廊下を歩き、俺はリビングのガラス戸を開ける。


 大きな座卓の前には、麒麟と咲の姿があった。


「あっ、お兄さん、お邪魔してます」


 咲は俺の姿を見ると、姿勢を正してぺこりと頭を下げる。


「あっ、いらっしゃい」


 不意な来客に驚き、俺は麒麟を見る。来るなら来ると、事前に連絡をくれたらちゃんと準備が出来たのに。


 俺の視線から、考えていることを読み取ったのだろう。


 麒麟はムッとしながら、「何度も連絡入れたんだけどね」と、突っ慳貪に言い放った。


「咲ちゃんがね、ニーニの手料理が食べたいんだって」


「ちょっと、麒麟。そんな事いってないでしょう!」


 小さな声で言いながら、咲は麒麟の肩を叩く。


「ごめんね、すぐに準備するから、食べていきなよ」


 モジモジしながら、「はい」と咲は恥ずかしそうに俯く。


 ボーイッシュで痩せている麒麟と違い、咲は出るところは出ている女性らしい体つきをしていた。


 軽くウェーブの掛かった柔らかそうな髪に、桃のように瑞々しく弾力のある白い肌。まだ、高校生で未成熟だが、あと数年もすれば、きっと誰もが振り返る美人になるだろう。


 咲ちゃんの爪の垢でも、麒麟に飲ませたいくらいだ。


 使い慣れたキッチンに立ち、手早く調理を始める。


 ジャガイモとにんじんを切り、肉を炒めてそこに野菜を入れる。


 野菜に火が通ったら、水を入れて煮込む。


 灰汁を丁寧に取っていると、大人しくテレビを見ていた麒麟が声を掛けてきた。


「ねーねー、ニーニ。この間、咲ちゃんは告白されたんだよ」


「ちょっと……! 麒麟……!」


「へぇ、凄いじゃないか。付き合ったの?」


 麒麟とは違い、咲はお淑やかで優しい。もし、俺が彼女にするなら、麒麟みたいなタイプよりも、咲のようなタイプを選ぶ。


「いえ、断っちゃいました」


「あらら、そりゃ、男の子はお気の毒に……」


 気持ちは、痛いほど分かる。


 秋奈に振られた俺は、あれから一ヶ月近く経つが、未だに失恋のショックから立ち直れない。時折、忘れた頃にフラれた夜の夢を繰り返し見て、傷がまた開く。


 こうしている間にも、秋奈は彼氏と宜しくやっているのかと思うと、胸が締め付けられるように苦しくなる。


「お兄さんは……彼女さんとか、いないんですか?」


「え? 俺は」


「ニーニは、秋奈ちゃんにフラれたばっかり」


「え? 秋奈さんに?」


「麒麟!」


 何故か、麒麟は秋奈に振られたことを知っていた。


 狭い町であるため、皆家族のように仲が良い。だからといって、秋奈が麒麟に言うとも思えない。


「なんでお前が知ってるんだよ」


「ん~、図星だった? だって、ニーニ分かりやすいんだもん。あの日以来、秋奈さんの話題は絶対に出さないし」


「俺、そんなに秋奈の話をしていた?」


「うん。ウザいくらいに」


 我が妹の洞察力云々よりも、俺の態度がもろに出ていたようだ。


 タマゴの事もあるし、あまり変な話はしない方が良いだろう。


「じゃあ、お兄さんは傷心中なんですか?」


「ま、まあね……。もう慣れたけどさ」


「あっ、咲ちゃん笑ってる。面白いよね、ニーニの困ってる顔ってさ」


「ちょっと、麒麟! 面白いとか、そんなのじゃないってば!」


 二人のやり取りを聞きながら、俺は料理に集中する。


 こうして何かに集中していると、嫌な事も忘れられる。

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