第2話
俺は構わないが、まだ小さい麒麟には両親が必要だったと思う。
祖父母が一緒に暮らしていたとしても、やはり祖父母と両親とでは、生活面での必要性は同じでも、心の拠り所としては不十分だった。
「ニーニ、私の事は心配しないで! 大丈夫だから!」
昼間は気丈に振る舞う麒麟だったが、夜中、隣の部屋で泣きじゃくる麒麟の声を聞くのは辛かった。
なんとかして、俺が父親、母親代わりにならなければ。中学高校と、俺は麒麟の両親になろうとした。もちろん、殆どが空振りに終わってしまったが。
「まさか、本当に父親になるなんてな……」
傍らにあるタマゴを見つめる。
父親、というよりも、ただ押しつけられた。あのティッシュだって、本当に俺のかどうかなんて分からない。そもそも、あんなので受精をするわけがない。
何もかもが非常識で、現実離れしていた。
俺は溜息をついて目を閉じる。
疲れた。
時刻は午後四時。初夏の日差しはまだ高い。
麒麟が戻ってくるまで、まだ少し時間があるだろう。
俺は枕元にあるタマゴを見て、さらにその向こうに見える窓の外を見る。
長閑な田園風景が広がっている。
水田の向こうには、咲が住む平屋の大きな家が見える。
「…………」
ゆっくりと息を吐き出し、目を閉じる。
田植えを終えた水田の上を、風が滑る。冷たくなった風が、窓から吹き込んでくる。
涼しい風に身を任せながら、俺は短い眠りについた。
ゴメン……
少し寂しそうな顔をしながら、立(たち)木(き)秋奈(あきな)は目を伏せた。
「あっ……」
俺は何も言えなかった。
「本当に、ゴメンね。私、この間サークルの先輩に告白されて、付き合っているんだ」
「あっ、そうなんだ……。いや、別に、その……」
ああ、これは夢だ。あの時の夢だ。
今年の春。俺は幼馴染みの女の子に振られた。
彼女は立木秋奈。
今は都内の大学二年生で、春休みを利用して戻ってきていた。同級生達と酒を飲み、その帰りに俺は告白をした。
結果は、ご覧の通り。
余程ショックだったらしい。俺は、フラれてからなんども同じ夢を見た。最悪な事に、結果はいつも同じ。せめて夢の中だけでも成功してくれたら良いのに。
「タイミング、悪いね、白鳳は」
「……ゴメン」
なんで俺が謝っているんだ? 気まずい結果になってしまったが、悪い事はしていない。謝る必要はないのだが、ついつい謝ってしまう。
「私達、成長したと思わない?」
「お前はな。俺は、これだし」
「あはは、白鳳、卑屈ね」
話を変えるように、秋奈は月明かりに照らされる町を見下ろした。
「都内に比べると、暗くて寂しいだろう」
俺は平静を装う。
心の中は嵐が吹き荒れていた。今にもこの場から逃げ去りたいが、ここに留まることは、男としての意地。せめて、秋奈には我慢強いところを見せたかった。
秋奈は、東京に行って少し垢抜けた。
昔は美しく黒かった髪が、今は茶色になっている。首元にはネックレスに、腕にはブレスレット。男の趣味なのだろうか、ピアスまで開けている。
随分、差が付いたな。
秋奈は東京での一人暮らしを満喫している。学業に励み、サークルを楽しみ、彼氏まで出来た。もちろん、もう男も知っているのだろう。
大人の女の余裕が、彼女からは感じられた。
惨めだな。
俺は、此処で何をしているのだろうか。受験に失敗し、就職先も未だ見つけられない。さっきの飲み会も、皆は学校の話や会社の愚痴を言っていたが、俺はそのどれにも混ざれなかった。
場違いな感じがした。
「でも、星は綺麗だよ。向こうは、空を見上げても何も見えないもの」
「そっか……」
「おじいちゃんと、おばあちゃん、立て続けに大変だったね」
「あの時は、ありがとうな。助かったよ」
秋奈は、真っ先に葬儀に駆けつけてくれた。
俺と一緒に、涙を流してくれた。
そこから、俺は秋奈のことを意識してしまった。
元々、彼女の事を好きだった。だけど、自分の気持ちに気が付かなかった。久しぶりに見た秋奈は、とても大人びていて、女性らしかった。
惨めな勘違いだな。秋奈は、俺を幼馴染みとしかみていない。涙を流したのだって、俺の祖父母と親しかったからだ。
そもそも、俺に女性を引きつける魅力なんて、皆無だ。彼女の優しさを勘違いした俺が悪い。
「良い町よ、ここは。私は大好き。私の全部が此処にあるんだから」
「…………そうか」
俺は嫌いだった。
この町には何もない。
祖父母がいたが、二人が亡くなった瞬間、この町が嫌いになった。
「…………帰ろっか?」
「先に行って。少し、頭を冷やすわ」
「ん……、お休み」
「おやすみ」
秋奈は振り返ることなく、帰って行く。俺は、鳥居を見上げた。
短い参道の奥には、小さな社がある。名前は知らないが、綺麗に整えられている神社だ。小さいが社務所もあり、昼間は神主と年老いた巫女のお婆さんが常駐している。
おみくじでも引こうか。そう思ったが、止めた。これで『大吉』が出た日には、最悪だ。
俺は社の階段に腰を下ろすと、町を見た。街灯すらない町。ポツポツと光っているのは、民家から漏れる灯りだ。
「なにやってんだ、俺は……」
もはや口癖になりつつある呟きだ。
この現状を打破したい。だが、その方法が分からない。
「どうすれば良いんだ?」
空に浮かぶ月は、まるで大きなタマゴのようだった。
あのタマゴが、俺の何かを変えてくれるだろうか。
そう思ったとき、遠くから声が聞こえてきた。
「ニーニ! ニーニってば!」
ああ、麒麟が帰ってきたのか。起きなきゃな。
俺は深い溜息をつくと、目を覚ました。
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