一章 タマゴを孵化させろ!

第1話

 玉依姫命が言ったように、進学も就職も失敗し、現在ニートをしている。


 以前まではコンビニでバイトをしていたが、店長といざこざを起こし、クビになってしまった。首になった子細は伏せるが、後悔はしていない。妹に話した所、「クビか、まあ、それがニーニの良いところかな。でも、それじゃ世の中上手く渡っていけないよ?」と、諭されてしまった。


 今年、俺は二十歳になった。祖父が死に、両親は海外へ赴任している。これまで、両親の変わりをしてくれていた祖父母が立て続けになくなった。


 一浪してでも大学進学を考えていた俺は、祖父母の死で進学を諦めた。まだ高校生の妹を、一人には出来ない。俺は就職しようと思ったが、それも失敗。あえなくニートになってしまった。


 祖父母の遺産と、両親からの仕送りがあるから生活には困らないが、いつまでもニートをしているわけにもいかない。


 バイトを探しつつ、家事をして毎日を過ごしていた。


 祖父が死んで半年。今日は月命日で、お昼を食べながらお墓参りをした帰りだった。


 お寺に行き、昼食を食べ、近所の神社でおみくじを引いた。そして、帰り道にふと、昔遊んだ池に行ってみたくなった。


「私は行かない。これから、咲ちゃんと遊ぶ約束あるし」


 褐色の肌をした、ボーイッシュな少女。天城麒(き)麟(りん)。現在、高校二年生で、俺の妹だ。勉強はイマイチだが、運動神経は抜群で、現在はバスケットボール部に所属している。


 麒麟は男子生徒に人気があると言い張っているが、兄の目からすると、がさつで女っ気のかけらもない妹が人気だとは信じられない。


「咲ちゃんは元気か?」


「元気だけど、ニーニには関係ないでしょう? まさか、咲ちゃんを狙っているとか? 馬鹿なこと言わないでよ?」


「んな訳あるか。お前と同じで、妹みたいなものだよ」


「ふーん、なら良いんだけど」


 清(すず)白(しろ)咲(さき)。妹と同級生で幼馴染みの女の子だ。隣の家に住んでいるが、隣と言っても、田んぼ二(に)反(たん)向こうにあるので、それなりに離れてはいる。


 昔は俺と麒麟、咲の三人でよく遊んだものだが、今はたまに顔を合わせて挨拶をするだけだ。妹と違って、お淑やかで優しい良い子だ。


「じゃ、ニーニ、夜ご飯までには戻るから!」


 そう言うと、麒麟は猛ダッシュで駆けていった。


 俺は麒麟の姿が見えなくなるまで見送ると、神社の裏手から森へ通じる道を進んだ。


 都心まで電車で五〇分ほど。


 遠くもなければ、近いとも言えない距離。


 山に囲まれたこの場所は、これと言った産業はない。米農家が多く、若い人達は、東京に引っ越すか、ここから通っていた。ベッドタウンと呼ぶには少し離れているが、通えない距離ではないので、毎日始発から電車に乗る人が多い。


 そういうわけで、この土地、『筥宮(はこみや)町』は田舎であっても、それほど過疎が進んでおらず、まだまだ若い人がいた。


 森から湧き出る水は透明度が高く、百名水の一つにも数えられている程だ。


 深い森の中には無数の池が点在しており、最終的には、一本の川になって水田地帯を縦断する『珠ノ川』になっている。


 昔は、良く川で遊んだっけな。


 俺は溜息をつきながら、眼下に見える珠ノ川を見た。


 初夏の日差しを受けて、文字通り珠ノ川は宝石のような輝きを放っている。


 直射日光を受けると暑いが、森の中はひんやりとしていた。


 少し先に進むと、開けた場所があり、綺麗な池があった。


 そこで、俺は玉依姫命に出会った。




 と、回想が長くなったけれども、そんなこんなで、俺は家に帰ってきた。タマゴというおまけ付きで。


 妹は、まだ咲ちゃんと遊んでいるのだろう、帰ってきていない。好都合だ。


 さて、これからどうすれば良いのか。


 俺はベッドの上にタマゴを置く。


 大きなタマゴは、今も呼吸するように緩やかな明滅を繰り返している。


「玉依は何も言ってなかったな。これ、人肌で暖めるのか? それとも、布団にでもくるんでおけば良いのか?」


 夏だから、そこらに置いておけば勝手に羽化するのだろうか。


 田舎だからといって、鶏を飼ってるわけでもないし、タマゴから生き物を孵した事などない。


 俺はスマホを取り出すと、さっそく羽化の方法をググる。相手は神様のタマゴだが、鶏とさほど変わらないだろう。たぶん。


「えっと」


 俺は画面をスクロールする。


 俺は鶏の卵の孵卵の仕組みを頭に叩き込む。


 孵卵の温度は、37°前後。人肌でも問題はないようだ。孵化までの期間は、およそ二週間。温度が下がると、卵は休眠するらしい。


「じゃあ、どうするかだ」


 雌鶏のように、ずっと抱いて暖めるわけにもいかない。幸い、今は夏だし、少し暖めるだけで条件は満たせるはずだ。


 俺は、枕元にバスタオルを蛇が蜷局(とぐろ)を撒くように置くと、その中央にタマゴを置いた。これならば、タマゴも動かないし安全だろう。いくら勝手に押しつけられた物だとしても、落ちて割れてしまったら夢見が悪い。


 それに、もし割れてしまったら、俺の命がどうなるか。


 仮にも相手は神様だ。どんな理由であっても、怒らせるのはまずいだろう。


 ふうっと溜息をつき、俺はベッドに横になる。


 疲れた。


 予想外どころの話ではない。人生始まって以来、正直、祖父母が死んだときよりも衝撃を受けたかも知れない。


 この世に、本当に神様がいるとは思っていなかった。


 冠婚葬祭、年末年始。俺は神社仏閣へ足を運び、賽銭を投げ入れ手を合わせる。


 しかし、だからといって神様を本当に信じている人が、この世界に何人いるのだろうか。キリスト圏の諸外国ならば、本気で信じている人もいるだろう。だが、今の日本人の何割が、神様を信じているのだろうか。


 俺だって、都合の良いとき、あ、違う、悪いときじゃないと神頼みしないしな。それに、神様の名前だって、ろくに知らないし。


 そもそも、あの神社の名前だって知らない。


 小さい頃、両親がいなくて寂しがっている妹のため、俺は毎日のようにあの神社でお祈りをした。


 一日も早く、両親が帰ってきますように。


 当然、願いは聞き入られなかった。


 父と母や海外に行ったまま、時折電話や手紙でこちらの様子を聞いてくるだけだ。

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