第4話


 天照大神という名前が出てきたが、ここはとりあえずスルーしよう。いちいち玉依に突っ込んでいたら、話が全く進まない。


「それを、どうするんだよ!」


「こういう事もあろうかと、精液の代わりになる物を用意してきました」


「あるなら、最初から出せよ!」


 俺の言葉に、玉依は初めて困ったように眉根を寄せた。


「ん~、できれば、これは使いたくなかったんですよね。やっぱり、フレッシュな精子の方が良さそうですし」


 仕方なさそうに取り出したのは、一枚の紙のようなものだった。


「それは?」


 一見するとゴミのよう。例えるなら、ティッシュペーパーを丸めたような物だ。それが、淡く輝く風船のような物の中に納められている。


 玉依は、汚い物を摘まみ上げるように、それを指先で持っていた。


「これには、精子が入っています」


「それに? 誰の精子だ?」


 不思議なアイテムだった。もしかすると、神が作った特別な神器か何かなのだろうか。


「誰のって、もちろん、白鳳君の精子ですよ。そしてこれは昨日、白鳳君が使用したティッシュです。ゴミ箱の中から拝借してきました。周りに光っているのは結界で、この中の時間は止まってます。だから、精子も生きています」


「オオオオオオオイイイイイイ!」


 今日一番の絶叫だ。


 思わず、手にしたタマゴを玉依に投げつけそうになる。


「お前! いつの間に! 窃盗だぞ!」


「私は女神ですよ? この私に、日本国憲法は通じません!」


「人の使用済みティッシュを片手に、力説してんじゃねーよ!」


「まあまあ、良いじゃないですか。私によって、行き場もなく捨てられる数億の精子が救われるのですから」


「お前、嫌な事を言うな……」


 呻く俺を無視し、玉依は精子をタマゴに落とした。


「えい! えい!」


 玉依は、近くに落ちていた枝を拾い上げると、タマゴに被さっているティッシュをツンツンと押しつけた。


「こんなことをして、意味があるのか? もっと前に、タマゴが作られる前に精子を入れないとダメなんじゃないのか?」


「え? 私が白鳳君とセックスをするんですか? 童貞のくせに、女神を捕まえて生意気なことを言いますね」


「なんですぐに下ネタに持って行くんだよ。普通、タマゴってそう言うもんだろう?」


「魚類は違いますよ?」


「お前は魚か」


「まあ、ほら。そこは私の神通力で、ちょちょいと」


 玉依が言い終わらないうちに、変化が起きた。


 白いタマゴが、淡い光を放ち始めた。


「あっ、成功。着床したみたいですよ?」


 ニコリと、嬉しそうに玉依は微笑む。


「これを着床というのか? 大概だな、お前も」


「そうですね、体外受精ですよね」


「ワザと言ってるだろう?」


 玉依は、誤魔化すように肩をすくめる。


「やりますね、白鳳君。童貞なのに子供を作るなんて。まるで、処女で受胎したマリアちゃんみたい」


「マリアちゃんって、友人みたいにいうのな。玉依、お前、色々と失礼すぎだろう」


「友人ですから♪ 私達、女神の間では、いつもそのマリアちゃんの鉄板ネタで盛り上がってますよ? あ、でも、ヘスティアちゃんがいると、少し気まずいけどね」


 小さく舌を出す玉依は、やはり神様というよりもそこらの女学生のようだ。


 俺は溜息をつきながら、淡い輝きを放つタマゴを見た。


 呼吸をするかのように、タマゴはゆっくりと明滅を繰り返している。果たして、これをどうするというのだ。本当に、これを俺に預けるのだろうか。


「で、これをどうするんだ? 俺に預けられても、タマゴなんて温められないぞ」


 顔を上げた俺は、絶句した。


「……玉依?」


 目の前から、玉依が消えていた。


 何処を見ても、玉依の姿は見られない。


 立ち上がって玉依の名を叫ぶが、返答はない。


 サラサラと水の流れる音が響いている。


 いつも見る、池の景色。そこには、人の姿も、女神の姿もない。


「おい! 玉依! これをどうするんだよ!」



 私達の子供、宜しくお願いしますよ



 風に乗り、玉依の声が遠くから聞こえ来た。


「無理だよ! 無理だって! なんとかしてくれよ! なあ!」


 玉依の返事はない。


 俺は何度も叫ぶが、やはり玉依の声は聞こえなかった。


「どうするんだよ……」


 手にしたタマゴを見つめながら、俺は呆然と呟いた。


 これが、俺と玉依姫命の出会い。そして、これから生まれてくる子供との出会いだった。

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