第2話

 生唾を飲み込む。


 頭上では、玉依の呻き声が聞こえる。苦しいのだろう、徐々に声のボリュームは上がり、呻き声がいつしか叫び声に変わっている。


「じゃ、じゃあ、失礼して」


 一度、手を合わせた俺は、スカートの裾を持つ。


「では! いただきます!」


 バッとスカートを捲り、頭を潜り込ませる。


「おお……!」


 俺は思わず声を上げた。そこは、まだ見ぬ秘境であり、神秘の世界だった。


 薄い布を透過して降り注ぐ柔らかな光。


 薄明かりの中で浮かび上がる白い足、更に視線を上げると、そこにはレースをあしらった白いパンティが見えた。


 本や動画でしか見たことのない光景が、そこには広がっていた。


「あれが」


 俺は、思わず鼻で深呼吸をした。


 どうして、スカートの中という狭い空間で深呼吸をしたのか。それは、恐らく俺が男だからだろう。逼(ひつ)迫(ぱく)した状況にあるというのは理解できる。しかし、それでも、俺はこの空間の空気を、光景を香りを脳裏に焼き付けたかった。


 ゴッ……!


 鈍い音と同時に、視界が揺れた。直後に、頭頂部から激しい痛みが走り抜ける。


「イッッッッッ!」


 言葉が出ない痛さ。


 例えるなら、鉄の塊が落下してきたような痛みに、俺は悶えた。


 チカチカと、目の前に星が飛び、昼に食べたラーメンが喉元まで込み上げてくる。


「白鳳君! 何してるんですか! 女神のスカートの中に頭を突っ込むなんて! これだから童貞は!」


 童貞は関係ないだろう。


 思いながらも、反論する余裕がなかった。


 状況からして、玉依に殴られたのだろう。しかし、一体何で殴られたのだ。


 スカートから転がり出た俺は、頭を押さえて玉依を見上げる。


 彼女は青白い顔に脂汗を浮かべながら、腹部を押さえている。手には何も持っていない。


「今度、馬鹿なことをやったら、また殴りますからね!」


「殴ったのか?」


「今度は本気で殴りますよ。神の一撃は、ゴリラは疎か象だって一撃ですからね……!」


 俺は頷くことしか出来なかった。


 とても、女性の拳で殴られたとは思えない痛みだ。


 あれでも手加減したというのなら、本気で殴られたら、マジであの世行きだ。


「どうすれば良いんだよ?」


「普通に手を入れて、パンティを下ろしてください!」


「スカートの中に手を入れたことなんてないんだから、仕方ないだろう!」


「スカートに手どころか、女性に入れたこともないくせに」


「何をだよ!」


「『ナニ』を、です」


 苦しみに眉を歪めつつも、玉依は下劣な冗談を飛ばす。


「そんな馬鹿なことよりも、早くしてください。もう、出かかってきてます」


「頭が出てきてるのか?」


 俺は慌てて両手をスカートに忍ばせる。


 僅かにスカートがたくし上げられるが、肝心な部分は俺からでは見えない。


 すべすべしてる。


 陶器のような滑らかな肌に指先を這わせながら、手を上げていく。腰の辺りまで来たとき、布に指先が触れた。


「早く下ろして!」


 叫びながら、玉依が俺の頭を掴んできた。


 ミシ――!


 痛みと共に、嫌な音が頭の中に響いた。


「イタタタタタ! すぐに下ろすから、頭を持つな! 潰れちまうよ!」


 白魚のような細く白い指からは想像も出来ない力が、頭に加えられる。


 俺はパンティを掴むと、一息に下ろした。玉依が足を上げ、そこからパンティを抜き取る。


「手を! 出してください! 生まれます!」


「受け止めるのか!」


「受け止めて!」


 切羽詰まった声だ。


 本当に一刻の猶予もないようだ。


 言われるがまま、俺は手を出す。


 腹に力を込め、落ちてくる子を受け止める覚悟を決めた。


「イ゛キ゛マ゛ス゛!」


「こ、来い!」



 ポンッ!



 シャンパンの栓を抜いたような音が聞こえた。


 一拍遅れて、俺の手の中に生暖かい物が落ちてきた。


「こ、これは――?」


 俺は息を飲んだ。


 出産に立ち会った夫は、妻を見る目が変わると言うが、俺が受けた衝撃は、間違いなくそれ以上。というか、ナニこれ?


「ふー、生まれました。もう、お腹スッキリです」


 玉依は、満足そうに俺の手の中を見た。


 汗をかき、額に髪を貼り付けた玉依の顔には、ようやく赤みが戻ってきていた。


 その顔は、一仕事やり終えた母親の顔だった。


「これは」


 俺は、手にある物を見つめた。


 何処からどう見ても、アレだ。


 少なくとも女神は人ではないのかもしれない。


「これは、タマゴ?」


 ヌルヌルとした粘液を纏ったそれは、どこからどう見てもタマゴだ。


 色は白色。形は、皆が知っているタマゴと同じ。ただし、サイズはその三倍は大きい。


「ハイ、見ての通り、タマゴです」


「……は? 子供って、これ? 何のタマゴだ?」


「ん? 女神のタマゴです。人間でも言うじゃないですか、『~職人のタマゴ』って」


「それは比喩であって、言葉のままじゃない!」


 今度は、俺が叫ぶ番だった。

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