狐の嫁入り ~其の弐~ 女神に托卵された俺は、仕方なく幼女と祓い屋を始めました

天生 諷

プロローグ 女神の托卵

第1話

 人間、理解不可能な事が起きると、本当に思考が停止するようだ。


 清流が湧き出る、透き通った池。


 その池の中央に、一人の女性が立っていた。


 文字通り、水面にだ。


「もし、其(そ)所(こ)のお兄さん」


 その女性は、こちらを見て手招きをしてくる。


 いや、手招きをされても、俺は水の上を歩けないし。


 俺は呼ばれるまま、池の淵に立った。


 サラサラと水の音が流れる。


 日の光を受け、キラキラと輝く水面。その下に生えている水草は、さながら緑色の絨毯のように、水の流れに身を任せていた。


「アンタは?」


 当然の質問だろう。


 気分転換に訪れた、近所の池。そこに、突如として女性が現れた。しかも、その女性は水面に浮かんでいる。疑問に思って当然だ。


「女神です、はい」


「女神?」


 完全に怪しい。


「え? まさか、信じてない? 私、どんな風に見えますか?」


「えっと……」


 俺は上から下まで、舐めるように自称『女神』様を見る。


 目鼻立ちが整った美人。少し茶色掛かった長い髪。花柄のブラウスに、白いロングスカート。足下は白いサンダルを履いている。そして、指先には赤いペディキュアが施されている。


 どこからどう見ても、大学生か垢抜けたオフのOLと言った感じだ。


「えっと、女子大生か、社会人のお姉さん……」


「ええ!」


 自称女神は目を丸くした。


「私、そんなに若く見えますか? いやー、照れますね」


 ヘラヘラと頭を掻く女神は、本当に何処にでもいる普通の一般女性に思える。


 その仕草や話し方、服装から、およそ自分とは関わり合いのない人種だと言うことは分かる。


「とと、そうじゃないそうじゃない! ねぇ、お兄さん。突然ですが、お兄さんは選ばれたのです!」


「え? 何に?」


 大学受験に失敗し、就職にも失敗。『選ばれる』という言葉には縁遠い俺は、警戒心を強めて女神を見る。


「何に? よくぞ聞いてくれました! お兄さんは、私の子供を育てる権利を得ました!」


 一人で拍手をする女神。パチパチと叩かれる拍手は、広大な空間に空しく飲み込まれていく。


「あの、帰っても良い?」


 女神を自称する女性の事は気になるが、これ以上此処にいたら面倒な事に巻き込まれそうだ。


 ただでさえ、父親代わりだった祖父が死に、高校生の妹の面倒を見なければいけないのだ。これ以上、面倒ごとを増やしたくはない。


「ちょぉぉぉぉっっっっと! ちょっと待ってください! お兄さんお兄さん! 少しだけで良いから、話を聞いていってよ!」


 女神は水面を飛ぶようにして、こちらに移動してきた。


「なに? 本当に、アンタ何者?」


 ただ者じゃない事だけは分かる。それが、女神かどうかは別として 。


 あっという間に距離を詰めてきた女神は、俺の手を取ってくる。


 不覚にも、学校の行事以外で女性と手を繋いだことのない俺は、体が硬直してしまう。


 ただでさえ、意味不明な展開に頭が追いつかないというのに、これで完全に思考停止した。


「仕方ないので、教えます! その耳垢の詰まってる耳の穴かっぽじって、よーく聞いてください! 私は、玉依姫命(たまよりひめのみこと)です!」


「たま、より?」


「驚きすぎて、声も出ませんか? そうでしょうそうでしょう! この霊験あらたかな神様を前にして、普通の人間は声も出ませんよね。でも、今日からお兄さんは私の子を育てるから、特別に、私の事を玉依と呼んで良いですよ」


「子供?」


 いま、玉依はさらりととんでもないことを言わなかったか?


「私、子供を産むのよ! だから、その子を育てて欲しいの」


「ハァ?」


 子供? 育てる? 誰が? 俺が? 俺が育てるのか?


「だから、なんで? どうして俺なんだよ! 人違いじゃないのか?」


「いやいや、人違いじゃないですよ。だって、お兄さんの名前は、『天(あま)城(ぎ)白(はく)鳳(ほう)』でしょう? 名前だけは立派な」


 名前だけ? 確かに、何一つ取り柄らしい取り柄もないし、人に優れている点もない。だからといって、初対面の相手にいけしゃあしゃあと言うのはどうかと思う。


 少しムッとしながら、俺は尋ね返す。


「どうして俺の名前を? アンタ、本当に何者?」


 コイツはヤバイ。俺の直感が言っていた。関わってはいけない。俺は玉依の手を振り払うと、後ずさった。


「だから、何度も言ってるでしょう? 女神様よ、女神様。玉依姫命だって。本当だったら、白鳳君、不敬罪よ不敬罪」


 そう言って、玉依は首を切るジェスチャーをする。


「だったら、どうして俺なの?」


「どうしてって、啓示が出たでしょう? というか、私がだしたんだけど、君が運命の人だったのよ!」


「啓示? 運命?」


 もちろん、そんな物に思い当たる節は――。


「あっ、おみくじ?」


「そう! さっき、妹さんとおみくじ引いたでしょう? そこには、『運命の出会いあり。子供に優しくすると吉』って書いてあったでしょう?」


「えっと……」


 確かに、書いてあった。妹が、随分と具体的だねと言っていたから印象に残っている。


「いや、書いてなかった」


 グイッと近寄ってくる玉依から、俺は目を反らす。


「いいや! 嘘ですね! 私、女神だから分かります! あなた、嘘をついていますね! 神様に嘘をつくって、最低最悪な事ですよ!」


「そもそも、お前、本当に神様なのかよ!」


「神様ですよ! さっき、水の上歩いたでしょう? おみくじの内容、名前だって言い当てたし。他に、何をどうに証明しろって言うんですか?」


「だって、全然神様っぽくないし」


「何処がですか?」


「服装? 話し方とか?」


 どこからどう見ても、ただの一般人だ。少し綺麗な、頭のネジが数本吹っ飛んでいる人。


「見た目で判断ですか? やっぱり、人間ってその程度ですよね」


「なんか、そう言われるとムカつくんだけど」


「じゃあ、逆に聞きますけど、白鳳君の中では、神様ってどんな格好をしているんですか?」


「そりゃ、もっと威厳があるというか、こう、後光が差しているというか。服だって、着物とかそういった物を着ているんじゃない?」


「それ、いつの時代の神様ですか? あなたたちが言っているのは、大分古い時代の私達の服装よ?」


「そうなのか?」


「そうでしょうよ。未だに外国の人が、日本人は着物を着て腰には刀、頭には丁髷。それと同じレベルの話よ?」


「言われてみれば、俺たちの中で神様の服装って、数百年前から止まってるのか」


「当然、時代に合わせて私達も服装を変えるわよ。今時の服の方が、機能的だしね」


「それと、俺が選ばれたのって、関係があるのか?」


「おみくじ引いたでしょう?」


「引いたけど……。それだけ?」


「うん、それだけ」


「…………」


 俺は反論するのに疲れ、玉依を睨み付ける。


「いやいや、黙らないでよ。他にも理由があるのよ」


「その理由って?」


「白鳳君、君、ニートでしょう? 日がな一日家にいて暇でしょう? 祖母、祖父は他界。同居人は妹一人。両親は海外に赴任中。だから、任せるのよ」


「どんな論法を使ったら、そんな理由で俺に白羽の矢が立つんだよ!」


「大きな家で、周りに民家はない。人が一人増えても、怪しまれないでしょう」


「なんじゃそりゃ! ちょっと、もっと別の奴に……」


 そこで俺の言葉は止まった。


 突然、女神が苦しそうに腹部を押さえると、うずくまった。


「う、生まれそうです……」


「生まれるって、何が?」


「ナニがです……。ああ~、もう限界、此処で生む」


「ちょっと! 医者は?」


「大丈夫、一人で生めますから!」


「はあ? そう言う物なのか? 神様だから、少し違うのか?」


「でも、産みの苦しみは同じです!」


 脂汗を浮かべた玉依は、顔を歪め、俺の肩を握りしめてくる。


 女性とは思えない、力強い手に、俺は腰が砕けそうになる。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」


「おい! 大丈夫か!」


 テンパった。こういうとき、男はどうしたら良い? もちろん、俺は出産に立ち会った経験なんてない。医療ドラマや漫画程度の知識しかない。


「とりあえう、ラマーズ法か?」


 ヒッヒッフッフと、見よう見まねでやってみるが、玉依はまったく意に介さない。それどころか、鋭い眼差しでこちらを睨み付けてきた。。


「白鳳君! 黙ってて!」


 怒られてしまった。


 玉依は歯を食いしばる。


「来ます! 来ちゃいます!」


 叫び声を上げる玉依だったが、正直、こっちが叫び声を上げたかった。誰かを呼びに行きたい衝動に駆られたが、玉依を放っておくことも出来ない。


「白鳳君! お願いがあります!」


「なんだ!?」


 乗りかかった船だ。俺に出来る事なら何でもする。彼女が本物の女神であれ、ネジのぶっ飛んだ人間であれ、生まれてくる子供に罪はない。なんとしても、無事に出産させてあげたい。


「パンティを脱がしてください!」


「はぁ!?」


 パンティを脱がす?


 言われてみれば、確かに玉依はスカートを履いたままだ。もちろん、その下はパンティを履いているのだろう。


「えっと……」


 身を屈めた俺は、目の前にある下腹部を見て固まる。


 パンティを脱がせる。なんて難易度の高いミッションなんだ。


 恐らく、天城白鳳の人生始まって以来、最大のピンチだ。

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