メイク・アップ・ボーイ

 表現が厳しく規制された戦時中の、とあるゾウの物語。

 投獄された飼育員が拘束される前日に友人に話したとされるそれは、日本一有名なエロ漫画を求めた男達の物語だ。僕も小さい頃、ねだってはよく母に絵本を読んでもらったことを覚えている。


 その当事者であるゾウが、どうにも僕のち○ことなっているらしかった。


『いやぁ、願いはとりあえず言ってみるものだね。この国も見ないうちにだいぶ発展している』


 パンツを脱いだところで脳内に響いてくる声。耳を塞いだところで意味が無かったので、僕は諦めて対応していた。


「そりゃ、お前が生きてたのは五百年近く前の話だからな……まさか実話だったとは」

『僕からすれば、快○天がまだ月刊で連載している方が驚きだけどね』

「で、どうすんのさこれから」

『何を?』

「何を、じゃないよ。自分のち○こがひとりでに話し掛けてくる生活がこれからも続いていいと思う人間がどこにいると思ってんだ」

『勃たせることもできるよ』

「そういうこと言ってるんじゃ……ってあれちょっと待てホントに……!?」


 そんな股間こんなの押し問答が延々と続いた。

 結果として分かったことは悪霊ゾウを消す方法が現状存在しないことと、そのゾウが性癖に正直過ぎるということだけだった。少しでもゾウに不利な方向に進めようとすると、ゾウは掌握した性感を操作して僕を攻め立てた。


「ひぐっ……分かった……ひぐっ、もう、もうお前の存在は分かったから……だから、もうやめてくれ……」


 二時間後、僕はベッドの上で上と下から涙を流しながら白旗を上げていた。


『ここまで粘るとは、やはり少年は逸材だね……そのスピリッツに免じて、僕も譲歩するとしよう。無駄な発言は控える』

「ほ、ほんとか……?」

『たーだーし、タダでとは言わないよ。条件がある』

「じょ、条件……?」

『ああ、それは――』


 ゾウが言葉を続ける。

 実体が存在していないのに、ゾウのニチャアという気持ち悪い笑みが僕には見えた気がした。


  *  *  *


 そして、ゾウの存在に否が応でも慣れてしまった次の週末。

 僕は足を延ばし、隣町のショッピングモールにまで来ていた。

 ――目的は言わずもがな、女装である。


 ゾウが僕に突きつけた条件は、週に最低一度女装して外出することだった。初回なので何の持ち合わせもなく、今は男の格好である。

 今日はまず服を買うところから始まる。店を何店か回って衣服を見繕い、揃ったところでその服装に着替えるんだとゾウは僕に指示した。女装自体望んでいたことではあるが、よもやこんな形で実行することになるとはまったく思っていなかった。


 どうして、こんなことになったのだろう。


 もしかして因果が逆で、こいつが僕のち○こに生まれ変わったから僕が女装に興味を持ったのではないだろうか? 今日までそんなことを考える夜も少なくなかったわけだが、そういう時ゾウのヤツは『溜まってるね、少年。一発ヌいとく?』などと話しかけてくるのだ。誰のせいで頻度増やせないと思ってんねん。

 電車に揺られやってきたショッピングモールは、休日ということもありたくさんの人で賑わっていた。


『衣装なら少年の街にも良さげな店があったと思ったのだけど……どうしてまたこんなところまで?』

「下着くらいならいいけど、服をネットで頼むと親にバレるかもだろ? だからといっていつもの店だと知り合いに見つかるかもしれないし、ただの消去法だよ」

『なるほどねぇ……君は、そんなに自分が女装していることがバレたくないのか』

「当たり前だろ、恥ずかしい」


 だから今まで踏み切れずにいたんだ。


『そっか……』


 しょんぼりと、股間のそれがより縮こまるのを感じる。自分の局部で相手の感情を推し量る日が来るなんて、一体誰が考えるだろう。


「お前は、僕に堂々としてほしいのか?」

『あぁいや、別に恥じらいながらの女装は大好物だよ』


 ちょっと元気が戻り、ショーツの生地が張る。泣きたい気持ちをぐっとこらえ、僕は平然を装ってモールの中を歩く。


『けれどそれはさ、あくまで他人に強要されるから美味しいんだよ。クラスの女子に可愛がられて無理矢理女装させられて、その姿を見たクラスメイトがそのまま理性を投げ捨てて襲いかかってくるようなシチュとかさ』

「エロ漫画かよ」

『でも、君は自分から女装がしたいと思った。その思いは尊重されるべきで、恥ずかしいものとして見られるべきではないと僕は思うんだ。君の女装を見て、その人はどんな被害を被る? 僕にはそれが許せない』

「お前……」


 熱く語る海綿体ゾウに血が滾る。


『だから少なくとも、僕は恥ずかしがってほしくないと思うことにするよ。堂々としている女装の方が、何倍も格好良くて可愛いに決まっている』


 ゾウの言う通りかもしれないなと、少しだけ思った。

 ファッションとはすなわち自己表現だ。

 自分の衝動のままに着たいものを着ること自体に罪は存在していない。女装だってそのひとつなわけだし、要は僕に覚悟があるのかないのかの話なのだ。もし自信をもって女装ができたのなら、僕はきっと自分にも自信が持てるようになる。

 そんなことを考えていると、真剣に女装用の服を選んでみたいという気持ちが込み上げてきた。

 ああそうだ、せっかくやるなら、とびっきり可愛くなってやろうじゃないか。


 とりあえず股間のソレを治めるため、僕はトイレに駆け込んだ。


  *  *  *


 最初に入ったのは、男子高校生にはハードルの高いゴスロリ衣装を扱う店だった。店員に「どうしてコイツ入ってきてんだ?」という眼差しで刺された。あとは単純にほとんどの衣装が予算を軽々と超えていたので、客層じゃないとそそくさと退散した。やっぱり、男がいても不自然じゃないところが無難だろう。

 というわけで、僕達はユニがクロしてるような大手のショップで探すことにした。


「うーん……やっぱり最初は、ユニセックスな服程度にしといてウィッグとメイクで頑張る方がいいのかな」

『まぁ、それも悪くないだろうね。少年は身長もそこまで大きくなくて華奢だし、顔つきもわりかし女っぽいからそれっぽくまとまるはずだよ』

「女っぽい、ねぇ……」


 店内の鏡に写る自分を見る。

 彼の言うように僕の外見は元々男らしくなく、小学生の頃はそれでからかわれる事も少なくなかった。それが嫌で、男らしいことをしてやろうと荒れていた時期もあったのも事実だ。もしかすると今の女装願望は、その頃の反動なのかもしれない。

 ――もし女装に興味を持っていなかったら、僕は今自分の容姿のことをどう思っていたのだろう?


 もう一人の自分をぼんやりと考えてみるが、うまく像がまとまらない。それでも一つだけ、断言できることを見つける。

 今の自分が、どんな自分より自分の容姿に肯定的だ。


「もし、お前のせいでさ」

『ん?』

「お前のせいで、僕が女装に興味を持つことになったんだとしたら……僕は、お前にありがとうって言わなきゃいけないのかもしれない」

『なんだいいきなり、イカ臭いこと言い出して』

「下ネタでしか返せないのかお前は?」


 感傷的になっていた気持ちが一気に冷める。


『僕達にそんな感傷的な関係は似合わないよ。それにもし僕に恩返しがしたいなら、黙って最高の男の娘になってくれないかい?』

「まったく、お前というやつは……」


 ため息が漏れる。

 けれど自然と、僕の口角は上がっていた。



  *  *  *



『驚いた……少年、ホントにメイクは初めてかい?』


 男子トイレの個室。手鏡を洋服掛けに引っ掛けてメイクをする僕に、ゾウは驚いた声を漏らす。


「まぁ、ネットのメイク動画とかを見て勉強はしてたよ。口元はマスクで隠せるから、目元と眉だけそれっぽくできればいいはずだし」


 付け睫毛をして、マスカラをする。暖色系のアイシャドウを入れて、眉はウィッグの色に合わせて細めに描く。あとはマスクの下のファンデーションなりリップなんかをそれなりに施す。


「あとはウィッグを被って、と」


 追って購入したウィッグはダークブラウンのセミロングで、肩までより少し長いくらいのもの。


「どうかな……?」


 そうして見た自分に、我ながら一瞬息をのんでしまった。

 鏡に映るのは、さっきまでの自分ではない。

 人生の新しい道を一歩踏み出した、一人の少女おとこの姿だった。


『……』


 彼の反応は、言葉にしてもらわなくても分かる。花柄のロングスカートの下で、僕の万葉集がますらをぶりを発揮していた。


『すまない、性癖なもので』

「はぁ……最悪だ」


 まぁ、嘆いたところで変えられるものではない。

 脱いだ服やコスメをバッグに詰め、僕は外を窺いながら個室を出る。

 そうしてそこで初めて、僕は洗面台の大きな鏡で自分の姿を見た。


 肩より少し長いくらいの、ふわりとしたセミロングの髪。上は白のゆったりとしたシャツの上にデニムジャケットを羽織って、男の肩幅をカモフラージュするコーデ、シャツの下には、ゾウたっての希望によりパット入りのブラも付けてある。そして下半身は、花柄の可愛らしいロングスカートと、白のソックスにスニーカー(ホントはヒールが良かったけど、自分に合うサイズで可愛いものがなかった)。


 マスクを付けているから映らないけど、ルージュを引いた口元はすっかり笑顔になっていた。


『……おじさん、少年にはなまるあげちゃうわ』


 どうしてかいきなりオネェ口調になったゾウをスルーしつつ、僕はそそくさとトイレから抜け出る。昨日までの僕になかった、なんでもできそうな自己肯定感が全身にみなぎる。


 新しい自分で、一歩を踏み出す。

 スカートが風になびく感覚が、とても新鮮で心地好かった。

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