不在堂書店
不在堂書店なる本屋は、この世界のどこにも存在しない。しかし、存在しないことは必ずしも語ることができないを意味するわけではない。ならばそこで働く人間についてもまた、存在の是非にかかわらず語る事が出来るだろう。
不在堂書店はこの世に存在しない本を専門として取り扱う、出版業界のブルーオーシャン中のブルーオーシャンをターゲット層とした店である。無限店の店舗と無限人の従業員を有し、その品揃えもまた無限。
そんな不在堂書店(x=3, y=7i)西口店に、一人の客が足を運んでいた。
「なぁ、『存在しない本』ってのを探してるんだけどよぉ」
その客は四十を越えただろうかという男で、ダボついたジーンズにくたびれたシャツ、その上に金銀財宝を散りばめた豪奢なコートを羽織っていた。といってもこの容姿がこの後の展開に関わることはないし、そもそも存在しないので無駄な描写である。
「はい、ございますよ」
それに答えたのは、口髭を整えた壮年の男だった。細身ながら筋肉質な体でスーツベストを着こなし、深い黒の瞳と僅かに上がった口角が男性的なエロスを演出する。彼こそがこの不在堂書店(x=3, y=7i)西口店の店長であり、併設するバーのマスターであった。
店長の言葉に、男は待っていたとばかりに笑みを浮かべる。
「おいおいおい、あんた自分で何言ってるのか分かってんのか?」
「と、言いますと?」
「俺が探してるのは『存在しない本』だぜ? それがこの店にある? はっ、何だよそれ、存在してるじゃねえか!」
男がカウンターを叩く。隣で飲んでいた老人のウイスキーがその水面を揺らす。書店のレジカウンターとバーのカウンターが仕切りもなく併設されているからだ。
はてさてこの厄介な男、どんな目的があってこのような難癖をつけているのかというと、それこそが彼の存在意義であるからである。今この瞬間不在堂書店(x=3, y=7i)西口店にてそうするためだけに、僕がテキトーに生み出しました(生産者表示)。
「なるほど……そういうことですか」
店長は言葉の趣旨を理解し、片手間にカクテルを作りながらカウンター下から一冊の本を取り出した。その本に、男は怪訝な目を向ける。
「んだぁ……? これが『存在しない本』だとでも言うのかよ」
「ええ」
「どうせ、タイトルがそうだとかいうオチだろ? そんな事を言うようなやつがマスターの店なんざ、酔いなんてすぐ覚めちまうなぁ!」
「いいえ、違いますよ。これはあなたに、『存在しない本』を読ませることのできる一冊なのです」
「ほう?」
男が眉を吊り上げる。男を妖艶な瞳で見つめながら、店長は抑えた口調で語る。
「確かに、存在しない本を我々が読むことはできません……。それはどうしてかというと、我々が今この時だけであれ実在しているからです。“実在性”と“非実在性”――この相反する性質のどちらかを有してしまえば、もう片方には手を届かない。つまり我々が『存在しない本』を読むためにできる、たったひとつの冴えたやり方は――」
店長が本の表紙を開く。分厚い本の中味はくり抜かれていた。そこに入った鉄の塊を素早く取り出し、店長は撃鉄を起こす。
「“実在性”の、剥奪」
不在堂書店(x=3, y=7i)西口店に、銃声が鳴り響く。
新書コーナーで陳列をしていたアルバイトの高橋くんは、本棚越しに聞こえてきた銃声に「またかー」と呑気な声を漏らし、再び業務を再開した。
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