一章 刹那の幸福

第4話 奇襲

…不思議な子だ。

艶やかな桃色の髪。透き通るような白い肌。

隣で寝息を立てる少女を見ながら、ふとそう思う。

既に空は暗闇から藍色へと変わり始めており、深夜というより早朝と表現するべきだろう。装甲車の後部座席というのは思っていたより意外と心地が良いが、しかし座って眠るのには慣れていないのだ。

研究所を脱出し、リコリスと合流しておそらく数時間。車はどうやら一度も止まることなく走り続けており、一向に休む気配がない。運転席では、ずっとハンドルを握ってるアコンの姿がある。

バックミラーに映る私の教師はいつも通り無機質な表情を浮かべているが、心做しか少しばかりの疲労が見える。

…ひとつ不満があるとすれば、どうやらこの車はよく悪路を突き進んでいるらしく、時折激しい振動が座席を襲う。少々深く眠っていた私は、浅いまどろみの中から突然の振動によって叩き起こされたのであった。

(…眠気、冷めちゃったしなぁ…)

もう一度寝ることも考えたが、しかしこの振動と体勢の中で夢の中に戻ることは無理に近い。ここは諦めて、潔く起きることにしよう。

そんなことをぼんやりと考えながら、隣の席で毛布に包まる少女――リコリスを見る。

「…………」

昨日の一件、リコリスは頂花戦争に参加する、そう宣言した。それも、神になるわけでも義務を果たすためでもなく、ただ自分の願いを叶えるために。

私には、それが少し羨ましかった。自分の願いという不鮮明で不確かなものを、この子は持っていた。多分、私にはそれが眩しく見えたのだ。

もしこの戦争が終わった時に、私もそれを見つけられるだろうか。私の望みは、一体何なのだろうか。

そっと手を伸ばし、彼女の頬を撫でる。

…昨日始めて出会ったはずなのに、こうしていると無性に落ち着くのは何故なのだろう。

遠のいたはずの眠気が、少しだけ戻ってきた気がした。




「そ、そんなに怒らなくても…」

「怒ってないです」

「いや、今のは全面的に僕が悪かったから…そろそろ気を…」

「だから怒ってないです」

「あ、あの……えっと、すいませんでした…」

森の中に停車した装甲車の脇で正座しながら深くうなだれるのは、20代前半ほどの男。後ろで束ねた栗色の髪と模範的善人といった顔立ちの彼は、その容姿に見合わない軍隊を想起させる服装と、それにも見合わない見事なまでの正座を見せる。

彼の名はロルフ・モーリエ。昨日、森に現れたアコン達三人組の一人だ。

今は午前7時。木々の間から朝日が差し込み、小鳥たちのさえずりも聞こえてくる。

そんな気持ちいい朝の中、拗ねたような表情を浮かべながら仁王立ちする少女と、その前で正座する成人男性の構図は、中々に形容しがたいものがある。

「いやまぁ、私のためってのは分かりますけど…」

絶賛不機嫌の少女、リコリスが口を開く。

彼女の左足にはつい先程取り替えられた新しい包帯が巻かれており、それを施したのはロルフである。が、

「…あの」

「…はい」

「…せめてもうちょっと優しく巻いてほしかったなと」

「…以降気をつけます」

2人の間に気まずい空気が流れる。

この一連の流れを黙って聞いていた人物が一人。装甲車の向こう側で、予備の燃料を給油しているアコンである。

「ロルフは昔から女性の扱いだけは苦手だからね。リコリス、あまり責めてあげないでくれ」

補給を続けながらも、緩やかな笑みを浮かべるアコン。

「うぅ…アコンさん、それフォローになってません…」

「おや、そうかい?それは申し訳ない」

「…ところで、どこにそんな燃料あったんですか?」

「ああ、これかい?昨晩、リコリスの家に寄った時に拝借したのさ。好きに使って頂戴、との彼女からの置き手紙と共にね」

アコンの口角が、少しだけ嬉しそうに緩む。

「ママが…そんなことを…」

そう口にしながら考え込むリコリス。二人の関係性はまだ分からないが、それでも文面のみで信頼を置けるほどの絆があるのだろうか。

と、そんな事を考えていると、背後から人影が二人。

「ごめーん!お待たせー!」

手を振りながら近づいてくる少女は、近くの川で顔を洗っていたというフェリシアである。

たちまち、さっきの光景が嘘だったかのようにリコリスの顔がパッと明るくなる

「ううん、全然大丈夫だよ!もういいの?」

「バッチリ!リコリスは?」

「私もOK!いつでも行けるよ」

数分ぶりの再会に喜ぶ二人。その様子を見守っていた、もう一人の男が口を開いた。

「隊長。本国との通信に成功した。予定通り、アラルダ街道に入れば護衛隊と合流できる」

銀縁の眼鏡をかけた、褐色の肌とスキンヘッドが目立つ男。そこで正座しているロルフとは対照的な、いかにも真面目と言った風貌。

彼はデューク・ストライド。三人組の最後の一人である。

「分かった。…うん、あと43kmか、トラブルさえなければ行けそうだね」

予備の燃料タンクを空にし、手元の端末を覗くアコンが、笑みの消えた口で呟いた。

「さて。リコリス、フェリシア。休憩は終わりだ、ここからはノンストップで行くよ。いいかい?」

投げかけられた視線に、二人は同時にコクリと頷いた。




数分の休憩の後、装甲車は再び悪路を走り出した。

「でも先生、どうして平坦な道じゃなくて段差ばかりの道を進むの?」

上下に揺れる後部座席で、前のシートに掴まりながらのフェリシアが問いかける。

「そうだね、ホントは僕も平坦な道の方が走りやすくていいんだけどね」

少し余裕を含んだ笑みを浮かべながらハンドルを握るアコン。

「敵の部隊が本国への逃亡までを想定している以上、領地に入るまでの中立地域にトラップを仕掛けている可能性も否定できない。そこまでの情報は僕達には降りなかったけど、全然あり得る話だ」

「トラップ…落とし穴とかそういうの?」

「いいや、もっと破壊力の高いものさ。例えばこの車ごと吹き飛ばせるような……そう、爆薬とかね」

車内の空気が、一瞬凍り付く。

「爆…薬……」

「それほど敵はリコリスがこの戦争に参加することを阻止しようとしている。どんな手を使ってでもね」

助手席に座るロルフが、険しい表情で口を開く。

「でっでも、どうしてそんなにリコリスを排除したがるの?巫女が8人揃わないと、この儀式は始められないのに…」

「それは…」

「それは多分、だと思う」

戸惑うフェリシアの質問に答えたのは、ロルフではなくリコリスだった。

「うん。リコリスには昨日話しておいたけど、もう一度おさらいといこうか」

アクセルを踏み込むアコンが、まるで教師のように話を始める。

「フェリシア。頂花戦争開戦前における3つのルール、覚えているかい?」

「うん、『1.巫女は神より神託を受け、それを受諾した少女が選ばれる』『2.神託を受諾し巫女となった少女は、頂花戦争が始まるまで何人たりとも傷つけることが許されない』『3.巫女が8人揃い、鉢植の儀を執り行うことによって、頂花戦争の始まりとする』だったっけ…」

「その通り。神託を受諾した巫女は、機械仕掛けの神の加護により頂花戦争が始まるまで傷一つ付けることができなくなる。でも逆に言えば、『神託を受けても、殺せる』ということなんだ」

「受諾する前なら…神託は祭壇でやる必要があるから…」

「ああ。神託を受け選定の儀を通過したリコリスは今、あとは本国の祭壇で神託を受諾すれば巫女となれる状態だ。だから本国にたどり着くまでにリコリスを始末しようとしている、ということさ」

「そんな…」

青ざめるフェリシアの横で、冷静に黙って聞いているリコリス。この話を聞くのは二度目だからなのか、既に分かっているらしい。

「さて。敵の目的はリコリスの排除だったわけだが、それをどうしても防ぎたかったのが本国だ。そのために僕たちは敵の実動部隊へと傭兵として紛れ込み、敵の計画に従うフリをしてリコリスを保護。その後、紆余曲折合って今こうしているわけさ」

軽くうなずくロルフ。その様子に、フェリシアが納得したように引き下がる。

と、ここでリコリスが口を開いた。

「アコン…先生。一つ聞きたいことが」

「ん、なんだい?」

「先生たちが私の家の前に現れた時、先生は『確保』って言ったわよね。でもどうして、今は確保じゃなくて殺害に切り替わってるの?」

その言葉に、アコンが少し驚いた表情をミラー越しに見せる。

一瞬の躊躇いの後、冷静に口を開く。

「元々僕たちに降りていた命令は、リコリスを人質に取り、それと引き換えに研究所を占拠することだったんだ。敵にとってはリコリスよりも、研究所にあるデータや資料の方が価値があったからね。研究所のセキュリティが発動すれば占拠は困難になるけど、人質を使えばそれを発動させないことも可能だ」

「人質…だから研究所に向かった訳ね…」

納得するリコリスを、車のバックミラー越しに確認するアコン。その様子を見て、デュークが言葉を続ける。

「ただし、これらの計画は早い段階でこちらに漏れていた。これを見越して、作戦の開始前に研究所の資料やデータは別の施設に移設しておき、対策も取っていた。実動部隊が到着した時、既にあそこはもぬけの殻だった」

「その通り。研究所の制圧には成功したものの、もはや施設を廃棄したと分かった敵は目的を変更。せめて巫女候補を潰すことで、自国の利益にしようと思ったわけだ」

「なるほど…それでこの状況というわけね…」

ようやく腑に落ちたらしいリコリス。これで、アコン達の全ての行動に納得が行った。

「…先生、もう1つ質問していい?」

フェリシアがおそるおそる口を開く。

「ん、なんだい」

「どうして、リコリスを――」


その言葉の先は、突然の衝撃によりかき消された。

「ギィン!」と車内に何かを打ち付けたような音が激しく響く。

「なっ、何!?」

しかし、リコリスが言い終わるよりも早くアクセルを踏み込んだアコンは、突然大きな声でこう叫んだ。


奇襲アンブッシュ!」


直後、同時に複数の事が起きた。

まずアコンが急にハンドルを大きく左に切り、車が進行方向から大きく逸れる。

続けてバスン、と何かが破裂する音がどこからか響き、車体が大きく右に傾く。

「クソっ」

表情を全く変えずに短く呟くアコン。一気にブレーキを踏み込みながらハンドルを回し、車は強引にドリフトしながら停車する。

「っ…2人とも、無事か!?」

前の席から身を乗り出しながら二人の無事を確認するロルフ。

「う、うん…」

「なんとか…」

特に怪我の無い様子の二人。ロルフがほっとした顔を見せたのも束の間、再び金属を殴るようなギィン、という音が車内に響く。

三度目の衝撃に怯えるフェリシア。リコリスも警戒心を露わにし、窓の外へと視線をやる。

「うん、やはり伏兵…それも狙撃手がいたね」

冷静に、しかしどこか冷たい声でそう述べるアコン。すると運転席の下へ、何か荷物を探るように手を伸ばす。

「伏兵って…罠がある道は避けてたんじゃないの!?」

焦燥の入り混じった声のリコリスに、手を止めないままのアコンが答える。

「ああ。だからこそ罠の無いルートを取ったわけだが、やはりそれも読まれていたね。一本取られたよ」

そう言いながらアコンがシートの下から取り出したのは、小さな二丁の短機関銃。銃口の先には黒く細長い筒のような消音器がついており、無機質な黒い光を反射している。

アコンはそれを左右の腰のホルダーに差すと、チラッと窓の外の景色を確認し、ロルフとデュークに向けてこう言った。

「デューク、ロルフ。僕は敵の迎撃にあたる。270秒で戻らなかったら、2人を乗せてこのまま離脱してくれ」

「了解。」

「…了解。でも、アコンさんは…」

「大丈夫さ。元より死ぬつもりは無い」

不安そうなロルフに対し、変わらぬ表情のまま返すアコン。それから、怯えてるフェリシア達に向け、

「フェリシア、リコリス。今話した通りだ、2人の指示に従ってくれ。いいね」

運転席から身を乗り出しながら、後方の後ろを見つめるアコン。

フェリシアは、小刻みに震えながらも恐怖を抑え込むように、コクンと頷いた。

対してリコリスは、

「…うん、分かった」

動じることなく、そう返した。

「よし…2人とも、あとは頼んだ」

そう言い残し、アコンはドアから森の中へと飛び出した。

直後。

「…リコリス、何してるの?!」

素っ頓狂な声を上げるフェリシア。ロルフ達も釣られてそちらを見ると、

「君…それは…」

無表情なリコリスが手にしていたのは、膝元のケースから取り出した、一丁の散弾銃だった。

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flos 黒胡椒 @unghia53461

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