第2話 出会い
「こんばんは、初めまして。」
目の前に可愛らしく座る少女は、そう言いながら優しく微笑んだ。
「私の名前はフェリシア。よろしくね」
私が呆気に取られていると、彼女は私の身体を興味深そうに眺める。と、
「…大変!足から血が…!すっすぐに手当てするからね!」
そう言うと少女はイスから立ち上がり、ベッドの元へ駆け寄るとその下から救急箱らしきものを取り出し、再び私の元へと駆け寄って来る。
「とっとりあえずそこに座って!」
言われるがままに、扉のそばにあったイスに腰を掛ける。少女は床に置いた救急箱を開くと、綺麗に整頓された包帯や消毒液を取り出し、あっという間に私の傷口へ手当てをしていく。
「よし…これで…」
優しく巻いた包帯を最後に縛ると、少しほっとしたような顔で私の顔を見上げる。
その優しげな瞳に、少しだけ鼓動が跳ねる。
「え…えっと…ありがとう…」
思わず口から感謝の言葉が零れると、フェリシアという少女はにっこりとほほ笑んだ。
「とりあえず座って!お話しましょ」
そう言われるがままにテーブル横のイスに座ったは良いものの、未だに状況が飲み込めない。
フェリシアは部屋の隅からイスをもう1つ持ってきたと思えば、キッチンに駆け寄り新しいクッキーの缶を出していた。
せわしなく動いているフェリシアから目線を外し部屋を見回すと、最初に目に入ってきたのは部屋の一面を占める巨大な本棚だった。
天井まで届く棚には大小様々な背表紙がいくつも並んでおり、部屋の主の意向か整理が行き届いている。小説や図鑑などだろうか、多岐にわたる種類の本がキッチリと収まっていた。
そのまま視線を真横に向けると、彼女が使ってるであろうフカフカのベッドと、胸くらいまでの高さのチェストが見える。どちらもオーク色の木材を使ったシンプルな作りで、特にこれと言った特徴はない。チェストの上には、白い花瓶に刺さった見たことのない青紫の花が。
さらにその横には、同じくシンプルな装飾のみのキッチンと、小躍りしながら新しいティーカップを用意してるらしいフェリシアの姿が。
(…ここに住んでいるのだろうか?)
そんな疑問に首を傾げていると、随分と楽しそうなフェリシアが、缶やらティーカップやらを載せた大き目のトレイと共に戻ってきた。
「よいしょっ、もうちょっと待ってね!」
可愛らしい掛け声を口にしながらトレイをテーブルへ置くフェリシア。手際よく缶から新しいクッキーを皿へと移し、トレイに載っていたポットを持ち上げ、ゆっくりティーカップへと赤色の液体を注ぎ入れる。
その途端、テーブルの周りを一瞬で上品な香りが包む。
私の記憶が正しければ「紅茶」というものだろう、物心つく頃に一度だけママが飲んでいたのを思い出す。
「さ、お待たせ!何から話そうか!」
フェリシアは目をとても輝かせながら私をじっと見つめる。しかし、呆気に取られたまま固まっていると、
「……あれ?もしかして緊張してる…?」
少し驚いたような顔をすると、今度は困ったような表情を見せ始めた。
「…どうしよう…こんな時どうすればいいんだろう…」
真剣にうんうんと唸るフェリシア。
未だに状況は全くわからないが、それでもこの少女に警戒心などといった感情は不思議と一切ない。
コロコロといろんな表情を見せるその姿を見てると何故だろう、こう…なんというか…
「…ぷっ、はは、あはははは」
気づけば、思わず笑みがこぼれていた。
急に笑い出した私を見て、今度はフェリシアが呆気にとられた様子でぽかんと口を開ける。
「あはは、はは…ごめん、何だかおかしくて」
何とか呼吸を整えながら落ち着くと、いつのまにか緊張はどこかへと消え去り、さっきよりも少しだけ元気が出たような気がした。
「私、リコリスって言うの。よろしくね!」
微笑みながら自分の名前を口にすると、フェリシアはとても嬉しそうに笑った。
「へえー!リコリスって森の中に住んでるんだ!」
フェリシアの「どこから来たの?」という質問攻めに答えていくにつれ、更に目を輝かせるフェリシア。
「あれ、じゃあどうしてここに来たの?」
「えっとね…それが、いつも通り森で遊んでたら、突然知らない人達に捕まっちゃって…私もよくわかないんだけど、気が付いたらこの建物にいたの」
気を失う前の記憶。謎の集団がどこからか現れ、左足を撃たれて捕まったこと。結局その目的も分からないままだ。
「そんな…大変だったね…」
フェリシアが心配と安堵が入り混じったような表情を見せる。
まるで、昔の本で見た女神のような可憐さ。その顔を見ていると、こちらも落ち着くのは何故なのだろうか。
「そうだフェリシア、あなたに聞きたいことがあるの」
「ん?なになに?」
少し引っかかっていた事。躊躇いはあるが、現状だと聞いておいた方がいいかもしれない。
「…ここは一体どこなの?あなたはここに住んでるの?」
「え?うーんとね…」
腕を軽く組み、少し考えこむフェリシア。「私もよく知らないんだけどね」という前置きをして、
「…ここはね、国の研究所の一つらしいの。花の巫女?っていうのを研究してるらしくてね、他にも珍しい花とか土とか色々研究してるらしいんだ」
「へえ…それを研究してどうなるの?」
「わからない。でも世界のために大事な研究なんだ、って先生がいつも言ってる」
「先生?」
「そう、先生。いつも私の世話をしてくれてて…私の親?になるのかな」
「ふーん…フェリシアはいつもどうしてるの?」
「私?うーん…そうだね…私はいつもここの部屋で生活してるかなぁ、ここが一番楽しいから」
そう言って、少し微笑むフェリシア。
「へぇ…外に出たりはしないの?」
「いや、私はいいかな」
「どうして?」
好奇心のままに質問を続けていると、フェリシアは少し諦めたような顔をした。
「だって…外に出ても何も楽しく無いんだもん」
…少しだけ、自分の無神経さを恥じた。歳が近い少女と話が弾んだからと言って、流石に踏み入りすぎたかもしれない。
「さて、今度はまた私が質問する番!」
両手をパン、と軽く叩きながら先程のキラキラした顔に戻る。
「ねえ、リコリスはいつも何をして過ごしているの?何をして遊んでるの?」
「私?そうだなぁ…晴れてる日は森に入って思いっきり体を動かしたり、虫や魚を捕まえたり、探検したり、色々だよ」
「へぇ…!それはとても楽しそう!」
「毎日少しずつ違う景色になるし、遊ぶには全く飽きないよ」
「それも良いなぁ…私とはまるで真反対…」
「フェリシアは、いつもどうやって過ごしてるの?」
「私は毎日ここの本を読んだりしてるよー、色んな種類があるから飽きないけどね」
そう言って後ろの本棚を見るフェリシア。釣られてそちらへと視線をやる。
綺麗に整頓されている本棚はやはり難しそうな表紙ばかりが並んでおり、自分が読めそうな本を探すとするなら結構苦労しそうだ。
「…これ、もしかして全部読めるの…?」
「うーん、いくつかまだ難しいのはあるけど、それ以外なら」
「へえ…フェリシアって凄いんだね…」
「えへへ、そうでも無いよ」
謙遜しながらも照れ恥ずかしそうに笑うフェリシア。
「じゃあなんか面白いの教えてよ!」
「うーん、そうだねぇ…」
そう言うと嬉しそうに椅子から立ち上がり、本棚へと駆け寄る少女。迷うこと無く大きな辞典のような本を1冊取り出し、抱きかかえながら戻ってくる。
「これとか結構面白かったよ!」
そう言いながらテーブルの上に本を置く。
巨大な図鑑らしき本だ。深い赤色の表紙には題名らしきどこかの国の文字があるだけで、とてもシンプルなものになっている。
「これは…?」
「お花の図鑑だよ、見てるだけでも結構面白いんだ」
そう言いながらフェリシアがページを開く。
真っ先に目に飛び込んできたのは、見たことのない花の写真と、それの説明らしき長々と連なる異国の文字。もちろん読めるわけもなく。
「…この花は?」
燃えるような朱紅色の花の写真を指差す。
「それはポインセチアだね。冬に咲く花なんだけど、お花の赤色と葉っぱの緑色の対比が綺麗だから私も好きなんだー」
「へぇ…初めて見たなぁ…」
まじまじと写真を見ていると、フェリシアが説明文らしき文字を指でなぞり始めた。
「花言葉はなんだったっけ…あ、これだこれだ、祝福、幸運を祈る、清純とからしいね」
「えっと…ハナコトバ?」
初めて聞いた単語。一体何の事なのだろう。
「あれ、知らない?」
少し驚いたような顔のフェリシアに、無言の頷きを返す。
「…お花にはね、それぞれいろんな想いや願いを込めて付けられた言葉があるの。喜びや悲しみを表現したり、あるいはこうあってほしいっていう気持ちだったり、花によっていろんな言葉があるんだ」
「へぇ…」
「先生に聞いた話なんだけど、この世界には数えきれないくらいの種類の花があって、その一つ一つに誰かがつけた言葉があるんだって。道端でも野山でも、どんな花にも花言葉はあって、その一つ一つが美しく咲いてるんだって言ってた」
「…それじゃあ、あの花にも花言葉があるの?」
そう言いながらチェストの上にある白い花瓶を指さす。円柱型のシンプルな花瓶には、まるで小さな胡蝶蘭のような花が首を垂れながら咲いている。
「ハーデンベルギアのこと?あれは確か…壮麗、思いやり、広い心、とかだったかな」
「なるほど……面白いね…」
花言葉。とても面白い文化だ。
もし本当にこの世界の花の全てに、誰かが様々な意味を込めて付けた言葉があるのなら、あの森や花畑に咲いていた花の一つ一つにも、誰かが想いを馳せて付けた言葉があるのだろうか。
それはとても素晴らしい事だ。とても、興味深い事だ。
「ねえ、もっと教えて!」
もっと知りたい。もっと味わいたい。
まだ知らない花達を、そこに込められた言葉を、そこから広がる世界を。
「うん!良いよ!」
フェリシアは、とても嬉しそうに一番の笑顔を見せた。
「…そうそう、この花は高い山とかに咲いてて…」
「…あ!これ見たことある!この花は…」
「…でね、春になると一斉に開花するらしくて…」
「っはぁー!こんなにママ以外の人と話したの初めて!お話って楽しいんだね!」
「私も、ここまで話が弾んだのは何時ぶりかなぁ…いつもは先生とか研究員の人ばっかりだから楽しかった!」
どうやら話に熱中しすぎて、気づけばかなりの時間が経っていたらしい。いつの間にかお菓子も紅茶も空になっている。
「…いつか、図鑑じゃなくて本物の花を見たいなぁ…」
隣で満足気なフェリシアが、どこか遠くを見るように呟いた。
「…私ね、ほんとはこの研究所から出たことないの。物心ついた時にはこの部屋にいて…だから私が知ってる世界はここの本棚だけなの」
「フェリシア…」
私と、同じだ。
私と同じように、自分の世界しか知らない少女。まだ話した時間はほんのわずかだが、それでも彼女の事が最初より分かったような気がする。どこか親近感のようなものを感じていた理由がようやくわかった。
であれば。もしそうならば。
「…私はね、夢があるの」
「夢…?」
彼女になら話してもいいだろう。
「そう、夢。私ね、もう少し大きくなったら旅に出るの。いつか本当の世界を、面白いものでいっぱいのこの世界を、自分の身体で一つ一つ見たいんだ」
少し恥ずかしげに笑いながら、ママにも話したことの無かった秘密を打ち明ける。ママには反対されるだろうが、フェリシアならわかってくれるかもしれない。
そう、思ったが。
「…フェリシア?」
少女の顔には、驚きと少々の悲しみの表情が貼り付いている。
「…無理だよリコリス……だって…だって…!」
フェリシアは俯き、今にも泣きだしそうな声で叫ぶ。
「だって…!世界はもう…!」
「なんだ、ここにいたのか」
突然響く、男性の声。つい数時間前に聞いた、無情な男の声。
「っ!」
反射的に声のする方を振り向くと、昼間に出会った、私を捕らえた薄灰色の迷彩服の男が、開いたばかりのドアの前に立っていた。
「…!フェリシア、離れて!」
椅子から立ち上がり男と対峙するが、残念ながら今の私に策などあるはずもなく。左足の傷が、先ほどよりも少し痛む。
「リコリス…?どうしたの?」
訳が分からないという表情を浮かべている。しかし今はそれどころでは。
「おや、もう仲良くなったのか。良いことだな」
「何を言って…あなたは…!」
「待って、リコリス」
落ち着いて、と言わんばかりにフェリシアが制す。
「…先生がここにいるということは、もう外は片付いたのね?」
「ああ、連中は既に撤退した。予定通り、追撃が来る前にここを離脱する」
先生…?ならばこの男がフェリシアの親代わりの人物だとでも言うのだろうか?
「わかったわ。ところで…」
フェリシアはチラッと私の方を見ると、少しだけ心配そうな顔をした。
「…リコリスと何かあったの?いや…その前に、この子を知ってるの?」
「…そうだね、その話もしなければならないね」
そう言うと、男は顔の大半を覆っていたヘルメットとゴーグルを外し、その素顔を晒した。
「君とはこれで2回目だね。僕はアコナイト・カールソン、気軽にアコンとでも呼んでくれ」
青紫色の短髪に藍色の瞳が目を引く、優しげな面持ちの男。年は20後半くらいだろうか、体格に見合った顔立ちだ。
「君の事はよく知っているよ。君のママから色々聞かされているからね」
「っ!?ママに…?!」
どういうことだ。ママをこの人は知り合いなのだろうか。
もしそうならば、何故。
「…君の言いたいことは分かる。何故見ず知らずの僕が、君へ傷をつけ、このような場所まで攫って運んだか、だろう?」
男がやさしく微笑む。
「…すまなかったね、どうしても連中の目をごまかしつつ君を保護するには、ああするしかなかったんだ。手荒な方法になって、本当にすまない」
「ちょっと待って、じゃあ先生がリコリスに傷をつけたってことなの?」
「…その通りさ。弁明の余地も無いけどね」
申し訳なさそうに首を振る男。
「…弁明なんて必要ないわ。どうしてそれをする必要があったか、今度こそ答えてもらえるでしょうね」
そう言うと、男は言葉で答えず、懐から銀色の弾丸のような物を取り出した。
「…それは?」
「君に撃ち込んだものと同じものだ。フェリシアなら選定の種、と言ったほうが伝わるかな」
「…!噓でしょ…じゃあ…」
「…フェリシア?」
隣で、まるで信じられないという表情を浮かべるフェリシア。
「じゃあ、リコリスが8人目だって言うの!?」
「ああ。これを取り込んでも生きてるということは、そういう事だろうさ」
「そんな…どうして…!」
フェリシアが声を荒げる。その顔には、深い悲しみと怒りが現れていた。
「2人とも何を言ってるの…?」
8人目。一体何の事だ。
「…リコリス。君に、良い知らせと悪い知らせがある」
男は表情を一つも崩さず言葉を続ける。
「まず良い知らせから。おめでとう、君はこの世界を救うべき花の巫女の一人に選ばれた。これはとても素晴らしいことだ」
まるで拍手の一つでも送りたいという顔。
「そして、ここからが悪い知らせだ。君は知る由も無かっただろうが…」
男は、とても悲しそうに微笑みながら次の言葉を口にした。
「この世界は、もうじき終末を迎える」
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