第18話 八天錬道・第七 兆し

東京某所。とある廃屋にて……。


「フフフ…あの乱月とやらもなかなかのものを残しておいてくれたようだな」


闇の中、邪悪が笑う。

この日、死怨院乱道は、かつて死怨院乱月が拠点として使用していた廃屋の地下にいた。

そこは、下界から結界によって隔たれ、一般人では……技量の低い呪術師すら踏み込めないところにあった。

死怨院乱道は、同じ死怨院呪殺道のものとしての独特の匂いを敏感にかぎ取って、その場所を特定し目ざとく見つけていた。


「この資料は……、ほう…現在の土御門の構成員のファイルか…。

 こちらは、蘆屋一族のものか…。

 ふむふむ…、西暦1975年? そこそこ昔から、奴は両勢力に干渉しているようだな」


机の上に乱雑に置かれた資料を目に通し、乱道はそう独りごちる。


「ふむふむ…。?

 これは……」


蘆屋一族の資料に目を通していた乱道は、その中の一つの項目に指で触れた」


「ほほう…なるほど。これは…まさか」


その資料を読むたび、乱道の笑みは強くなる。


「まさか、私が長年探していたモノが、こんなところで見つかるとは…。

 これもまた天命というものか……」


乱道は資料を机に置くと、亀裂のような笑みを作る。


「ならば…、次に目指すは…」


死怨院乱道は『万字ケ池……』と呟いてその場から姿を消した。



………………………………



その日、真名は瞑想していた。

心を落ち着け、体内の霊力の流れを整えて、思考をゼロにして瞑想を続ける。


「――――!」


不意に、真名は顔を歪め、目を開く。


「……またか」


真名はただ一人呟いて、ため息をついた。


真名はここ数日、嫌な感覚に苛まれていた。それは、本業の呪術特有の兆しを見る、一種の未来知覚。

それが、真名に不吉な気配を送っていたのである。


それが指し示すモノは……、


「死相……」


……何を馬鹿な、と真名は思い直す。頭を振って嫌な予感を振り払う。

真名は静かに立ち上がった。


「ならば、それに立ち向かうまでの事……」


真名のその目は、強い決意に満ちていた。


……もうすぐ、矢凪潤の最後から二番目の、八天錬道が開始される。



………………………………



芦ノ湖は箱根神社に隣接する水の底、矢凪潤たちは今そこにいた。

そこは、蘆屋八大天筆頭・毒水悪左衛門その人の拠点『九頭竜竜宮殿』であった。

今回はこの地で八天錬道が行われる。


潤と真名はその竜宮殿の社前の広場で、悪左衛門その人が現れるのを待つ。


「悪左衛門様が最後ではなかったんですね?」


潤はなんともなしにそう言う。

隣に立っている真名は、


「そうだ…、八天錬道は、この次の天翔尼様が最後であり、そこで蘆屋秘術の奥義である『天羅荒神』を習得することになる」


そう言って笑った。


「それって…今僕に話していいんですか?」


潤が疑問を真名に投げかける。真名はそれにこたえる。


「構わんさ、この段階になったらほぼ試練らしい試練はない。

 八大天様方との契約のための儀式のようなものだ。

 それを終えたら、お前は蘆屋一族の特級陰陽法師となることができる」


「特級陰陽法師…」


「それは、他の陰陽法師を指揮・監督する特別階級の術師に与えられる称号だ。

 それで、名実ともに私と同じ地位となる」


それを聞いて潤は苦笑いをする。


「なんか、それは変な気分ですね。まだまだ師匠に追いついたとは到底思えません」


真名は優し気な笑顔で潤を見つめる。


「いや、潤は強くなったさ…。少なくとも同年代でお前を超えるものは一人としていない。

 もっとも、私はこれからも強くなるから、簡単には追いつかせんがな」


そう真名が言ったときに、不意に何者かが声をかけてくる。


「いやいや、どうなるかはわかりませんぞ?」


「? 悪左衛門様?」


…そう、社から現れ潤たちに声をかけたのは毒水悪左衛門その人であった。


「姫様もなかなかの速さで八天錬道を乗り越えましたが、潤殿もなかなかのものです。

 いやはや、この年になって、これほどの逸材を二人も目にしようとは…、長生きはするものですな。ほほほ…」


毒水悪左衛門はそう言って、『悪』の文字の入った扇をひらひらさせる。


「それって…僕と…真名さんのことですか?」


悪左衛門はその潤の問いに嬉しそうに答える。


「その通りですぞ。

 ここ数百年、十代後半から二十代前半で、八天錬道をこなしたものは潤殿、あなたと真名様のみです。

 並のものは三十代前半でも、こなせるかどうか…」


その言葉に潤は驚く。


「え? それって…」


「無論、潤殿がこれほど早く八天錬道をこなせたのは、あなたの持つ『使鬼の目』のおかげですがな。

 並の術者は、長い修行で獲得した術式を組み上げて、八天秘法を構成することとなるが、潤殿は『使鬼の目』を触媒に術式を構成できるため、その分楽に術式を展開できる…。

 そして姫様も…」


「真名さんも同じなんですか?」


「そうですよ。

 なぜなら姫様は『欠落症』ですからな…」


その悪左衛門の言葉に潤は再び驚く。


「『欠落症』って、真名さんが患っている病気?」


「そう、その『欠落症』です。

 『欠落症』とは、生まれつき魂の枠が一部欠けているために、体内の気が流れ出て死に至る奇病です。

 しかし、逆に言えば、それは『天地自然の気』により近い魂を持つのが姫様です。

 短所は上手く扱えば長所にもなりうる…。

 それを、姫様に教えたのが、彼女の母である咲菜様でした」


潤は悪左衛門のその言葉を聞いて、真名のほうを振り返り見た。

真名は少し苦笑いしつつ言った。


「そう…、私の母は、私の『欠落症』を治療する研究をしていた。

 そして、その中で治療以外のアプローチで、『欠落症』を克服する方法も研究していたんだ。

 それこそが、今の私の体を支える術式…『森羅万象』なんだよ」


「森羅万象…」


…それは、確か外部の霊力を急速に取り込む術式だったはず。

その術は真名の体と魂を支える役割も持つらしい。


「母は私にいろんなものを残してくれた…。

 この身に宿る『森羅万象』…そして、

 決してあきらめない心…。

 自分の身を蝕む病気すら力に変えてしまえ…。

 そうすれば、絶対になれないと言われる呪術師にだって、なることはできると…」


…そう、それこそが真名が決してあきらめない、強い心の根源…。


「真名さん…」


潤は真名の母に思いをはせる。

どれだけ多くのものを、真名に残したのだろうか?

そして、それは自分の母も…。


しばらく、黙って真名を見つめた後、潤は悪左衛門に向き直る。


「それでは、悪左衛門様…」


「そうですね…。早速始めましょうか?」


悪左衛門は潤を促して、社の中に導く。潤はそれに倣って社の中に入っていった。

真名はそれをいつまでも見送っていた。



………………………………



「さて…潤殿…。

 今より八天錬道・第七の儀を始めますがよろしいか?」


悪左衛門はだだっ広い、真っ暗な社の広間の中央に正座して潤に相対する。

潤もまた、それに相対するように、真剣な眼で正座した。


「よろしくお願いします」


「ふむ…では、これから行うことを説明します。

 八天錬道第七の儀それは…」


潤は思わずごくりとつばを飲み込む。

それを気にする様子もなく、悪左衛門は言葉をつづけた。


「私の知覚を一時的に共有するのです」


「え?」


潤は思わず聞き返した。

悪左衛門は無表情で答える。


「共有…すなわち使鬼の仮契約です。

 無論、本契約とは違い私はあなたの使鬼にはなりません」


「それはもちろんですが…」


現在、悪左衛門は蘆屋一族頭首・蘆屋道禅の使鬼を務めている。

そのため、重複して契約することは不可能であるはずなのだ。


「でも…」


それは、潤にとってはあまりにたやすいことである。

何より使鬼の契約・使役では、潤を超える術者はそうはいないはずであるからだ。

その潤の心を見透かすように、悪左衛門は言葉をつづける。


「無論、今の潤殿には容易いことでしょうな…。

 しかし、本題は知覚を共有してのちです。

 決して容易いとは思わないでください」


「は…はい…」


潤は、悪左衛門のその言葉に気持ちを正した。

悪左衛門は頷いて告げる。



「では、早速始めましょうか?」


「……」


潤は、さっそく悪左衛門に向かって手をかざし、呪を唱え始めた。


「中央五方五千乙護法、唯今行じ奉る。

 …」


次第に潤の霊力が高まり、精神がフラットになっていく。


「…諸有障碍災難即疾消除し諸願成就したまえ」


潤の目がうっすらと輝きはじめ、その身から光の靄が立ち上り始める。


「オンウカヤボダヤダルマシキビヤクソワカ」


そう呪を唱えた時、潤の意識が一気に闇に吸い込まれ始める。


(…?! なんだ?!)


こんなことは初めての経験であった。

契約によってつなげた先の魂があまりに巨大すぎる。

逆に取り込まれ、魂が飲み込まれる感覚を覚えた。


(!! まずいこのままじゃ!!)


それは、自身の魂の喪失…。

巨大な自然の脅威に翻弄され、ちぎれ飛ぶ木の葉のような感覚。

潤は魂がちぎれ飛ぶ感覚に、声のない悲鳴をあげた。


一瞬で意識が反転する。



………………………………



いつからそこに立っていたのか?

潤は闇の中に一人佇んでいた。


(…?)


なぜか潤は声が出せない。


(僕は…、悪左衛門様の魂に飲み込まれて…)


魂が引き裂かれる感覚はあった。

もしかして自分は死んだのだろうか?


(…あれ?)


潤は自分の手のひらを見ようとしたが見ることはできなかった。

そもそも、自分の体はそこには存在しなかった。


(これは…どうなって…)


ならば、声が出せない理由もよくわかる。

言葉を出す器官がなければ言葉は出せないからだ。


(でも…)


不思議と潤は不安にはならなかった。

まるで、暖かな毛布にくるまれているような、そんな感覚を覚えていた。


(?)


不意に、遠くに光が見えた。

目がないから、光が見えるはずはないのだが。


ゆらゆらと光は舞い、潤の心に触れてくる。


(…潤)


それはどこか懐かしい声。

そう思っていると、別の光が現れ潤の心に触れてくる。


(…潤)


そういう懐かしい声が、光が次々現れ潤の心に触れてくる。

そうするうちに、潤はやっと自分がどうなっているのかを悟った。


(…やっとわかった。

 今僕は大地の気の流れ…地脈と一つになっているんだ)


潤ははっきりと理解する。

魂の枠が外れて地脈に魂が溶けている事実を。


(でもどうして?)


潤は悪左衛門と使鬼契約をしただけのはずである。

それがこんなことになるとは。果たして自分は元に戻れるのか?


(…真名さん)


不意に、潤は声のない言葉をつぶやく。

元に戻ることができないかもしれない、そう思ったとき一番に思い出したのは、真名の笑顔であった。


(!!)


突然、何やら突風のようなものが潤の心を走る。

そして…

潤はある光景を目の当たりにした…。


(真名さん!!!)


潤はその光景に声のない叫びをあげる。


…そして、意識は反転した。



………………………………



「!!!」


潤は不意に夢から覚めた。そこは、先ほどの社の広場。

そこで悪左衛門の前で正座する自分を確認する。


「え?」


今まで自分は何をしていたのか、その記憶がすっぽり抜け落ちている。


「僕は…」


潤が首をかしげていると、悪左衛門が言葉を発した。


「八天錬道第七の儀は完了いたしました」


「え? そうなんですか?」


潤には何かをした記憶がない。


「大丈夫です。すでにあなたは八天法・明見識法めいけんしきほうの術式が刻み込まれています」


明見識法めいけんしきほう?」


「そうです。それは、先の先を見通す目…。

 簡略化された絶対先制です」


「絶対先制って、悪左衛門様の神位特効…」


悪左衛門は満足げに頷く。


「そうです。

 明見識法めいけんしきほうとは一瞬の先を見て、相手の行動に先んじる感覚を得る術」


そういうと悪左衛門は懐から小さな鱗を十数枚取り出す。


「これが、その術を発動するための触媒です。

 持っていきなさい」


こうして、八天錬道第七の儀は終わりを告げた。

しかし、潤は何やら不安を心に得ていた。


(…僕はさっき、忘れてはいけないものを見たような…)


その不安は、現実の脅威となって潤を襲うことになる。



………………………………



潤たちは八天錬道を終えて道摩府への帰路についた。

芦ノ湖を眺めながら、獅道が運転する車は道路を走っていく。


「…どうした潤」


突然、真名がそう潤に話しかけてくる。


「いえ…」


潤はあいまいにそう答える。何より潤自身その心の不安の原因がわからないのだ。


(…何なんだ。この気持ちは…)


…と、突然、車内が真っ暗になる。

トンネルに入ったのだろうか?


「…潤」


真名が険しい表情で潤に向かって呟く。


「え? あれ?」


いつの間にか、車は停車している。獅道は眼を見開いたまま動く気配もない。


「…潤。準備をしろ」


「…」


真名のその言葉に『何を?』とは返さない。

なぜなら、潤の目前にその理由が『立っている』からだ。

そこに、車の進路を遮るように、一人の男が立っていた。


その名を…


と言った…。

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