第14話 八天錬道・第五 真名の決意

西暦2022年5月の始め

滋賀県野洲市御神、御神山の奥にある千脚大王の神殿。


今日、矢凪潤は新たな八天錬道…第五の試練に臨もうとしていた。


「もうすぐ…試練…」


そう千脚大王が呟く。物静かでほとんどしゃべらない千脚大王の、今日数回目の潤の前での言葉である。


『千脚大王』

かつてこの御神山に住んでいたという伝説の残る大百足その人。

この地に住んでいたとある豪族の娘をさらい。近くの村々に多くの害をなしたとされる大妖怪。

しかし、ある日、琵琶湖の龍神に導かれたとある英雄によって退治されたと伝説には残っている。


その千脚大王の妻であり、彼を祀る巫女である『今城太夫こんせいたゆう』が代わりに口を開く。


「もうすぐ試練場につきますわ。そこに着いたらさっそく試練を受けていただきます」


「はい」


矢凪潤が緊張した面持ちで答える。


「フフフ…そんなに緊張しなくても大丈夫。貴方の力を正しく扱えば、きっと成功しますわ」


今城太夫はそう言って笑う。

そうするうちに、神殿の最奥、大きな扉の前にたどり着く。


「さて…旦那様」


「うむ…」


今城太夫の言葉に、千脚大王が扉の方へと歩いていく。そして、両手を扉に当てて重々しく開いた。


ゴゴゴゴ…


石ずれの音とともに開く扉。その奥にはどれだけ広いのか、反対側がうっすらとしか見えないほどの巨大な部屋にたどり着いた。


「ここが試練場ですわ…」


今城太夫の言葉に、潤は黙って頷く。


「…」


千脚大王が黙って部屋の奥を指さす。そこにソレがいた。


「?!」


その姿に潤が一瞬息をのむ。

そこにいたのは、鎧兜をつけた中年ぐらいの歳の武者であった。その手には人の身長ほどもある長弓を持っている。


「今回の試練は単純ですわ。あの武者の放つ矢をすべて避けきることです」


「避ける?」


「そう。無論術で受けても構いませんよ? 要は貴方の身に矢が刺さらなければ成功です」


今城太夫はそういって潤に笑いかける。


【潤…そんなに難しそうじゃねえな】


肩に乗っている蜘蛛…美奈津がそう潤に話しかけてくる。


「そうかな? 実際やってみないと分からないし…。おそらくただの矢じゃないのかもしれない」


【むう? でもよく見ろよあの武者…】


「え?」


美奈津のその言葉に、潤は武者をよく観察する。


【背負っている矢筒に矢が三本しかないぜ?】


「あ!」


確かに美奈津の言う通りだ。矢筒に見える矢の尾は三つしかない。


「これって三回避けたら…」


潤は今城太夫の方に向き直る。その潤の問いに太夫は答える。


「ええそうです。武者の矢は三本。避けるのは三回それだけです。

そして、矢は刺さっても怪我はしません。何度でも挑戦してかまいませんわ」


「…」


その太夫の笑顔に、逆に渋い顔を潤はした。


(これは…絶対ただでは済まない…)


そしてその予感は確かに当たることになるのである。



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千脚大王の神殿の一室。そこに真名と奈尾はいた。

今回の試練は、直接受ける者以外のひとは立ち会うことが出来ない決まりだからだ。

奈尾が真名に呟く。


「心配っすか?」


「む?」


「いやそんな顔してたっす」


「…」


真名の表情は奈尾の言葉通り暗かった。


「心配はしていないさ。試練に成功するだろうし」


「そうっすか? それじゃあどうしたっす?」


「…」


真名は黙って腕を組んでため息を付く。


「わからん」


そう、それだけを奈尾に答えた。


「真名姫様にも分からないことってあるっすね? これはやっぱり…」


「なんだ?」


真名は奈尾のことを睨み付ける。ここ最近奈尾があることで自分をからかうことを理解しているからだ。


「恋する乙女は、相手が無事と分かっていても心配なモノっすよね?」


「…」


その奈尾の言葉を真名は無視した。

でも…、


(最近の私は確かにどうかしているのかもな…。これは…本当に…)


真名は潤の事を思い浮かべる。すると少し心が温かくなるのを自分で感じた。


(私は…)


潤が今行っている八天錬道…、それは蘆屋一族の中核となるために必要な試練である。

それを行って成功した者は、蘆屋の宗家と同じとして扱われ、そして…、

それは、蘆屋道禅の娘である自分と婚姻を結べる、ということでもある。


(私は…そんな邪な気持ちで潤を試練に向かわせたわけじゃ…)


真名はその心の中の靄を振り払う。そして、


(私の気持ちが…もしそうだとしたら…。

私は一度自分の気持ちとしっかり向き合わねばならんだろうな)


そう真名は心に決めたのである。



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そうして真名が一人心の中で決意していた時、試練場では十数回目の挑戦が行われていた。


びゅん!!!


凄まじい風切り音とともに矢が飛翔する。


「く!!!」


それを何とか避けようと加速する潤。しかし、


ドン!!


凄まじい衝撃とともに潤が吹っ飛ぶ。潤の肩に矢が突き刺さっていた。


「…」


千脚大王は黙って手を上げる。

すると、その矢は霞のように消えてなくなる。その後には傷一つついてはいない。


「はあ…はあ…」


その場に倒れながら潤は息をつく。


こんなことを何回繰り返したろうか?

潤は武者の放つ矢を一回も避けることが出来ていなかった。


(なんて…スピードと…)


その矢は縦横無尽に軌道を変化させた。まるで潤を追尾するように変化して確実に命中させて来る。


「…どうしました? 降参ですか?」


そう今城太夫が言う。しかし、


「いえ!」


そう言って潤は元気に立ち上がる。


「その意気です…。それに…」


今城太夫は潤の目を見て頷く。


「どうやら、今までのは肩慣らしだったようですね?」


その言葉に沈黙で答える潤。武者が再び矢をつがえる。


「刺さらなければ…触れてもいいんですよね?」


そう潤が太夫に確認する。太夫は大きく頷く。

その返事を見て潤は強い意志を込めた目で武者を睨んだ。


「行きます!!」


その瞬間、武者が矢を放った。


びゅん!!


一気に矢が加速して飛来する。潤はあえて真っ直ぐに突っ込んだ。


「【おおおお!!!!!】」


潤と美奈津の精神が共鳴する。そこに矢が到達した。


<金剛拳!>


ズドン!


矢が潤の肉体に到達しようとした瞬間、その横っ面を霊装怪腕の拳が殴り飛ばした。

それによって大きく軌道をそらされた矢は、地面に突き刺さって大きな轟音と土煙を出した。


「まず一つ!!!」


武者が次の矢をつがえる。

潤は一気に武者の方に駆けた。


びゅん!!


風切り音とともに矢が飛翔する。


<妖縛糸>


美奈津が矢に向かって糸を放つ。その網に絡みつかれた矢はその威力を削減される。


「しろう!!」


【は!!】


次に潤はシロウを呼ぶ。そして…、


ガキン!!


シロウは空中でその矢を咥え止める。


「これで二つ目!!」


潤は武者との間合いを一定に保ちながら広場を駆ける。次の矢を待った。


すると、武者はゆっくりと三本目の矢を手にする。


(来るか!!!!)


それを警戒しつつ待つ潤。

すると…


武者は、その矢に唾をひと塗り。


『南無八幡大菩薩…』そう呟いて矢を弓につがえた。


「?!」


ズドン!!!


それは一瞬の出来事だった。

矢が閃光となって潤に突き刺さったのである。避ける暇も防御する暇も存在しなかった。

綺麗に吹っ飛ぶ潤。


「く…!!」


そのまま地面に転がって呻く。


(な? なんだ? 今のは…)


あまりのことに潤は戸惑っていた。それまでの矢は速いながら対応することが出来たが、最後の矢は全く違う。

それはまるで、ライトで光線を当てられたのと同じで、気づいたらもう命中していたと言った感じであった。


(あれを…避けるか…防げと?)


それは不可能な冗談に思えた。


「さすがですね…潤様。前二つの矢はなんとかして見せたのはお見事です。でも本番はこれからですよ?」


潤はなんとか立ち上がってから呟く。


「そう言うことか…」


その呟きに太夫が笑顔を向ける。


「どうしました?」


「やっとわかりました…。三本の矢の前二つは、これまでの試練を乗り越えた証を示すためのものだったんですね?」


「フフフ…ご名答です。ならば最後の矢は?」


「そう、その最後の矢…。あの防御不可能な矢を防御して見せるのが、今回の試練の本番だということですね?」


「フフフ…」


潤のその答えに、満足げに笑う太夫。


「その通りです…。あの矢をどうやって防ぎますか?

あの矢こそ、かつて千脚大王様が受けた、英雄武者の最強の一矢…。

それをあなたが防いで見せてください…

ヒントは…『識の意味を知りなさい』ですわ」


「…」


潤は武者を睨む。武者は無言で矢をつがえる。

試練の本番が始まった。



-----------------------------



潤達が神殿の奥の試練場に向かって八時間が経とうとしている。


「遅いっすね」


「…」


真名は黙って目をつむっている。


「さて…これはおいらも準備をしておいた方がいいすかね?」


それは…潤を喰らう準備ということであり…。

真名は無言で奈尾を睨んだ。


「睨んでも無駄っすよ? これは決まりっすから」


「わかっているさ」


真名はそう言って天を仰ぐ。


(潤…信じているぞ…)


そう心の中で真名はつぶやいた。



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「…」


潤は再び地面に突っ伏していた。

試練を初めて何時間になるだろう?

三本の矢のうち前二本は防御できるが、どうしても三本目が防げない。

あの閃光のような矢を避けるのは、はっきり言ってどんな術を使おうが無理な様に思えた。


「もう試練を諦めますか?」


太夫が冷たく言い放つ。潤はなんとか立ち上がって首を横に振る。


「その意気です」


その姿に太夫が満足げに笑う。


今まで何十、何百と最後の矢を受けてきて、分かったことがあった。

それは、あの最後の矢には、すさまじいまでの霊威が込められているということである。

それは対神呪術に匹敵し、それを防ぐための防御呪も対神防御でなければならないということであった。

だが、潤は対神防御呪を習得していない。それは、事実上防ぐことが不可能ということであり…。


(攻略不可能な試練? いやそんなはずはない…。今までもそうだった。何か乗り越える手立てがあるはずだ)


潤はもう一度最後の矢に関して感じたことを思い出す。


(あの矢はすでに普通の矢のような飛翔から命中という過程を踏んではいない。

放った瞬間、命中している事実を生み出す呪いの様なものだ…。

そしてそれをなしている根源が、矢に込められた霊威…。

多分アレは、龍神系の思われる神気と、八幡神の神気…。

その相乗効果で、あそこまで強力な対神攻撃になっているんだ)


「…そういえば」


不意に潤は真名の歴史授業を思い出した。

それは、かの千脚大王の真実の歴史。


千脚大王は、決して人間を傷つけるような妖怪ではなかった。

何より、その地方に住む豪族の娘を娶って、慎ましやかに暮らしていたのだ。

しかし、琵琶湖の龍神にとって彼の存在は目障りでしかなかった。だから、一人の英雄を導いて千脚大王を退治させようとしたのだ。

英雄は伝説の通り三本の矢で千脚大王を仕留めようとした。

そして、一本目、二本目は、硬い甲殻で防ぐことが出来たが、三本目は無理だった。

琵琶湖の龍神の加護と、八幡神の加護の同時強化を受けた矢は、神ですら貫く魔弾であった。

伝説では、その矢によって千脚大王は退治されたとされている。


「でも…彼は生きている」


潤はそう言って千脚大王を見る。


(ならば…千脚大王はあの矢を防いだということだ)


そして、潤は思い出す。

太夫の言ったヒント『識の意味を知りなさい』。


仏教用語において『識』とは、対象を分析し分類して区別・認識する作用のことである。


(識の意味…それは、対象を分析する事、洞察力、意識…)


そして、それは自身と対象を明確に区別する行為に他ならない。


「!!! そうか!!!」


潤はひらめきを得た。

その瞬間、武者が一番目の矢を放つ。潤は綺麗に避けて金剛拳で撃ち落とす。


(僕の考えが確かなら!!!)


武者が二本目の矢を放つ。これも綺麗に避けて撃ち落とす。


(これから放たれる三本目の矢は!!!!)


潤は意識を集中して『使鬼の目』を起動する。その瞬間武者の三本目の矢が放たれた。


ズドン!!!!


それは確かに潤に命中した。


「!!!!」


太夫が驚きの表情を見せる。

三本目の矢が潤に命中し…、

その身に刺さっていなかった。


「これでいいんですよね?」


潤は微笑んでその矢を手に掴む。その矢は静かに霞のごとく消えた。


「お見事!!!!」


太夫が笑顔で潤を祝福する。

潤は笑いながら言う。


「さっきの矢は…かなり単純で純粋な攻撃呪です。

要するに矢を対象の一部と誤認させ、そのまま目標に刺さった状態を生み出してしまう、絶対命中・絶対貫通の攻撃呪」


「その通りですわ…。

あの矢は因果を操作して、命中貫通した事象をそのまま生み出してしまう」


「だから、僕はその認識を拒絶しました。両者は明確に別の存在であると区別をしたんです」


「矢に展開する術式そのものに干渉し修正したのですね?」


「そうです。だから今回は命中しても刺さらなかった」


「お見事ですわ」


太夫は笑顔で潤に言う。


「その感覚を決して忘れないで下さい。それが蘆屋流八天秘法・金剛錬身の基礎となります」


「金剛錬身…」


「金剛錬身は、物理的な方法で攻撃を防ぐ防御呪ではありません。

対象の攻撃呪が使用者の身に到達し傷つける、その因果そのものを無効にして拒絶する術です。

これによって、術使用後一回のみあらゆる攻撃を防ぐことが出来ます」


静かに太夫の言葉を聞いていた千脚大王が、潤の前に進み出てその掌を出す。

そこには小さな欠片が十数個あった。

太夫が大王の代わりに話す。


「それは、旦那様の甲殻の欠片。術を扱うための触媒です。大事に使ってくださいね?」


「はい!」


潤は元気よく答えて、千脚大王の掌から触媒をとる。

千脚大王は満足げに笑って頷いた。


こうして、八天錬道の五番目の試練が終わりを告げた。


残り試練は三つ。

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