第2話 八天錬道・第一 始まりの儀

兵庫県中大市・山中。


その木々の合間に隠れるように、一人の少女が佇んでいた。


「ふう…今日も今日とて暑いっすね…。いやんなってくるっす」


その少女は、明らかに人とは違う様相を持っていた。

その耳は、頭のてっぺんから空へとピンと伸び、その尻には日本犬独特の巻尾が生えている。

さらに、その頬から数本のヒゲが生えている。いわゆる半獣半人の姿であった。


「…まあ、寒い冬よりかはましっすかね…。おいら冬はダメっすからね…」


ふと、その少女が鼻をクンクンと動かす。


「おや? 人間の匂いが近づいてくるっすね。珍しい…」


少女は首をかしげてしばらく考える。


「そう言えば。八天錬道の始まりの儀を行うって、瞬那様が言ってたっすね。そのヒトかな?」


少女はしばらく考えた後、にやりと笑った。


「ならば。おいらもいかなければならないっすね。さて、今回はどれだけもつかねえ…」


少女はそう言って森の奥に消えていった。



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10日前、道摩府。


「『八天錬道』…ですか?」


潤は真名に向かってそう言った。


「そうだ、八天錬道…。お前にはそれを受けてもらう」


真名は真面目な顔でそう答えた。


「いったいそれは何なんです?」


潤は初めて聞く名前に、真名に疑問を投げかけた。


「八天錬道とは、蘆屋一族の秘術を習得するための特別な修行法だ。それを実行し成功した者は、蘆屋一族の中核を担う者となる。そして、それは私や父上もかつて実行した修行法でもある」


「それって…」


「そう、この八天錬道に成功すれば、お前は名実ともに私と同格の術者として扱われることになる」


真名のその言葉を聞いて、潤は息をのんだ。真名は続ける。


「しかし、この修行法には一つだけ重大な約束事がある」


「約束事?」


「そう、蘆屋一族の秘術を習得する修行ゆえに、途中休息はできても中断してやめることはできない。やめるときは、蘆屋の術のすべてを封印して放逐されることになる」


「秘術のすべてを習得するか…。それとも蘆屋の陰陽法師をやめるかのどちらかということですか?」


「その通りだ」


潤はその答えにつばを飲み込んだ。果たして自分にそれが出来るのであろうか。


「潤…。これまでのお前を見てきて、お前なら十分に、この試練を乗り越えられると確信を持っている」


「真名さん…」


「どうだ? 八天錬道…受けるつもりはあるか?」


「…」


潤はしばらく考えてから答えを発した。無論その答えは…。



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兵庫県中大市・山犬一族の隠れ里。

そこに、今、潤と真名はいた。


「よくいらっしゃいました姫様。そして矢凪潤様」


そう言って頭を下げたのは瞬那である。


「ああ、瞬那。しばらくの間厄介になるぞ」


真名はそう言ってから、潤の方を見る。それを見た瞬那は。


「八天錬道…。始まりの儀。成功されることをお祈りします」


そう言って潤に微笑みかけた。


「は! はい!」


潤は緊張した様子で答えた。瞬那は。


「…では、さっそくですが、八天の修練場へと行きましょう」


そう言って、里の奥へと歩いていく。潤と真名はそれに続いた。


それから、十分ほど歩いたろうか、周囲を注連縄で囲まれた広場が見えてきた。


「修練場の準備はすでに終わっております。この注連縄の中にいる限り、あらゆる呪を触媒の必要なしに発動できます」


「…そ、そんなことが」


その瞬那の言葉に、潤が驚く。触媒無しであらゆる呪を発動できるなんて、普通ではありえないことだ。


「この地は特別な地ですので、それが可能なのです」


「無論、七日七晩の儀式も必要だが」


瞬那と真名がそう答える。


「それで、此処で僕はどんなことをすればよいのでしょう?」


潤は恐る恐る瞬那に聞いてみた。


「八天錬道・始まりの儀…。それは、一つの試練を乗り越えることです」


「試練ですか?」


「そう、その試練は至極単純。貴方の背後にいる『奈尾なお』を捕まえることですよ」


瞬那はそう言って笑った。


「え?」


潤はその言葉に驚いて振り返る。しかし、


「アレ?」


背後には誰もいない。


「どうしたっすか? おいらはこっちっすよ」


…ふと、そう言う声が潤の背後から聞こえた。潤は驚いて振り返る。しかし、


「え、どうして?」


振り返っても誰もいなかった。すると瞬那が、


「奈尾…。遊んでいないで、自己紹介なさい」


そう言って笑った。


「仕方がないっすね」


その声とともに、潤の目の前に一人の少女が現れる。


「おいらの名前は奈尾っす。八天錬道の送り犬を務めてるっす」


それは、明らかにヒトならざる少女だった。

その耳は、頭のてっぺんから空へとピンと伸び、その尻には日本犬独特の巻尾が生えている。

さらに、その頬から数本のヒゲが生えている。


「送り犬?」


少女の言葉を聞いて、潤は一番疑問に思った言葉を発した。


「そうっす。送り犬っす。あんたが八天錬道を進むのにふさわしいか見極め、そしてふさわしいとなったらその道を言うのを見守り、もし躓いたらあんたをとって喰うのがおいらの役目っす」


「え? とって喰う?」


「フフフ…。別に、本当に物理的に食ってもいいっすけど、正しくは違う意味っす。あんたの蘆屋の呪術師としての能を食らうっす」


「それって…」


潤は奈尾のその言葉を聞いて、10日前の真名の言葉を思い出した。


『そう、蘆屋一族の秘術を習得する修行ゆえに、途中休息はできても中断してやめることはできない。やめるときは、蘆屋の術のすべてを封印して放逐されることになる』


「呪術師としての能を食らう…。呪術師じゃなくなる…」


潤のその呟きに、奈尾はにやりと笑う。


「そうっす。やめるなら今っすよ? せっかく今まで習得してきたものがなくなるっす」


「…」


潤はその言葉にしばらく考えていたが。


「そうはいきません。僕は八天錬道を受けると決めました」


そう言って奈尾を見つめ返した。奈尾は、


「ほう、いい顔っすね。ならば、もう何も言わないっす。早く始まりの試練を受けるっすよ」


そう言って笑った。


「では、奈尾…、潤様…。両者、修練場の中心へと進んでください。そこで、八天錬道・始まりの儀を始めるとしましょう」


瞬那がそう言うと、奈尾と潤は修練場へと入っていった。


(潤…お前ならできる…。大丈夫だ)


真名はそう考えながら、修練場の中心へと歩を進める潤を見守った。


潤と奈尾が修練場の中心にたどり着き、対峙すると。瞬那が声をかけてきた。


「では、八天錬道・始まりの儀を始めます。

 もう一度確認しますが、今回の試練は至極単純。潤様が、目の前の奈尾を捕まえること。ただそれだけです。

 呪はどのようなものを使っても、使鬼を使っても構いません。ただし、相手を殺傷することは禁じます。以上理解できましたか?」


潤はそれに答える。


「はい理解しました」


その答えに満足した瞬那は改めて言う。


「では! 八天錬道・始まりの儀開始!!」


次の瞬間、潤が奈尾に向かって駆けた。

それが、潤の長く続く試練の旅の始まりであった。



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潤は奈尾に向かって駆ける。その間合いは一気に縮まって、その手が奈尾に届くまでになる。しかし、


「フフ! 甘いっすよ!」


奈尾は素早く後方に飛びずさった。一気に間合いが広がっていく。


「く、この…」


潤はさらに、足に力を込めてダッシュする。なんとか奈尾との距離を縮めようとする。


「ははは!!! いい走りっすね! しかし、無駄っす!」


奈尾はさらに加速して飛びずさる。そして、


「ほら! 危ないっすよ!」


奈尾は注連縄が張られているエリアの端で直角に曲がった。

潤は曲がり切れずそのまま注連縄のエリアから出てしまう。


「潤様。注連縄が張られている範囲から出ないようにお願いします。

 注連縄のエリア内でない場合、奈尾を捕まえても、試練は無効となりますので」


瞬那がそう潤に話しかける。潤は唇をかんで、注連縄の張られているエリアに戻った。


「どうしたっすか? もう終わりっすか?」


奈尾はそう言って潤を挑発する。潤は


(落ち着け…。今回の試練は、相手を捕まえること。それもどんな術、使鬼を使ってもいいんだ…。ならば)


そう考えると、印を結んで呪を唱えた。


「オンアロマヤテングスマンキソワカ」


蘆屋流天狗法あしやりゅうてんぐほう健脚疾走けんきゃくしっそう


天狗の霊威が潤の脚に宿る。


「行くぞ!」


潤はそう叫ぶが早いか、一気に奈尾に向けて加速した。


「おう?!」


潤は衝撃波を伴いながら疾走する。間合いが一気に縮む。


「はは!! こりゃ凄いっすね!!」


…と、突然奈尾が潤の視界から消えた。


「?!」


潤は奈尾を見失い、そのまま注連縄のエリアを通り過ぎてしまう。


「く…どこに…」


潤は、その場に止まって、奈尾を探す。しかし、


「どうしたっすか? また、おいらが見えなくなったっすか?」


そう言う言葉が聞こえるだけで奈尾の姿が見えない。


「く…どうして?」


「どうしてっすかね? フフフ…」


奈尾の笑い声が聞こえてくる。…と、その時。


【主よ】


その声は、幽体化しているしろうのものだった。


「しろう?」


【主よ。相手は主のすぐそばに立っております】


「な!? しろう見えるのか?」


【見えるも何も…。相手は普通に立っているだけです。おそらく…】


それは単純な答えだった。奈尾は潤の死角を察知してそこに隠れることで、消えたように見せかけていたのだ。


「く…そう言うことか…」


潤は悔し気に言った。


「フフフ…。どうやら、カラクリに気づいたようっすね。で? どうするっすか?」


奈尾のその言葉に潤は。


「僕一人で何とかできないかとも思ったけど。やっぱりそれは違うみたいだ…。そうだね、しろう…」


潤は決意した表情で印を結ぶ。


「カラリンチョウカラリンソワカ…」


蘆屋流鬼神使役法あしやりゅうきしんしえきほう鬼神召喚きしんしょうかん


志狼しろう来い!!!」


その瞬間、地面にまばゆく輝く五芒星ペンタグラムが現れた。

そして、そこから現れたのは…


【護法鬼神・志狼! ただいま参上!!】


頭に二本の角を持った白い毛並みの柴犬であった。

ただその大きさは人ひとりが背に乗れるほどもある。


潤はさらに呪を唱える。


「ナウマクサンマンダボダナンバヤベイソワカ」


蘆屋流鬼神使役法あしやりゅうきしんしえきほう疾風迅雷しっぷうじんらい


しろうが竜巻をその身にまとう。


「行くぞ! しろう!!」


【はい主よ!!】


その声とともに、潤としろうが一気に加速する。


「おう?!!!」


奈尾は潤としろうの動きに驚いた。

潤としろうは、お互いの死角を失くすように動いていた。それは、使鬼の基本能力である感覚共有で、完全な無死角となる。


「ち…これはなかなかやるっすね」


「しろう!! 奴の動きを止めろ!!」


潤は叫ぶ。その言葉にしろうが答える。


【了解!!】


しろうが一気に加速、奈尾に近接その腕にかぶりついた。


「くう!!!」


奈尾は痛そうに顔をしかめる。動きが一瞬遅くなる。


(いまだ!!! 不動金縛りの術で!!)


動きを止めれば試練は終わり…。



そのはずだった…。



「ははははは!!! これはなかなかやるっすね!!!! では本気の加速を見せるっす!!」


その言葉が発せられた次の瞬間、


【ギャン!!】


「しろう?!」


奈尾が一瞬でかき消えて、しろうが吹き飛ばされたのである。


「バカな、どこに?」


もう死角に隠れるなんてことはできないハズだった。ならばこれは…。


「フフフ…。こっちっすよ」


いつの間にか、修練場の中心、そこに奈尾は立っていた。


「な…」


「見えましたか? 見えなかったっすよね? おいらの最大加速…」


その言葉を聞いて潤は


「まさか…今のが、君の…」


そう呟く。

そう、さっき奈尾がかき消えたのは、奈尾が最大速度で加速したからだったのだ。早すぎて消えたように見えたのだ。


「そう、あれがおいらの本来のスピードっす」


それは、あまりに早すぎて、天狗法ですら到達できない領域。


「さあ、どうするっすか? おいらのスピードに追い付かないと、おいらを捕まえることはできないっすよ」


それは、潤にとってあまりに無茶な話であった。



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「潤…」


潤と奈尾の追いかけっこを見ながら真名はひとり呟いていた。


(潤…いいか? 今回の試練、一見無茶な話に見えるだろう? だが、これまでお前が学んだ中に、試練を乗り越える鍵が隠されてるんだ。それを見つけ出せ潤…)


その思いは果たして潤に届くのだろうか?



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「く…」


潤はあまりに無茶な話に絶句していた。その様子を見て奈尾が笑う。


「フフフ…。おや? あきらめるっすか? 今あきらめるなら特別に、呪術師としての能を食らうことは許してやってもいいすよ?」


「それは…」


潤は唇をかんで考える。


(さっきの相手の速度…。あまりにも早い。早すぎる。それを超えるのはあまりに無茶。でも…)


潤は真名の方を見た。真名と視線がつながる。


(真名さんは、今の僕でも試練を乗り越えられると言った。それは…)


潤は再び奈尾を見る。


(なんらかの方法で奴の動きを止められるか。奴の速度に追いつく方法があるということだ。

 考えろ! 考えるんだ!!)


潤がそうやって思考していると。奈尾が再び口を開いた。


「フフフ…。しょせん人間。うちら山犬に追いつくのは無謀なんす」


潤は静かにその言葉を聞いている。


「人間にはどんなに頑張っても越えられない限界速度があるっす。

 それを超えようとすると、人間の肉体は耐えられず崩壊するっす。

 まあ、天狗法を使って肉体強化すれば、その限界を引き上げることも出来るっすが…」


奈尾はにやりと笑って話を続ける。


「やっぱり人間の速度限界が、それを超えるのを邪魔するっすよ。

 しかし、うちら山犬の速度限界は人間よりはるかに上っす。

 …あんたが、おいらとおなじ山犬にでもならない限り、うちらの速度に追いつくことは不可能っすよ」


それは、人間である潤では試練を乗り越えられないという宣言に等しかった。

しかし、潤はその言葉に一つの光を見出していた。


「奈尾さん…って言いましたか?」


「なにっすか?」


潤が奈尾に突然話しかける。


「奈尾さん…少し、ヒント出し過ぎですね」


潤はそう言って奈尾に笑いかける。


「ふむ…。ちょっと口が滑ったっすか…」


奈尾はそう言ってにかっと笑う。


「あなたの言うことが確かなら…。逆に言えば、僕が山犬になれば速度を超えられるということですよね?」


「フフフ…」


潤のその言葉に、奈尾は満足そうに笑う。


「ならば。やることは一つです」


潤はすたすたと奈尾の方に歩いていく。そして、その近くで印を結んで意識を集中する。


(僕が山犬になる方法…それは…)


次の瞬間、


<使鬼の目>


カッ!!


潤は心の目を開いてその力を修練場全体に広げた。そして、その中に一つの魂を見出す。

それは、奈尾の魂。その魂の発する波長に、自分の魂の波長を合わせていく。並の術者では到達できない領域まで…。


蘆屋流八天法あしやりゅうはちてんほう・かさね>


その瞬間、一つの呪が完成する。


「行くぞ!!」


潤は一気に加速した。


「ははは!!! それでいいっす!!」


奈尾も笑いながら加速する。


一瞬にして、二人の姿がかき消える。

そして…


「うお!!」


そう奈尾の言葉が聞こえたかと思うと、奈尾の姿が現れる。その腰には潤がしがみついていた。


「やった! 捕まえたぞ!!」


潤は喜んで叫ぶ。

潤は始まりの試練を見事乗り越えたのである。


「潤…よくやったな」


真名が笑いながら、潤の元へとやってくる。


「はい! ほとんど、奈尾さんに教えてもらったようなものですが」


それを聞いて奈尾は笑う。


「はは。やっぱちょっとヒント出し過ぎだったっすかね」


「そうだな…。本来は数日でもかけて、自分で見出すものだからな」


真名はちょっと呆れて言った。しかし、


「しかし、ヒントがあったとはいえ。それを速攻で呪に組み上げたのは、試練を乗り越える能を十分示したと言える。八天錬道・始まりの儀は成功だ」


そう言って真名は笑った。


「はい! ありがとうございます。真名さん」


真名の言葉に潤は嬉しそうに笑った。


…と、その時、


「それにしても、潤…。いつまで、その娘に捕まってるつもりだ?」


そう言って真名がちょっと引きつった笑みを浮かべた。


「え?」


潤はやっと自分が奈尾の腰に縋り付いてることに気づいて離れる。


「あん。別によかったっすよ。そのままでも」


そう言って奈尾は頬を赤らめる。


それを見て真名は、


「そう言うわけにはいかん」


顔を赤くしながら潤を自分の傍に引き寄せるのであった。



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「それでは。おいらは潤君の旅についていくっす」


「はい、お願いします。貴方の使命は無論理解していますね?」


「大丈夫っすよ。潤を見守り、試練へと導き、もし躓いたら…喰らう…。そうっすね?」


「そうです。願わくは、躓くことのないように…」


瞬那のその祈るような言葉に、奈尾は、


「まあ…あの少年がどこまでやれるか。のんびり見届けるっすかね…」


そう言って笑った。

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