第5話 カウラ




「ふ、ああ~ぁ~…」


手早く身支度をし、確認を済ませ、部屋を出た。猫背で歩きながら、シウは大あくびをする


「だらしがないぞ」


対照に、リヒトは変わらず背筋を伸ばし、足取りはしっかりとしていた。


「しゃんとしろ」

「…大体、寝不足なのはお前のせい……」

「煩い。オレも同じだ」


反論を、用紙を丸めて投げるくらいあっさりと切り捨てるリヒトに、眠気で頭が回らないものの紙を拾い文句で対抗しようとするシウ。既にいつものお決まりパターンとなっていた。返ってくる言葉といえば、


「何なら、一発いるか?」


拳を眼前に差し出し、許可はなくとも今にでも動きそうな彼に、シウはやはり、不服ながらも気を引き締める。目覚まし、という意味であると信じたいところだが、完全に目が本気を訴えていた。


「分かったよ、しゃんとするよ…」


渋々了承して、背筋を伸ばす。それでも眠いものは眠いのだと、シウはひっそりと愚痴を溢した。



---



リダウトからフォレストを東へ歩くこと約二十分。二人はカウラに到着した。古びた木造の民家が立ち並び、木の壁には苔が生えており、所々黒ずんでいる。木の囲いは各民家に設置されており、扉の斜め前には、同様に古びたポストがあった。草木の間から木漏れ日が燦々と降り注ぐ。穏便で平和な、喧騒とは無縁の、木々に囲まれた自然豊かな村。中央に、カウラ案内の立て札が立てられている。


「さて、ルーザーさんからの頼みもあるが、オレは調べものがある。お前は、聞き込みをしていてくれ」


そう言うと、足早にとある建物に向かった。

ここには、リヒトの書斎がある。見た目は他の民家と変わらない。鍵には特殊な魔導式を掛けており、本人にしか解けない仕様となっていて、どんな破壊力を持った道具や武器でも壊れることはないという。構造がどうなっているのかは、リヒトしか知らない。一度、シウも踏み入れたことはあるが、そういえば案外散らかっていたと感じた記憶があった。


(よし、)


聞き込み、といっても、具体的な内容を知らされていない。ルーザーは確か魔物の増減と言っていた。だとしたらそのことを尋ねればいいのか、かといってどう説明をすればいいか分からない。そもそも自分はリダウト歴は浅い故、リダウトに長く勤めている二人より環境には詳しくないのだ。そこまで難しくは考えられない…、いや、考えていない彼は、とりあえず投げ槍でもいいので村人に当たってみようと、近くの女性に声を掛ける。



*****



「魔物の増減?…知らないなぁ」

「さぁ、特に変わったことはなかったよ」

「この村には、神のご加護があるからね。そんなことは起こらないよ」




「はぁ…」


情報という情報は得られず、溜め息を漏らす。問題の答えに掠りもしない回答ほど面白くないものはない。第一、依頼はカウラの住民からのものではなかったのか。しらばっくれんなよ、と。シウは残念な気持ちと、少しの悪態をつく。この狭い村、かれこれ一時間は喋っている。顎と口が疲れた。もちろん仕事でだけではなく世間話も折り込んでだが。何が目的でここに赴いたかの意識が霞んでいるようだ。


(…神のご加護、ねぇ…)


先程、男性が言っていた言葉を反復してみる。神…この世界に大きく携わっている存在。信者は後を絶たず、宗教も発端しているという。本当にいるのかはさておいて、いようがいまいが感心はない。単純に、自分には関係のないことだと、端から放ってしまっていた。


(…うん)


シウは一人頷いた。

収穫はないが、これ以上の進展はなさそうだと怱々に判断し、民家の前にあるベンチにドカッと座った。息を吐く。足を投げ出し寛ぎモードだ。完全に集中力を切らした様子。

村を一瞥した。大木があちこちに立ち並び、家に陰を作っている。通路は草が刈られていて、地面が見える。繁ってはいないが、両端は芝生になっていた。きっと、村人が歩きやすいように手入れしているのだろう。奥には畑があり、白のタンクトップで角刈りの男性が鍬で土を耕していた。気難しそうな初老の男性だ。隣には麦わら帽子の案山子が我が物顔をして立っている。その右奥は木の十字架が置かれた小さな墓地がある。いつリヒトは書斎から出てくるだろう…。

遅いなと、仕事を放棄した自覚のないシウは気儘に彼を待つことを決める。睡魔が夢中へ誘おうとする中、ぼんやりと俯いていると、ふと人影がシウに近付く。白いワンピースの裾が、視界に入った。


「あの…」


声がして、シウは顔を上げる。そこには一人の若い女性が佇んでいた。

焦げ茶の腰まであるストレートの長髪、左目の下に泣き黒子があり、垂れがちな目の女性だ。不安そうにシウを見ている。


「り、リダウトの方、ですか?」

「そうだけど…」

「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか…?」


小さな声で、弱々しく途切れ途切れに発言する。耳を棲まさなければ、恐らく捉えられないだろう。


「? ああ」


何だろう、と、シウはそれを聞いて腰を浮かせる。


「あ、お座りなっていてください…!」


そんなシウに焦りながら両方の掌を向け、女性は座るよう促した。何故このような反応をするのか、大丈夫なのか。瞬きをすると、再びベンチに座る。様子を確認して、女性はたどたどしく、挙動不審にシウの顔色を窺う。


「で、では、お話を…」


暫くして話を切り出そうとした女性に、シウがふと口を開く。


「ちょっと待って。アンタもここに座りなよ」

「え…?」


ここ、と隣を軽く叩く。女性は突然の言葉におろおろと視線を踊らせた後、ちらりとシウを見る。やはり動作がぎこちない。


「立ちっぱなしは疲れるだろ?オレも座ってるし、お愛顧」


半ば苦笑しつつ笑いかける。すると、女性は瞬く間に赤面し、体を強張らせた。可哀想な程動揺しているなと、心配になってしまう。視線を右往左往させた後に、ポスン、と腰掛ける。空気を含んだワンピースが、少しだけふわりと膨らむ。


「…あ、あの」

「ん?」

「…すみません」

「いや、謝らなくていいから」


俯いて、更にか細い声で謝罪をする。何故だか、先程よりも距離を置かれたような。隣にいるのに、不思議なこともあるものだ。

さて、どうしたものか。

シウは頬を掻く。


「あ、そういえばアンタ、名前は?」


ごく自然に、尋ねた。長い髪の間から、顔が僅かに見える。ライトグリーンの瞳が、上目遣いにこちらに向いていた。


「名前、ですか…?」

「話をするにしても“アンタ”じゃ駄目だろ?ちゃんと呼びたいし」

「…、ロト、です」

「ロト。ロトか。いい名前じゃん。アンタに合ってるな」

「…ありがとうございます」


すると女性は、益々顔を紅潮させ、体を縮こませる。今度は蚊の鳴くような声で礼を言う。しかし喉から絞り出しただけのようである。彼女の緊張を何とか解そうとした筈が逆効果になってしまったようで、その理由が全く分からない。寧ろ、「年上の人みたいだから、綺麗の方がよかったかな?」と斜め上に勘違いをしていた。―――消化できないが、埒があきそうにもないので、まぁいいかと切り替える。


「オレはシウ」


よろしくです、と付け加え、敬礼。先ずは簡素な自己紹介。


「シウ、さん」

「呼び捨てでいいよ」

「っそ、そ、それはちょっと…」

「…そっかぁ」


ややあって、


「じゃあロト。話って何?」

「あ、そ、そうでしたね…」


一拍置いて、口を開く。


「じ、実は私、猫を飼っておりまして…」

「猫?」

「はい」


ゆっくりと話始める。

その猫はチコ、という名の白猫らしい。

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