第二話 滅亡の記憶二

「ミキ」


 モニタールームに入って来たコウノは、両手にカップを持っていた。室内の奥は一面に強化ガラスが張られ、広大な整備格納庫と兼用されるカタパルトデッキを見渡せた。

 出撃時には格納庫が展開し、地上への射出口へと変貌する。地下二千メートルに設立された国家防衛特機密施設である。国の命運を分ける最後の光であり、希望であり、〝イノリ〟である。その〝剣〟の為に設立されたワンオフ施設であった。

 最も、施設その物は使い捨ての付属品に過ぎない。何より重要なのは、そこに収められている切り札の存在である。

 そんな施設内の一室に、人影はふたつ。

 人は少ない。

 ガラスに手を付いていたミキは、力なく振り返った。お互いの顔には、疲労と寝不足の表情がありありと浮かんでいる。

 差し出されたコーヒーを受け取ると、ミキは落としそうな気がして両手でカップを持った。

 そして、静かに唇へ運ぶ。

「あ、ごめん。君はコーヒーではなく、お茶が好きなんだったね。うっかりしていた」

「良いのよ。今は、何を飲んでも味がしないわ」

 ミキの顔立ちは美しいが、無造作に束ねた髪は解れて頬にまとわり付いている。目は充血し、唇が渇いていた。

「同感だね。これが、最後のコーヒーに成るのかもしれない。それが酸化した古いインスタントなんてね」

 ミキは笑わなかった。

「世界が、終わるのかしら」

 独り言とも取れるミキの言葉に、コウノは大きな溜息を吐くと首を振った。

「このまま何もしなければ、確実に人類の歴史は終わるだろうね。だからと言って、この計画によって人々が救われるとも思わないけれど。今回の件で、どれだけの被害が出るかは想像も出来ない」

「まさか、本当に可決するなんて」

 ミキはガラスに背を預けると、口元からカップを降ろして目を伏せた。そんなミキに気を使ったのか、コウノは声色を抑えた。

「紅蘭派の議員により否決されると予想されたけど、蓋を開けてみれば圧倒的多数で可決なんてね。我々大和は世界に対して責任を取らなくては成らない、なんて言う無責任な世論に流されたんだよ」

「そうかしら」

 コウノはミキの言葉に口へ運ぶ手を止め、何かを思案している彼女の続きを待った。

「今まで起動に反対し続けて来た紅蘭派の議員が、土壇場で賛成に寝返るなんて不自然よ。何があっても起動は阻止すると言う、異常なまでの姿勢を崩さなかったのに」

「そうだね。僕も、彼らの唐突な態度の変化には驚いた。確かに、何か不自然ではあるけれど」

 コウノは酸味が増したコーヒーを持て余しながら、改めてミキの感じている疑問に自分成りの回答を導き出そうとした。

「いくら、賄賂や美人局で骨抜きにされていた紅蘭派とは言え、曲がりなりにも大和国の議員だ。最後の最後で愛国心を取り戻した、と思いたいかな」

 目を伏せたままミキは答えない。彼女の中で、どうしても拭えない不信感が渦巻いているのである。

「勿論、僕も不安がない訳ではないよ。でも、可決されてから三日。皆、不眠不休で働いて、起動シークエンスまで後少し。もう引き返せないんだ。可決されても否決されても、世界が滅茶苦茶になる運命は避けられない」

 ミキは視線を下げると、デスクの上から一枚のプリントを手に取った。

 超望遠で撮られた為か、画像は荒く不鮮明であった。

 だが、そのプリントには血の色をした巨神が映されていた。炎に包まれた都市の中心で独眼の瞳を光らせている。

 只の用紙からでも、その圧倒的な暴力と死が伝わって来る。

「オウスは、リヴェリアを崩壊させたホライゾン・イーグルを、本気で止められると思ったのかしら」

 拡大された画像から厄災の化身が灰にした人々の無念が伝わって来る気がして、持つ手が冷たくなった。

「メルツァロフだって馬鹿じゃない。元は軍人で、多くの自兵と国民を救った英雄だからね。勝てない戦争なんてしない筈だよ。それが只のパフォーマンスだとしたら、余りにリスクが高過ぎる。紅蘭と同じで素行が悪い大国だけど、自分の国と国民は愛していた筈だよ」

 コウノは、陰惨な思いを抱えているミキの手から、そっとプリントを抜き取った。

「イェーツァ計画かしら」

 プリントされたホライゾン・イーグルの凶悪さに、無意識に奥歯を噛み締めたコウノが顔を上げた。

「ミキは、どう思う」

「いくら何でも、ホライゾン・イーグルに対して現存の兵器で太刀打ち出来るとは、オウスも考えていなかったでしょうね。あなたの言う通りメルツァロフは軍人で、リヴェリアに対しての軍備増強には余念がなかったわ。ホライゾン・イーグルの研究開発が進む中で、オウスが大人しく傍観していたとは思えない」

 コウノは顎に手を当てると、無精髭を撫でた。

「イェーツァ。直訳すると〝喰らう者〟か。オウスは紅蘭と一緒に世論の反発なんか何処吹く風で、道徳や倫理感を無視した研究開発を行っていたからね。どんな技術を持っていたとしても不思議では無いけれど」

「オウスには遺伝子工学の権威と呼ばれる、バクシェンヌと言う名の天才科学者がいると聞いたわ。表には出て来ないけれど、リヴェリアが懐柔し、亡命を促してまで手に入れたい人物だったとか」

 バクシェンヌの名に、コウノの目線が宙へ浮いた。思い当たる名に記憶を辿る。

「聞いた事がある。かなりの変人て噂だけど」

「科学者なんて変人ばかりよ。フジワラ博士も、私が出会った科学者の中で一番の変わり者よ」

 ミキの瞳が揺らぐ。

「それは認める。京神官の家に産まれながら、科学者になった人は博士が初めてじゃないかな。誰よりも信仰深くて、誰よりも真摯で、そして誰よりも変人だった。他人とは違う世界が見えていて、だからこそ森羅システムを開発出来たんだ。比べる必要はないけれど、バクシェンヌも天才とは言え、森羅システムを越える発明を産み出したとは思えない。遺伝子分野であるなら、強化された兵士を造るくらいが限界かな。何にせよ」

 コウノは冷めたコーヒーで喉を潤した。

「それがどの様な技術であったとしても、不完全な偽物とは言え、森羅システムを搭載したホライゾン・イーグルに対抗出来るとは考え難いよ。最後の手段として、オウスは核攻撃も考えていた筈だ。その作戦名がイェーツァ計画でも不自然ではないかな」

「でもオウスは核攻撃をしなかった」

「そうだね。攻撃前に潰されたか、それとも無効化されたのか。核ミサイルを直撃させられるなら、先ずリヴェリアがやっただろうからね」

 コウノはミキの目を見詰めていたが、ミキはコウノの肩の向こう側へ意識が飛んでいた。

「イェーツァが、そんなに気に成るのかい」

「いえ、ホライゾン・イーグルが止められていれば、私達はこんな事をしなくても良かったのに、と思って。今更考えても仕方の無い事だけど、博士の遺志を継いだ私達は裏切り者なのかしら」

 悲痛の表情で顔を振る。

 ミキの瞳は渇いていた。

 既に涙は枯れている。

「それを言ったら、そもそもは紅蘭の襲撃事件が始まりだよ。そこへリヴェリアが介入して来たんだ。弱腰な大和の外交政策のお陰で、僕達は巻き込まれたんだ」

 ミキは目を伏せたまま、何もない天井へ顔を向けた。それは希望を探したい訳ではなく、絶望に天を仰いだ様に見えた。

「森羅システムさえ開発しなければ、こんなにも世界が滅茶苦茶に成る事も無かったのかしら」

「違うよ、ミキ。世の姿は、人間の意思が反映された物だ。人類が今の世界を、地球の半分が燃えた姿を望んだんだ。道具を使う事を許されたのは、人間だけだからね」

「それが本当なら、この計画も人類が望んだ事なのかしら。両者が接触すれば文明の存続すら危ういわ。それすらも望むと言うのなら、どの様な結果であれ神の審判を受け入れるしか無いのね」

 コウノは答えなかった。

 人類の行く末を嘆いたのか、それとも天に向かって祈っていたのか。長く息を吐き出したミキは、目を開くと現世へと視界を戻した。

「フジワラ博士は」

 言葉を切ったミキは振り返った。額をガラスに押し当てると、整備格納庫に見える白い巨人に目を向けた。

 ミキの目線の高さに、静かなる佇まいで眠る横顔があった。微動だにせず鎮座している姿でも、人智を越えた存在は圧倒的な迫力を持って全てを支配していた。

「博士は、フジワラ博士は。こんな物を、作るつもりでは無かったのに」

 ミキの視線を追って、コウノもガラスの向こう側に祀られた存在に目を向けた。

「アマテラス」



 白い角。

 額から伸びるそれは長く、天へと掲げられた神剣の意匠。その名が象徴する人々の〝イノリ〟が込められていた。

 巨人の余りの大きさに、新造された開発施設は地下へと拡張されている。防衛、発電、運河を使用した運搬など、数々の開発条件を満たす事から、北陸地方で最も巨大な白瀬ダムに併設された。

 フジワラ研究所襲撃事件の後、遺志を継いだ者達は大和防衛相直々に立案編成されたプロジェクトに参加したのである。

 フジワラ博士により開発された革新的次世代エネルギーである〝森羅システム〟は、大和国の威信と技術力により「ARTIFICIAL DEITY」人造神として姿を変えたのである。

 人の手により作り出された巨人は、人智を超えた力を有し〝神〟に対抗し得る〝神〟として、静かに目覚めの時を待っていた。三日前にダム解放による排水が行われ、水の引いたデッキに全容が晒されたのである。

 白い装甲を持つ巨人は遠目からは細身に映るが、それは美しい流線型を持つ四肢の形状による錯覚である。

 女性を思わせる細い指先ではあるが、近くで見れば片手で大型トラックを握り潰せる大きさと質量を秘めていた。人間の指と同じ稼働領域を保持し、柔軟さと精密さが融合され、その指先だけで人類が築き上げた英知が極限にまで注ぎ込まれた事が伺える。

 接合部、溶接跡、ビス、ネジ、ケーブル類と言った、旧世代の製造技術は全て排除されている。それは即ち、メンテナンスが不要である事を示唆していた。

 白い装甲から覗く内部骨格は灰褐色の金属で構成され、表面には人間の血管を思わせる青い光が走っている。

 施設に聳える全長から比べると華奢に見える四肢だが、森羅システムにより得られる出力は計り知れない。その潜在能力は開発者である博士フジワラ曰く、自然界のエネルギーに匹敵すると言葉を残していた。

 そんな未知なる能力を有した眠れる神へ、人は覚醒の鐘を鳴らし始めた。人には聞こえぬが、世の精霊には世界を凍て付かせる冷たい響きと感じたであろう。

 賽は投げられた。

〝通達。起動計画零零参・森羅システム接続からアマテラス主動力起動に推移〟

 施設内に警告が流され、強い緊張が走る。天井には何も無いが、職員達は手にしていた物を抱くと放送に顔を上げた。

〝アマテラス。千八百秒後に森羅システムによる主動力起動シークエンスに入ります。これよりカタパルトデッキは立ち入り禁止と成ります。全整備班は防護エリアまで避難して下さい〟

「いよいよだ」

 コウノはカップを置くと、室内に掲示されているタイムカウントと、自分の端末に入力されている細かいシークエンスが同期している事を確認した。ミキも釣られて腕時計をセットする。

 警告灯が光り、競技場を思わせる広大なデッキでは作業員たちが慌ただしく駆け出した。端末と紙資料を抱えた者、リフトカーに同僚を乗せる者、ヘルメットを押さえて出口へ向かう者。各班の駐在防護エリアは細かく指定され、人数確認後にロックされると遮蔽ドアに赤いランプが灯る。

 遅れる者など一人もいない。全員が、このプロジェクトに係わる責任と意味を地球よりも重く受け止めているのである。

 四方に設置されている無数の遮蔽ドアが赤くなると、整備カタパルトデッキにはアマテラスだけが残された。

 地を這う冷却パイプに液体窒素が流され、白く変色し冷気を漂わせる。それに反比例する様に、最下層に構築された大規模サーバーが光と熱を放つ。

 数千タスクもの実行確認を得て、遂に残り三工程にまで漕ぎ付けたのである。起動実験が成功すれば、次はパイロット搭乗へと移行する。そして、両者のシンクロが成功した時点で出撃。

 性急過ぎる事は誰もが理解している。

 人類は追い詰められているのである。

〝通達。森羅システム接続開始まで、十、九、八、七、六、五、四〟

〝三〟

〝二〟

〝一〟

〝接続開始〟

 待機状態を示す灰色のパネルが、一斉にオレンジ色へと切り替わる。それはミキ達の部屋だけではなく、何十セクションとあるモニタールームも含め、施設全体が警告色で染められた。

 無機質に並ぶ巨大サーバーの群れを始め、各モニター室の端末機が演算負荷に一斉に冷却を開始すると、電力数値が跳ね上がる。

 施設内の温度が上昇したのは気の所為ではない。

〝森羅システム。アマテラスと接触〟

〝アメノウズメ作動性ニューロン・最深層部にて結合確認。完了〟

〝アマテラス。動力磁場反転による森羅媒体を受容完了〟

 モニタールームを埋め尽くすスクリーンに、アマテラスと森羅システムの同調と起動状態を示す天文単位の情報が羅列される。モニターは莫大な計算の噴出に埋め尽くされ、画面の外へと消えて行く。それは天界への道を登り、神との意思を繋ぐ祝詞にも思えた。

 何億タスクと言う接続プロセスは見えない光に輝き、実行中を示すオレンジ色は、怒涛の勢いで完了を示すグリーンへと変わって行く。

「凄い。受容タイミングが必要な接続フェーズが、こんなにもスムーズに進行するなんて。警告すら出ない」

 ミキは巨大スクリーンに高速で流れて行くオペレーションログの量に、茫然と立ち尽くしていた。全ての内容を目で追ってはいるが、エラーが一つも無い完璧な美しさである。

「こんな事って」

 思わず声を漏らしたミキではあるが、感激している声色ではない。スクリーンを見上げる瞳は暗い。

「森羅システムの基礎設計からして、既に完璧な状態だったんだ。そこからフジワラ博士がアメノウズメ・シャーマンデバイスに拡張した物だから、これだけ同期もスムーズなんだ。本当に天才だったんだね、博士は」

 抑揚を含まない台詞であったが、それは返って彼の心情を吐露する形と成っている。ふたりの間に湧き上がる感情は追憶でもあり、これから巻き起こる死者への弔いでもあった。

 複雑な思いを抱える人間たちを他所に、走り出した神の遣いは無心で召喚の儀式を踊る。天界より導く為の憑代と成り、アマテラスは化身としての純度が磨かれて行く。

 無形の神が、白い巨人として召喚されつつあるのだ。

 一呼吸毎に命が宿り、瞬きをする度に魂が注ぎ込まれる。

 悲劇と恐怖の中に儚い希望を交え、早まる動悸にミキは全身に計り知れぬ未知なる意思を感じ取っていた。

 息が苦しい。

 酸化したコーヒーで喉を潤したばかりだと言うのに、唇は渇き、喉が張り付いていた。それは彼女に限らず、このプロジェクトに係わっている全員がスクリーンに魂を奪われていた。

 データを追う事に気を取られていたミキは、ふと我に返ると慌ててガラスに額を押し付けた。静かに目覚め始めたアマテラスの神体を、直接目視したかったのだ。同じ思いだったのか、気が付けば大勢が窓際へと歩み寄り、冷気に包まれながら発光する姿を凝視していた。

 森羅システムが納められた胸部から、青い燐光が零れている。血流の様に一定の脈を持ちながら光は広がり、アマテラスの全身へと浸透する。

 胸部から頭部。

 黒い内部装甲に走る動力線に沿って燐光は流れ、眠っていた神の体に目覚めの息吹が注がれる。頭部へと流れた燐光は反転し、脊髄を通って肩、腕、そして脚部へと降りて行く。

 アマテラスから溢れる燐光により、無人の格納庫には青い光が拡散する。モニタールームから見下ろす職員達の頬や瞳に、その光が反射した。

〝接続推移八十八階層まで到達。完全接続まで残り六百秒。最終段階に従いアメノウズメ作動性動力制御班、第壱神班から第伍神班へ、手動による承認から封印解除権限を譲渡〟

 無数のスクリーンを埋め尽くしていたオレンジ色は、瞬く間にグリーンへと変わっていた。残された実行中プロセスは僅か。それに従い、白い装甲から覗くアマテラス内部には、青い動力線が生命の慈しみに冷たく光り輝く。

 零れる燐光の量は増え、小さな一粒がガラス越しにミキの顔の前で舞った。

 儚く、淡く、凍蝶を思わせる燐光。

 時間が消失したミキの目には、天へ消え行く人間の魂に見えた。

〝第伍神班封印解除〟

〝第肆神班封印解除〟

〝第参神班封印解除〟

〝第弐神班封印解除〟

〝第壱神班封印解除〟

〝アマテラス。森羅システムと完全接続〟

 気が付けば、モニタールームのスクリーンは全てグリーンの完了を示していた。

〝アマテラス。主動力起動〟

 コウノが何かを呟いた気がした。

 誰もが呼吸すら忘れていた。

〝点火〟

 刹那、突き上げた衝撃にミキは転倒した。

 地鳴り、悲鳴。

 強化ガラスに亀裂が走る。

 核攻撃をも防ぐ強固な耐震性能を持つ地下施設が、まるで暴風雨に巻き込まれた納屋の如く揺さぶられていた。

 壁際まで流れて行ったデスクが、打ち返す波の様に更なる混乱を搔き集めて戻って来る。

 倒れている自分の姿勢すら保てない揺れの中で、コウノは床伝いにミキへ近寄ると、その小さく疲れ切った体に覆い被さった。

「どうなったんだ。失敗したのか」

 コウノの叫びは、倒れて転がるロッカーやプリンター、無数の個人ディスプレイなどの悲鳴に掻き消された。

 整備庫や資材保管室からは何千ダースと言う部品、工具、あらゆるマテリアルが弾き飛ばされて四散する。

 薬品などが混ざり合った液体からガスが発生し、別の個所では火の手が上がり消化スプリンクラーが作動した。

「アマテラスなのか」

「暴走したのか」

「強制停止しろ、吹き飛ぶぞ」

「バイパスする方が先だ」

「調律班報告しろ」

 状況を把握出来ず、混乱した大声が飛び交う。

 誰もが頭を抱え、身の危険にパニックが広がりかけた時、突如として発生した揺れと衝撃は波が引く様に治まった。

 時間にしてみれは、ほんの数十秒の事である。

 しかしながら、未知なる力を持つ存在が暴走したかと思う恐怖は計り知れない。現実に、地上では同じ力を持った神が世界を焦土に変え続けているのである。

 一歩間違えば、施設ごと原子の塵に成り得るのだ。蒼白な顔に冷や汗を浮かべ、誰もが床に倒れながら微動だにしなかった。消化を終えたスプリンクラーも止まり、施設内は一応の落ち着きを取り戻す。

 緊張に包まれた沈黙に、砕けたガラス片が落ちて音を立てた。その音に反応したのか、ミキはコウノの腕の下からスクリーンを確認した。パネルはグリーンのまま静かに佇んでいる。

「止まった」

 揺れと悲鳴が消えた施設には、体の底を震わせる超重低音だけが響いていた。それは無機質な水平振動ではなく、揺らぎを持っていた。

 例えるなら、鼓動である。

 壮大かつ豊かに、そして静かに。

 森羅万象を司る永遠なる輪廻の脈を刻んでいた。

 紡ぎ出される生命の息吹は、大自然の力を持って施設全体を包み込んでいる。絶対的な死と誕生を繋ぎ、時と呼ばれる人間が産み出した観念をも超越し、全能の恩恵を授けられていた。

 それは熱量や出力と言った、矮小な人間が必要とする業などでは測り知れない力である。

 脳裏に浮かんだ光景はアマテラスによる神託か。ミキは小さな燐光が花開き、自らの魂が無限の輪を廻る様を感じたのである。

 数舜。

 瞬きにも満たない。

 それはミキが倒れ込んだ拍子に気が遠く成り、その際に見た幻覚であったのかもしれない。床から伝わる鼓動に意識と焦点が戻ると、ミキは慌てて立ち上がってガラス壁へと駆け寄った。

「起動した。成功した、成功してしまったのね」

 ミキの目前には未だ瞳は伏せられてはいるが、アマテラスが放つ生命の息吹は、分厚い強化ガラスや強固な床を突き抜けて肌を火照らせる。

「凄い。暴走でも需要オーバをした訳でもない。只、本当に目覚めただけなんだ。今のは長い間眠っていたから、深呼吸をした様な物か」

 ミキを守る為に体中を打ち付けたコウノは、痛みを堪えて立ち上がった。体を震わせる振動を感じながら、ミキの頭越しに目覚めた神へ恨めし気な目を向けた。

「信じられない。まだ出力を上げてもいない。車で言えばエンジンを掛けただけ。アイドリングの状態なのに、これ程の出力が産み出されるなんて。もう少しで施設が吹き飛ぶ所だった」

 余り感情が顔に出ないコウノであるが、この時ばかりは感情が彼の理性を越えていた。

 無事起動し生命活動を開始したアマテラスに、震えていた職員達も恐る恐る様子を伺い始める。

 一番困難なタスクを成功させたのに、彼らの顔に笑顔は見られない。ミキが思わず口走ってしまった様に、成功してしまったのだ、と言う自責の念に悩まされているのである。

 この先の未来を想えばこそ喜ぶ事が出来ない。それが人類が生き延びる為の、最後の希望であったとしても。

「こんな力を持った神同士を戦わせるなんて。世界が、地球が持たないわ」

 血の気が引いたミキの手は震えている。

「制御不能と言う欠陥以外は、ホライゾン・イーグルの森羅システムもアマテラスとほぼ同等。フジワラ博士の基礎設計が完璧だっただけにコピーの性能も高くなる。アマテラスから産まれたホライゾン・イーグル。親子対決なんて、あまりに残酷だよ」

 気配を感じ、コウノは体を折ったミキの体を抱き支えた。顎の下にミキを感じたが、視線はアマテラスを見たままである。

「先に、神の雷を撃った方が勝ちか」

 アマテラスの額から伸びる、白く鋭利な角。

 森羅システムが産み出す莫大なエネルギーを放ち、全てを焼き尽くす神器。遥か太古、神が大陸を分断させ大和を作ったとされる伝説の力から名付けられた。

「あんなビームを撃ち合ったら人類は疎か、地球上全ての生命が焼き尽くされてしまうわ。何故、私達はこんな未来しか選択出来ないのかしら。科学は、人が生きる故の英知である筈なのに。苦しみの無い未来が、必ず人の手によって開かれると信じていたのに」

「大丈夫だよ、ミキ。君が設計したアマテラスの神剣。神の雷は、何時か必ず人々を救う為に使われるよ。君がフジワラ博士の遺志を継いだ崇高なる科学者であったからこそ、アマテラスは抑止力として大和と紅蘭との全面戦争を回避したんだ。君は大和を守ったんだ」

 コウノの首からミキが顔を上げた。

 肉体は泣かずとも、心は慟哭に濡れていた。

「世界の半分が燃えたわ。余りに多くの人が死んだ。どんな小さな命でも、どんなに儚くても脆くても、例え欠けていても、その未来を他人の業が奪うなど許されない。理由があれば殺して良いの。思想があれば殺めて良いの。私が産み出した夢が人の夢を奪うのよ」

 コウノの白衣を掴んだミキの手は、固く握られていた。彼女の怒り、哀しみ、全ての言葉は余りに稚拙で無責任に思えた。コウノは、言葉や科学は、到底人の心を越えられないのだと痛感した。

「その通りだ。だから可決したんだ。僕達は贖罪しなくては成らない。人として道を踏み外した訳じゃない。科学者として道を踏み外した訳でもない。贖罪の理由は大和の民として、神の末裔として、僕達が太古の昔より受け継いで来た」

〝通達。起動計画零零弐・パイロット搭乗による同調シークエンス開始。完全同調終了を得て、起動計画零零壱へ推移。タイムラグ零にて出撃〟

 ふたりは弾かれた様に顔を上げた。

「そんな、早過ぎるわ。起動した森羅システムの初期エージングすら行っていないのに」

 ミキの両肩へ手を当てたコウノは、静かに最後の時を待つアマテラスを見た。

「長期間稼働させる必要が無いからだよ」

 額に掲げられた白き神剣。

 国を産む事も可能であり、また滅亡させる事も可能である。そんな神の力を、人間が扱う事が許されるのであろうか。

「一撃」

 剣を見上げるコウノは、目を閉じて〝イノリ〟を捧げた。

「一撃だけ、ホライゾン・イーグルに雷が当たりさえすれば良いんだ。その為には感情に左右されない人工頭脳に、我らの〝巫女〟が撃ち勝たなくては成らない」

 ミキは苦しそうに胸に手を当てた。そこには世界に対する絶望ではなく、母性の持つ慈しみが握られていた。

「あんまりだわ」

 コウノは、首を振るミキを背中に感じていた。

 虚無。

 もう自分に出来る事は何も無い。

 後は傍観する事しか、残されて居ないのだから。

〝パイロット。アマテラス搭乗デッキへ到着。同調制御班・第壱神班から第伍神班へ、アメノウズメ・シャーマンデバイス接続権限を譲渡。監視調整対象をアマテラス・森羅システムから、アマテラス・シャーマンへ推移〟

 アマテラスの胸部へと向けて、カタパルトデッキの左右から搭乗通路が接続される。

「疑似森羅システムによるパイロット同調実験は百八回中、百八回成功。未だに信じられないけど、直接アマテラスから神託を授かったんだ。実験の必要も、同調制御も必要無い。アマテラス内部に人が入るのは初めてだけど、このままパイロットは神と同化して地上へ出る事になる」

 顔を伏せたミキに、もう言葉は届いていないのかもしれない。コウノも無意識に胸に手を当てていた。

 彼とて、深い痛みを感じているのだ。

 アマテラスの胸部へ接続された搭乗通路に、音もなく動線ランプが点灯した。世界の運命を担う出撃にしては、余りに静かであった。

 残された人類による黙祷。

〝イノリ〟

「人に、神の力を撃たせるなんて」

 呟き、ミキは両手を胸に重ねた。

 搭乗口へ繋がる扉が開錠される。

「アマテラスの神託を受け入れた時から、その身は巫女として神に捧げられたんだ。神の憑代として既に人格を持たない存在なんだよ」

 解除ランプが切り替わると、扉が開いてパイロットが独り姿を表した。全身は白いスーツに包まれている。

 厚いブーツに手袋、各関節部分には非接触型のシンクロブースターが取り付けられている。フルフェイスのヘルメットは偏光性能を持ち、表情は伺えない。

「あの子は人間よ」

「知っているよ、ミキ。僕達は、ずっと一緒だったじゃないか。僕達は、我々は、防衛相お抱えの職員だけど、フジワラ博士の遺志を継いだ家族だった」

 パイロットは、長い搭乗通路を走り出した。ヘルメットの後頭部から脊髄にかけて青い光が流れ、薄暗いカタパルトデッキに軌跡を残す。

「本当に、これで良いの」

 ミキはコウノの背に体を預けると、肩越しに搭乗デッキを見下ろした。

「分からない、分からないよ。でも皆、あの子を愛していた。いや愛しているよ。だからこそ」

 ガラス越しに見送る職員達は皆、無言であった。

 泣く者はおらず静粛だけが守られた。

 強い意志を胸に、パイロットは職員達を見上げながら天界へ続く道を駆け抜ける。見守る者はヘルメットの中で浮かべているであろう笑顔に、崩れ落ちそうな膝を必死で叱り付けた。大人として、若き魂を救えなかった無力感。

 戦場へ送り出す自責と後悔。

 そして失われる愛。

 少しずつ自らの手を離れて行く。

 アマテラスまで、あと少し。

 神前へ。

 その時、神聖なる沈黙を破る影が現れた。

 搭乗通路の脇から作業着の男が登って来たのである。男は通路まで辿り着くと、パイロットの前へと歩み出た。

 ふたりはアマテラスの前で対面し、立ち止まる。

「誰だ」

 コウノが目を細めて覗き込む。

 全員が唐突に現れた男に注目した。既にカタパルトデッキは立ち入り禁止である。

 パイロットは戸惑った様子を見せた。

「何をする気だ」

 コウノの言葉に、ミキが鋭く息を飲んだ。

 男は拳銃を取り出すと、パイロットの頭部を撃ち抜いた。

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