第19話 アクシデント

「谷風君」

 試合に集中していると、葛城さんがいつの間にか後ろに立っていた。

白いユニフォーム姿の葛城さんがこっちに来ると、制服姿の集団の中では目立つ。何より彼女はスクールカースト上位にいる有名人なのだから顕著だ。

「見に来てくれたんだね、ありがと」

 彼女が軽く頭を下げると、ショートボブの髪が柔らかく波打つ。同時にふんわりと、桜やアブラナのようなかすかな甘い香りがした。

 香水のきつい匂いではない、女の子の香り。

 顔が熱くなるのを感じて、僕は慌てて葛城さんに小声で返事した。

「たまたまだよ。でもいいの? 試合中だし、捻挫してるとはいえキャプテンの葛城さんがこんなところにいたら問題じゃない?

葛城さんは少しだけ相好を崩した。

それに衆人環視の中僕と二人で話しているのを見られたら、また噂が立ちそうだ。SNSで騒がれた時の記憶は、今も時々フラッシュバックして僕の心をさいなむ。

「心配してくれるんだね、ありがと。でも大丈夫だよ。トイレに行くって言ってきたし、実際そうだし。それに歩きがてら他の子とも軽く挨拶してきたから、谷風君と話しててそんなに目立つことはないと思う」

 そう言われて周囲を見渡すと、前に話したのか別の女子が軽く手を振っているのが見えた。男子も試合に集中しているのか、一時は凝視していた葛城さんから目を話して試合に集中している。

「試合、どう?」

 僕は少しだけ安心して、葛城さんに話しかける。

「うん。みんな頑張ってくれてる。特に薫と仲のいいメンバーの動きがいい。相当自主練してたんだろうね」

 薬師寺さんの下の名前が薫だったか。素直に賞賛の言葉をかけるその姿勢からは、心底いがみ合っているようには感じられない。

「でも……」

「でも?」

「少し飛ばしすぎかも。普段の薫ならとっくにペースを落として体力を温存する時間なのに。クォーターぎりぎりまでこのペースなんて」

 クォーターとはバスケの試合の区切りのことだったか。

 ホイッスルが鳴り、選手の動きが止まる。休憩時間であるハーフタイムに入ったらしい。点数は三十二対二十四で、名栗高校がリードしている。

「わたし、もう行くね」

 そう言って葛城さんはコートの隅の控え、白いユニフォームを着た女子バ部員が座っているところへ戻る。

 さっきまで彼女がいた空間が、いやに広く感じた。


ハーフタイム終わり、第二クォーターが開始される。

休憩からコートに出てきたメンバーを見て、あれっと思った。

「薬師寺さん以外、メンバーがみんな交代してる……」

 バスケは動きの激しいスポーツだし、試合中に何回も選手を入れ替えできるからメンバーが途中で交代するのは普通らしい。

 でも一番動きの激しかった薬師寺さんが交代しないのは明らかに変だ。

同じポジションであるポイントガードの葛城さんが休場しているから、代われないんだろうか?

 そう思ってコートの端に戻った葛城さんを見ると、薬師寺さんを苦い表情で見つめていた。選手の交代を支持する立場の顧問の先生も、似たような目で彼女を見つめている。

 ホイッスルの音とともに、第二クォーターが始まった。

 再び薬師寺さんのドリブルが始まる。低い姿勢からの素早いドリブルとパス回しで何度もチームを引っ張ってきていた。

 でも、もう素人の僕の目にもわかるほど動きが鈍ってきていた。

 それはそうだ、あんな激しい動きを一クォーター、十分間も続けているんだ。でも相手の小間高校は何人か選手を入れ替えているから、まだスタミナを温存させている選手が猛然と薬師寺さんの方へと向かう。

 二人がかりで手をいっぱいに広げながらブロックしてくる。

 対して薬師寺さんは、息を切らせながら自分の体を楯にして相手からボールを守っている。さすがにブロックしている方向には抜けないだろうし、パスしようにも相手がいない方向に味方がいない。

 白いユニフォームが回り込んでくるけれど、大回りする味方よりすぐ近くにいる相手のほうが早い。

 それでも試合開始直後の彼女ならば抜けたかもしれない。

 でも、ボールが床から離れた直後、相手の手が払われるように鋭く伸び、ボールを奪われてしまった。

 薬師寺さんの悔しそうな顔が遠目にもわかる。

 山歩きが好きなせいか、両眼ともに僕の視力は二・〇だ。

 そのままドリブルでゴールへとボールを運んでいく。パスでゴール下にいた佐倉さんへとボールが渡り、そのままシュートを決められてしまった。

 同じホイッスルの音なのに、味方が点を決めたときと相手が点を決めたときはまるで別の音のように聞こえる。

 佐倉さんは黒いユニフォームをひるがえして味方とハイタッチをかわし、薬師寺さんは膝に手をついて息を荒げたまま、しばらくそのままだった。



 やがて一本、また一本とシュートが決められ、点差が縮まっていく。さっきまで十点以上あった点差が今や三点差しかない。

 次にゴールを決められたら同点になる。

 その焦りが観客からも、コートに立っている選手からも伝わってきた。

 また、ボールが相手チームに渡る。

 相手のキャプテンである佐倉さんが高い身長を活かした素早いドリブルでゴールまで駆けていく。黒いユニフォームに黒いポニーテールがひるがえるその様は、まるで黒馬が駆けぬけるようだ。

 息を荒げ、佐倉さんに何度もゴールを決められた名栗高校の白いユニフォームは、誰も追いかけようとしなかった。

 いや、それは僕の勘違いだった。

 後ろから薬師寺さんが走って走って、何とか距離を詰めていく。

 佐倉さんの方が身長があっていくら速くても、ボールという荷物がある状態では速度が落ちる。

 辛うじて佐倉さんのすぐ後ろに迫った薬師寺さんは、スピードを落とさずに後ろからボールをつき払うようにして奪った。

 衝突するかもしれないと遠目にも思われた、危険なプレー。

 会場からはどよめきが起こる。


「……バックファイヤー」


 そんなつぶやきが、近くから聞こえた。

 スマホで検索すると、ドリブルで抜かれた後に後ろからファール覚悟でボールを奪うプレーのことらしい。ファールを取られやすいのであまり行われない危険なプレーという。

 でも薬師寺さんは、そんな高度な技を成功させた。

 そのまま、第一クォーターよりも遅いけどドリブルでゴールまで突き進んでいく。他の名栗高校のメンバーも一緒にゴールへ進む。

 佐倉さんに合わせて自分たちのゴール近くまで上がっていた小間高校の選手たちは、まだいない。

 そのまま白いユニフォームに守られるようにして、薬師寺さんはがら空きになっていたゴールへシュートを決める。

 と思ったけど。

 黒い馬が疾駆するかのように猛然と戻ってきた佐倉さんが、名栗高校チームをかきわけるようにして再びボールをスティールした。

 これには名栗高校の選手も呆然としていた。いや、そのなかで薬師寺さんだけが冷静だった。すぐに佐倉さんをマークし、上からパスをまわそうとすれば両手を掲げ、下からドリブルで抜こうとすれば姿勢を低くして防ぐ。

 周囲が名栗高校の選手ばかりだったことも手伝ってか、薬師寺さんはすぐにボールを奪い返した。

 そのままゴール下までドリブルしながら迫る。そこからジャンプし、シュートを決めようとする。

 でも佐倉さんも負けじと飛び上がり、シュートをブロックしようとした。

 薬師寺さんが空中でレイアップシュートを放とうとするけど、佐倉さんにブロックされてシュートできない。空中でゴール下を通り過ぎてしまう。

でも薬師寺さんは、空中でボールを持ち換えた。彼女の両掌の中で素早く踊る橙色のバスケットボール。

それが生き物のように、彼女の手から後ろへと通り過ぎたゴールへ放たれる。 

ゴールから遠ざかる薬師寺さんと、ゴールへと吸い込まれていくボール。

見事にシュートが決まり、大歓声が起きる。

態勢を崩しながらだけど、薬師寺さんはブロックした相手と着地した。

でも、お互いに疲労していたせいか体がもつれ合って、固い床の上に着地するはずだった薬師寺さんの足は佐倉さんの足の上に乗った。 

人間の足という、柔らかく平らでない物。そこにかけられた全体重。

薬師寺さんの足首が斜めに折れ曲がる。


 点が決まったホイッスルとともに、ひどく嫌な悲鳴が薬師寺さんの口から洩れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る