第16話 見学

平日の夜十時。僕は自室のベッドに寝転がり、天井をぼうっと眺めていた。

 自宅のある場所が閑静な住宅地だからか、この時間になると帰宅が遅い人の話し声以外の音が入ってくることはない。家族も夜騒がしくするタイプじゃないし。

 勉強や読書の合間の、無の時間。

 情報が溢れているととにかく疲れる。脳も、心も。

だから何も情報が入ってこないこの状況が、たまらなく心地よい。

 その至福の時間は、とある文明の利器によって無残にも中断された。

枕元に置いていたスマホのランプが点滅する。

画面をスライドすると、「junさんからメッセージが届きました」と表示されていた。

Junとは葛城さんの下の名前、純子の純だ。


『もうすぐ夏休みだね! わたしは部活で忙しいと思うけど、谷風君はまた山登り?』


 もうバスケ部とはできるだけ関わらないようにしようと決めたけど、葛城さんは律儀な性格なのかこうやってよくメッセージを飛ばしてくる。

僕はラ●ンを開き、当たり障りのない返信をする。

『そんな感じかな』

 送信しようとしたところで、指先を止めた。

 あまりそっけないと冷たい印象がする、怒ってるかと思った、何か悪いことしたかな、と葛城さんに忠告されたことを思い出した。

これじゃダメか、僕はそう思い少しだけ文面を追加する。

『そんな感じかな。夏は高い山に登ると少しだけ残った雪が綺麗だよ』

『夏に雪? まるで別世界だね。わたしは明日も練習だよ~。大変だけど、大好きだからね!』

『そう。僕の山と同じような感じかな?』

『きっとそうだね!』

 慣れない頃はなんで文章をわざわざ短く区切って打つのかがわからなかった。

というか、面倒だった。

でもやっと理由がわかってきた。

この短いテンポが楽しいのだろう。声を出さなくても、会話している気分になれるのが嬉しいのだろう。

『そうそう、明後日の放課後に練習試合なんだ! 場所はいつもの体育館。わたしは出られないけど、友達や後輩が頑張るから』

 練習試合か。

 明後日は夏休み間近ということで半日授業だ。 

 バスケ部にはできるだけ関わらないと決めたから、見に行かないでおこうかと思った。 

 でも葛城さんがせっかく誘ってくれたのに顔も見せないと、嫌な思いをするだろう。

 目立たないように、遠目で覗くくらいなら大丈夫だろうか。

 僕はそう考えて返事を打った。

『大丈夫。明後日は特に用事ないから、見に行くよ』

 それで会話が終わったので画面を閉じ、スマホの電源も切ってしまう。これなら着信が入ることもない。

ラ●ンというのは面倒くさい。初めの頃は文章を考えるだけで疲れたし、何か怒らせるようなことを書いていないか不安になって何度も見直して神経を使った。

時間はかかるし、一人の時間は邪魔される。グループによっては返信が遅れれば既読スルーとか言われてハブられるそうだし、ろくなものじゃない。

これが二人での会話だからまだいいけど、大勢での会話となるともっと気を使うだろう。

僕にはこうやって、メールの代わりくらいの使い方で十分だ。



翌日。

 教室に入ると、芳香剤と汗の匂いが混じった教室の中で葛城さんがクラスメイトとおしゃべりしていた。その姿は楽しそうで、笑顔に満ち溢れていて。

 僕と話していた時と同じような感じだ。

 もちろん、僕がその輪の中に入っていくこともない。

 以前みたいなことがあったせいもあるけれど。

薬師寺さんや阿久津先輩のことがあってから、葛城さんとも教室ではあまり話さなくなった。

 葛城さんとは席が離れているので、僕以外のクラスメイトと楽しそうにおしゃべりしている彼女を遠目に眺めるだけだ。

 僕は自分の席に座って、黙々とカバンの中身を出しているだけだ。

 仲良くなったと思った相手は、自分以外にも仲の良い相手がたくさんいて、自分はその中の一人でしかないと気付かされる。いつものことだ。

 彼女は僕以外にも多くの友達とラ●ンでやり取りしているのだろう。僕はその中の一人にすぎない。

 僕に気づいた葛城さんと目が合う。軽く会釈して、あいさつを交わした。

 やがてホームルームの時間が近づき、クラスメイトが席に戻っていくと葛城さんはスマホで何か打ち始めた。同時に、僕のポケットのスマホが震える。


『Junさんからメッセージが届きました』

『おはよ! 今日も暑いね!』


 教室内じゃ気軽に会話できないし、屋上前の階段も今は暑い。こういうラ●ンでのやり取りが、今は学校での葛城さんとのコミュニケーションのほとんどだ。

 葛城さんは忙しいだろうに、律儀なのか挨拶でさえ僕にメッセージを送ってくる。

 やっぱり彼女はリア充で、コミュ強だと改めて思った。

 彼女と比べるとゆっくりな打ち込みだけど、僕もラ●ンで返事をする。

『おはよう。明日は練習試合だね。葛城さんは出られないみたいだけど、みんなの応援頑張って』

 震えたスマホを手に取った葛城さんは、画面を見てやや切れ長の瞳が柔らかく細められ、頬が緩む。ダークブラウンの髪の隙間から僕と目が合うと、小さく手を振ってくれた。

 誤解しそうになるくらいに胸がくすぐったくなる。

 でもこれもテクかもしれない、変な期待したら駄目だ。そう自分に言い聞かせて胸の鼓動を押さえつける。

でも葛城さんは男子と付き合ったことがないんじゃなかったっけ?

 頭の中がぐるぐるしてわけがわからなくなる。

 結局、変にアプローチせずに今のままの関係を維持したほうがいいと自分に言い聞かせた。またいざこざに巻き込まれるかもしれない。



 放課後になる。

 もみじは今日はバイトがあるということで先に帰ってしまった。彼女のバイト先が具体的にどんなものなのか気になるけれど、そろそろ夏休みなので僕もバイトをしようかと考える。

 山小屋でのバイトを一度やってみようと思ったけど、期間が長いのがほとんどなので高校に在学中は無理そうだ。大学生は休みが長いそうだから大学に入ったらやってみようと思う。

 さしあたっては長期休暇の時にだけ募集している短期のバイトがやりやすいだろう。春にやった引っ越しのバイトなんかはきつかったし怒鳴られたけど、給料はかなり良かった。二週間休みなしでバイトを入れて、二十万近い大金が振り込まれた時はさすがに目を疑ったくらいだ。

 そんなことを考えながら校門へと続く桜並木の道を歩いていると、ふと体育館の前を横切った。

 帰宅部を満喫している僕と違い、バスケ部、バトミントン部などの部活が青春の汗を流している。

 葛城さんは練習をしているのだろうか、ふと気になる。

 もうバスケ部にはかかわるまいと決めたけれど。

 これは葛城さんの足の調子を見るためだ。別にバスケ部と関わるわけじゃない。そう自分に言い訳して体育館の大扉からそっと中を覗いた。

 体育館の中はいくつかの部活がスペースを分け合いながら、同時に練習を行っている。バスケ部のユニフォームを着た人たちはすぐに見つかるけれど、大勢いるからその中から葛城さんを見つけるのは難しい。

 また座って見学しているかと思ったけど、壁際にはいない。

 そのかわり、コートの中央付近に立つ彼女の姿を認めた。

 五対五の試合形式で薬師寺さんがいるチームと、葛城さんのチームが練習を行っている。

 葛城さんはまだ足が完治していないためか、コートの中央の位置であまり動かずに、他のメンバーへの指示やパスを中心に行っていた。

たしか彼女はポイントガード、だっけか。コートの中央付近でメンバーに指示を出したり、ドリブルで抜いたり、パスを回したりするポジションでバスケではキャプテンがなることが多いらしい。

葛城さんが時々バスケ用語をラ●ンで使うので、時々ググって覚えたうろ覚えの知識だけど。

 一方の薬師寺さんはコート中央から激しい動きでドリブルし、相手チームのブロックを交わしながらゴール下まで疾風のように駆ける。同じポジションとは思えないほどに対照的な動き。

そのままゴール下で飛び上がったかと思うと下からボールを差し出すようにしてシュート。

 彼女の手を離れたボールは綺麗な放物線を描き、ゴールのリングに当たることもなくシュートが決まった。

 ネットが広がる気持ちの良い音が遅れて響き、審判が大きく笛を鳴らした。

 その後も薬師寺さんのチームの方が有利に試合を進めていく。

こうして見ていると、葛城さんのグループより薬師寺さんのグループの方が若干動きがいい気がした。

 素人の僕にはよくわからない、本当に見たままの印象でしかないけど、パスやドリブル、シュートの精度が違う気がするのだ。

 でもチームのリーダーっぽい葛城さんが本調子じゃないから、他の子たちも上手くプレーができないだけかもしれないけど。

 彼女たちはあまり仲が良くなさそうだけど、故意にぶつかったり足を踏んづけたりというラフプレーは見られない。

 そんなバスケは、いじめっ子と公認されている相手にだけか。全員が敵って状況じゃないと無理だしね。

僕はいじめを受けてからの体育は地獄だった。バスケでは足を踏みつけられ、バレーでは後ろからボールをぶつけられ、野球ではピーンボールをストライクにとられた。

 でもポジションが同じっていうことは、レギュラーの取り合いをしているのだろうか。

 なんとなく二人の仲が良くないように感じたのも、それが理由かもしれない。


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